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■第三十一夜:敗者の論理(あるいはエピローグ1)

 アシュレとシオンはアスカの勧めに従い、オズマドラの教導隊とともにトラントリム北東、ハダリの荒野を貫いていくつか存在する回廊のひとつを潜り抜け、貿易中継都市:ジラフ・ハザまで撤退していた。

 トラントリム撤退以降の記述は、このジラフ・ハザでの出来事である。



  

「ボクは……必ず、もう一度──あの地へ戻る」

 そして、対決する。ユガディールだったものと。〈ログ・ソリタリ〉と。

 そこに充填されたひとびとの《ねがい》と。

 

 ベッドのふちに腰かけ、アシュレは誰とはなく、そう、つぶやいた。

 

 剥き出しの上半身が闇のなかで輝いて見える。

 循環する《スピンドル》の《ちから》が光っているのだ。

 

「再戦の機会なら、与えてやるさ。オズマドラ帝国の第一皇子──このわたしがな」

 振り返るとやはり半身を起こしたアスカの裸身があった。

 クッションを抱きかかえ、背もたれて、その足には純白の装具:〈アズライール〉がはめられたままだ。

 震えのくるような美しさ。

 スミレのような《スピンドル》の薫りがアシュレに纏いついている。

 

「アスカ、ありがとう。でも、ごめん……ボクは」

「別にオズマドラの軍籍に入れと言っているのではない。ただ、今回のことは、わたしに対する大きな借りだとは思わないか? それを戦働きで返すのは、騎士としては本道だろう?」


 そして、情報的支援も、移動手段も、補給もなく、オマエとシオン殿下ふたりで戦争なんかできるわけがなかろう?

 アスカの言葉に、アシュレは頷くしかない。


「それに、今度の敵はユガディールだけではない。国そのものが、あるいは“血の貨幣”共栄圏というシステムそのものが敵なのだ。オマエ、無辜の民を殺せるのか? あるいは仮に、殺せたとして、ユガディールを、その背後にある〈ログ・ソリタリ〉を──わたしにはその後ろに、まだ控えるものが感じられたが──その後はどうする気だ? オーバーロードを蹴散らせたとて、民を救ったことにはならんぞ? 支配を、王者の君臨を待望する民のは、どうする気だ?」


 アシュレは奥歯を噛みしめる。アスカの言葉は正しい。反論などない。

 敵が、オーバーロードただひとりというのなら、これほど容易いことはない。

 打ち倒せばいいのだ。

 だが、トラントリムでは、あるいは“血の貨幣”共栄圏では、事情が違った。


「まだ、全然、ボクは考えたりないんだ。未熟だ」

「そう気落ちするな。単にオマエが持っていないものをわたしは持っていて、それがこの問題を解決するのには必要だった、というだけのことさ」

「権力。軍団。統治者としての資格──どれも、ボクにはないものばかりだ」

「勝ち取る、のだろう? 期待しているぞ、オマエの将来に。ん、アシュレ?」

「でも……オーバーロードから解放するだけでは──人々を救えない、いや、それどころか──あれじゃまるで」


 アシュレは〈ログ・ソリタリ〉に注がれた《ねがい》が、どこから来たものか、直接対峙したあの瞬間に感得された結論について思い返すたび、どうしようもない憤りと理不尽に苦悶するのだ。

 

「“民衆“とは、基本的に“誰かの統治下”という限定的な世界にしか存在しない、ずる賢い生物をさす言葉だ。

 ひとりひとりは臆病で、それゆえに温厚だが、いつも、無意識にも願っている。

 それは己の責任をだれに、どうやってなすりつければいいかについて、だ。

 

 その最善の方策たるは“弱者の地位”を確保することだ。


 強者は、勝者は、勝利に伴う責任を果たさなければならない。

 それはたいへんに面倒で、ときには激しい苦痛を伴う。


 だが弱者にそれを求めることは“無慈悲”だから──すなわち人道にもとる行為だから──それを強いる者こそが“悪”として断じられる。


 だから、民衆は勝利を望まない。

 いや、より正確に言えば、勝利に伴う報酬は要求するが、責任は願い下げだと考えている。

 強者か弱者かと問われたら、強者だと名乗りながら、弱者だと行動で示す。

 たちの悪いことに、それは無意識なのだ」


 すらすらと、アスカが詩をそらんじるように口にした。

 詩篇しへんのように。


「オマエがこれから相対するものについて、昔の哲学者が残した言葉だ」

「すべてがそうだとは……思いたくない」

「わたしだって、そうさ。思い返すたびに、こんなことを指摘するたびに気が滅入る。だが、それはつまり、目をそらしたいと思うことは、すなわち図星でもある、ということだ。そして、だいたいにおいて、いまの教訓は役に立つ。意味がわかるか」


