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■第十夜:うしろの正面

         ※

         

「動く様子はありませんわね」

「完全に要所をおさえられちゃったねぇ」

「参りましたわ」

         

 現在、イズマたちが身を潜めるのは断崖絶壁を下りきる直前、上下逆さまになったT型路の途中、小さな道祖神を思わせる社を隠した洞窟のごとき場所だ。

 

 なんとか追撃を巻いたものの、呪いをその身に受けたラッテガルトを抱えたまま、エルマを守りつつ崩落してゆく足場を下りきることは、いかにイズマでも難しかったのだ。

 砕け落ちる足場と岩石の弾雨を、こうしてやり過ごすしかなかった。

 

 物理的距離としてはあとわずか、視認できる距離だ。

 底部まで辿り着けば参道の続きがある。

 だが、その中央に据えられた石舞台を思わせる巨岩の上にセルテ、つまり巨蟹のバケモノ:〈ハウル・キャンサー〉が陣取っている。


「うーん、まいったねえ。あそこに陣取られると抜けられなくない、この回廊?」

「迂闊でしたわ。こんな場所で遭遇するなんて……それもあんなに強力に育ってしまっていては」


 手が付けられませんの。エルマが言った。

 もちろんそれは、殺さずに、という意味だ。

 そして、たとえ殺すことを前提に挑んだとしても、簡単なことではない。

 先だっての交戦において、ラッテガルトの攻撃──死を告げる輝翼の群れ:《スパークルライト・ウィングス》に対する反撃で、それが明らかになった。

 イズマとエルマのふたりが、積極的に攻撃を仕掛けなかったのには理由があるのだ。

 

 それは呪術で括られ造型された怪物には、特徴的な性質だ。

 特に怨念、残念が凝って形作られた魔物は、叩けば叩くほど、その念を増幅する傾向がある。

  

「おそらく、向けられた悪意や敵意を溜め込んで、同じかそれ以上の呪詛にして打ち返してくるんですわ。うかつな攻撃は危険ですの。硬い外殻は《スピンドル》エネルギーを分散してしまうし──やっかいな相手ですわ」

「あそこまで育つには、相当な量を喰らったハズだよ。ただ──《ねがい》を溜め込みすぎて、いつ弾け飛んでもおかしくないようにボクちんには見えたね」

「あの、イズマ、もう、いいと思うのだ。れ、礼は言う。そろそろ、下ろしてくれないか」


 セルテの変じたバケモノ──〈ハウル・キャンサー〉といかに相対するか、その方策を話し合うイズマとエルマの会話にラッテガルトが割って入った。

 ちなみに、あぐらをかいたイズマに抱きかかえられ、薄絹越しに、その腹部に手を添えられるという乙女的には心拍数急上昇必至の姿勢だ。

 頬を染め恥じ入るラッテを、しかし、たしなめたのは土蜘蛛の姫巫女:エルマであった。


「それを判断するのは、あなたではありませんの。土蜘蛛の呪詛は恐ろしいんですのよ? 内臓の働きが少し悪いだけで、肉体というのはずいぶんと影響を受けるんですの。ちょっとくらい無理をすれば、どうとでもなる、っていうのが一番危ないんですの。数年後にはもう立てなくなっちゃってるかも、ですわ?」

 ね、イズマさま? 信頼し切った顔で下から見上げるエルマに、イズマはキリッ、とした顔で返す。

「そです、そですよー、ほうら、まだこの辺、冷たい。低体温症は最悪、死に繋がるんだから」

「でもっ、あっ、まって、撫でるな、撫でるなあっ」

 イズマに抱きかかえられ腹部を撫でられながら、ラッテガルトは身を震わせる。


 この廃屋に逃げ込んだ後、有無を言わさず甲冑を引き剥がされた。

 呪詛ずそは物理的な攻撃とは違い甲冑では受け止められない。

 特別な《フォーカス》であるならその限りではないが、残念ながらラッテガルトのものにはそのような耐性はない。


 迂闊だった。ラッテガルトはそう自らを責める。


 相手の頭上を押さえ蹂躙する戦法に馴れすぎ、慢心があった。

 相手は邪神のなり損ないだという。


 心のどこかに、土蜘蛛と“狂える老博士”たちが生み出した神の紛い物を軽く一蹴して見せ、己の優秀さを誇示したいとの《ねがい》があった。


 交戦を避け、敵の手の内を知ろうとするイズマやエルマのやり方が結果としては正解だった。

 ケタ違いの攻撃能力で圧倒できると思っていたのだ。

 脇目も振らず逃走に移ったふたりと違い、敵を殲滅する思いで飛び立ったのだ。

 

