■第二夜:戦乙女の騎行
※
ラッテガルトは真騎士の乙女である。
その彼女がこの地に舞い降りたのはかつて、人間の英雄を自らの血族に迎え入れる使命を帯びて降臨しながら、ヒトに心奪われ堕天した大姉:ブリュンフロイデ──その身と名誉を穢したと言われる“狂える老博士”たちの本拠地を探るためであった。
伝え聞くところでは、夫であったそのアラムの王は世継ぎ欲しさから、ブリュンフロイデの身を“狂える老博士”どもに差し出したのだという。
唾棄すべき発想、腐り切った性根であった。
応じたブリュンフロイデも正気であったとは思えないが──真騎士の血族を裏切るほどの決意をしてまでの堕天だ。それほどまでに相手の男を盲目的なほどに愛していた、ということなのだろうか。
ラッテガルトには理解できない。
そもそも、ヒトという種、その英雄と呼ばれる人間たちの基準の低さに呆れ返る。
戦技、人格、教養に礼儀作法に品位、そして、徳。少なくともお眼鏡にかなう英雄というものに、ラッテガルトはついぞお目にかかったことがない。
ついこの間も、候補とやらを見限ったばかりだ。
戦技でわたしに及ばず、人格は未熟、教養はデタラメばかり──それ以外は言うまでもない。
見限られて当然だ。
それなのに、母から叱責を受けた。
たしかに優れた血を我が血脈に迎え入れることは急務だ。
真騎士の子は必ず女子であり、他種族からの転生以外には男性を得ることはできない。
また男性はおうおうにして女子よりもずっと早く英霊となるため、真騎士の血脈は常に枯渇気味だ。
それもこれも、他種族の男のレベルが低すぎる──英雄の条件を満たすことのできない連中が多すぎるのが問題だ。
とてもではないが、純潔を捧げ、真騎士の乙女の恩寵を垂れる気にはなれない。
まあ、いま、その問題を解決するために母たちも動いているというが。
だからといって、私自身が相手のレベルに合わせるなど論外だ。
ラッテガルトは己の基準を揺るがすつもりがないことを再確認する。正義はわたしにある、と。
その審美眼と癇癪のおかげで、このような任務を押し付けられたことには考えが及んでいない。
シダラ──“狂える老博士”たちが本拠にしたという奇怪な岩山。その査察。
腰から生じさせた異能の翼:《ウィング・オブ・オデット》をたたみながら、ラッテガルトはシダラ山の頂上に降り立った。
そこは奇怪な光景が広がる場所であった。
砂漠に繋がる山岳地帯、そのなかでも抜きんでて標高の高いこの山は実に海抜で二〇〇〇メテル、それもほとんど垂直の岩肌を持つまさに人跡未踏の地であった。
その頂上には奇怪な生態系が成立している。
冬季に降る雨を溜め込もうというのだろう、肉厚の葉、そして鋭い棘を持つサボテンと高山植物、猛禽、奇妙な昆虫にトカゲ、蛇の類い──文明のかけらも見いだせない、まさに陸の孤島だった。
自分は、また担がれたのではないか。そんな気分にラッテガルトはなった。
いつまでたっても伴侶を見いださない自分に対して、母たちは任務を空振りさせることで遠回しに挫折を味合わせ、妥協を促そうというのではあるまいか。
腹が立ってきた。
だが、ラッテガルトの苛立ちも、その社を見つけるまでだった。
とても文明を持つ存在が立ち入れまいと思えたシダラのまるでテーブルのように平たい頂上に、それは忽然と現れた。
巨大な石造りの神殿。
それも精緻な彫刻が掘り込まれ、高い技術によってカミソリの刃の通る隙間もないほどに組み上げられた社であった。
惜しむらくは長年手入れされていないせいで、雑草と地衣類、それから蔓状植物に侵食されていたが。
意匠から土蜘蛛の、それも遺棄された神殿だとわかった。
母たちの言葉通りなら、“狂える老博士”たちは土蜘蛛のある氏族と手を結んだのだという。
その背景には、“狂える老博士”たちの施設のいくつかが失われたこと、そして、土蜘蛛たちの神がなにものかによって強奪されたことに原因があったのだ、とラッテガルトは調べをつけていた。
「神を盗むとは──豪胆なことだ」
不敬ではあったかもしれないが、それを実践したものがいるというのなら、一度お目にかかりたいものだ、とラッテガルトは思ってしまう。
未熟な英雄候補生などという母たちの押し付けてくる選定基準に従うくらいなら、いっそ神を盗むほどの大悪党の方が英雄に近いのではないかとさえ、思えるのだ。
