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■第七夜:朝食がサラマンダー

         ※


「やっぱ、ラッテちゃんの設定……ボクちん的には知りたかったなー」

「設定? 設定とはなんだッ? それから、ちゃん付けはやめろっ」

「じゃ、ラッテ♡」

「は、は、は、ハートなんかも浮かべるんじゃないッ。気色悪いッ」

 

 いささか緊張感のない会話だが、寝言男:イズマとの会話だとすると、ほとんど初対面のラッテでは、なるほどこのようなものかもしれない。


 暗殺教団:シビリ・シュメリの棟梁たるカルカサスによって捕らえられた土蜘蛛の姫巫女:エレが、その魔手によって窮地にあったころのことだ。

 腹心:ダジュラより尖兵たちの壊滅を知らされたカルが、憎悪と狂気を新たにしていたときのことだ。

 イズマ、エルマ、ラッテの三名は休息を取るべく、寝所に身を横たえていた。


 床板に直接床を敷くふしぎな寝具に潜り込んだところで、話を蒸し返してきたのはイズマである。

 ついたてのむこうから声が投げられてきた。

 

 真騎士の乙女:ラッテガルトがこのシダラ山に舞い降りた理由──これはじつは食事の間にも交された話題だった。   

 そのやりとりのなかで、ラッテは己の目的を邪教団:シビリ・シュメリと“狂える老博士”の殲滅にあるとしか語らなかった。

 イズマはもっと彼女自身の素性=設定を知りたい、と食い下がったが真騎士の乙女は口をつぐんだ。

 当然のように、己の正体を明かそうとしないラッテに対し、エルマは無言で警戒を強めた様子である。


 けれども、深くラッテを追及することはできなかった。

 否応なく、ついたてを挟んで、三人は寝床に潜ることになった。

 状況を考えれば、互いの立場と思惑を明らかにし、一刻も早く下層を目指すべきであっただろう。

 つまり、最下層にあるシビリ・シュメリ本営へ。

 囚われているエルマの姉:エレを救い出すために。

 だが、眠らねばならない理由が一行にはあった。


 エルマが限界だったのだ。

 食事を終え、沸かした湯に浸し硬く絞った布で身体を拭いている最中に、気絶するように倒れた。

 真騎士の乙女:ラッテガルトは、先ほどまでやかましく舌戦を繰り広げていた土蜘蛛の姫巫女:エルマが体力も精神力もギリギリのところで気丈にも踏みとどまっていたのだと、そのときになって初めて知った。

 カテル島での連戦・激戦、イズマを庇いながら七日間に渡る介抱、そして、ついさきほどの土蜘蛛の暗殺者たちとの闘い。

 身も心もまさしく満身創痍であったのだ。

 

 本来ならイズマも同等かそれ以上の消耗を見せているはずだったが、こちらは先の交戦時に三名の命をその存在ごと吸収したことで、万全とは言えぬまでも回復はしていた。

 体力的に万全なのはラッテガルトだけだったのである。

 そして、エルマの闘いを見ていたラッテである。

 誇りを支えとして力を振り絞り闘い抜いた戦士が衰弱しているのを、真騎士の乙女としては無視することはできなかった。

 矜持のなきもの、誇りを持たぬものに対しては冷酷とも言って良い態度を見せる真騎士の乙女たちだが、その一方で異種族に対する偏見よりも生き方を重視する気質を持っている。

 言うなれば「英雄的」という絶対的な基準値にどれだけ近いか、で彼女たちの相手に対する評価は決まるのだ。

 その意味で、エルマの奮闘はラッテの琴線に触れるものであったのだろう。

 かいがいしく寝具の乱れを直し、額に浮かぶ汗を拭きとってやる。

 

「だいたいうるさいぞ、イズマ、こっちは病人がいるんだ。静かにしていろ」

「だってさー、ボクちんだけ、文字通り蚊帳の外は……さみしーなー」

「ぜ、前後不覚の婦女子を獣の側に同衾させるなど、できるかっ。可哀想に、こんなに消耗して──意地を張っていたのだな」

「どっちが、獣か──まあ、いいんですけどね?」

「どういう意味だ?」

「いーえ。おやすみなさぁい」


 同族の娘が倒れたというのに緊張感のないイズマの返答と、馴れぬ異文化の寝具、そして男女を隔てるものが木製なのか紙なのかよくわからない仕切り一枚だという状況に当惑しながら、ラッテは釘だけは刺しておくことにした。

 こつこつ、と仕切りである衝立をつついて強調する。

 