 全身に絡んだ呪いは装甲を、肌をすり抜け、ラッテガルトの臓腑に噛みついた。

 内側から機能障害を起こし、ジワジワと相手を死に至らしめるむごたらしい呪詛だ。


 イズマの処置は素早かった。

 もし、これが自分ひとりであったなら、きっと助からなかっただろう。

 正攻法、正面切っての戦いならばともかく、このような絡め手にほとんど免疫がない自分を、ラッテガルトは思い知らされていた。

 布きれ一枚越しに腹部に当てられた掌から熱が、《スピンドル》の律動が伝わってくる。

 背骨が蕩けるように心地よく、必死に声を噛み殺すのだが、どうしても吐息が漏れてしまう。


「解呪が心地よいのは、当然ですの」

 エルマはそう言うが、こんなの絶対普通ではない。

「イズマ、たのむ、もう──せめて、すこし休ませてくれ」

「ややや、この手の治療は時間との勝負ですよ? ボクちんも急いでるんで、ご協力、感謝しまーす」


 能天気に言いながら、イズマは容赦なくラッテガルトに解呪の《スピンドル》を送り込む。

 冷えていた内臓が温められうっすらと汗をかいた肌が上気している。

 下腹を優しく、ときに強く撫でられると、ラッテガルトは追いつめられてしまう。


「まって、へん、へんなの、ラッテのうちがわ、変に、な、に、これっ」

「ラッテって、自分のこと、ラッテっていうんだねー」

 つい口をついてしまった幼少期の口癖を、イズマは聞き逃さない。


 にやけるな、バカモノ、といつもなら怒鳴るついでに鉄拳を叩き込んでいただろう。

 だが、もうこのときのラッテガルトにはその力は残されていなかったのだ。

 思わず口をついた恥ずかしいクセを誤魔化すこともできない。


 イズマの掌が通過するたび、身体の内側から同じようにその箇所を撫でられているように感じるのだ。

 荒神:〈イビサス〉の寵愛によって、そうなってしまったのだとラッテガルトは気がつき、怒りを覚えるより絶望に意識を失いそうになった。


 押さえ込むことの出来ない心地よさに、背徳的な罪悪感と、恐怖を覚える。

 自分の身体になにがおきたのか、理解できないのだ。

 解呪が終わる頃には、息も絶え絶えになってしまっていた。

 長い長い余韻がいつまでたっても去らない。


「だいじょぶ?」

「け、決闘だ。こ、この任務が完了し次第、オマエに決闘を申し込む」

「どしたの??? いきなり」

「ど、どうしたも、こうしたもあるか。オマエのしたことがどういうことか、思い知らせると言っているんだっ!」

「エレを助けた後でいいんなら、なんでも受けるよ。なんか知んないけど、大事なことみたいだから」


 でも、いまはもうちょっと回復したほうがいいかな? イズマはラッテガルトの頭を撫で、当のラッテガルトは真っ赤になって縮こまっている。


「よろしくて、ですか?」

 びくり、とラッテガルトが正気に戻ったのはエルマの声でだった。

 まず、対策を立てましょう、とエルマは指を振り立てた。

「〈ハウル・キャンサー〉──つまりセルテのことについてですけれど」

「う、うん」

 イズマが姿勢を変えてエルマと正対させてくれた。


「アレを撃破して進むのは、わたくしは反対ですの」

 あ、同情からだけではありませんの、とあらかじめふたりの反論を封じながらエルマは言った。

「同情が、憐憫が、ないといえば嘘になります、ですが、“狂える老博士”どもの手口を、いくらかなりとも知っております。彼らの言うところの“神”とは《ねがい》の集積のこと。その集積の果てに“跳躍”が起こる、と彼らは申しますの。つまり……」

