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■第十八夜:〈ヘイトレッド・クロウラ〉


「やっぱ、そういうことだったんだね」

 呪詛を呑み絡まりあった芋虫塊──〈ヘイトレッド・クロウラ〉。

 イオや、その他の住人たちあったコードは、すべてがこの醜悪な蟲の塊に集約していた。

 

「おかしいとは思ったんだ。最初の《カラーレス・サイコアシッド》。あの威力の説明がつかないってずっと思っていた。

 呪術系の異能はね、術者の力量もさることながら、その怨みつらみの強さ、歪められたわめられた想いの強さがその威力に直結する。

 それなのに、キミたちときたらどうだろう。まるで聖女のように穏やかで、あたたかくボクちんたちを迎え入れ、惜しみなく与えてくれた。

 ほんとうなら、一番怨まれて当然のボクちんとエルマを、まるでそんなことなかったかのように、だ」


 最初は、どんなに出来たコなんだろう、って思ったよ。


「確信したのは、いおりでの会食、あの問答のときさ。ボクちんが感情を煽ったとき、イオ、キミの生の感情が動いた。でもその直後、それがキレイさっぱり消え去った。まるで感情そのものが抜け落ちるみたいにね」


 変だな、と思ったさ。イズマは続ける。


「制御するっていうのとは、あれは違う。心の整理をつけた、というのでもない。許すはずがない、許せるはずがない、許していいはずがない──そんな想いを、ごっそりどこかへ投げ捨てた。そういう感じだったよ」


 語るイズマの肉体に生じた荒神:〈イビサス〉の、いくつもの目が赤光を放ちはじめていた。

 それは闇夜に輝く熾火のように暗く、しかし熱く光と熱を発する。

 どくりどくり、と心臓のように鼓動して。

 その光に〈ヘイトレッド・クロウラ〉の頭部を形作るいくつもの女たちがある者は顔を掻きむしるように押さえ、あるものは掴み取ろうとするように手を宙で掻き、激しい飢餓をあらわにした。

 

「そうだろうとも。欲しいんだ。乾いて渇いてしかたがないんだ。満たされることなんてない。癒されることなんてない。

 当然だ。キミたちは自分たちの〈グリード・ゲート〉を繋げ合わせ閉じた円環を造り上げたんだ。そこに自分たちの怨みつらみを投げ込んだ。この吊り橋谷の理想的な住人であるべき自分たちと、その呪詛の塊を切り分けたんだ。人形劇の人形と人形遣いのように」


 おうおうおう、と〈ヘイトレッド・クロウラ〉の体表面で魔女の群れが啼いた。

 やがてそれはエクトプラズムのようにどす黒い半個体として垂れ流される呪詛となる。

 耐えがたい悪臭が周囲を満たした。


「人形である間は、理想の役割を演じている間は、つらい自分を忘れていられる。どうしようもなくバケモノに成り果ててしまった自分たちの本質を忘れていられる。でも──」


 でも、問題は解決されたわけではないから、人形遣いであるがゆえに舞台には決して姿を現さない本当の自分に、その負の感情は蓄積される。

 

「もしかして、キミたちに取り込まれたら、ボクらも複製としての、蘭の花みたいにそっくり似せられた人形として、この世界を観ることになるのかな?」


 イズマは、すでにほとんど原形を留めず、罠のように締めつけてくるイオの頭を撫でてやりながら言った。

 

「そんなに欲しかったのかい?」

 どす黒いエネルギーの奔流がコードから肉体へ流入し、擬似餌としてのイオをおぞましい頭足類のように変形させていく。

 ぎしぎしぎし、とイズマの肉体が悲鳴を上げる。

 ゆっくりとイズマは首を振った。

 

「残念だけど、ボクちんはあげられない」

 しゅ、と空気の抜けるような音とともにイオの四肢(それはもう、怪物じみた触手に成り果てていたが)が、バラバラに切断された。太さの増したコードをも、〈イビサス〉の《ちから》が断ち切る。

 そして、イズマは己の肉体に生じた巨大な顎門へ、残されたイオの、擬似餌の残滓を放り込んだ。

 ごしゃり、ごしゃり、とそれは咀嚼を終える。

 

