■第二十八夜:私闘(フェーデ)
「退くが良いぞ、夜魔の騎士たち。いかにここが地下とは言っても……天井の板一枚隔てて、その上は中天を迎えつつある陽の光が降り注いでいる。こぼれ落ちるその切っ先が、貴様らを焼くぞ。オマエたちはいかに精鋭とはいえ、首領たるユガディールのようにデイ・ウォーカーではあるまい?」
ゴクン、という音とともにコロシアムの地下に設けられた大空洞=奈落の底がさらに割ける。
花芯を思わせて〈ログ・ソリタリ〉のコアブロックがせり上がり、続けて現れたのは褐色の肌に燃え上がるような深紅のターバンも美しいオズマドラの第一皇子:アスカリア・イムラベートルだった。
その出現に慌てふためくコロシアムの地下の住人たちの影から、ほとんど間髪入れず姿を現したのは白魔騎士団の精鋭だ。
「おのれッ、どこから湧いたッ!!」
「それはオマエたちの主:ユガディールに訊くのだな」
侵入者の姿を確認するや、誰何の声を投げ掛ける夜魔の騎士たちに、アスカも冷然とやり返す。
アシュレに連行される形で入城したアスカは、その直後に行方不明になった。
白魔騎士による四名の護衛をアシュレとアスカのふたりが叩き伏せたのだ。それもアスカリアは枷をはめられたままだ。
白魔騎士たちが劣っていたのではない。
アスカがアシュレに付加した異能:《ヴァルキリーズ・パクト》は凄まじい《ちから》を示した。
それでなくともフラーマの漂流寺院での激闘を皮切りに、それぞれが死闘を潜り抜けてきた──いわば神殺しを経た超戦士なのである。
その戦闘経験値と能力が、ふたりに完全な連携を可能にさせた。
完調となったアシュレは、己が驚くほど成長していたのである。
一瞬で四名を制圧した。
イズマから託された竜皮の籠手:〈ガラング・ダーラ〉が生じさせる電磁網が騎士たちを搦め捕り、〈アズライール〉から放たれる杭状の異能が動きを封じた。
物理的な移動や行動はおろか次元跳躍に代表される超常的移動能力を封じる、アンカー系の異能だ。
「便利だね」
「以前の持ち主だったフラーマが、命を縫い止める《ちから》の持ち主だったのを忘れたか?」
これで、しばらくは動けんさ。アスカはニコリともせずに言った。
そして、ふたりは行動を別にした。
アシュレはユガのもとへ。挑戦を叩きつけに。シオンを奪還するため。
そして、ユガの真意を確かめるため。
アスカは地下の秘密通路へ。
トラントリムという国の規矩を成す《ポータル》:〈ログ・ソリタリ〉の秘密を看破するため。
「気をつけて、アスカ。騎士団は、たぶんボクに釘付けになると思うけど」
「目端の利く夜魔の精鋭たちが、いままでこの隠し通路に気がつかなかったんだ。なにかある。意識に働き掛ける──まるで《閉鎖回廊》のごとき結界が。だが、今回は逆にそれがわたしを匿ってくれるだろうよ」
「手記を読み解く限り、現段階の〈ログ・ソリタリ〉は休眠しているような状態だ。夢うつつのまま、しかし、ときおりヒトが寝返りをうったり、寝言を話すように反応する──それが捕食行動となって現れる。気を抜かないで」
枷を外しながら言い募るアシュレの鼻を押しながら、アスカが指摘した。
「そーんなセリフをどんな女にでも吐くから、あれこれ背負い込むハメになるのだぞ、バカ」
アシュレは言葉もない。図星だ。
「反省してどうする? それがオマエなのだから、仕方あるまいが。惚れるほうにだって責任はあるのだからな。選択肢、という意味で」
どん、と胸を拳で小突かれた。
それでアシュレは意識を切り替える。アスカに感謝する。
「ありがと。……行ってくる」
「絶対にシオンを取り戻せよ。そうでないなら、いったいわたしがなんのために、その……ええい、わかったな!!」
アシュレはアスカのそれに己の拳を軽く合わせて誓った。
アスカはそうして、地下通路を抜け、〈ログ・ソリタリ〉の前に立ったのだ。
操作法はあの手記に描かれていたが、ユガディール本人からの警告もある。
慎重に取り扱わねばならなかった。
「アシュレの読み通りだ。あいつ、地図作成者の資質もあるな」
事前に聞いたアシュレの予測の通りだった。
巨大な《フォーカス》:〈ログ・ソリタリ〉は都市の外れに位置するアガンティリス王朝期から遺されたコロシアムの地下に位置していたのだ。
「そして、この特異な床下構造……コロシアムの基部は〈ログ・ソリタリ〉の一部でしかない……ぞっとするな。これではこのコロシアムは〈ログ・ソリタリ〉の突き出た牙や、捕食用の腕──触腕の上に築かれているようではないか」