おそらく、その神を奉るための神殿であったのだろうかとラッテガルトはあたりをつけ、さらに近づいて調べようとした。
その瞬間だった。
チリ、となにかがラッテガルトの知覚野に触れた。戦の気配。
それが世界の怒りに仕える者:真騎士としてのラッテガルトの勘に触れたのだ。
六名の小戦隊であった。
充分に距離をとり、岩肌の間、棘に覆われた植物の茂みを影のようにするすると滑らかに移動してゆく彼らは、間違いなく土蜘蛛の戦士たちであった。
なるほど、とラッテガルトは己が手繰ってきた糸の正しさに頷いた──シダラ山にまつわる暗殺教団:シビリ・シュメリと“狂える老博士”の噂について。
そしてまた、素早いことだ、と感心もした。
ラッテガルトがこの地に降臨したのはつい先ほどだ。
それなのに、相手は斥候だけではなく、充分な戦闘態勢を整えた戦隊を急派してきた。
その練度、判断力、敵とはいえあっぱれだ、とさえ思う。
ただ、どうやら、彼らはラッテガルトがすでに神殿に侵入したものとして、行動しているようだ。
六人は二名一組となり、廃棄された神殿を目指している。
よく訓練された動きだ。
だが、それは正確な情報に基づいた行動でなければならない。
間違った認識や思い込みを前提に行動すれば、どれほどの精鋭でも、瞬く間に打ち取られるのが戦場だ。
よほどあの神殿には彼らにとって重要なものがあるのであろう。
なによりもまず、その無事を確認しようという土蜘蛛たちの行動は、いまラッテガルトが降り立った柱廊を死角にしてくれていた。
これならば、易々とその背後を取れる。
不意打ちは真騎士の戦闘教義を厳密にひもとけば、道義にもとる卑劣な行為であったが、相手はこちらの六倍、それも同族の誇りを穢した唾棄すべき連中である。
そんな輩に正々堂々という概念を問うことは、己の正気を疑われても仕方のないことだとラッテガルトは断定する。
狂信者に通じる道理はない。また、手加減も必要ない。
ラッテガルトの予測どおり、小戦隊は神殿を目指している。
無駄のない洗練された暗殺集団としての動き。
だが、その統率力の高さが司令官格の男の存在を逆に浮かび上がらせる。初手で仕留めるべき目標だ。
ラッテガルトの携える主武器、聖槍:〈スヴェンニール〉は長射程の戦闘に無類の強さを発揮する。
掌に収まるほどの大きさの鳥に似た鏃を打ち出すことができるそれは、戦場の空を駆け大地を蹂躙する戦法を好むまさに真騎士の乙女のための武器であった。
ラッテガルトは〈スヴェンニール〉を構え、狙撃点を選んで移動した。
うかつなことに土蜘蛛の戦士たちは前方に気を取られるあまり、意識を後ろに向けていない。
狩人がもっとも恐れなければならないのは、自らが狩る側だと思い込んでいるときだ。
ラッテガルトはそっと柱の影に移動した。
一撃を加えたら、即座に上空に逃れ、奴らを射殺すつもりだった。
けれども、じつは彼らが見せた無防備な背中こそが罠だったのである。
ぱちり、となにか電流の走るような音がした。
そして、罠が起動した。
粘着性のトリモチを持つ植物が突如として足元から現れては伸び上がり、ラッテガルトを柱に縫い止めたのだ。
悲鳴はかみ殺したものの、甲冑と柱のぶつかる音、圧迫された肺腑から絞り出された空気が立てた呼気の音は、前方に意識を集中していたとはいえ土蜘蛛たちの注意を引くには充分すぎた。
司令官が半身になり、神殿に接近しつつあった三名に待機を命じる。後方を護る戦士ふたりがラッテガルトに向き直り、武器を抜き放った。
ラッテガルトはといえば、口と鼻までをそのトリモチに塞がれてしまい、呼吸さえできない。
周囲を警戒しながら二人組の戦士が近づいてくる。
「女? いや、子供か?」
「羽根兜? 真騎士の意匠……だと?」
言葉少なに確認を終えた戦士たちの行動は素早かった。
小剣の腹に手を添え、その切っ先をラッテガルトの脇の下から差し込んでこようとする。
心臓を一突きにする構え。
不安要素は確実に、素早く排除するつもりなのだ。
ラッテガルトはムチャクチャに暴れたが、無駄だった。
カウンタースピンでの解呪を試みるのだが、ことごとく無効化されてしまう。
もともと設置型の異能は解呪が難しい。
それは先んじて場やモノに練りつけられているためで、即効性の異能とは準備段階での念入りさ、そして条件も範囲も絞られるため、その強度に大きく違いがあるのだ。