「ただ、ボクちんにできることは、その呪詛のすべてを飲み干し、喰らい尽くすことだけだ」


 イズマの宣誓に、〈ヘイトレッド・クロウラ〉が恐ろしい咆哮を上げた。

 それは聞いた者の心の平衡を、それだけで突き崩す狂気の叫びだった。

 その叫びに乗って、あの真っ黒い呪詛の塊が飛来する。

 イズマは吊り橋に糸をかけると、神業じみた機動でそれらを掻い潜った。

 重装甲の甲冑のように見える肉体は、そのすべてが末端にいたるまでイズマの制御下にあり、正確で柔軟な運動性能を保証するものだった。


 そのイズマを〈ヘイトレッド・クロウラ〉が執拗に追う。


 円環であることを解き、アクティブとなった〈ヘイトレッド・クロウラ〉は、その呪詛の集合体として秘めていた獰猛さを解放した。

 バシャリ、とたくしこんでいた胸部三、腹部四、尾部一の計八対の脚が展開し、その正体を現す。

 芋虫にしては長いその脚もまた、じつは融合した魔女たちで構築されていたのだ。キチキチという奇怪な音は、魔女たちがまとう魔除けを兼ねた装甲が擦れて立てる音だった。


 いっそう禍々しい姿に変形した〈ヘイトレッド・クロウラ〉がその身を大きく逸らし、次の瞬間、イズマの進路を塞ぐように先回りして跳んだ。


 とっさに軌道を変えその質量攻撃を躱そうと試みたイズマだったが、反応を読んでいたかのように〈ヘイトレッド・クロウラ〉の肉体が予期できない方向へ向かって鞭のようにしなり、イズマを捕らえた。頭部と胸部に生えたスパイクのような捕食用の器官はそのすべてが魔女たちの肉体で構成されている恐るべき高密度の呪詛塊であったのだ。

 

 イズマは視た。


 己を捉えようと両手を広げる魔女たちの魔除けとヴェールの奥に覗いた口腔から、待ち切れず滴り落ちる唾液を。

 そして術式が〈ヘイトレッド・クロウラ〉の肉体にありえないほどの巨大な顎門を与えるのを。

 イズマは、いままさにそこに落着しようよしていたのだ。


 だが、その顎門がイズマを捕らえるよりも一瞬早く、〈ヘイトレッド・クロウラ〉を光の奔流が打ち据えた。

 異能:《スパークルライト・ウィングス》──上空より飛来したそれは他に誰あろうラッテガルトの放った攻撃だった。


「イズマ! なにをしている!」

「いやー、来てくれると信じてましたヨ?」


 風に翼を翻すツバメのようにイズマを抱きかかえ、ラッテガルトが飛翔した。

 

 円環の魔女:〈ヘイトレッド・クロウラ〉を構築する魔女たちが怨嗟の声を上げる。

 穢れなき純白の乙女が、あといま一歩のところで手にできるはずだった想い人をかっさらっていったのだ。その怒りと恨みは凄まじいものだった。

 展開する魔女たちが一声に呪詛の網を放つ。さながら毒液のごときそれがラッテガルトとイズマをすんでのところでかすめて行く。


「うわあおっ、危ない、危ないぃいい、て──なんだろうこの顔に当たるすんごく柔らかな天国の感触はー」

「やうっ、ば、バカか貴様は! 埋めるな、顔を左右に振るなっ、弄ぶなあっっっ!」

「ああー、あの鋼鉄の甲冑の下には、こんなたおやかなラッテちゃんが隠されていたのですねー。こんなサプライズ、放っておけるとお思いデスカー!! あああっ、至福の谷間」

「し、しかたないだろうっ、最高速度はともかく、甲冑着用時とでは機動性に大きな差がっ、だいたい、貴様がきちんと説明しないからこんなことになっているわけで、わたしは文字通り、飛んできたのだぞ!」


 自身の言葉通り、ラッテガルトはレース地も見事な肌着一枚で飛び出してきたらしい。

 イズマでなくとも思わず見蕩れてしまうほどの可愛らしさだ。

 

「それでも来てくれるラッテちゃんがステキ。こんなにしても蹴飛ばさないでいてくれるのは、そういうことだと思っていい?」

「ばっ、バカッ! 一大事だというのに! 命が懸かっているこの局面で、あうっ、だ、だめっ──この痴れ者、大馬鹿者!!」


 イズマを叱り飛ばしながらラッテは空を駆ける。

 魔女:〈ヘイトレッド・クロウラ〉から見れば、この非常時に宙を高速起動しながらもイチャつく男女にしか見えないのであろう。狂ったように攻撃をふたりに集中させてくる。


「めちゃくちゃ怒らせてしまったではないか!」

「あらま」


 ラッテは急速な横ロールで視界の前後を入れ替え、同時に左手を振り抜き、〈スヴェンニール〉の砲身に帰還しようとする《スパークルライト・ウィングス》に再度の攻撃を命じた。