 アシュレはアスカに背を向け黙り込んだ。


「ねだるな、ってことはわかった」

 数秒、間を置いて答えたアシュレの頭にクッションが投げつけられた。

 それから──熱い肌の感触が押し当てられた。


「背負い込みすぎるな、バカ」

 吐息が耳朶にかかって、アシュレはアスカの手触りを思い出してしまう。

「それに、まあ、そのなんだ、統治者としての資質は、あると思うぞ。その、かなり辣腕ぶりだ」


 シオン殿下を見るがいい。

 そう言いながらアスカの示す先には、息も絶え絶えなシオンの背中があった。

 アスカの言葉を借りるならアシュレが振るった辣腕の成果だった。

 〈ジャグリ・ジャグラ〉の再調整だ。


「いや、だからっ、これはっ、あ、あ、あのっ、だい、だいたいなんでアスカがここにいるんだよ!」

 どうやって入ってきたのさ。アシュレ動転して言った。

 それまでまとっていた大人の男のオーラなど、どこへやら、だ。


「合い鍵を使ったからにきまっておろう」

「どーして、気がついたら寝室まで来ているの!」

「バーカ、何度も声をかけたしノックもした。オマエらが夢中になりすぎてて聞いてなかっただけだろうがッ!」

「だ、だからって、どうして乱入してくるんだよ!」

「バッ、あ、あんなもの見せられて収まりがつくとでも思っていたのか、バカめッ! だいたい、この部屋に篭る薫りを嗅いだら、おかしくなって当然だぞッ!」

「だから、それはシオンの──処置をしてる最中で」

「バカめ、定期的にわたしと……契らねば、ま、また昏倒するクセして。だからっ、わざわざっ、来てやったのだッ。夜這いにくらいこいッ、口実なんていくらだってあるだろうが、オマエはわたしの食客扱いなんだからな!」

「いやでも、アテルイさんがずっとめっちゃくちゃ怖い顔で睨んでくるし」

「とーぜんだ。あれはわたしの愛人のひとりだからして」


「え?」


「かわいこぶっているんじゃないぞ、アシュレッ! だいたいなんだオマエッ、元尼僧の巨乳婚約者に、夜魔の姫、それに異教徒の皇子わたし。三人もの美姫と関係持っておいて、その程度で狼狽するなッ!! 掘り返せばまだまだ余罪があるのではないか?!」

「ええと? 美姫って自分で言う?」

「おまけになんだあの、シオン殿下に対するっ、そのっ、あんな、あんなっ、どこでおぼえたっ。あんなふうに手厳しく……尋問ではないかっ。女の秘密をっ、暴いてっ、この卑劣漢、好色魔!!」


 ぽかぽかり、と子供のような仕草でアスカは拳を振るうが、まったく痛くない。

 むしろ、アシュレは指摘の内容にダメージを受けて、傾く。


「いや、あの、ですね? 正確な事態の把握が最優先ですからね? 緊急事態だから。シオンの存在に関わる」

 そして、そんなアシュレの釈明をまったく聞いてないアスカはまくし立てる。

「それなのに、わたしのときはやたら優しいし。わたしだってだな、こう、引きちぎられるくらい強くされたいときがあるわけだよ。さいしょのときみたいに!」

「アスカさん、目が目がコワイ」


 アシュレはなぜか涙目のアスカに引き倒される。


「あ、あの〈ジャグリ・ジャグラ〉とかいう《フォーカス》はもうないのかッ?!」

 そんなことをいわれましても。アシュレは答えに窮するばかりだ。


 このあと丸一週間、アスカはアシュレたちの寝室で寝泊まりを繰り返した。

 その間に思い詰めたアテルイがアシュレを殺す勢いで突っ込んできたり、取り押さえたアスカがとんでもない所業に及んだり、アシュレとシオンに共犯を強要したり、一悶着も二悶着もあるのだがポリティカルコレクトネスに配慮して──割愛する。




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