だが、それにしたって、真騎士のエリートたるラッテガルトの《スピンドル》でもびくともしないとは。
この罠の作り手は、相当の力量の持ち主だった。
そして、このトリモチ──《ストラングラー・ヴァイン》なる異能は、土蜘蛛たちの罠であったと悟った。
つまり、自分はマヌケにも、のこのことその罠の中心に飛び込んだわけだ。
狩る側だと思い込んでいたのは自分だった。
かちり、と刃が甲冑に触れ、ラッテガルトが死を意識した、瞬間だった。
ビョウ、と神殿から走り出たものがあった。
影であった。
それが土蜘蛛の前衛をひとり、瞬く間に殺傷した。
突き込まれた短刀が肋の隙間を抜け、確実に心臓を貫いていた。
グリッ、と捻り空気を入れることを忘れない。
その影は最期の一息を使ってつかみかかる犠牲者を、するりと潜り抜けた。
頭から被っていた衣がその拍子に落ちた。
それで姿が明らかになった。
土蜘蛛には珍しい灰褐色の肌の持ち主──そこに巫女服が映える。
美貌の娘:エルマであった。
身に帯びた衣に身を潜め、姿を隠していたのである。
もし、前衛を務めた男の最期の視野を再現できるのならば、どこからともなくふわりと舞い降りた衣の内側から、エルマが厚みを持って出現するところを見ることができたであろう。
エルマは未練もなく獲物を手放すと小さな鎌が連なったような形状を持つ枝鉤で、もうひとりの脚を掻く。
びゅっ、と血の華が裂いた。それなりに深いが致命傷ではない。
転がる戦士には目もくれず、エルマは三人目に向かう。
多対一の戦いでは、相手を殺すことに執着するとかえって危険だということをエルマは充分に心得ていた。
それよりも囲まれないこと、敵に手傷を負わせて動きを鈍らせることの方が重要なのだ。
さすがに迎撃体制を整えた三人目の斬撃が枝鉤をはじき飛ばす。
膂力では圧倒的に敵が勝っていた。
びゅっ、とエルマの手元から血がしぶいた。
だが、それもエルマは想定している。
追撃を潜るようにして──走り抜ける。
男がつられて振り返り、異変を感じたときには、すでに距離が開いている。
三人目の背中に紫の雷光を走らせる黒いエネルギー塊が生じている。
エルマの異能:《スパイダー・ドレイン》がのしかかり、男を地に這わせたのだ。
黒いエネルギー塊は相手の精気を吸い上げながら質量を増し、敵を地面に縫い止める呪術だ。
エルマが流した血は、自切によるものだった。
それを触媒に異能を食らわせたのだ。
そして、エルマは司令官に肉薄した。
刃に紐を括りつけた土蜘蛛独特の武具:ファル・ファッレを投擲する。
司令官はそれを冷静に撃ち落とす。
「ふっ」
だが、それすらもフェイントだった。
両脚を刈り取る刃を帯び、超低空で仕掛けたエルマのタックルから、一瞬でも意識を逸らすためのものだった。
エルマの目論みは決まる──はずだった。
男の脚が、一度、地面を蹴った。なにかを呼び覚ますように。
ドンッ、と衝撃は下から来た。
エルマはそれに腹部を強打され、胃液を吐いた。
「呪術が貴様だけの得意技だとでも思っていたのか?」
司令官の男:ダジュラが言った。
エレはこの男を知っている。暗殺教団:シビリ・シュメリの第二位。
抜きんでた戦闘能力を誇る幹部自らが精鋭を率いて襲撃してきたのである。
それはシビリ・シュメリという集団の性格を如実に現している。
この男は三人の前衛が突破される短時間の間に自らの足元に、エルマが仕込んでいたのと同種の呪術を展開させていたのだ。
いつか、エルマが夜魔の姫を捕らえるのに使った蟲:黄金蟲と似た環境に棲む《グラップラー・ワーム》。
地中から突如として現れ敵をその6本の腕でからめ捕り、捕縛した後、捕食する肉食性の地虫だ。この地虫を数十匹、ダジュラは位相空間に閉じこめ召喚用にストックしているのだ。
「くっ、うっ、離せッ」
「無駄なことだ。コイツの力は自分より大きなケイブ・リザードを絞め殺す。女の腕力ではびくともしない。それはオマエのほうが詳しかろう」
油断なく捕らえられたエルマの側面に回り込みながらダジュラが言った。
「召喚門を開く間などなかった、はず」
「辺り一面のトラップ──その経路を、こちらの回路に利用したまでのこと。呪術には長けていても、戦場をコントロールする才能では、やはりエレには二枚も三枚も劣るな、エルマ」