「限界以上に詰めた炸薬、そこに圧力をさらに加え、揚げ句に、火花を投じると、どうなるか、か」

「もしかしたら、たしかにそれで理論は合っているのかもですの。でも、その時起こる大爆発に、ほとんどの存在は耐えられない。耐えられないはずですの」


 言いながら、半ば無意識にだろうエルマは手元の蜻蛉玉とんぼだまを積んでいる。

 硝子で作られたこの美しい工芸品も呪術の触媒である。


「だから、みんな、普通は必要以上に、その肉体に《ねがい》を受け入れたりしないし、できないんですの。むしろ、それをわずらわしい、降ろしてしまいたい、と感じるはずですの。こういう言い方はよろしいですの? 無意識にだれかになすりつけようとする──」


 だって、それは責任・・義務・・という言葉に容易に置き換えられてしまうものですから──。

 エルマがなにをいわんとしているのか、ラッテガルトにもおぼろげに見えてきた。


「いまの考えを逆読みすると、“神”とは《ねがい》をなすりつけられたものである、と聞こえるな」

 まだ潤み切った瞳をエルマに向けて、イズマの膝の上のラッテガルトは言った。

「大胆かつ、不敬に過ぎる発言ですけどね」

「そのようにせぬために、偉大な、それも複数の英雄を育て上げ、世界を統治すべきだ、というのが我らが真騎士の考えだ」


 だが、いまはその主張を通したくての発言ではない。

 そう前置きし、ラッテガルトもあらかじめ、不和の種を取り除いた。

 エルマも頷く。

 かたや灰褐色の肌に緋袴の巫女服。灰銀色の髪は水引で束ねた絵元結。切れ長の目元も涼しげな美貌の姫巫女。

 かたや脚線も隠せぬ草色の短衣。赤い小さな草の実がアクセントの刺繍。汗が滲んだ肌がビスクドールを思わせる姫騎士。

 巫女の正装で固めたエルマと、普段の戦装束からは想像できぬほどに艶やかな雰囲気のラッテガルト。


 そのふたりが向き合い、互いの意図を確認し合った。


「だが、すでにして《ねがい》を練り付けられたセルテ──貴様らの同胞はちょうど、いま、エルマの手元にある玉のような状態なのだろう?」

 そこには、もはやどう見ても限界だと言わざるをえないほどに高く積み上げられた蜻蛉玉があった。

「〈グリード・ゲート〉という回路──それは《ねがい》を取り込むだけではない。《ねがい》への渇望を高め、おまけに蓄積させる代物ではないのか?」

「奇遇ですわ。わたくしの見解も──同じですの」


 最後のひとつをエルマが積み上げた途端、すべてが弾け、音を立てて蜻蛉玉が飛び散った。


「いまセルテは、この重い重い重責をもうすでに限界まで積まれてしまっているのだと思うのです」

「下手に刺激を与えれば、爆ぜかねない、と」


 こくり、とラッテガルトの指摘にエルマが頷いた。


「そんなところへ攻撃を仕掛けたわたしは、いい面の皮だな」

「でも、あれがなければ、わからなかったでしょう」


 確かに肝は冷えましたけれど──無駄ではなかった。威力偵察の役目は十全に果たしてくださいましたの。

 そういうってさりげなくフォローを入れるエルマに、ラッテガルトは微笑んだ。

 

「だとしたら、二度目はご免被る。下手につつくと《ねがい》の、いや、もはや呪詛となった想いの爆発に巻き込まれかねない」


 それは言外に、これよりエルマの提示するであろう搦め手の策に賛同する、という宣言だった。

 世にも珍しい真騎士と土蜘蛛の共同戦線、それも解呪のための──成立の瞬間だった。


「ありがとうございますの」

「もう、《サーペンタリウス・ヴェノム》はご免だ。その、治療も──」


 ラッテガルトの譲歩にエルマが礼を言う。

 率直な言葉に、照れ隠しなのだろうラッテガルトが頬を染めながらお茶を濁した。


「クセになりそうで恐くなっちゃったんですの?」

 ラッテガルトが頬を染める様子に、茶目っ気を刺激されたのか、エルマがひとこと付け加えてしまった。

 互いが打ち解け合い、いい雰囲気で結束が強まりつつあった世界が、かちり、と音を立てて凍えた。

 あ、とエルマが己の失言に気がついて反省の色を見せる。

 慌てて、そっと頭を下げる。


 それがよくなかった。

 

