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■第十三夜:打擲(ちょうちゃく)

         ※


 背筋を貫く耐えがたい快感と灼き抜かれるような熱さに、エレはついに声を上げていてしまった。

 恥辱に歯を軋らせる。だが、それが精一杯だ。

 

「気の強いオマエがそうやって、こらえ切れず上げる悲鳴が、オレにはたまらなく愛しいのだ」


 相手を快楽によって苛む土蜘蛛の拷問術。

 そのための異能を行使しおえたダシュラが荒く息をつき、額から汗を滴らせつつも訊いた。

 そして、訊きながら蜜で煮込まれ甘くしなる鞭が光の破片となって飛散するより迅く、ダジュラは一閃する。

 苦痛を快楽にすり替える《ちから》に翻弄され、ふたたびエレはかされてしまう。


「ふふ、どうした? 締まりのないことだ。一度陥落したら、際限なしか? だらしのないカラダだ」

 まあ、オマエはもう、オレに逆らうことなどできんのだからな? 重ねた年月を強調するようにダジュラが言った。

「こんな異能など使うまでもなく、な。そうなるよう長年かけて念入りに改変したのだ。あの道具──《ジャグリ・ジャグラ》を失うとは──まったく惜しいことをしてくれた。といっても、オマエたち姉妹はもう、とっくに取り返しのつかぬ淫花に成り果ててしまっているわけだが」

「やめろっ、もうっ、やめろっ、ゲスめ」

「そして、どうしたことか、恥じらいまで取り戻してしまっているではないか。これは、素晴らしいことだ。思い出すな、あの日、〈イビサス〉を失ったオレたちに撤饌てっせん(神前から下げ渡された捧げ物)として、オマエたち姉妹が振る舞われたときのことを。恥じらいながらオレたちを受け入れ、堕ちるオマエたちの姿を。だが、さすがに数十年も責めれば、馴れてくる。羞恥心の失せた女をいくら玩弄したところで、にはならんしな。だから、オマエたちは解放された。ところが、だ」


 完全に壊してしまったと思っていたのに──好いた男に再会したことで取り戻してしまったのだな? 新たな楽しみを見出した顔をダジュラはした。


「堕ちてしまったカラダとその恥じらいのコントラストが──男を欲情させる」

 キリリッ、とふたたびエレの犬歯が鳴った。殺意の篭った眼光が相手を射る。

「オマエは、オマエたちは──わたしと、エルマを騙していたッ。イズマさまは、わたしたち姉妹を見捨てたのではない。ましてや利用したのでもない。〈イビサス〉さまと合一するため、その力を完全に自らのものとするため、人知れず眠りにつかれただけのことだ。巨大な力を制御するために、そうしなければならなかったのだ。私たちと供に歩んでくださらなかったのは、ただ、それだけのことだったのだ。だから、オマエたちが吹き込んだ疑念、憎悪、それらこそ作り物、オマエたちの望んだ物語でしかなかったのだ! 巫女という名の生贄を、もう捧げずともよい、そういう未来を我らに提示してくださったのだ!」


 背筋をうずかせる偽装された快楽に負けじと、エレは吼える。


「おうおう、いつのまにか、性格まで可愛らしくなりおって。これは踏み躙りがいのあることだ」

 だが、その言葉がダジュラの残忍なさがを引き出したのだろう。

 男はふたたび鞭を取り、一振りすると、床を叩いて鳴らした。

 今度は異能を通さぬ打擲ちょうちゃく

 快楽と苦痛の対比と併用は、高等な尋問術・拷問術の基礎理論だ。

「イズマガルム──あの小狡い盗人の都合など知ったことではない。我らはふたりの姫巫女から同時に裏切られ、“神”を失い、栄誉を穢された。それが、それだけが事実だ。一族は凋落し、その再興だけを胸に、泥水を啜る覚悟であらゆる手段を講じた」


 ダジュラの断定的な口調に、肉体を蹂躙されながら、それでもエレは抗う。


「オマエたちの吹き込んだ──言い分を鵜呑みにしたからこそ──わたしもエルマも、玩弄を、苛烈な奉仕の要求をなかば贖罪として、己の一生の義務として受け入れた。耳から、そして全身に加えられ流し込まれた呪詛によって、やがて、それは殺意に育った。育てたのは、オマエたち、土蜘蛛の矜持、ベッサリオンの名──そして、兄さまだ」


 愚かな、とダジュラはエレの反論を一蹴する。

 

「オマエたちの言い分こそ、都合の良い、夢見がちな女の理屈だとなぜわからん? “神”の威光、その支えなくして我らは立ち行かんのだとなぜわからん?」

 しかし、とダジュラは笑った。

「そう思いたいなら、ずっとそう願っていればよい。オレも、心までなびかせようとは思わん。むしろ、なびかぬ女を組み伏せるほうが、いい」

 ダジュラの責めから容赦というものが消えた。


「イズマさまは、かならず、来てくださる」

「そうさせぬために、我らが出向くのさ」

「オマエたちで、かなうとでも思うか? バカめ。相手は、荒神:〈イビサス〉──我らの“神”そのものだ」


 そして、そのような大事の前に、オマエは抵抗できぬ女を嬲っているというわけだ。常人など例に上げるまでもなく、熟練の暗殺者であってもとっくに根を上げているであろう責め苦を受けながらも、エレは気丈に反論した。


「兄が、カルカサスがそうしろと命じたか? 神前に立つのに女を嬲って欲情する下劣な男が──万にひとつも勝ち目などあるものか」


 激しく責め立てられながらも、エレは気丈に言う。うわずりそうになる声を必死に制御して、刃の鋭さを込める。


「だからこそ、策を巡らす。それに命を懸けるというのなら、イズマもそうだ。なぜ〈イビサス〉が、一時にせよその神性を取り戻されたのか、巫女であったオマエがわからんのか? イズマは消耗し、いまや〈イビサス〉にその主としての地位を取って代わられようとしているのだというのが“老博士”どもの見立てだ」