「言っておくが、なにがあろうと、このついたて・・・・を越えるんじゃないぞ、ここは絶対境界線だからな」

「わかりましたっ、許可があるまで、絶対に越えませんッ」

「そんな日は来ないッ、永久にッ、絶対にだッ!」

「だといいんですけど、ねえ」


 イズマの奥歯にモノが挟まったような言い方にカチンと来ながらも、ラッテガルトは寝床で横になった。

 エルマに添い寝するカタチだ。

 室内は火を焚いていてもしんしんと冷えてくる気温だったが、ふたりでいるぶん、暖かだった。

 イズマが明かりをふき消すと、耳に痛いほどの静寂が暗闇とともにラッテを包み込んできた。

 

 そういえば、とラッテガルトは思い出す。


 真騎士の乙女たちはある程度の年齢になると、集団生活を営むようになる。

 一種の寄宿舎ギムナジウム

 年上の乙女は、年下の乙女たちの面倒を見、真騎士としての規律や、規範といったものを教えてゆく。

 土蜘蛛にも増して少子である真騎士では血の繋がった姉妹というのは極端に珍しい。


 一般に姉、妹、とは真騎士の乙女たちにとっては、集団生活の拠点となるギムナジウムでの関係で呼び習わされるものだ。


 そんな彼女ら真騎士の乙女たちにとって堕天した大姉:ブリュンフロイデは──人間のアラムの王に恋をし、“狂える老博士”どもに穢されて、その果てに一児を残して死んだ──かつて、憧れの的だった。

 

 清冽のスピカと称されるほどの、人品においても、武勇においても、徳も、そして、その美貌までも完全と称された……こういってよければ当時、ギムナジウムにいた乙女たちの理想だった。

 まさしく、輝星エトワール

 自分がいま、こうして誇り高くあろうと志を持っていられるのは、あのヒトのおかげなのだ。ラッテは思う。


 あの頃、憧れ恋い焦がれた彼女を思い出すと、いま自分の胸にすがりつくようにして眠るエルマの折れてしまいそうなほど華奢な身体が、たまらなく愛おしく思えた。


 この娘:エルマは、そういう存在に触れることなく、陰惨な日の当たらぬ場所で生きてきたのだ。

 ひどい人生を強いられてきたに違いない。

 それで歪んでしまったのだ。

 けれども、この娘には芯に輝くものがある。

 エルマの出自を知らぬラッテは勝手にその生い立ちを想像して思う。


 あの日、伸びない背と成績、それなのに日増しに際立ってくる女性としての証に、コンプレックスで押しつぶされそうになっていた自分を助けてくれたのはブリュンフロイデだった。ラッテは回想する。

 ハーブティーを入れながら話をしてくれた。

 その薬効を語り、どれが好きかとラッテガルトに訊いた。

 ずいぶん悩んだのを思い出す。

 カミツレかラベンダーか、それともエルダーフラワー。それぞれに効能も違うし、それぞれに薫りも味わいも長所がある。難しい選択肢だった。

 なにしろ、そのすべてがブリュンフロイデが育てたものだ。

 憧れのそのヒトが、自ら育てたハーブでお茶を振る舞ってくれるというのだ。

 年頃を迎えつつあった少女が、胸を高鳴らせるのもムリはない。

 

「すべて、すばらしくて……選べません。どれも素晴らしいお茶です」

 そう答えたラッテガルトに「それでいいんじゃないかしら」とあのヒトは言った。

 それぞれに違う個性を持つことは──それでいて同じ理想を追うことは、すばらしいことのようにわたしには思えるの。

 あなたはそれでいい。ただ、邁進しなさい。そう言ってもらったように感じた。

 ただ、お茶を飲んで、すこし話をしただけなのに、とても心が軽くなったことをラッテは忘れない。


 今度は、わたしがあのヒトのようにならねば、とラッテガルトは思う。

 この拗くれた心を持つが気丈にも誇りを持って戦った娘を導いてやらねば、とそう思う。

 