 悪意ある相手にはいくらでも攻撃的になれるラッテガルトだが、自分の過失を認めて謝罪する相手に、なおそこをなじるような気質は逆にこれっぽちも持ち合わせていなかったのである。

 ラッテガルトは逃げ道を塞がれてしまったのだ。

 

 エルマが揚げ足でも取ってくれれば別だったが、殊勝な態度を取られては、反撃することも出来ない。

 なにより最悪なのは、心地よくてクセになりそうだという事実を自分を抱きかかえている男に──イズマに知られてしまったかもしれないということだ。

 

 わー、と声を上げて穴を掘る小動物のようにラッテが、イズマの腹部を鉄拳で持って連打した。

「それはちがうまったくことなることでだいたいきもちよくなるというのはあいするだんじょがたがいにはだをゆるしあいそのこうごうによってじょじょにたかまりうるべききょうちでありしんせいにしてふかしんなまたともにいたるべきもので」──そんなことを早口で言いながら。


 それはまったく仕草こそ可愛らしいが、威力は熊並の破壊力であった。

 予期せぬ、そして恐るべき破壊力を秘めた乙女の鉄拳により、イズマは滅多打ちにされてしまう。

 おうわおうわ、とヒット回数を告げる悲痛なサウンドがその口から漏れた。


「これで、記憶は消したはずだ」

 これでもう安心だ。ラッテガルトはつぶやき、額の汗を拭う。

 確かに完全に呪詛を退けたことがうかがえる肌ツヤである。

 そして、どういう理屈でかは知らないが、イズマの記憶は消えたらしい。荒い呼気。肩で息をしていた。

 ラッテガルトがエルマに向き直った。

 

「すまなかった。取り乱した。話を続けよう」

「やだ……どうしよう……ラッテ……かわいいですの」


 思わずこぼれたつぶやきに、泣きそうな顔でラッテガルトがエルマを見た。

 注釈せねばなるまい。

 エルマはどこか壊れて拗くれてしまっていても、その性情はまことに乙女、可愛らしいもの好きなのである。

 ぬいぐるみにあみぐるみ、呪詛人形……なにか性情はおかしいかもだが、そのなかには可愛らしい女のコも含まれている。

 そんなエルマに「かわいい」と認知されてしまった真騎士の乙女、気高き騎士として生きると決意したはずのラッテガルトは、ついに泣き出してしまった。


 こうなるとオロオロとするのがエルマなのだ。

 あれこれとなだめては、よしよし、と頭を撫でてやる。


「あの、わたくしのおはなし、聞いてくださいますの?」

「うん……きく」

 子供のように、ラッテが返す。

 

 その頃になって、やっと忘却空間に叩き込まれていたイズマが復帰してきた。


「あたたた、なんだ、なにが起こったんだ──たしかセルテの対処法を話してて」

「情けないぞ、イズマ。治療してくれたことには礼を言うが、《スピンドル》を行使しすぎたのだろう。貴様も本調子ではないのだ。度を超えて他者を思いやるような真似は、感心せんなっ」

 すぐさま鋼鉄の処女の顔を取り繕いラッテガルトが言った。


「あー? そなの?」

「そですの」


 こんどはエルマも口裏を合わせた。 

 なるほど、純真な乙女の“ポカポカ”には、男の記憶を消し飛ばす追加効果が確認された。

 これは世界記述に残すべき重大な発見であろう。

 たとえ、その威力が熊並のものであっても、だ。

 頁を割いてでも言及すべき異能、奇跡であった。

 だが、いまはその暇がないので割愛する。


「それで、正面から相手を打ち据えるのは危険だ、という話だったな?」

「そうです、そうですの。だから、もうすこし穏やかな手で──わたくしたちが回廊を抜けるまでの間、その荒ぶる御魂を鎮められないかって」


 具体的には、積み上げられすぎた《ねがい》を──すこし降ろしてやれないかと、思うのです。

 ことさら殊勝な態度でエルマが言った。


「神の無聊を慰めるのが、巫女たるわたしの職能でしたゆえに」


 なるほど、となんだか釈然としないながらも、イズマは頷いた。

 じつに土蜘蛛的、姫巫女的アプローチであると。

 