 そこにつけ入る。ダジュラが獰猛に笑う。


「かつて自らの“神”であった存在と対峙しようというのだ。向かう場所が死地だと、一族のだれもが覚悟しているさ。だからこそ、こうして女に跡を残す」


 好いた女の身体に、自らの印を刻もうとする。

 エレはダジュラからの歪んだ恋慕を感じた。

 姫巫女に恋をしない土蜘蛛の男はいない。

 だから、それ自体に不思議はなかった。エレに対する執拗な執着と責めは、だからこそだったかもしれなかった。

 だが、そうやって相手を貶めることでしか愛を伝達できない性情に、吐き気を催す嫌悪と同時に憐れみを感じた。

 それは少し前までエレのなかにも巣くっていたものだ。


 そんなエレの胸の内など斟酌した様子もなく、ダジュラは続けた。


「それに、これはオマエのためでもあるのだぞ? 我らの策が失敗に終わったなら、つぎにその役を命じられるのは、必ずオマエなのだからな」


 そのときになってイズマを呪っても、もう遅いのだ──ダジュラは言う。

 だが、エレはそのダジュラを笑った。


「バカめ。イズマさまを否定しながら、オマエはすでにして、イズマさまに変えられてしまっているのだと気づけずにいるのか? いいか、よく聞くがいい。わたしたちが〈イビサス〉を崇めていたとき、贄として捧げられる巫女を、土蜘蛛の、ベッサリオンの男のだれが、さらおうと、かどわかそうと、連れて逃げようと思っただろうか。このように汚そうと、己の欲望によって所有しようと思っただろうか? でよしんば、思ったとして、いったいだれが、それを実行に移しただろうか?」


 それなのに。

 エレは息も絶え絶えに、しかし、叫ぶように言った。


「それなのに、見よ、オマエたちはいま、その“神”を我がものとした男と対決しようとしている。そんな意地が、矜持が、以前のオマエたちに備わっていたか? 否。断じて、否。もしそうであれば、きっと巫女のひとりふたり、我が身を省みず、神罰を恐れながらもかっさらう気概を持つ者があったろう」


 オマエ、わたしを好いていたのだろう? 妹にも恋をしたのだろう?


「好きな女のためにさえできなかったことを、一族のためならできるのか? ましてや、イズマさまが“神”さえ謀ることができると証明したそのあとに続こうというのか──できるという保証がされているなら挑める──笑い草だ。腰抜けどもめ! オマエたちの覚悟とは、イズマさまの行動によって灯された炎なのだ!」


 エレの鋭い一喝を封じるように、ダジュラはふたたび異能を振るった。

 絶叫が上がる。

 痛みに耐えてきた肉体が、感覚の瞬間的な反転に耐えられない。


「そうとも。オレは腰抜けだ。腰抜けだった……だが、もし、その策を成就させ、“神”の《ちから》を我がものとしたなら、そのときオマエはオレには逆らえない」


 そのための策を、オレはオレ自身にも仕込んだ。

 ぽたり、ぽたり、と汗が滝となってエレの上気した肌の上に降りかかる。

 じっくりと余韻を味わい、エレを悶絶させてから、ダジュラは薄く笑みを浮かべる。


「それに、その言葉、そっくりそのまま、オマエの兄さまに──カルに言ってやるがいい。オマエたちにいちばん憧れを抱いていたのがだれか、オマエにはわかっているはずだ。それなのに、あの晩、オレたちにオマエら姉妹を下げ渡したとき、ヤツは最後まで輪に加わらなかった。恐かったのさ。オマエたちを穢すのが、じゃない。〈イビサス〉の威光に楯突くことになるのではないか、ということがだ」


 くっくっくっ、とダジュラは自虐的に笑った。


「オレが、こうして、オマエにを残したのは、なぜだと思う? オマエを好いているからだけでは無論ない。オマエたちの意気地のない兄貴が、これを見て発奮するのかどうか、激発するのかどうか、オマエに確かめさせてやるためだ」


 汗を拭い、前開きの上着に袖を通しながら、ダジュラの哄笑は止まらない。


「見ていろ? オマエの兄さま──カルカサスが辿り着くより先に、オレがヤツを狩ってやる」

 そして、オマエたち姉妹をオレのモノにしてやろう。

 言い放ち、エレのまだ痙攣する背の上に手をかざした。

 召喚門が開き、小さな蟲が幾匹も現れる。

 エレの瞳が恐怖に見開かれる。

 

「まあ、それまでは任務は忠実にこなすがな」

 一時も休めるな、というのがお前の兄:カルの注文でね。

 その蟲たちがエレの肌を這い登り、回り込んで本能的な欲望を果たそうとするのを確認しようともせず、背を向けてダジュラは部屋を辞した。


「理想で世界が廻っているなら、なんの苦労もありはしないさ。そうだろう? それぞれが、幼き日に描いた夢のようにあれたなら、怨恨などとうに世界から消え去っているさ」


 いままで、それでも同族の手で弄ばれてきた──それがどれほど幸運なことか、オマエは思い知るべきだ。

 エレの悲鳴を完全に無視し、部屋の外に控えていた副官にダジュラは命じた。


「ムカデ隊に呼集をかけろ。出撃だ。シダラに潜る。標的は真騎士の乙女だ。抜かるな」


 背後で恐怖と強制的な官能に彩られた悲鳴が際限なく上がりはじめた。




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