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■第八夜:スレンダーマン

         ※


 イルダメグリ・ラダメ──イダは「理想とは狂気の果てにこそ実現しうる」とのスタンスに立つ。

 

 いや、そううそぶき交わしながら王の顔色をうかがい大国のサロンに寄生するエセ革新論者たちと、彼は完全に別種の生物であり、唱える文言は同じでも、そこに含まれた実践の重みには天地の差が存在する。

 

 イダはすでにして超越者である。種族の壁を越えた、といってもよい。


 この数百年で実に数十回にわたる自切と縫合と癒着と融合を繰り返し、この身体には、もはや自分元来の肉体など、わずかなりも残っていまい。


 その独特の風貌から“狂える老博士”と揶揄やゆされる仲間たちの間でも、とくに“スレンダーマン”と呼ばれることが多い。

 なかなかに的を得た表現であると、イダはその渾名あだなを好意的に受け入れている。


 迷える仔羊たちに“進化”へのきざはし・・・・を与える、奇特な足長おじさん。

 それも匿名、無貌の。

 すばらしい、とイダは歓喜すら覚える。

 まったく理想の体現ではないか、と。


「イダ、薄気味悪いお前たちと手を結んだのは、この日のためだ・・・・・・・と理解しているか」


 そんなイダに、あいまいな言葉で話しかける土蜘蛛の棟梁:カルがいる。

 水臭いことだとイダは思う。


「薄気味悪いなどと歯に衣を着せた物言い、我らの間には不要だと言ったはずではないか、盟友:カルカサスよ。はっきりと言うがいい、恐ろしいと。おぞましいと。そして、憎悪さえ抱いていると。そうであるにもかかわらず、我らは同盟関係にあり、運命共同体であり、分かちがたいのだと──おお、これは、なんと誠実な関係だろうか」

「口の端に上らせるもはばかられるから避けているのだと、なぜわからん? だが、そういうことでれば、あえて、単刀直入に言おう。荒神:〈イビサス〉が、そしてそれを奪ったイズマガルムがこの地に舞い戻った」

「この日のためだと、オマエが言ったなら、そういうことであろうと思っていたさ。いまさら口に出すこともあるまいよ」


 カルは、その不気味な男を睨みつけた。

 長身であるカルに比しても、イダは、まだ頭ひとつ背が高い。

 ひどい猫背であるにも関わらず見上げねばならないのだから、きちんと背筋を伸ばして立てば二メテルと半ほどもあるのではないかとカルは推測している。

 

 イダからは腐乱した果物のあのなんとも言えない甘い薫りがする。

 男であるのか女であるのか。そもそも、これがどのような生物であるのかすらわからない。


 気味が悪いという形容では生ぬるい。

 イダ自身が言うようにそのありさまは怖気が走る、というのがふさわしい。

 それなのになぜ、カルがイダと話すのかと言えば、“狂える老博士”たちのなかで、もっとも話の通じる相手であるからに他ならなかった。


「そこまで言うからには策はあるのか?」

「神を捕らえるための策だろう? おお、あるとも、あるともさ。ただまあ、急ぎ仕事の仕込みにはなるだろうがね」


 イダは笑みを浮かべてカルに応じた。


「捕らえるだけでは不十分だ。わたしがアレを超えねば」

「それはもう、喰らうしかあるまいよ。喰らい尽くして自らのものとするほかあるまいよ」

「神殺しでは飽き足らず、神を喰らえとそそのかすか?」


 カルの侮蔑を込めた冷笑すら、イダは莞爾かんじと受け止める。

 もっともその表情を笑っていると捉えることは人類には限りなく不可能であったのだが。


「しかりしかり、真の意味でその存在を超えた、とは喰らい尽くし、己が血肉としたときだけ──本当なら、イダがその役を代わってやりたいくらいさ」


 イダの声はその容貌からは考えられぬくらい乾性だ。

 ただ、カルにはそれがいくら水を注いでも飲み込み続け、決して潤うことのない荒れ果てた砂漠の砂のような──底なしの穴を相手にしているかのように感じられるのだ。


「ならば、なぜ試さない。キサマ自身の肉体で」

 長年の疑念をここぞとばかりに、カルは叩きつけるが、イダは暴風をいなす柳のように薄気味悪い笑みを浮かべるばかりだ。

「完全に神を超越したかどうか、そのとき誰が、イダを観測するのかね? それに実験に失敗はつきものだ。イダはまだまだ、実験し足りないのさ。研究者はな、研究するのが仕事なんだ。わかるだろう?」