 目を瞠ったのは、ラッテガルトである。

 正面突破ではないのだから、ある程度、想定外の策が出てくるであろうとは思ってはいたが……これほどまでとは思わなかったのだ。

 倒す方策ではなく、無聊を慰める、ときた。

 

「……そんなことで……あれが、鎮まるというのか?」

 あの狂ったような猛攻を見せた〈ハウル・キャンサー〉を止められるのか、にわかには信じがたい。ラッテガルトは唸る。

 ともあれ、ここはかつてとはいえ土蜘蛛の神域であり、エルマはその巫女たちの頂点にいたという存在だ。

 己の攻撃が通じなかった以上、ここは信じる他ない。


「それに、セルテは決して恨みつらみで《ねがい》を、呪詛ずそを呑んだわけではないと思いますの」

 このお堂、むかしはこんなところになかったはずですの。

 洞窟の奥まった場所に鎮座する、ちいさな社を指しながらエルマが告げる。


「もともとは表参道、そこに併設されていた休憩所──こういう場所がいくつもこのシダラにはありますの。わたしたちが修験場としていたのは、もうすこし下層の裏側ですけれど……」

 ここはかつて、〈イビサス〉さまにお参りする人々のための参道でしたから。

 失われてしまったものへの哀惜を込めた瞳で、エルマは由来を説明した。


「この小さなお社の……ご本尊をご覧になってくださいまし?」

 そこにあったのは、カニを台座に立つ中性的な顔立ちの神像だ。

「カニを赤子の頭に這わせるのは、土蜘蛛の氏族を問わない習わしであったでしょ? はやく這うように、って」


 それにカニを台座にすることは己のなかの“悪食”を制しようという心の現れ。その具体的な焦点としての偶像イコンだと考えられますの。

 早瀬から出て、よどみに流れ着いた遺体を“洗う”のがカニたちの役目。

 なるほど、巫女としての口ぶりで、エルマがこの社の意味を説く。

 

「きっとセルテは、実験体として放り込まれた同じ境遇の、もっと弱い同族をここに匿っていたのだと思います。短い間だったのでしょうけれど、精神的、そして現世利益的にさえ支えたのだと思いますの。疑似的な“神”として。もちろん、己を紛い物と自覚しながら」


 この社が、セルテを祀るためのものであったのなら、この神像こそは、彼が集めた信心そのもの。

 慈しむ目でその神像を見ながらエルマは呟いた。

 だから、助けてあげたいんですの、と。


「だめですか?」

 その問いかけに、イズマは鷹揚に頷く。

 なぜかふたたび、その膝におさまってしまったラッテだけが話についていけずキョトンとしているが、呪術の専門家である土蜘蛛ふたりは、かってに話を進める。

 

「そのための神楽を舞う、って言うんだね?」

「慈雨水満の舞いですわ。天の密、開きて、天の蜜、地に満つ──カニが招くのは死だけではありませんの。潮招くもカニでありましょう?」

「意味転じて、渇きを癒そうってわけか──不可能じゃない。なるほどなー! 勝算はあると思うよ、ボクちん。でも──エルマ、それを舞うのは、キミじゃダメだ」


 珍しくイズマが断言した。


「なぜですの。エルマが、エルマが、もう──もう、純潔ではないからですの? 巫女の資格を失っていて、穢れてしまっているから?」


 ちがうよ、とイズマはかぶりを振る。

 そうじゃないんだ、と説く。


「エルマ、キミはセルテに感情移入しすぎてる。神楽はそれじゃだめなんだ。己を中立に保たねば、“神”につけ込まれる。逆に心を囚われ、食われてしまう。“神”との間に回路を開くのが神楽舞いなんだ。だから、その導線となる巫女はよけいなベクトルに囚われていてはいけない」

「でも、それじゃあ、どうするんですの? だれが、ほかにこの舞いを?」

 そこまで言って、エルマははっとなった。

 まさか、と呟き、それから見た。

 

 ラッテガルトを。

 

 正解、とイズマも見た。

 

 え、なに? 全然わかっていないのはラッテガルト本人だけなのであった。




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