■第二十夜:打ち据えるは星の光
※
風を切り裂いてラッテガルトは飛翔する。
その肉体を燐光を放つヴェールが纏いつくようにして護っている。
異能:《エアリアル・スクリーン》。
大気抵抗を大幅に軽減し、気圧・温度変化、特に眼球に関する防御壁の役割を果たす。
呼吸の維持や不意に飛来する飛翔物からの防護も兼ねるこの異能は、空中機動を得意とする真騎士の乙女たちにとって必修のものだ。
高空、高速での機動にはさまざまな制約がある。
だが、いま、ラッテガルトがこの防護膜を展開させたのは吹き上がる高熱の上昇気流から肉体を守るためだ。
シダラという巨大な岩山の内部であり、また可燃物も吊り橋の材料であるイワバミ葛が大半を占めるだけの火災だが、それでも一時的な酸欠と炎が生み出す上昇気流、高熱の水蒸気には極めて注意が必要だ。
うっかり吸い込んだら、肺が火傷を負う。
炎と黒煙と不意の烈風をかいくぐり、ラッテガルトは飛翔する機動砲台となる。
自閉した独りよがりの産物とはいえ、自分たちの楽園に火をかけるエルマが〈ヘイトレッド・クロウラ〉たちのターゲットにならぬはずがない。
魔性の扇:〈カラン・カラクビ〉の発火能力・火炎放射は強力だが、どちらかと言えば拠点攻撃用の仕様であるため動きの素早い〈ヘイトレッド・クロウラ〉の分体相手には具合が悪い。
至近距離で狙いを謝ると自らの足場を失いかねないし、火をかけられた魔女たちは簡単には燃え尽きない。
もがき苦しみながら火のついたタールのような液体を吹き上げ、あたりにばらまいてのたうち回るのだ。
まかり間違って組みつかれなどしたら、火傷では済まされない。
砂糖菓子にたかるアリのように、あるいは火に誘われる蛾のように次々とエルマに迫る魔女どもを、わずかな足止めにしかならないと知りながらも射殺し、一方でラッテガルトの目はイズマを追う。
同じようにイズマもまた、多数の魔女にたかられていた。
エルマと違い高速で移動するイズマを援護するのは難しい。
だが、ラッテガルトの目は、離れた場所から戦場を俯瞰する立場ゆえに異変に気がついていた。
呪塊のコアブロックであるイオを探し出すため、あえて我が身を敵の目に大きくさらしながら(さらには金色の鎧にいくつもの赤い発光体がうずまったその外観はイヤでも目立つわけだが)、宙を飛び不安定な足場を疾駆するイズマの行動を阻害する攻撃が、魔女以外のものからも発せられているのに気がついたのである。
それは空中から放たれる弩や、あるいはファルファッレと呼称される土蜘蛛特有の投げナイフによるものであったりする。
ファルファッレは、湾曲した刃や蝶を思わせる小型の斧のような刃先に繰り糸を結わえられた代物で、予測のつかない軌道を描く。
イズマは巧みに躱しているが、そのせいで行き足はやはり落ちている。
目を凝らせば、魔女たちとは別に。闇に溶け込むようにして奇妙な人影が幾人も潜んでいるのをラッテガルトは見抜いた。
そのシルエットから土蜘蛛の一族だと知れた。
あれはシビリ・シュメリの暗殺者ども──瞬間的にそう思い至り、ラッテガルトは皮膚の裏側が泡立つような感覚に襲われた。
エルマもイズマも、断腸の思いでイオとこの谷を滅ぼす決断をした。
だが、あの暗殺者どもはその混乱に乗じて、イズマを打ち取ろうとしている。
それも遠い間合いから矢を射かけ、足止めして、あわよくば〈ヘイトレッド・クロウラ〉にその役目を果たさせようとしている。
いっけん消極的だが、この状況下では、恐ろしく効果的なやりかただ。
ただし、極めて陰湿な。
あるいは、どちらをも疲弊させ、共倒れを狙うつもりか。
そのあまりに効率的な、同時に卑劣なやり口がラッテガルトの逆鱗に触れた。
「うぬ、許せぬ」
言い放ち、まなじりを固めると、ラッテガルトはその卑怯者どもに制裁を加えるべく飛び出そうとした。
一度だけエルマを振り返ると、舞いはいよいよ佳境を迎えつつある。
長距離砲撃戦ではエルマの火力と打ち合うことになり分が悪すぎると判断したのだろう。
イズマに近い足場に火を放つわけにもいくまい、という計算もあったはずだ。
暗殺者たちの手は伸びていない。