「つまり、キサマはそのいつまでたっても不完全な実験を繰り返すために、ここにいると言うわけだ。試される側としては、いま、この場でくびり殺したいくらいだ」

「だが、そのために、オマエさんは、今日この日まで、苦痛と恐怖に耐えてきたのではないかね?」


 そして、イダの指摘は時に驚くほど的確だ。

 手を結んだあの日から、カルはイダの実験体でもある。

 おのれの内側に異物を差し込まれ、寄生される耐えがたい苦痛。

 吐き気をもよおす嫌悪感。

 己の肉体が自分の《意志》とは無関係に変形していく恐怖──それらの邪悪に耐えてきたのは、一族を担う重責とともに、イズマガルムへの復讐を果たさんがため、ただ、その一念によってのみだった。


 イダはカルの肉体の一部始終を知り尽くしている。

 そう思うだけで、たまらなくカルにはイダがおぞましい。


 なによりも、イダがカルによこす視線にはおよそ情欲などといったものはなく、ただただ、そこにあるのはあまりに無邪気で純粋な好奇心──カルはおろかイダ本人の生命すら、軽んじているその異質さに、カルは本能的な恐れを抱くのだ。


「ただねえ、罠を張るとなると、前から言うように上質の餌が必要さね」 

「餌ならもうある。エレヒメラ──妹が、な」

「おや、たしか、当のイズマガルムとやらを狩りに出したのではなかったのか。イダの要求を袖にして」

 イダがカルを指さし指摘した。

 

「〈ジャグリ・ジャグラ〉を!! あの素晴らしい《フォーカス》を持たせて! おお、おお、カルよ、坊や、なんてこと!」

 なんと価値のわからぬことを! そう指摘するイダの不気味に長い指をカルは払いのけた。

「家宝:〈ジャグリ・ジャグラ〉は失われた。だが、エレはある意味で本懐を果たしたのだ。いまあの先祖伝来の神器は、夜魔の姫:シオンザフィルに突き立っている」

「失われた? 所在はわかっているのだろう? すぐにでも手を差し向けて……いま、夜魔の姫に、と言ったか、カル?」

「ああ、たしかに言った」

「そうか──それは──それは、興味深い! 違うか、カル?」


 イダの執着は己の好奇心をより満たす事象に傾く。

 肉体改変デバイス──邪悪な《フォーカス》:〈ジャグリ・ジャグラ〉が手元から離れたことより、それが夜魔の姫に打ち込まれてなお活動中であることのほうが、イダの心には響くのだ。

 不本意とはいえ、手を結んでからずいぶんと経つが、カルにはついぞ理解できない思考・思想である。


「貴様ら“狂える老博士”どもの趣味は理解に苦しむ」

「その“狂った”連中と手を結ぶ常識の持ち主の思考はなおのこと」


 押し黙ったカルの突き立つような視線をすら、意に介した様子もなく、イダは続けた。


「それにしたって、準備は急がねばならんよ。相手が神なら、すぐにでも現れるだろう?」

「だからここにお前たちを呼びつけた」

「神喰らいへの道を選ぶ、ということかね? とうとう、その覚悟を決めてくれたということかね?」


 土蜘蛛は種族的に夜目が利くため、燈火は逆に日光に馴れるために灯される。

 暗がりでの生活が長引くと、地上の光に適応できなくなるためだ。

 だが、日常的には灯は最低限である。

 その暗がりのなか、ぎゃりり、と縛鎖の擦れる音がした。


「どれほど、かかる?」

 イダの質問には答えず、カルは訊いた。

「完全というものはないよ? しかし、オマエさんはすでに基礎工事を終えているからね……そうだね、まあ五日もあれば」

「三日で仕上げろ」

「あいあい、狂人相手だろうと人使いの荒さはかわらんというわけかい。わかったわかった、けれども調整もしなくちゃならんしね──身体をほとんど取り換えるんだ。この際、保険も──かけるだろう?」