素早く目を走らせながらアスカが読み解く。
白魔騎士の精鋭たちは──急展開に戸惑っている。洩れ落ちてくる光の帯がアスカを守る格子となり動けないのだ。
「さあ、アシュレ、うまくやれよ!」
※
私闘権とは古い紛争解決手段の名である。
それは原始的だが厳然たる理として、この時代の人々にも受け継がれている。
正々堂々、互いが合意した上での、つまり尋常の勝負によって決された結果は、民が知り神のご覧になられるところであり、それゆえに正当な裁判、その判決と同等として認められるものである──という考えに基づいている。
歯に衣を着せぬ言い方をすればそれは武力行使によって己の正当性を証明する、ということであり、現代では多くの国家でさまざまな制約を設けて、この権利の行使を思いとどまらせる措置が為されていた。
それは、あちこちで私闘権を振りかざされては治安の悪化を招き、最悪、国家が内乱に陥る危険性さえあったからだ。
だが、トラントリムではこの古い慣習がいまだはっきりと法として生きていた。
それは、そもそもユガディールとその妻であるオルデヒアが暴君:バラクールを征伐したことは、私闘権によって正当化されたものであり、いわば現在のこの国の基盤がそこにあったからだ。
トラントリムは異なる種族・国家の調和と共存を謳いながら、武力によって切り取られた国家なのである。
「わたし、ユガディール・アルカディス・マズナブが宣言する。
今日、正午を持って、騎士:アシュレダウ・バラージェから決闘の申し入れがあった。
わたしは、これに応じることを決めた。
互いがこの決闘の勝者に対して差し出すのは、互いの半身──すなわち、アシュレダウは己の人生を、わたし、ユガディールは伴侶となるべき女性:シオンザフィルを、である。
ひとたび決した勝敗に対して、ふたたび私闘権、およびあらゆる手段をもって異議を申し立てること、さらなる闘争のいっさいを禁ずる。
決着は槍と刃によって決せられる。
互いの死か、降伏、あるいは諸君らの判断によって戦闘が続行不能と判断された場合によってのみ、この戦いは決するものとする。
痛み分けの申し出は──きっと、ないであろうから。
わたし、ユガディール・アルカディス・マズナブは、たったいま己が行った宣言に対して、すべてを、完全に受け入れ、正々堂々と正面からアシュレダウの挑戦に応じることを宣誓する」
朗々たる声で、ユガディール本人が集まった観客たちに宣言した。
五〇〇〇人は下らない群衆が、そこには集っている。
すでに騎乗して純白の甲冑に身を包んでいる。馬はダークスティードではない。陽光の下に彼らは出てこれない。
「アシュレダウ──宣誓を」
その呼びかけに、アシュレもまた応じる。
「わたし、騎士:アシュレダウは、先にユガディールが宣言した通り、私闘権を持って彼に挑戦した。
これはわたしのすべてをかけた戦いだ。誇りや、名誉だけではない。《愛》を賭けた闘いだ。
──それゆえに、これは私闘である。
だから、あなた方の国家を顧みることは、わたしはしない。
それはユガディールも同様だと、申し上げておく。
己の都合で、すべてを賭けたのだ。
そして、あなた方の英雄、ユガディールは夜魔であり、わたしは人間だ。
その異なる二種が、己のすべてを賭けてぶつかり合うということは、決着は死を持ってしかありえない。
わたしが敗れれば、あなた方にとってすべては円満に解決する。
しかし、そうでなかった場合、わたしはあなた方の国家の基盤を打ち砕き、揺るがすことになるだろう。
だが、そうと知りながら、それでも、わたしは愛しい夜魔の姫:シオンザフィルをこの手に取り戻す。
あなた方から英雄を奪い去ることになったとしても、だ。
そうはっきりと覚悟した上で、わたしは宣誓する。
正々堂々、正面から、わたしはわたしの《愛》を勝ち取る」
ユガディールのそれとは違う、しかし血の通った言葉に打たれ、群衆たちは胸を押さえている。
男たちは押し黙り、女たちの懇願がごうごうと嵐のようにコロシアムに鳴り響いた。
ふたりの対立を避けられぬと知りながら、思いとどまってくれと懇願するそれは──彼ら民の《ねがい》だった。
調和を、和解を、協調をというシュプレヒコールだった。
「みごとな宣誓だ、アシュレダウ。敵対の宣言を持って、他国の群衆にこれほど惜しまれた男はそうはおるまいよ」
ユガが、惚れ惚れと言った。皮肉ではない。
「彼らの《ねがい》──叶える法がなくもないぞ」
つまり、わたしを屠らず、シオンの《愛》を手にする方法があるぞ、とユガ派は説いた。つまり、共同統治という方法が、と。