 初撃の際に大部分が減衰したとはいえ、いまだ強力なエネルギーを纏った重質量の弾体が群を成して激突すればそれはやはり痛手となるようで、魔女たちが数体まとめてちぎれ飛んだ。

 だが、濃い呪詛で形作られた〈ヘイトレッド・クロウラ〉の肉体は弾体を蝕むようで、半数が突き抜けられずその肉体に捕らえられグズグズに溶かされた。

 いっぽうで、魔女たちの肉体はすぐにも再生をはじめる。

 

「くっ、弾体の消耗が激しい!」

「消耗分の補充って?」

「代償に《スピンドル》を捧げれば、すぐにも回復するが……ヤツの再生速度のほうが早い」

「コアブロックを撃ち抜かない限り、ありゃダメだよ。怨みのエネルギーでできてるようなもんで、そこ以外をどんだけ叩いても、無駄というか、よけい怨嗟を募らせるから──」

「先に言え!」

「そんな暇なかったじゃんかー」

「わ、わたしの胸を弄んでる暇は、どこから捻出されるんだ!」

「え? や、これ、無駄にシアワセ♡を享受しているんじゃありませんよ?」

「ま、まて、手が、その手まて」


 これほど切羽詰まった状況なのにイズマは狼藉を働き放題だ。

 左手で胸にイズマを抱え、右手で〈スヴェンニール〉を保持するラッテガルトにはイズマを抑止する手段がない。

 一方のイズマといえば、なにかがぜんいきいきとして、ラッテガルトの左足に自らの両脚をからめ右手は背に、開いた左手が臀部でんぶへ潜り込むという完全なセクハラ状態だ。

 

 むろん、狙いは〈ヘイトレッド・クロウラ〉に、その様を見せつけることだった。

 そういう狙いで、自己の行動を正当化している様に見えるのは、たぶん気のせいだ。

 

 そして、イズマの狙いは的中した。

 

 魔女たちが嫉妬に狂い、ラッテガルトを捕らえられぬもどかしさに、自らの肉体を切り刻みはじめたのだ。

 そうやって切り刻まれ〈ヘイトレッド・クロウラ〉は自壊をはじめる──否、それは自壊ではなく分解、あるいは分裂、と呼ぶべき挙動だった。


 ぶつっ、となにかがはぜる音がして、散弾のように〈ヘイトレッド・クロウラ〉が細切れになった分身をばらまいた。


 どさり、べさり、と吊り橋谷のあちこちにそれらは落着し、瞬く間に魔女一体を核とした二~三メテル級の芋虫となる。

 その一体一体がすでに〈ヘイトレッド・クロウラ〉のための捕食用罠と化した住人たちを使役する

 残酷なことは、使役される側は己の身に起こったことを理解できず、恐怖に震えながら助けを求めるのだ。


 上空の吊り橋から投身自殺のようにして、罠となった住人たちがラッテガルトめがけて飛び降りてくる。


 その顔はどれも恐怖に引きつりながら、それなのに肉体は獰猛な罠そのものであり──そのギャップにラッテガルトの心は引き裂かれそうになる。


「むごい──許せぬ。“狂える老博士”ども」

 怒りを募らせるラッテガルトを下方より見上げ、イズマは微笑んだ。

「なんだ。いまさら、爽やかな顔をしても、貴様の処分は決まっているぞ。この場を切り抜けたらおしおきだ」

「わー、こわーい」


 こわいから、ボクちん、逃げるね。

 え? とラッテガルトが問い返すより早く、イズマの肉体が宙を舞った。


「行ってきまーす」


 手を振りながらイズマは自由落下を選択した。

 あらかじめ伸ばしておいた糸が吊り橋にかかり、大きくしなる。

 イズマはそのエネルギーが減殺され切らないうちに横方向の動きに移り、半回転。橋に飛び乗る。


「目の前で別のコとイチャつかれたら、ますます逃がしたくなくなる包囲して捕まえたくなる。絶対に分裂してくれると思ったよ──これでコアブロックを探しやすくなった」


 異能:《クラウド・モンキー・ストライド》──強力な登坂能力と跳躍力を付加し、そして接地面にかかる重量を大きく軽減するその技で、イズマは分裂した〈ヘイトレッド・クロウラ〉の魔女たちを手玉に取っていく。

