■第十二夜:はいてない正義
※
「迷わず、逝けたろうかな」
「セルテは楽しんでおりました。微笑んでおりましたの」
一族郎党を代表して、お礼を申し上げますの。
自らの舞いの出来を問うラッテに、深々とエルマが頭を下げた。
ありがとうございました、と。
「いや、なに……稚拙な舞いで失礼した。伴奏が合わせてくれなければ、とてもこのようには出来なかっただろう」
こちらこそ、助けられたのだ。ありがとう。
ラッテガルトも、習慣の違いから頭こそ下げなかったが、エルマに礼を言った。
エルマは下げた頭を少し持ち上げ笑って見せる。
いつも目の端にあった狂気のようなものが薄らいで、本来の瑞々しい乙女の顔がのぞいたようにラッテガルトには思えた。
「それにしても、その衣装、よくお似合いですわ」
「はっ、やっ、こここ、これはっ」
率直な賛辞に、ラッテは慌ててしまう。
皮肉が混じっていれば、受け流すなり噛みつくなりできるのだが、エルマの言葉は本心だ。わかってしまう。
そういう相手には、どうもラッテは弱い。
それに神楽に限らず芸能というものは互いの性根の部分を晒しあう。
ともに大舞台で舞ったのだから、それは心が近づくのもムリはない。
舞手と奏者の心通わねば、これは当然、“神”に通ずるハズもない。
道理というものだ。
「背中側なんてほとんど隠してないも同然じゃん──また布地が汗に濡れてスケて張り付いて」
こんどは別方向から声がした。
下側から石舞台を這い登ってきたイズマが、ジャスティスな乙女の観賞法である下方よりのアングルから舐めるような視線をラッテガルトの肢体に送っていたのである。
これマジ天国の風景。イズマが呟いた瞬間だった。
「地獄に堕ちろ」
ラッテガルトが蹴りをその顔面に叩き込み、イズマは音を立てて落下した。
たぶん下で羊に受け止められていることだろう。
「でも……イズマさまが見惚れるのもわかる気がしますの。ほんと──なんて官能的」
真騎士の乙女って、なかまで鋼でできているのかと思いましたのに。
頬をばら色に染めて、エルマがうっとりと感想した。
例の乙女的嗜好である。
「や、その、戦勝祈願や、武運長久の舞いは──本来、すべてを捧げた男にだけ見せるもので。本来的には副次的な、おまけてきなものだ。真騎士の一族でもっとも尊ばれるのはやはり武勇の腕前であり、歌や楽器や踊りは──肩身の狭い芸能だ」
「それなのに、この腕前って凄くないです?」
「わ、わたしの密かな……趣味だったのだ。チビのころ、あ、幼少期の、な」
ぽしょぽしょ、と告げるラッテガルトは胸元と脚を必死に隠して縮こまる。
「土蜘蛛の男は、舞い上手の女に恋をするものですの。だから、みんな幼少期から必死になって練習するんですの」
ちっとも恥ずかしがることありませんの。エルマが、同好の士を見出したとばかりに微笑む。
「もしかしたら、わたくしやエレ姉さまと同じくらい上手になれる才能があるかも」
エルマの誉め殺し攻撃にラッテガルトは丸まることしかできない。
「イズマっ、何をしているっ、はやく上がってこいっ、預けてある衣服や甲冑を持ってこいッ!」
自分で蹴り落しておいてラッテガルトはイズマを急かす。
にゅう、とその声に応じるように階下から脚長羊が、その長い首をのぞかせた。
むしゃり、むしゃり、となにかを反芻して食べている。
ちなみにどういう理屈でかはわからないが、脚長羊は、あのカニを本尊とする社の奥で眠りこけているのを発見され、ひきずり出された。
土蜘蛛とは本来関わり合いのない異国・異境の生物で、いろいろ謎があるらしいのだが、そうして、どうやって、あの社にもぐりこんでいたのか、まったく謎だ。
とにかく、いると思えばいる。そういう、存在なのだ。
寝言の側の生物、というイズマの言こそ、もしかすると真実なのかもしれない。
脚長羊は重力方向を自在に偏向するようで足場さえあれば、どんなところにも立っていられる。
このふしぎな《ちから》は乗り手にも作用する。
頭に血が上ることもない。
足先に蹄はなく、いわゆる羊とはなにかまったく別の生き物のものであることがわかる。
その柔らかい指は細い枝だって掴むことができる。
その背に載せられた鞍の上で、鼻から血をたらして天を仰いでいるのは、イズマだ。
「それにしても〈イビサス〉さまの防御能力を貫くなんて……さっきもそうでしたけど……これってどんな《ちから》なんですの?」
ラッテガルトの素手素足の攻撃が及ぼす様々な超常現象に対し純粋な疑問を口にするエルマに、答えたのは鼻血をたらすイズマだった。
「は、はいてな、い」