「《ねがい》の器に成り下がる気はない」
ユガのその申し出をアシュレは一蹴した。
「《ねがい》の器──ユニークな例えだな、アシュレダウ?」
わからないな、という顔をユガはした。
本当にわからないのだ、とアシュレは判断した。
「ユガディール、ひとつだけ質問がある。あの〈ログ・ソリタリ〉からの帰路のことを憶えているか?」
「もちろんだとも、アシュレダウ。記憶の有無を夜魔に訊くほど、愚かなことはない」
「貴方の背中にある、その白化した部分は、どうしたのだ?」
「これは、まだ語っていなかったことだ、アシュレダウ。わたしは──死んだ妻たちのうちふたりまでを、殺害したのち、喰らったのだ。孤独と悲憤に突き動かされてな。とても離れ離れなどなれなかったのだ。これはその報いではないかな? 気がつけば、いつの間にか、わたしの肉体もこの白い骨の如きモノに冒されるようになったのだよ」
われわれ夜魔が、嚥下した《夢》に強く影響されることは、キミも知っているだろう。ユガは付け加える。
「それは貴方自身の罪の意識が作り出したカバーストーリーに過ぎない」
だが、アシュレは断言した。
「なぜキミがわたしの記憶について、断言できるのだ? 上位夜魔は採り入れた血から、相手の記憶どころか能力を再現することさえできる。彼女らの器官をわたしが持っていてもなんの不思議もない」
「意識的にそれを行使できるだけだ。訂正しろ、ユガディール。その異形を、〈バロメッツ〉を貴方は制御できていない」
ほう、とユガが口元を歪めた。
「刃を交える前に心理戦というわけか、なかなかどうして、策を弄するではないか、アシュレダウ」
だが、そう言って嗤うユガにアシュレは微動だにしない瞳で応じた。
「策ではない。これは事実の、その確認だ」
どういうことだ、とユガの瞳が細まった。アシュレは続けた。
「貴方は知らないだろうから、指摘しておく。ユガディール、貴方は一度〈ログ・ソリタリ〉にその身を投じた。そして帰ってきた。ただし、姿形も振る舞いも、恐ろしく似通っているが──別人として」
アシュレの指摘に、ユガの端正な顔から感情が消えた。
「意味がわからないな」
「それを聞いて安心した。オマエは敵だ。明確に、滅ぼすべき」
アシュレは冷ややかにそう宣言した。
騎士として、その頭部を覆うべきヘルムはない。
そのかわり、頭頂に戴かれた〈アステラス〉が冷たい清水のように、アシュレの滾る闘志に冷静な視座を与え続けてくれている。
そうだ、とアシュレは思う。
《意志》とは火と氷によって鍛え上げられる剣のようなものだ。
白熱するほど熱され、試練によって打たれ、そして急激な冷却が鋭さを与えるものだ。
だから、《意志》を研ぐことは、悲しみと無縁ではいられない。
※
シオンはコロシアムに突き出した舳先のごとき舞台の上にいて、アシュレとユガ──言葉を交わすふたりの男を見ていた。
手足のものだけは解かれていたが、ユガによって施された戒めはそれだけではない。
純白の毛皮と鳥類の羽を吹き寄せて作ったかのような王族のケープの下は、あの衣服とは言えない装いのままだ。
そして、座すことも許されない。
止まり木のような座席に変形した〈ジャグリ・ジャグラ〉によって捕らえられ、責め立てられている。
純白の首筋に施された首輪と縛鎖が、そこには巻き付けられている。
耳朶を舌で玩味されるような、足の間を巨大なムカデや毒虫に這い回られ、無遠慮に毒針を突き立てられているような、そして不意に杭によって身体を打ち抜かれるような、そんな感触にシオンはさらされ続けている。
シオンは舳先の縁に手をかけて、必死に耐える。
ギシッ、ギシッ、と止まり木が軋みを挙げる。
この場にシオンを文字通り〈ジャグリ・ジャグラ〉によって釘付けしながら、ユガが囁いたのだ。
もし、わたしが勝者となったなら、この場でオマエを妻とする。
ここに集ったすべての人間が、その立会人となる。
衆人環視のなかで、だ。
そう宣言され、髪を掴まれ、唇を奪われた。
心が焼き付いてしまうほど、想われていた。
引きずり込まれそうになるほど、愛されていた。
それは、溺れ行くものが必死にすがりついてくる、あの物すさまじさに似ていた。
そして、シオンはそれを拒絶し切れない。
もう、この男には、シオンしか残されていないのだとわかるのだ。
記憶がリフレインして、思わず声を漏らしそうになってしまう。
アシュレ、と愛しい男の名前を何度も胸中で繰り返して、耐える。
震えながら。