よしんば近接戦となっても、本気を出した脚長羊の戦闘能力は相当なものだとエルマから聞かされている。
本当か嘘かわからないが、なんでも土蜘蛛の戦士数百名を手玉に取れるのだとか。
質が違うだけで竜並の能力を持つ土蜘蛛世界では伝説的な神獣なのだそうだ。
むらっ気がひどいだけで、本気になると凄いのだと、そしてやる気を見せているとも聞いた。
エルマが言っていたから、ほんとうだろう。
むしゃむしゃしたり、反芻しているだけではないらしい。
「大丈夫そうだな」
ラッテガルトは心を決め、イズマの進路を阻む暗殺者の群れに襲いかかった。
「あーあー、まんまと挑発に乗せられて分裂しちまいやがったか──怨みを呑んでパワーは桁違いになっても、理性を失ったんじゃ意味ねえっつーのな」
両手を壁面につき炎を上げる谷を見下ろし、呪詛を垂れ流す魔女:イオに声をかけるものがあった。
どうやって嗅ぎ分けたものか。
コアブロックであるイオ本体に、である。
それは実際には献体として捧げられたとき、“狂える老博士”たちによって刻印された徴に基因しているのだが、イオにはわからない。
一心不乱に呪いを投げ掛けていた魔女がぴくり、と頭を持ち上げ振り返る。
土蜘蛛の戦装束をまとった男が、同じく壁面に立っていた。
ダジュラガラン──ダジュラ。暗殺教団:シビリ・シュメリのなかでも特に戦闘能力に特化した実動部隊:ムカデ隊と呼ばれる集団を率いる男が、そこにはいた。
左手にはなにか、光を吸い込む布地のようなものを握りしめている。
魔女:イオは、その布地が自らの影と繋がっていることに気がついた。
いや、それは布地などではない。
炎の揺らめきが壁面に投げ掛ける己の影、そのものだ。
ダジュラは、いったいいかなる技を用いてか、イオの影を捕らえていたのだ。
それが影を介して相手に潜り込むダジュラの恐るべき能力だとは、まだ気づけていない。
それでも頭蓋を怨みに満たされているはずのイオが、ちいさく目を見開いたのは、きっと驚愕の仕草だったのだろう。
ダジュラは言う。
「イオ、オマエはその理性的なところが魅力だったはずだ。家柄も教養も容姿も非のうちどころがなく、姫巫女を目指したこともあるほどの女じゃないか?
だが、異能の才能がなかった。
規定の年齢になっても《スピンドル》が発現せず、オマエは選外となった。
そうであるにも関わらず、オマエは侍従となりやがてその長となり、後続の礎となろうとした。
泣かせる話じゃないか。
引く手あまただったろうに、夫を娶らず、生涯〈イビサス〉の宮に仕えると決めた」
だが、あのイズマのせいで、すべてがフイになっちまった。ダジュラの口調に宿るのは、かつての知己への親しみか。あるいは恋などという幻を信じて破滅した女への嘲笑か。
「あんな男を信じたばかりに、手塩にかけた姫巫女を奪われ、己の純心も弄ばれた。それどころか、いまじゃこうして二目と見れぬバケモノだ。姫巫女にもなれず、“神”にもなれず──不憫なことだ」
訳知り顔でなれなれしく心の傷に触れてくるダジュラに、イオは呪詛を投げつけた。
文字通りの呪いの弾丸。
そのつぶてをダジュラは右手で捕まえる。
じゅっ、と途端に白煙が上がり、掴んだ右手が手甲もろとも呪いの侵されはじめた。
それは接触面から浸透し、肉を犯し骨を蝕む変形の呪詛に他ならなかった。
瞬く間にダジュラの右腕はどす黒い呪いに蝕まれていく。
決して受けてはならぬ最悪の呪詛である。
「オイオイ、ひどい話だ。いきなり問答無用でこれか。危ない反応だな」
だが、ダジュラの顔に焦りの色はない。
一秒ごとに呪いは進行していくにも関わらず。
その侵攻とともに右腕が凄まじい音を立てて割り裂けねじくれ、甲殻に覆われ、軟質の触手化、剛毛に覆われる変形と苦痛にも頓着せぬ様子で、ダジュラはたたずんでいた。
「どうした……なぜだ、という顔をしているぞ? すでに呪詛の塊として、その核として己を捧げたはずのオマエが」
我が身を襲う脅威に怯えるどころか、その呪いを浴びせかけた相手を挑発するような言葉をダジュラは発した。
だが、その言葉を言い終わらぬうちに、放たれた呪いつぶてによって槍ぶすまとなる。
激昂のかわりに、イオが無数の呪詛を放ったからだ。
