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■第三十夜:オーバーロード


 耳朶を震わす轟音とともにまばゆく輝く〈シヴニール〉の光条が打ち据えたのは、ユガディール、そのヒトではなかった。


 このコロシアムの地下に座するトラントリムの病根、ポータル:〈ログ・ソリタリ〉。

 ユガディールがそう認めながら、壊すことも、封じることもできなかったそれをアシュレは撃ったのだ。

 いつか、イグナーシュの暗い穴の底で、孤独な降臨王をそうして屠ったように。


 最大顕現により飽和した《スピンドル》エネルギーが世界から音響と色彩を奪っていく。


 音が消え、色が消え、逆流するエネルギーがアシュレの右腕を痛めつける。

 イズマより与えられた竜皮の籠手:〈ガラング・ダーラ〉でなかったら、アシュレの肉体はその指先から燃え上がっていただろう。


 だが、それでも、それほどの《ちから》に打ち据えられながらも、〈ログ・ソリタリ〉を破壊することはできなかった。 

 強力な防護壁が、そして《フォーカス》としての格が〈ログ・ソリタリ〉を護っていたのだ。


 これは“庭園”とこのワールズエンデを結びつけるポータルなのだ。

 そして、アシュレがカテル島の深奥で見た《御方》の死骸もまた、同じくポータルと呼ばれていた。

 

 それが同種のものであるのならば──ポータルこそはこの世界の規矩ルールに根ざす、そういう存在に違いなかった。


 周囲に高熱の粒子が飛び散り、コロシアムの下部構造が炎上していく。

 渾身の一撃を持ってすら、貫けない。

 イグナーシュの夜のように、弾核としてその防御を貫く〈デクストラス〉は、もうないのだから。

 

 アシュレの限界攻撃に撃たれながらも〈ログ・ソリタリ〉が、脊髄反射的に駆動しアシュレの攻撃を押し返そうとした瞬間だった。


「無論、このケースは想定済みだ」

 むしろ、意識がそちらに向いた分だけ──最後まで言葉を発することなく、アスカが技を放った。

「《ソリダス・コリドー》!!」


 アシュレの《ラス・オブ・サンダードレイクズ》を光の技とするならば、アスカの《ソリダス・コリドー》こそはその対極に位置する暗黒の技だった。

 アスカの両脚を成す義足のカタチをした〈アズライール〉から、それは迸る。

 善悪に定義されることのないソリッドな闇の《ちから》が、対象を分解しながら無へと還していく。

 

「二種類の属性攻撃に対する防御を同時には操れまいッ! 相反する《スピンドル》エネルギーが生み出す“狭間”で消滅しろッ!!」

 くしゃり、と空間が破断するような音がした。

 左右から挟み込むように打ち込まれた極大の攻撃が、ついに〈ログ・ソリタリ〉の防御境界面を打ち破ったのだ。

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」」


 完全に一体となったアシュレとアスカの咆哮が〈ログ・ソリタリ〉の構造体をひしがせ、歪ませて叩きつぶしていく。


 その破壊から逃れようというのだろうか。

 苦悶にあえぐようにその巨体が──コロシアムの床を打ち破って姿を現した。


 火の手が一気にその勢いを増す。

 恐慌に駆られた観客たちが、出口へ殺到する。弱い者たちが倒れ、起き上がれぬまま踏みつぶされていく。


 疑似的な《閉鎖回廊》を形成していた〈ログ・ソリタリ〉が破損したことで、ユガディールの理想、すなわち《夢》が打ち壊され、阿鼻叫喚の地獄が現出したのかもしれなかった。

 