ダジュラがそう言う間に、傷を負ったひとりにダジュラの直衛が手を貸し、止血。強力な呪術:《スパイダー・ドレイン》は三人がかりで解呪された。
胸を貫かれた男は当然だが即死だった。
エルマは瞬く間に四人に取り囲まれるカタチになった。
ダジュラはラッテガルトを捕獲しろ、と命じた。
第一目標であるエルマを捕らえた以上、殺す必要はない。
生きている真騎士の乙女にはたいへんな利用価値がある。
クスリを使え、とダジュラが言い、土蜘蛛たちが嗤った。
ラッテガルトはいまにも窒息しそうな状況でそれを聞いた。
そのクスリがどのように働くものかは、男たちの嗤い方でわかった。
「それにしても、主人であるはずの我々へ帰還の挨拶ないがしろにしたばかりか、ひとりを殺すとは……どういうことだ、エルマメイム」
言いながらダジュラはエルマの武装解除を男たちに命じた。
「ふっ、触れるなッ、殺すッ、殺すぞッ!!」
「おお、こわいこわい──殺すときたか。呪い殺すのは得意だからな、オマエは」
衣類の奥に男たちの手が潜り込み、的確に武器と呪具を奪っていく。
そして、触れられるたび、エルマの肉体は電流を流されたように反応する。
身の毛もよだつような《グラップラー・ワーム》に完全に押さえ込まれ、宙に捕らえられた格好になったエルマにできたことは、歯を食いしばり洩れそうになる声を押し殺すことだけだった。
「そうだろう、耐えられまい。オマエら姉妹は長きにわたり、我らが棟梁:カルカサスに〈ジャグリ・ジャグラ〉で開発されたんだ。オレたち全員がオマエの主だと、オマエの身体は言っているのだ」
無遠慮に指を突き込まれ体内を探られた。
「仕込みはネタ切れか──しかし、これでは」
ダジュラがことさら見せつけるように引き抜いた指を動かして見せた。
「どうしようもない身体だなエルマ」
屈辱に目の前が真っ赤に染まった。
「復讐に狂い、カルカサスから〈ジャグリ・ジャグラ〉を借り受けてまで出立したオマエたちを、オレたちは心配していたんだ。イズマガルムへの復讐は果たせたのか? いや、そうではないだろうな。こうして、帰り着いたにも関わらず、報告もなく、ついには我らに刃を向けた──やはり、取り込まれたか」
むかしの男が忘れられんと、そういうことか?
「オマエたちはッ、嘘をついていたッ、わたしたちを騙したんだッ、イズマさまはッ、わたしたちを助けるためにッ」
狂ったようにエルマが叫んだ。
おお、こわやこわや、とダジュラはふたたび、おどけて見せた。
「なるほど──これは再教育が必要だ。すっかり毒されてしまっている。しかし、カルカサスの予見は当たっていたな──おい、その神殿を調べろ。慎重にだ」
おそらくイズマガルムはそこだ。ダジュラは指摘する。
「やめろッ」
「おっと、オマエには、これだ。このクスリがどんなものかは、わかるな? 真騎士の乙女ともども、無間地獄に堕ちるがいい」
無色透明の液体を細い針に纏わせながらダジュラは言った。
エルマは背筋に悪寒が走るのを感じた。“狂える老博士”たちの作り出した恐ろしいクスリだ。それがどのような猛威を振るうのか、エルマもエレも身を持って知っていた。
いましかない、とエルマは思った。
切り札──周囲を超高熱の炎が焼き払う禁呪を使うべきときだった。
神殿内のイズマだけは助けられるはずだ。
時間がなかった。
あのクスリは《意志》を奪う。
犠牲者を玩具にしてしまう。そうなってしまってからではすべてが手遅れになる。
エルマは己を焦点とする禁呪を発動させるべく意識を澄ました。
もしかしたら、エルマの挺身はわずか数刻を稼ぐだけのことかも知れなかった。
先遣隊の全滅を知ったなら、暗殺教団の教主にして土蜘蛛:ベッサリオン一族の棟梁たる──つまりエレとエルマの兄であるカルカサスは、すぐにさらなる刺客を差し向けてくるはずだ。
それまでにイズマの様態が好転しているかどうかは、わからなかった。
いや、そうでない確率の方がずっと高い。
でも、それでも、いま、消耗の際にあるイズマをコイツらの手に渡すわけにはいかない、とエルマは思った。
『これまでです、ご主人様』
身を挺して己を救ってくれたイズマのために、すこしでも可能性のあるほうに賭けよう。
エルマがすっかり決意を固め、《スピンドル》を呼び起こし、それにダジュラは気がついたが、止めるにはすでに遅く──。
ゴオオオオオオオウ、と颶風が神殿から吹きつけたのはその時だった。




