■第二十二夜:空耳
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だから、あられもない女の悲鳴がラッテガルトの耳に飛び込んできたのは偶然ではなかった。
ダジュラの仕込み・仕掛け。
わざと真騎士の乙女の耳に届くように偏向された──音を届ける技。
土蜘蛛の暗殺者たちは、ラッテガルトの一撃に怖れをなしたのか、文字通りクモの子を散らすようにちりじりになって退却した。
正々堂々とした勝負など期待などしていたわけではないが、その迷いのなさに、ラッテガルトの感情はさらに逆撫でされた。
負傷者に手を貸すものもいない。
シビリ・シュメリの暗殺者からすれば、戦術的撤退は恥でもなんでもない。
そして、戦場における負傷はすなわち己の責任だと教育される。
それは、彼らが撤退戦の難しさを知り尽くしているからだ。
負傷者を助けるために大量殺戮が可能な大火力を手にした敵=ラッテガルトの前に姿をさらしての抗戦を行えば、いちじるしい部隊の損耗を招くことが分かりきっている。
だから、あえて負傷者は捨て置く。
打算と計算。冷徹だが、合理的。それがシビリ・シュメリなのだ。
そこは戦いにおける考え方の違いとしか言い表しようがない。
けれども、ラッテガルトにはどうしてもそれが受け入れられない。
仲間を見捨てる唾棄すべき惰弱・卑劣としか映らない。
超技:《シューティングスター・インペイルメント》の行使によって乱れた呼吸と跳ね上がった鼓動をなだめるように、油断なくラッテガルトは周囲を見渡した。
当然だが、あれほどの威力だ。消耗も半端ではない。
あたりは火の海だ。
吊り橋が、そしてその上に築かれた庵が次々と火に舐められ、骨まで燃え尽きていく。
だが、この炎はじきに収まる。
吊り橋が燃えつきたなら、もはや可燃物がないからだ。
両岸は岩肌もあらわな崖であり、壁面は水が滴っている箇所すらある。
通常の火ではここまでのことにさえならなかっただろう。
魔性の扇:〈カラン・カラクビ〉──恐るべき呪物、とラッテガルトは思う。
シビリ・シュメリの暗殺者たちはラッテガルトと聖槍:〈スヴェンニール〉のまえに、抗戦を諦めたようだ。矢すら射かけてこない。
それによって無差別な広範囲攻撃で焼き払われるのを恐れているのだ。
なんとか直撃を避けたのだろう、片腕を失いかろうじて壁面にかじりつく男を助けに来る気配もない。
引くというのなら、ラッテガルトは追撃しようとは思わない。
ましてや、背後から狙い撃ちされる覚悟で、飛び出してきた相手を撃つ趣味はない。
だから、もし、白旗なりなんなりと掲げて、この男を助けに来る者があれば、あっさりと見逃すつもりでいた。
なるほど、肉親や仲間を命がけで助けに行こうとするエルマやイズマの発想が土蜘蛛にしては特異なのだ、とラッテガルトは結論した。
そういえば、湯浴みに際してエルマはその姉であるエレとともに、一時はシビリ・シュメリの暗殺者として、怨恨を持ってイズマとその仲間たちを襲撃したともいうことだった。
イズマはその姉妹を殺すどころか、命を賭して誤解を解き、あまつさえシビリ・シュメリに囚われた姉を助けるためその身を投じているのだ。
「立派ではないか」
どうして、そのようなことをつぶやいてしまうのか。
ラッテガルトは自分の心の動きを、まだ自覚できていない。
ラッテガルトは土蜘蛛の暗殺者たちが逃げ去った方向を見渡し、それから、もはや死を待つばかりだろう男に向き直った。
英雄譚のなかでならいざ知らず、戦場で手足を失うことは、それはほとんど死んだも同然だということだ。動脈が切断されるわけで、それは当然大量の血液が瞬く間に失われるということだ。即座に処置しなければ数十秒でショックか、そいでなければ失血で死にいたる。
壁面にしがみつく土蜘蛛の男は腕甲の留めベルトを口でくわえ止血しようとしている。
エルマの話によれば“狂える老博士”どもの発明──〈グリード・ゲート〉は疑似的で限定的な《スピンドル》能力をその被験者に与えるとのことだったが、治癒の技はこの男は有していないのだろう。
戦闘能力だけを追求した結果がこれだ。
「哀れな」
ラッテガルトは慈悲としてのとどめを下してやるべきだと判断した。
もとより、英雄候補生たちの死に際して、こうして渡りをつけてやること(注・渡り=トドメをさすこと)も彼女たちの仕事だった。
だが、〈スヴェンニール〉の穂先が狙いをつけるより早く、汗と唾液と血潮を滴らせた男の肉体が燐のように燃え上がり、次の瞬間、帯びていたナイフや己の骨を凶器と化した爆弾となって炸裂した。
そして、その爆風と破片がラッテガルトに到達する前に、輝く光の群れが間に入り防ぎ止めた。ラッテを守るように飛んでいた《スパークルライト・ウィングス》の最後のかけらが、男の捨て身の攻撃を瞬時に無効化し飛び去る。
つい先ほどまで男がぶら下がっていた壁面は、掠めすぎた高エネルギー流に洗われていた。