 この良くも悪くも独善的な気質こそ真騎士の乙女たちに共通のメンタリティなのだが、もちろんラッテは自覚がない。

 そっとエルマの頭を撫でてやると、慕うように胸に顔を埋められた。

 かわいい、とエルマのことをラッテガルトは初めて思えた。

 わたしが護らねば、とさえ思う。


 結論から言えば──半刻後、ラッテガルトは前言を完全に撤回する。


 とても書き記すことのできない乙女な、それでいて官能的な悲鳴が暗闇を切り裂いた。

 ちょっ、なんで、わたし、裸のうえに、身体の自由が──だれっ、こんな、ちょっ、まってそんなの。

 まあ、そんな感じでラッテガルトは大混乱に陥った。


「どーされましたー?」 

 間抜けすぎる声がして、ついたての向こうがほの明るくなった。イズマが火を灯したのだ。

「ちょ、これっ、どういう、どういうことっ、やっ、やあっ、だめっ、なんでっ」

「あー、たぶんですねー、無意識だとは思うんですけど、捕食行動というか──落ちてる体力を補うために《エナジー・ドレイン》を仕掛けてるんじゃないかなー、と」

「《エナジー・ドレイン》? なんでっ、やっ、噛んじゃダメ、吸うのもだめええっ」

「まー、人外の外法なんでねー=《エナジー・ドレイン》。なんかエルマ的には、バッドステータスが発症してるんじゃないでしょうかねー。混乱、とか惑乱とか淫乱、とか?」

「止めて、止めて、とめてぇ!!」

「いっやー、そうしたいのはやまやまなんデスケドネー、この絶対障壁がですねー、ボクちんは越えられなくてですねー」

 イズマの声にはどこか含み笑いのようなものがあり、状況を楽しんでいる節があるのだが、窮地のラッテガルトは気づけない。

「きょ、許可、許可するっ、止めて早くとめて、でないと、わたし、わたしっ」

「見えちゃいますよー」

「ゆ、許す、ゆるすからあ、だめっ、エルマっ、そこっ、ホントダメっ、おねがい、ゆるして」

「肌が密着しちゃうかも」

「いっ、意図的に触るのはダメだッ」

「不可抗力は?」

「はやく、はやくしてぇ!」

 ほんじゃ、ま、失礼しまーす、と言いながらイズマは衝立の向こうから現れると、くんずほずれつなふたりに身を重ね、エルマを引き取った。

「むふむふ、役得ー」というアホな囁きを残して、約束通りラッテガルトには、ほとんど触れずにイズマはふたたびついたての向こうへ消えた。

 あとに残されたのは乱れた着衣で荒い息をつくラッテひとり。

 だが、この夜の受難はまだ、これからだったのである。

 

         ※

 

「ラッテも食べといたほうがいいんじゃない? このアルビノ・サラマンダー」


 朝食のメインに山椒魚サラマンダーの姿焼き、それも精力剤として抜群の効果があるというふれこみのアイテムが並ぶのはどうだろうかとラッテガルトは思う。

 近くの沢で採れたのはこれだけだとイズマは言うのだが。


「あのあと、眠れた?」

 眠そうに目を擦りながら訊いてくるイズマを、目の下に隈を作ったラッテガルトは睨んだ。

「あの状況で、眠れるか!」

「すみませんねえ、エルマがねえ、離してくれなくて。でも、しょうがないんですよ、こう、不幸な出来事があって、あのコはそういうとこ、壊されちゃったみたいでね? 一度火がつくと、もう簡単には収まりつかなくなるみたいで」

「そっそれにしたって、一晩中だな、あのような……音声を聴かされてはっ」


 収まりがつかないのは、わたしのほうだ! とは言えないラッテガルトであった。

 いったいなにがどういう音声だったかは、さまざまな制約があり再生が難しい。

 記録・保存や、時間遡行は高位の異能であるうえに、媒体の条件にも左右されるからだ(?)。

 詳しくは説明できないが、そういうことだ。

 

「とりあえず、休息も取ったし、体力も回復したし、エレ姉を救出しないと、ですわね」

 ラッテガルトの抗議もどこ吹く風で、なにか肌つやつやのエルマがにこやかに言った。

「オマエ、わたしに昨夜なにをしたか、憶えているか?」

「なにか、たいへんなご迷惑をおかけしてしまったようで、ほんとうに申し訳ありませんの」

 指を揃え、深々と頭を下げて見せるエルマから、ラッテガルトが感じるのは勝者の余裕だ。

「おかげで、わたしは、このざまなわけだが」

 ボロボロのラッテはイヤミを言うが。

「わたくし、禊をしますので、席を外します。その間、スッキリされたらいかがですの? わたくし、自分がこれ以上イズマさま以外の殿方にふしだらを働くのは許せませんが、イズマさまの自由を束縛する気はさらさらありませんの。よろしくて、なのですよ?」

 つやぷるん美肌の恐るべき防御能力によってはじき返されてしまう。


 言い放ち、早々に食べ終えた膳を抱えて、エルマは禊をしに行ってしまった。

 ぱくぱく、と二の句が継げずに陸に打ち上げられた鯉のように唇を開け閉めするラッテガルトの眼前で、イズマがにやけている。

 

「いい気になるなッ、このヤモリオトコ!!」

「あっち、あっつう!!」


 ラッテガルトは山椒魚の焼き物をイズマの顔面に叩きつけた。





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