「そ、そ、そんなわけ、あるかああああっ」
ラッテガルトが真っ赤になりうずくまった。
つまり、イズマのこの出血とその原因である破壊は、実際には蹴りの威力によって引き起こされたものではない、とイズマは主張するのだ。
「ま、まあ、わたくしだって巫女装束のときは……そうですけれど」
「は、はやく荷を下ろせえええ!」
真っ赤になってしゃがみ込んだラッテガルトの行動が、ことの真偽については、ある意味雄弁に語っていた。
※
「あー驚いた。死ぬかと思った天国過ぎて」
復帰第一声でイズマはぶち殴られた。今度は装甲化されたラッテガルトの拳によってである。
「ききき、貴様の目の錯覚だ、妄想だ、誤認だー!」
「いいではありませんの。どのみち、身も心も奪われてしまうのですから」
石舞台の上で茶を啜りながら、エルマが白々と言う。
「良くないっ、認めないっ、こんな、こんなド低能のハレンチ男!」
「まあ、褒められ馴れてなくて、男性へ免疫がないのは認めますけれど、それにしたってはしゃぎ過ぎでは? すこしお茶でも飲んで落ち着きなさいな」
いまはそう思っていても、だんだん、イズマさまの深遠な魅力に魅かれていくのは運命なのです。達観した目で、先達としての経験を説くエルマの表情には慈愛の笑みさえうかがえる。
「わ、わたしは、絶対認めないからな!」
「そういうことにしておきましょう。ほら、せっかくのお茶が冷めてしまいますの。馴れてみると、真騎士の茶も悪くないではないですか。これ、なんですの?」
「え、エルダーフラワーだ」
「ふうむ、地上世界のお茶にしてはやりますわね。薬効もありますの?」
「利尿と発汗で毒素を体外に出す。それから質の悪い流行り病の──高熱を伴う──病魔には良く効く」
説明をラッテガルトにさせることで、エルマは冷静さを取り戻させているのだ。
「イズマさまも、ハイ。ラッテではありませんけれど、さすがにあんまりふやけていると、この先が心配になってしまいますわ」
「あ、どもども」
うん、美味しいね。受け取った茶をひと啜りしてイズマが問うた。
「この先って──セルテの残念も解けて、さくっと通過できるように……なったんじゃないの?」
「そうだと良いんですけれど」
行儀良く座ったまま、エルマはセルテが道を譲ってくれた回廊の、その先、さらに下方へと向かう穴蔵を注視する。
「この先に広がるのはタランテラノの崖、カンタレッラの吊り橋谷、タシュトゥーカの水穴に、患い茸の森。降下ルートが制限されていて、待ち伏せには絶好のエリアが多いんですの」
あー、とイズマが同意を示す。
「あのカルがこのまま、ただ手をこまねいているとは、思えないもんなあ」
「絶対に手勢を送り込んできますの。兄さまが──裏切ったわたくしを許しておくはずがありません。〈イビサス〉さまが、そして、その《ちから》を我がものとされたイズマさまが帰還されたと知れたら、民は動揺します。意見がふたつに割れるでしょう。そしたら、また、一族は離散──いいえ、もしかしたら同族同士での戦争に」
そして、己の血統に土蜘蛛は絶対の誇りを持っています。
自分自身も例外ではないだろう。古き血の連鎖・縛鎖の強さを想うように、エルマが瞳を細めた。
「どちらかの血が絶えるまで、戦は終わらない。一度、同族の血が流れたなら報復に継ぐ報復。それが土蜘蛛ですもの」
「当然、カルはボクちんの首を取りに来る。来ざるをえんわなあ。一族のことを想えば」
ぴしゃぴしゃと己の首筋を叩きながらイズマが言った。
そんなふたりのやりとりに、初耳だ、という顔をしたのはラッテガルトだ。
「カル──暗殺者教団:シビリ・シュメリの棟梁というのは、オマエの兄なのか、エルマ?」
その話に取り残されたカタチだったラッテガルトが口を挟んだ。
「説明、いたしませんでしたっけ。そうでしたわね。たしか、そのまえにわたしたちが喧嘩をはじめてしまって……。ごめんなさい。仰る通り、シビリ・シュメリの棟梁は、わたくしの兄:カルカサスでございますの」
あの宿房で子細を説明すると言いながら、実際には始まってしまった女同士の口喧嘩のせいで、エルマとシビリ・シュメリ、そしてイズマの関係を説明していなかったことに互いがようやく気がついたのは、その時だ。
忙しさにとりまぎれて、という言葉はあるが、かしましさにとりまぎれ、というのはどうだろうか。
その是非は、識者に譲り、こちらは話を進めよう。
「では、エルマ、オマエは実の兄とことを構えようとしているのか」
ラッテガルトの真剣な問いに、こちらも同じく、エルマが即答した。
「はい。姉が──エレヒメラが、彼らに捕らわれていますの」