全身に漆黒の呪いの弾丸を受け、ダジュラの肉体ははぜながらのけ反り、そのまま倒れ──込まなかった。
ぎしぎしぎし、と耳障りな軋みが聞こえた。
ごうごうと吹き上げてくる熱い風にヴェールを翻しながら、イオは見た。
身に余るほどの呪詛を受け天を仰いで倒れ伏すはずの男が、時間を巻き戻すように立ち上がってくるのを。
「なるほどなるほど、これが呪詛の味というわけか──これは、不味い。ドブ川の水で煮込んだ腐った肉の味だ」
だが──それが、たまらなくいい。
半壊した顔から、変形した肉体の奥から目も鼻もないのっぺらぼうの、鋭い牙とそこだけ真っ赤な口腔がいくつもいくつも覗いていた。
「そんなに驚くことはない──世の中には腐った肉や、死体を喰らっても死ぬどころか腹も下さない連中がいるって話さ」
イオの眼前で、ダジュラに残された顔の半分が獰悪な笑みを広げた。
「自ら志願したこととはいえ、こいつは、最悪の気分だな──こんな不味いものが、クセになるほど欲しいと感じるなんざ──くっくっっくっ」
そんなに怯えるな、イオ。オマエの《ねがい》を叶えてやる。その手伝いをしてやるって、オレは言っているんだ。
ダジュラの笑みは際限なく広がっていく。
ぶるり、とすでに怨みの化身と化したはずのイオの身体が震えたように見えたのは、なにかの錯覚であったのだろうか。
※
ブッ、と音を立てて暗殺者を射ぬいたラッテガルトの攻撃が上空へと飛び去っていく。
急速上昇をかけながら、イズマに狙いを定めていた敵をラッテガルトは強襲した。
ほとんど真下から《スパークルライト・ウィングス》が敵を掠め、その上半身を削ぎ取るように奪っていった。
同時にいままで空中に留まっていた肉体が、足場を失ったように口を開けた渓谷に吸い込まれていく。
周囲にいた他の暗殺者たちが慌てふためくように離散するさまから、ラッテガルトは彼らが空中に留まっていられる理由は、高度な飛翔系の異能ではなく、物理的に張り巡らせた細い糸を足場に渡る軽身系の身体制御系能力であると見抜いた。
一撃目の奇襲を許した暗殺者たちは各個に反撃の矢や投げナイフを射掛けてくる。
もちろん、そのどれもが高速飛翔するラッテガルトには追いつけない。
ラッテガルトはそのまま垂直上昇し、飛び道具の垂直方向に対する有効射程から逃れるとターン、パワーダイブ(注・動力降下=ここでは自由落下ではなく異能で加速しながらの落下を示す)を敢行する。
このためにわざと掠らせるように放った一射目の《スパークルライト・ウィングス》を前方に衝角のように展開し、同時に聖槍:〈スヴェンニール〉に《スピンドル》を伝達する。
星幽海の光輝が槍の穂先に、やがてラッテガルトの全身に宿り流星のように輝かせる。あるいはそれは天を割く彗星の姿か。
「《シューティングスター・インペイルメント》!」
ラッテガルトの怒りが白熱する矢となって炸裂し、逃げ遅れた暗殺者と魔女の分体を巻き込み、炎上する吊り橋とその炎すら消し飛ばして一瞬のうちに灰燼に帰した。
おそらく敵の指揮官は遠巻きに攻撃を射掛け、イズマの疾走を妨害することで事態を悪化させ、焦りを誘う算段であったのだろう。
常道だが、その消極的かつ陰険なやり口はラッテガルトの勘に触るものだった。
己の氏族のために命を懸けるエルマと、自らの過去と正面から対峙しようとするイズマの態度を見ただけに、その怒りはいっそう顕著だ。
同じく戦いを生業としてはいても、名誉ある死を追求する真騎士と、任務遂行による一族の繁栄を旨とする土蜘蛛の暗殺教団:シビリ・シュメリとでは、その死生観に大きく違いが生まれるのは当然ではある。
シビリ・シュメリの刺客たちにとっては、イズマの確実な抹殺こそが最重要任務であり、手段など選ぶはずもない。
だが、だからといってそれがラッテに納得できるものではない。
いまだ《シューティングスター・インペイルメント》の残響が響き渡るカンタレッラの吊り橋谷をラッテガルトは乱れ飛ぶ光の翼たちを引き連れ、颶風の速さで再上昇していく。
※
「熱くなり過ぎですの」
まるで天の怒りが大地を打つように光が炸裂し、落雷などありえないはずの大空洞の内部が雷轟に揺れた。