 言いながら、イダは立ちはだかるカルの向こう、加えられ続ける洗脳に息も絶え絶えなエレの肢体を指さして言った。


「万全であっても、勝率は三割が関の山、せめて五割には持ち込みたかろうよ?」

「三割、だと?」

「いいかね、オマエさん、カル坊よ、相手はすでに神を盗み、喰ろうた男よ? 喰らう前のオマエさんに、三割もの勝率を授けるんだ──これはよほどのことだ」

「無能め」

「そうさ、そうさ、言われる通りだ、なんといっても狂っとる。しかし、だから、〈ジャグリ・ジャグラ〉があれば、もう少し、用意した神喰らいの顎門とオマエさんの親和性も上げられたろうに」


 まあ、そんなこといまさら言ってもしかたないさね、とイダは言い、カルを覗き込んだ。


「だから、罠のほうもね、同時に進めたいのさ。撒き餌に使うだけではもったいない。 オマエさんの敵:イズマガルムがここへ来る動機、理由、それが、オマエさんの妹君への執着だと言うのなら、そこに仕掛けりゃ必ず掛かる。そういう寸法だろう? 権謀数術に長けた土蜘蛛の棟梁だ。わかるだろう?」


 エレを罠の餌に差し出せ、とイダは言うのだ。

 カルもそのつもりで彼らをここへ呼び寄せた。

 だが、躊躇があった。

 未練があるのだ。エレを、まだ、想っている。妹としてだけではない。


「まあ、わたしらは、どうでもいい。狂っているんだ・・・・・・・。ここでの研究もそろそろ潮時だというのなら、名残は惜しいが流れていく他ない。正直、気は進まないが、そののほうが病んでいたり、狂っていたりするもんで、きっとこの名残惜しさも間違ってるにはちがいないからね」


 イダは自分のアゴをやたらと長い指で摘んで言った。

 数秒の沈黙。

 それは駆け引きの間だ。

 

「報告によれば──イズマガルムは真騎士の乙女を引き連れていたという。そちらを餌にしろ」

「捕まえてもいないのにかね? 皮算用はよくない。いま、ここに最適の素材があるのに」

「真騎士の乙女の純潔は強大な《ちから》の源だという」

「どうせ、わたしらのところに回ってくるときには中古だろう? イズマガルムの貞操観念を信用するというのかい? オマエさんだって、大事の前に《ちから》は欲しかろう? “狂える老博士”が正気を疑う──こんなよくできた冗談はない。それに、その乙女がシダラの大空洞を抜けてくるなら、無事かどうかもわからんじゃないか」

「兵を送って、拉致させる」

「おーおー、蟲毒の壺に、自らの手勢を送り込むか。非情なこと。それで……間に合わなんだら?」

「その時は……もっていけ」


 エレを、餌として、罠とし──改変せよ。

 折れたのはカルだった。

 以前から、イダを筆頭とする“狂える老博士”どもが、エレとエルマを実験体として狙っていたことは知っていた。

 それを拒み、自ら率先して献体となったのは、妹ふたりをその魔手から守るためでもあったのだ。


 歪んではいても、ふたりの妹をカルは愛していたのだ。

 だが、己に課し律してきた掟が、〈イビサス〉の帰還、イズマの登場、そしてエレとエルマの裏切りによって崩れ去った。


「ほうほう、じゃあ、二日待つよ。吟味もしなくちゃならんから、明後日の日没までとさせてもらおうか」


 にたり、とその唇が笑みのカタチになった。

 それは契約を終えた誠実な笑みであるはずだったが、どう見ても邪悪なはかりごとに相手を陥れた魔物の笑みにしかカルの目には映らなかった。

 

「さて、じゃあ、まずはオマエさんだ──つぎに目覚めたときは──生まれ変わっているよ」


 言い含めながらカルの肩を抱き、イダはよりいっそうの暗がりへとカルを導くのだ。

 土蜘蛛の瞳を持ってしても見通せない真の暗闇へ。

 

「氏族のものどもに、出せる指示は出してお行き。そうだ、イイ子だ、カルは」

 アンバランスに長い手足を捌きながらイダは歩む。

 ひとつ、カルは計り間違えている。

 

 イダにはかりごとなどなにもない。

 イダの存在、それそのものが、すでにしてはかりごとなのだ。




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