 《夢》が醒めたのだ。


 この地獄を生み出したのは、ボクだ、とアシュレは思う。

 言い訳などない。していいはずがない。

 だが、それでも、この惨劇を踏み越えても、それが引き換えだとしても。

 ボクはシオンを選んだ。


 アシュレの選んだ道とは、そういうものだ。


 そのアシュレの前に、ひとりの騎士が現れた。

 幽鬼のように、生気の感じられぬ姿だった。

 血まみれの、肌が焼けただれた軍馬に跨がっていた。

 馬はすでに死しており……なにか、空恐ろしい《ちから》がそれを無理やり動かしている。

 覗いていた骨と見えるのは、あの白化した装甲、つまり〈バロメッツ〉。

 軍馬の装いホバークに隠されていたそれが、いまや露出していた。


 ずきり、とアシュレの胸は、ひどく痛んだ。


 それは──幾万の人々から安寧を奪ったことよりも、ずっと鮮やかにアシュレの心を痛めつけた。

 兜から覗く虚ろな瞳がアシュレを見ていた。


 放心したように、槍は穂先を下に向けている。

 アシュレは声をかけようとした。できなかった。

 言葉は、遮られた。


『汝、なぜ、協調と調和──安寧を拒むか』


 叩きつけるような重圧ともに、頭の中に直接声が響いたからだ。念話だ。

 それがどこから発せられているものか、アシュレにはわかった。

 ユガの背後にそびえるもの──〈ログ・ソリタリ〉からだ。

 ユガを運命の奴隷に書き換えた病根が話しているのだ。

 

 巨大な、神を模した装置が、だ。

 まるでそれ自体に《意志》があるかのように。

 

 いや、アシュレは〈ログ・ソリタリ〉を依り代・媒介にして、こちらを覗き込むなにものかの視線すら、感じ取っていた。

 もしかしたら、これがイズマの言っていた、本当の敵、その影なのかもしれないとアシュレは思う。


 すなわち──《御方》。


 どこかで、歌が鳴っている。


 いつかシオンを取り込むべく、〈ログ・ソリタリ〉が投げ掛けた歌だ。

 アシュレは〈ログ・ソリタリ〉と対峙する。

 はっきりと言い返した。


「《意志》を放棄することが、安寧の代償だというのなら、ボクはそれを拒絶する」

 きろり、と〈ログ・ソリタリ〉の下僕と成り果てたユガディールの瞳がアシュレを観た。

 それは煮えたぎった血液によって白濁している。


『それは汝ひとりの身勝手ではないか』

 大多数が幸福を得、またそれを望んでいるのならば、それは進んで取り下げられるべき考えではないか?

 そう、〈ログ・ソリタリ〉は問うのだ。

「そうだ。これはボク個人の身勝手、わがままだ。だが、取り下げる気は毛頭ない」

『汝、われに抗うや?』

「そうだ。〈ログ・ソリタリ〉。これは宣戦布告だ。ボクは明確に、オマエたちの敵となる」

『憐れなり』

「憐れみなど、いらない。自作自演の安寧も、ボクは返品させてもらう」


 アシュレは半ばつぶれた〈ログ・ソリタリ〉の顔を睨み返して言い放った。


「ボクはねだらない。勝ち取る。そして──与える」

 アシュレの脳裏には、生前のユガの姿がある。

 思えば、この惨劇の発端は、ユガのシオンに対する執着、《愛》だ。


 それは〈ログ・ソリタリ〉の語る、協調や調和、安寧とは対極に位置する《ねがい》だ。

 もし、ユガがシオンを愛さず、想わなかったなら、いや、想いつつも、アシュレとの対決を避けたなら、こんな破局は来なかったかもしれない。

 

 アシュレはユガと対峙しなかったかもしれない。


 つまり、この結末を招いたものは、ユガディールのなかに〈ログ・ソリタリ〉に身も心も喰われ改変されながらも残っていた《意志》の《ちから》なのだ。


 もしかしたら、とアシュレは思う。

 運命に担わされた役割から脱しようと、ユガは足掻いたのではないのか、とアシュレは思うのだ。


 本当に来るべき王国のために、だれかの力添えを望んだのかもしれない。

 すがろう、というのではない。

 責任を投げ出そう、というのではない。


 ただ、本当に疲れ切ったとき、ふたたび立ち上がる《ちから》を得るための一瞬、支えてくれるものが、欲しかっただけなのだ。


 だれかが、ほんの少し、その肩代わりをしてくれたなら。

 理想をなすりつけることで、英雄視や、神格化するのではなく。

 もしかしたら、もう少し、あるいはもっとずっと、自分は歩んでいけるかもしれない。


 重責に、疲弊に、消耗に──運命に抗って。


 その消し切れぬ埋み火のような想いを──書き換えられながらもその芯根に残っていたものを──アシュレとシオンの出現が掻き立て、炎に育てた。

 “庭園”へと繋がるポータル:〈ログ・ソリタリ〉の尖兵として、自作自演された偽りの安寧の王国に仕えようとしていた男のなかの、最期の《意志》のかけらに火を灯してしまった。