「教団を殲滅するかどうかはともかく、エレだけは──助け出すつもりなんだ」
自分たちの心算を、さすがに真顔でイズマも告げる。
ラッテガルトにしてみれば、イズマはシビリ・シュメリ、そして棟梁:カルカサスとその血統であるベッサリオンの一族が崇め続けてきた邪神の簒奪者であり、その共犯者としてのエルマが追われるのは当然であり、逆にその本拠地を根源から一掃しようとしているのだと理解していた。
穢れた邪教団など“狂える老博士”ともども消し去られて当然だという考えをもつラッテガルトは、深くその理由を問うこともしなかったのだ。
ついに愚かな土蜘蛛の一族にも、その過ちに気がつく者が現れたか、とそういう独り合点をしていた節はある。
半分は、その後に訪れた乱痴気騒ぎのおかげだが──こと、いまここにいたって、ようやくイズマとエルマが先を急ぐ理由、ラッテガルトの同道を許した理由に行き着いた。
「それで、急いでいると言ったのだな」
突然、深々とラッテガルトが頭を下げる土蜘蛛式の謝罪を見せた。
「すまなかった。それなのにわたしは先走り、呪詛を受けて──時間を無駄にしてしまった。他にも、その……いろいろと手間をとらせてしまったかもしれん」
真騎士の乙女たちは、まっすぐな気質の持ち主が多い。
不正や堕落に対しては容赦なく苛烈だが、自らに非があったと認めたことに関しては驚くほど素直だ。
ラッテガルトもその例に洩れず、自分の失態はすぐに詫びねば気が済まないタチだった。
「うーん、なんとなく話の流れで切り出せなかったところもあるし。ぜんぶがラッテのせいじゃないと思うしなぁ」
「前も言いましたが、あの呪詛は受けてみないと、解法がわからなかったのも事実ですわ」
土蜘蛛ふたりは、ラッテを擁護する。
「それに、なかなか身内の、それに自分の恥って、話せないものだとは思いません?」
小首をかしげてエルマが笑った。
「もとはと言えば、責任はわたくしと姉、ふたりにあるのですから」
どういうことだ、とラッテガルトはエルマを見る。
「わたくしと姉は──もうお気付きでしょうけれど、我が神:〈イビサス〉さまの巫女でした。姫巫女として、ベッサリオンの一族の至宝とされ敬われ大切に育て上げられました。でも、その“神”と一族を──裏切ってしまったのです」
裏切った? ラッテガルトはさらに疑問を口にした。
「きみたち真騎士の主張を認めるようであれなんだけれど、たしかに〈イビサス〉は残忍な“神”だった。そりゃあ、龍を倒したり、外敵から氏族を守り抜いたりするけれど、その代償に一族から選り抜きの、貴種の生娘たちを自らの奉仕役としてはべらせ、最終的にはその寵愛の究極のカタチとして喰らう“神”だったんだ」
後を引き継いだのはイズマだ。
「やはり──邪神」
ラッテガルトがつぶやく。
「邪であるかどうかはさておこう。たしかに残忍で残酷だけど、外敵からはきちんと一族と信者を護ったし、寵愛の果てに身篭もった娘の産んだ子は、かならず《スピンドル》能力者となった。出生率がガタ落ちの土蜘蛛の氏族としちゃ、悪くない神様だったのかもしれないよ。実際、エルマもエレも、〈イビサス〉を悪く言わないでしょ?」
ところが、その神さまを奪おうとした男がいた。
「それがボクちん。その過程で、姫巫女ふたりを篭絡してしまったわけです、ハイ。最初は〈イビサス〉を陥れ──ハメどるための策のひとつのつもりだったんすよ」
でも、正直言うと、ふたりに恋をしてしまいましてな。堕ちたのはボクちんでしたん。
イズマは言いながら、エルマの頭をかいぐった。うっとりと上機嫌な猫のように目を細め、イズマの膝に頭を預けながらエルマが付け加えた。
「イズマさまは最初から仰いましたわ。“神”を奪うためにわたしは来たのだ、と。オマエたちふたりの《ちから》を貸せ、と。あの理知的で逆らうことを許されない口調──ステキでした」
「そして、イズマ、貴様は──」
「奪った。“神”を。〈イビサス〉を」
「なんのために?」
「もっとでかい不条理──この世を《そうする》力に──その顕現と戦い続けるために」
「《そうするちから》? その顕現?」
おうむ返しにラッテガルトが問う。
意味を問いただそうとするラッテガルトに、イズマは曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
イズマを蝕む《御方》と《そうするちから》の呪い。