ラッテガルトの放った異能:《シューティングスター・インペイルメント》がイズマを狙う不届きな暗殺者相手に炸裂したのだ。
光背をまとい敵へと襲いかかるその姿・威力こそは、真騎士たちが己を世界の怒りに仕える者どもと自認する根拠として充分すぎるものである。
もし、ここが限定的な飛翔範囲しか取れない穴蔵でなく、高速での自由飛行が可能な環境であったなら、その戦闘能力は単騎で竜族に匹敵するものであろうと、エルマでさえ思えるものだった。
ただ、眼前でラッテの見せた超技の破壊力は限定的空間内で使用するにはあまりに強力であり、ラッテガルトがこれまで比較的柔軟な運用が可能な《スパークルライト・ウィングス》に攻撃方法を絞ってきた理由を納得させるものでもあった。
問答無用の超破壊能力は、慎重な運用を使い手に要求する。
ラッテガルトが内に抱える土蜘蛛への不信や、“狂える老博士”への怒りを飲み込んで、ここまで務めて冷静にあろうとしてきたことをエルマは重々承知だった。
かつて、己も怨恨と嫉妬に狂ったからこそ、それを押さえ込むことがどれほどの苦痛を己の心に強いるのか、痛いほどわかるのだ。
だが、そのタガが、この一瞬で弾け飛んだ。
おそらくいままでずっと耐え続けてきたものが、ついに問答無用の卑劣漢を現前にしたことで弾け飛んだのだ。
ラッテガルトに限らず真騎士の乙女たちの価値観は、正義や大義といった単語と無縁ではいられない。
ときには血族や親族の絆よりもそれが重要視されることがある。
策略や暗躍を重要視するエルマたち土蜘蛛からすれば滑稽なほど愚かしい、実に一面的な世界への視線でしかないのだが、ときおりその清廉潔癖さがまぶしく映るのも事実ではあった。
それは陽の光を忌避しながらも、地上世界を征服しようとし続けてきた土蜘蛛の精神性に、その根底に如実に現れている。
イズマに襲いかかる魔女たちに混じり、遠巻きに攻撃を仕掛ける暗殺者の影に気がついたのは、おそらくエルマとラッテガルトとでほとんど同時だったはずだ。
氏族の棟梁であるカルが人質を抱えている現状で、陣頭に立つことはまずありえまい。
しかし、相手がイズマであると判明している以上、悠長な手を打ってくるほど腑抜けた組織ではシビリ・シュメリは断じてない。
つまり、この部隊を率いているのはおそらく従兄弟にあたる──ダジュラガランであるはずだ。
ならば、率いられているのは最精鋭のムカデ隊ということになる。
エルマにとっては、かつて手酷い扱いを受けた経験がある。
いまでも肉体に刻まれた屈服の呪紋は生きている。
触れられるわけにはいかない。
むろん、もしものことを考え、すでに策は講じてあるのだが。
ムカデ隊の動向を舞いながら確認して、エルマは分析する。
この谷を炎上させている張本人であるエルマには手を出さず、執拗にイズマだけを狙うシビリ・シュメリの精鋭たちムカデ隊の動きから察するに、炎で煽られ魔女たちが呪詛を吐き出し続けるこの状況こそが望まれていると考えることもできた。
いや、そう考えるべきなのだろう。
土蜘蛛の行動には裏があると考えなければならない。それも二重三重の。
エルマの目にはムカデ隊の攻撃は、イズマがこの災禍の中心──すなわち〈ヘイトレッド・クロウラ〉のコアブロックであるイオへ辿り着くことを遅らせているだけではないように思えた。
そう、まるでラッテガルトを煽り、その怒りを引き出そうとしている。
それこそが狙いであるかのように。
ビチッ、と足元の吊り橋から飛び跳ね現れた魔女の一体を、空中にいる間にエルマは業火ではじき飛ばす。
危ない判断だったが、背に腹はかえられない。
亜音速の炎を叩きつけられ、魔女は呪詛を飛び散らせながら十数メテルも遠くへ飛ばされた。
だが、その呪詛の残り火が、ついにエルマの陣取る吊り橋に燃え移る。
燃え盛る炎は瞬く間に伝播し、ラッテガルトの戦う空域への道が閉ざされるのをエルマは見た。
そろそろ舞いは佳境だ。
特別大きな紅蓮の揚げ句を贈らねばならないだろう。
それまでは、エルマも舞いを終えられない。
神楽舞いは神や怨霊に捧げる神事だ。中断は許されない。
心を移すこともまた。
だから、エルマに許されるのは信じることだけだ。