 

 それが、この現実を招いた。

 そして、その結果として──ユガのなかにわずかに残されていた人間性は燃え尽きたのだ。


 アシュレとアスカによる〈ログ・ソリタリ〉への攻撃が、最期の一撃を加えた。

 だから、アシュレが、シオンが、ユガと関わったことが、その出会いが──この国にとっては破滅の切っ掛けだった。


 だが、それを否定するのだとしたら、それは、個として生きる存在すべての《意志》を否定することだとアシュレは思う。

 

『もういちど、提案する。汝、叶わぬ想いを捨て、われとともに歩まんや?』

〈ログ・ソリタリ〉の、他者の《意志》を交渉材料のようにひとことで簡単に扱う思考に、アシュレはおぞけを感じていた。


「断る。操り人形の平穏はいらない」

 アシュレは個人として話した。

 

 トラントリムという国家、“血の貨幣”共栄圏という全体が、どう願っているのか──それはわからなかった。

 だが、だれがユガディールをそうしたのか──それを直視したとき、答えはおのずと明らかなように思えた。

 だから、アシュレは拒絶した。


「ボクはオマエを否定する」

 アシュレの断言に、ゆっくりと〈ログ・ソリタリ〉が瞳を閉じた。

 諦めたように。


『なれば、われは生み出すのみ──汝ら以外の《ねがい》の結晶を』


 どこからか光が差した。それは最初天からのもののようにアシュレには感じられた。

 だが、それはユガの内側から発されていたのだ。

 ごしゃり、ぐじゅり、と音がした。

 血と戦塵に汚れた甲冑がひしゃげるようにして取り込まれた。

 背中が肥大する──あの真っ白なインクルード・ビーストの器官だ。

 耳鳴りがおさまらない。

 光が量を増していく。


 そして、おもむろに集束した光とともに頭部がはぜた。

 ユガディールの顔があるはずだった場所を──それが占拠していた。 


 あの、〈ログ・ソリタリ〉の芽──〈バロメッツ〉。

 だが、それはあの孤立主義者の司令官に潜んでいたものよりずっと大きく育っていた。

 大輪の花だ。

 その花弁が、まるで王冠のように血と脳漿に濡れて──炎を反射していた。

 

 もうすでに、ユガは夜魔ですらなかった。

 作り替えられていた。

 人々の《ねがい》を叶えるための、道具に。


 平和と安定と、調和と協調と──ただし、だれかに委託した。

 そして、誰に誰が委託したものか、その責任の所在を問うことのできない《ねがい》の尖兵として。

 

 不遜にも神のごとく振る舞う〈ログ・ソリタリ〉の重圧が倍増しアシュレの肌に、物理的圧力となって襲いかかってきた。

 その感触を、アシュレは知っていた。


「オーバーロード……」

 アシュレは己の行動の結末を見たのだ。

 かつてシオンはイグナーシュ領の王:グランがそれに成り果てるのを観たと言った。


 その詳しい顛末をシオンはアシュレには語らなかった。

 そしてアシュレも聞かなかった。

 それはシオンの優しさだといまでもアシュレは思っている。


 実際にそれを目の当たりにすれば、シオンが言い淀んだ理由がもっとはっきりと理解できた。

 覚悟がなかったとはいえない。

 だが、だが、よりにもよって──ユガが堕ちる瞬間と対峙したアシュレの胸は、ユガの記憶と、そして、彼に無責任な《ねがい》を注いだ者たちへの怒りで爆発しそうだった。

 