「ごめんよ。詳しく説明すると、凄く消耗するんだ──肉体も、精神も、やすりで削られるように痛む。そういう呪いが、ボクちんにはかけられている。やり過ぎると、またアイツ=〈イビサス〉が出てきてしまう。この〈イビサス〉ボディの状態が続いているってことは、まだ全然ボクちんの《ちから》が回復してない証拠なんだ。それに、エルマはともかく、この件にラッテを巻き込むことはできない。キミはまだ、こちら側にいない。聞くべきでないことだし、今回の事件には、関係ないはずだよ。たぶん」
イズマの膝から身体を起こし、エルマは焦がれるような視線をイズマに送っている。
イズマはその腰に手をやり、抱き上げて言った。
「結果として、このコの人生を、ボクちんはめちゃくちゃにした。それでも果たさなければならないことがあると思ったし、それはいまでも変わらない。だけど、巻き込んでおいて置いてくような真似をしたのは、よくなかった。いろいろ事情があったからだけど、それでも連れて逃げるべきだったんだ。だから、こんどは離さない。地獄のそこまで一緒に来てもらう。エレも同じだ。そのため、ボクちんはいかなくちゃならないんだ」
もちろん、エルマとエレが望めば、だけど。
そうイズマが言い終わらぬうちに、エルマが唇を奪った。
涙が止めどなく落ちて、袖を濡らした。うれしくて泣くのだ。
ずきり、とどうして胸が痛むのか、ラッテガルトにはわからない。
たぶん、ふたりの悲壮な決意に胸打たれたせいだろうと結論する。
「さて、まあ、これがボクちんたちがシビリ・シュメリの本拠地を目指し、そして、奴らから狙われる理由、そのあらましだ。話せるところは全部話したつもりだよ?」
エルマを抱きかかえたイズマがラッテガルトを見た。
促されている、とラッテガルトは感じた。その通りだった。
これ以上、互いが互いの事情に深入りするのには、その動機をあきらかにしあう必要があった。
それは、真騎士たちがなぜ、彼女ひとりをこの地に派遣したのか──騎行と呼び習わされる真騎士の軍事行動は最低で二名、敵の拠点を攻撃目標とするとき真騎士は四名以下で戦力を投下することはない──その理由をイズマは聞いているのだ。
正面切って問いただされても、ラッテガルトはきっと答えなかっただろう。
本来、ラッテガルトに課せられた任務は、すでにこの時点で達成されていた。
ラッテガルトの任務とは“狂える老博士”どもの本拠地の特定であり、ラッテガルトの単独行動は騎行ではなく、斥候、それも威力偵察を想定しないものであった。
威力偵察とは軍事用語的には、実際に戦闘を仕掛けることにより敵兵力を確認する、という意味だ。
つまり「“狂える老博士”どもの本拠を特定したなら戦闘を極力回避しつつ、帰投せよ」というのがラッテガルトに課せられた使命だということになる。
「土蜘蛛の暗殺教団と“狂える老博士”どもを一掃する」という発言は、言うなればラッテガルトひとりの主張にすぎない。
個人の思いと任務は別のものだ。
イズマとエルマから得られた情報を持ち帰り、遠征軍へ報告すれば、ラッテガルトに課せられた仕事は完全に満たされる。
それなのに、ラッテガルトはここで引き返す気になど、まったくなれない自分がいることに気がついていた。
この偵察任務が一向に人間の英雄を眼中に入れないラッテガルトに対する母たちの心遣いだとは、ラッテだって薄々感づいてはいた。
見識を広げさせ、また同時に人界を旅するなかで、英雄のその候補生たる男性を見いださせよう、よしんばそういかなくとも感心と関係を持たせようという。
だが、現在進行中の大規模な作戦行動から外され、また、騎行の体裁も整わぬ、それもあきらか成果をたいして期待されていない偵察任務──遊行と言ってよいその扱いに、ラッテガルトは納得していなかったのだ。
だから、“狂える老博士”どもの本拠を見つけ次第、単独でも突入しこれを喰い破るつもりでいた。
イズマたちの行動は、だから、ラッテガルトにとって渡りに船であったのだ。
ただ、ことの次第をイズマとエルマに説明しようと向き直ったとき、動機を問い直すという局面にラッテガルトは正対することになったのだ。
なぜ、わたしは、課せられた任務以上の働きをしようと、躍起になっているのか。
“狂える老博士”ども。そして、それと結び、己に都合の良い“神”を得ようとする暗殺教団:シビリ・シュメリ──これらが許しがたい“悪”であるからか? その“悪”と対峙することは真騎士の乙女として当然のことで、これを見逃すことなど考えられぬからか?
たしかにそれもあった。
だが、それだけではなかった。
「わたしは……」
どれくらい己の思考に埋没していたのかわからない。
ラッテガルトは己の心を探るようにとつとつと話しはじめた。