 先ほどまでの窮地は演出されたものだと知りラッテガルトは逆上しかけた。

 イズマの温もりが腕のなかからすり抜けていったとき、本気で焦ったからだ。

 敵を欺くにはまず味方から、と世間では言うが、だからといって許されないことがある。

 乙女心を弄ぶことだ。

 

 殺ス。

 

 もしくは魔女に捕まって呪われるがいい、と一瞬でも思ってしまった。

 そのラッテガルトを捕らえようと住人数体分の罠が輪となって落ちてきた。

 包囲を喰い破るべく〈スヴェンニール〉を突き出したラッテガルトは《スパークルライト・ウィングス》を反射的に放つ。


 だが、弾体の極端に減少した状態のまま放たれたそれは、輪の一部を切り裂いたに過ぎなかった。

 捕まる、とラッテが思った瞬間だった。

 視界が青く染まった。

 青白い超高熱の炎が、あっという間にその白色の罠を焼き切ったのだと、後で知れた。


「前方不注意、ですの」

 脚長羊に跨がった土蜘蛛の姫巫女が呆れたようにラッテガルトを見下ろしていた。

 そのかざした扇の先で狐火のように炎の残滓が踊っている。

「狂い火舞いの紺菊扇──〈カラン・カラクビ〉はひとたび広げたなら、あたりを焦土にするまで鎮まりませんの」

「エルマ! すままない。助かった」


 そのかたわらへ舞い降りながら、ラッテが礼を言った。


「準備は──整ったのか?」

「ええ、もうすっかり。おふたりの見事な陽動で──まあ、あれだけイチャつかれれば、ネトラレ属性でもないかぎり怒り狂うに決まってますから」


 どこか険を含んだエルマの物言いに、ラッテガルトはなぜか動揺してしまう。


「あ、あ、あれは、あの男が一方的に、だな」

「そのわりにはその下着、メチャクチャ気合い入ってませんですこと? レースもすんごい手間かかってるし、もしかしてシルク製? どう考えたって勝負用でしょうに」

「ちっちがっ」

「そしてまあ、湯浴みのときも思いましたけど、なんですのそのケシカラン発育具合は。あー、ほんと淫靡いんびな肉ですわー」

「それは、わ、わたしのせいでは。わ、わたしだって困っていて」

「イズマさまに責められて、ずいぶん可愛らしく鳴いてらっしゃいましたけど?」

「なな、ななあ、な、なななあっ! ちがっ、ちがうしっ」

「あらー? 確かめてみることだって出来るんですのよ?」


 エルマの指摘に、ラッテガルトは風に翻る下着の裾を押さえた。


「と、まあ軽い冗談はさておき」

 エルマは狼狽するラッテガルトを見下ろした。

「陽動とともに、イズマさまの援護をお願いいたします。わたくしは、この谷にこれより火をかけます。すべてを焼き払い灰燼に帰すまで、一度火が入った〈カラン・カラクビ〉は止まりませぬ。この火はただの火ではありません。より執着の強い者を、より怨みの深い者を燃料にして大きく炎を育てます。相手を想うあまりに鬼となった女が自らの悋気りんきで焦がれて死んだ──そういう故事を持つ呪いの品。くれぐれもお気をつけになられてくださいませ」


 では、焼身の狂い火舞い、お見せいたしましょう。

 

 騎手の意図が伝わったのか、脚長羊が獣とは思えぬ洗練された動きでエルマの舞いの脚を務める。

 神輿に担がれたカタチになったエルマはゆっくりと扇を旋回させる。

 その開かれた扇の先に青白い炎が宿るたび、その火が吊り橋の遠景と重なるように振られた手が舞い、ふっ、と息を吹きかけるとそれが彼方の風景に燃え移る。

 呪術に優れる土蜘蛛の、その根源たる「恨み」に反応する《フォーカス》は、まさしく同族殺しの魔性の品。

 

「ほどなく、この谷は燃え尽きましょう。それ以前にイズマさまが本懐を遂げられたなら〈ヘイトレッド・クロウラ〉の呪詛で保たれていたすべてが崩落します。そのときイズマさまの足元を支えてあげてくださいませ」


 エルマの言葉には有無を言わせぬ調子があった。

 バケモノに成り果てたとはいえかつての同胞を手にかけねばならぬ痛みにエルマが耐えていることはわかっていた。

 ラッテガルトはひとこと、わかった、とだけ答えた。

 聖槍:〈スヴェンニール〉に弾頭を補充し、飛び立つ。


 心は少し前──イズマと別れた後のことを思い出している。






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