 完全な、理想によって形作られた騎士の姿がそこには現出していた。

 馬身と融合し、一体となった、そして二度と膝を屈することなき、理想の顕現。


 もしかしたら、アシュレもあのイグナーシュの夜、このような存在に成り果てていたかもしれなかったのだ。

 ぶるりっ、と度の過ぎる激高に体を支配されそうになった。


 ふざけるな、と叫びそうになった。

 ユガは、あの高潔な騎士だった男は、最期まで責任を果たそうとしたあの男は──オマエたちの勝手な理想の器などではない。


 そう叫びそうになった。


「アシュレッ、本懐を見失うな!!」

 もし、アスカが一喝しなければ、アシュレはこの場で新生したユガに無謀な突撃を敢行していたかもしれなかった。

 両者を遮るように遺跡の一部が落下し、床の崩落に拍車をかける。

「こっちだ、急げッ!!」


 落ちてきた遺跡の一部さえアスカの手によるものだったのだろう。

 壁面を駆けることことすら可能にする異能:《ラピッド・ストリーム》によって進路を確保したアスカが素晴らしい速度でアシュレを先導してくれる。

 アシュレは牽制の一撃を加えると、後に続いた。


         ※


 シオンは燃え盛るコロシアムの、隔離された舳先の上で、一部始終を観ていた。

 アシュレとユガディールの闘い、その結末に至までの一部始終を。


 胸に杭を打ち込まれたように、息をすることさえ苦しい。

 いま、生きていることさえもが。


 あらゆる理想が王国の上から飛び去っていく。

 貴いものが失われていく。

 すべてを地に飲み込むように、コロシアムの基部に擬態していた〈ログ・ソリタリ〉の本体がせり上がり、新たなモニュメントとして立ち上がろうとしている。


 ここはこんどこそ《閉鎖回廊》に堕ちるのだ。

 真のオーバーロードとなったユガをコアとして。


 自分のせいだ、とシオンにはわかっていた。

 わたしが引き起こしたことだ、と自覚があった。

 

 イグナーシュの、グランの時もそうだった。


 苦しかった。苦痛に満ちていた。それなのに、死ねなかった。

 ただひとこと、いま、〈ローズ・アブソリュート〉に顕現を命じれば、夜魔殺しの剣は確実にシオンを貫いてくれるのに。

 なぜなら、そんなシオンを目指して駆けてきてくれた男がいたからだ。


 男は馬上から呼びかけた。名を呼ばれた。

 すぐには、飛び込めなかった。

 ほんとうに、わたしは、あの男の──アシュレダウの腕に飛び込んでよいのか? そんな資格がわたしにあるのか?


 わからなかった。


 言葉を言い淀むように、あえぐと、涙がこぼれ落ちた。

 わたしは、わたしの旅は、こうして悲劇を増やしていくだけではないのか?

 そんな思いにすらシオンは取り憑かれていた。

 だが、それは甘えだと、アシュレが叱咤した。

 運命を覆すのは、後悔ではない、と。


「シオンッ──来いッ!!」

 頬を張られたように感じた。全身に鞭を入れられたように感じた。


 アシュレの放った光条が、止まり木を破砕し燃え上がらせ、シオンを解放する。

 そうでありながら、その一撃は、宣告するのだ。

 

 オマエに自由なんてない。

 オマエはわたしのものだ。

 離れるための自由など、そんな権利など、踏みにじってやる。


 ユガの私室に乗り込んできたアシュレの言葉がまざまざと甦った。


 なんてひどい宣言だろう。

 オマエは──シオンはアシュレの──奴隷であり、玩具だと、宣告されたも同然だ。

 それなのに、どうして涙が止められないのだ?

 なぜ、胸の奥が──熱くなるのだ?


 シオンにはわからない。ただ、涙が、歓喜の涙が止められない。


 ぐいっ、と襟元を掴まれ引き倒される気がした。

 気がつけばシオンは宙を舞っていた。

 まっすぐ、迷わずに、愛しい男の胸に。




 炎と黒煙と騒乱がその姿を覆い隠し、しかし、それらを越えて、彼らは駆けていく。






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