男の残滓など、見る影もない。
無残な。その無為な死に、すこしだけ眉をひそめる。
ラッテガルトが悲鳴を聞いたのはそんなときだ。
苦痛と官能──己の望んでいないそれに玩弄される女の悲鳴は、周囲を圧する轟音の最中、はっきりとラッテガルトの耳に届いた。
エルマか、と振り返れば、舞いを終えようとする姿が見えた。
ではだれが、と考えたとき、ふたたび、さらにはっきりと泣き声が聞こえた。
聞き覚えがあった。
イオだ。イオのものだ。
もしその声にわずかでも媚が含まれていたのなら、あるいは奸計を疑っただろう。
だが、その切迫した泣き声は嘆願だった。
イオのことを、いまだラッテガルトは敵とは思えなかった。
方法は間違っていたかもしれなかった。
確かに真騎士の法に則れば、それは邪法・外道と謗られてしかるべきものであり、この結果もいわば土蜘蛛の、シビリ・シュメリの、ベッサリオンの一族の自業自得だと指弾されても当然の行為ではあっただろう。
だが、恋する姫巫女と異邦人である男の間を黙認し、その結果として一族の凋落を招いた咎としてその身をおぞましい実験材料として差し出さねばならなかった女の気持ちが、ラッテガルトにはすこし、ほんのすこしだけだがわかるのだ。
イオのもてなしには〈ヘイトレッド・クロウラ〉の操り傀儡とは思えないほど、想いが込められていた。
姫巫女への敬意と愛情、そしてイズマへの押し殺した、思慕。
そのイオが泣かされている。
それはあきらかに相手を責め嬲り肉体的にも精神的にも追いつめることに興奮を覚える──下劣な嗜好に身を刻まれるイオの声だった。
冷静に考えれば、状況はあきらかに異常であった。
疑問は生じてしかるべきはずであった。
なぜなら、いま、現在、たとえ敵と思えずともラッテガルトはイオとその同胞たちが転じた〈ヘイトレッド・クロウラ〉と刃を交えているのだから。
だが、自分たちを庵から見送るイオの切なげな笑顔を、ラッテガルトは憶えていた。
ぶるりっ、とラッテガルトの肉体を怯えではない種類の震えが駆け抜けた。
冒涜だ、と思った。許せん、と思った。
その声が、届いたのは土蜘蛛の異能。
言葉を遠くへ飛ばし、狙った相手に聞かせるためのものだと気がつきもしない。
怒りに燃える瞳で、ラッテガルトはその現場を探した。
エルマから数十メルテ上の岩棚、ラッテガルトなら降下して数秒の位置で、その背徳的な行いにおよんでいるものを見いだした。
焼け落ちた吊り橋の基点、張り出した岩棚とそこから続く洞窟の境に、そいつはいた。
イオを背後から嬲りながら後退り、洞窟へ連れ込む姿が見えた。
イズマは対岸で、すぐには駆けつけられない。
ラッテガルトはこの異常な事態に、いくつかの判断ミスを犯した。
まず、ひとつは嬲られている女性がイオであることの意味を深く考えようともしなかった。
ふたつめは、これが自らを捕らえるための罠だという可能性を考慮さえしなかった。
そして、単身で向かってしまった。
せめても、最後のひとつ、すくなくとも舞い終えつつあったエルマとの合流だけは果たすべきだったのだ。
だが、怒りに燃える真騎士の乙女にはそれよりも、なによりも、最優先で己の正義に従ってしまった。
罠だった。
※
「あのコ、なに、をしてますの?」
荒く息をつき宙を見上げたエルマの視線の先で、ラッテガルトがパワーダイブしてゆくのが見えた。
舞いを終い、扇:〈カラン・カラクビ〉を終い終えたエルマの肉体から立ち昇っていたオーラが明滅しながら消えた。
ずしり、と疲労がのしかかってくる。
神楽舞いの真髄は緩急入り乱れる舞いの所作を完璧に制御することにある。
高速で舞い踊ることが相当の疲労を招くことは容易に想像できるだろう。
だが、逆に緩慢な動きも同じか、それ以上の疲労を舞手に与えるのだと知るものは意外にもすくない。
試しに扇を広げて背を正し、腕を肩の高さにしてまっすぐ前に突き出して、どれくらいの時間その姿勢を維持できるか試してみると良い。
十分ほども維持できるなら、その肉体と意地はなかなかのものだ。
舞い終えた途端、全身から汗が噴き出すのをエルマは感じた。
膝を折り仕舞の所作を終えた羊が、またもぐもぐやりはじめたのを見て感心したところだ。
神獣に騎乗しながらの舞い踊りなど、これまで経験したことのないものだったが、なんとか演じ切ることができた。
舞っている間は感じなかった疲労と熱気が襲いかかってきて、エルマは咳き込んでしまう。
狂い火の舞いは、十五分ほどもある大曲だ。
それを舞い終えたエルマは疲労困憊の極みにあるといっていい。
鞍の背に身体をもたせかけ、襟元に指を入れてあえぐように息をするエルマの目に、矢のような速度で降下し、頭上の岩棚へ舞い降りたラッテガルトの姿が見えた。
ここからはオーバーハングになっているために、それ以上の事態が把握できない。
「どういう、つもり、ですの?」
嫌な予感がする。エルマは思う。




