■第二十四夜:戦乙女の契約
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「わたしは純血の人類ではない。正しくははるか北方の霧の島──“アヴァロン”に起源を持つ真騎士の乙女の血を半分受け継いでいる」
簡単な食事──温め直された粥と飲み物をアシュレに摂らせながら、アスカは己の出自を語った。
裸身に羊駱駝の毛皮をまとい、アシュレの食事を手助けしながら。
それは衝撃的な告白だった。
「真騎士。そういえば、フラーマの漂流寺院でアスカが発動させた異能:《コーリング・フロム・ザ・ファーランド・キングダム》によって召喚された、あの天馬に跨がる騎士たちの一団は──」
アシュレは、アスカと初めて出会ったときのことを思い起こす。あの洋上の漂流寺院で、アシュレたちに加勢すべく現れた輝かしき英霊たちの姿を。
「母だよ、アシュレ。あの陣羽織:〈クル・ルクス〉に縫い付けられた景色は……在りし日の彼女だ」
愛しくも誇らしいものを語るとき人の目に宿る光をたたえて、アスカは言った。
アシュレはアスカが純血の人類ではない──それも人類との敵対種と目される真騎士とのハーフだと聞いても、動揺しなかった。むしろ納得し、素直に感動している自分にアシュレは驚いた。
「アスカの美貌はお母さん譲りなのか……青いその瞳も」
「オマエ、だからナチュラルボーン・ジゴロとか呼ばれるのだぞ? アホウめが」
間髪入れぬ切り返しに、アシュレが呆然となる間にアスカは話を進めてしまう。
「真騎士の乙女たちは種族を問わず真に優れた英雄を自らの血統に迎え入れるべく、天から舞い降りる。
その美貌は類い稀なき輝石のごとく、振る舞いは女神の気高さ、そしてその武勇は言うまでもない──だから、ほとんど人間の女に勝ち目はない。
真騎士たちが人類の敵対者と見なされるのは、そのあまりに高い評価基準が原理的な思想と直結して大規模な殲滅・浄化を行うからだけではないと、わたしは思う。
そこに加えて“彼女らに選ばれなかった”あるいは“想い人を奪われた”人間たちの嫉妬・恨みもあるのではなかろうか。
むしろ、そちらのほうが根が深いとすら、考えているのだ」
シオンを助ける方策。
そこに繋がるはずのアスカの語りそのものに、アシュレはいつの間にか引き込まれてしまっている自分を発見して恥じ入る。
真騎士の娘から開陳される真実は、あまりにアシュレの好奇心を刺激しすぎる。
「そして、わたしの父:オズマヒムは、その娘に見初められるほどの勇者だった」
「知ってる。“東方の騎士”と謳われるほどの英傑だ。攻め落とした城塞から西方の騎士たちが退去するとき、武装したままの──名誉ある撤退を認めた話は、小さい頃なんども父に聞かされた」
ありがとう。肉親を褒められたアスカが、はにかむような笑みを作る。
「だが、オズマヒムの凄まじいところはそれだけではなかった。真騎士であった母に、求愛したのだ。それは真騎士の乙女としては、決して応じてはならぬはずの禁忌だった。彼女たちの《愛》は、自らの血統にこそ捧げられるべきで、たとえいかなる英傑とのものであろうと、異種族からの愛を受け入れることは、誇りを失うことだと考えられていたのだ」
「つまり、異種族との恋愛は……禁忌ってこと?」
「厳密にいえば、真騎士以外の男と愛を交わしてはならないということだ。肉体であっても、心であっても。相手からの愛は注がれてもかまわないが、それに応じることは許されていない。血を薄めることになるから」
「じゃあ……彼らは近親婚なのか」
「そのために真騎士へと人類や他種族の英雄を“転生”させるのだ。その後なら、すでに彼女らの血統であるから」
“転生”という単語の登場に、どこかで聞いた話だ、とアシュレは思う。
遠い昔のことではない。つい最近、少なくともトラントリムと、ユガに関わるようになってからのことだ。
けれども、それについては言及せぬにとどめた。
真騎士の娘としての誇りに触れるかもしれないからだ。
アスカが続ける。
「それなのにオズマヒムは人間として母:ブリュンフロイデに自らの妻となるよう申し込んだ。
前にも言ったが……我が国で王の妻となるということは──奴隷となりハーレムに住むということだ。
普通に考えたら、誇り高い真騎士の乙女がそのような条件を飲むはずがない。
だが、母は応じた。
伝承では美化されているが、オズマヒム本人からの話では、さんざんぱらの大げんかと大恋愛の末だったと聞く。
それでも母の、父への愛が勝ったのだ。
こうしてブリュンフロイデはオズマヒムの妻となり、ハーレムの一員……つまり、奴隷となった。
他の真騎士たちが彼女をどう思い、扱ったかは定かではないが」
凄まじい話だ。
けれども、異種族の、それも英雄同士の大恋愛がアスカに集約されたのだと思うと、アシュレはどこか援軍を得たような、微笑ましいような気持ちになる。
少し笑うことができた。
ふふ、とアスカも笑う。
けれども、その顔が曇った。
どうしたのだろう。そう思うアシュレの眼前で、アスカは話を再開した。
「王と妻、主人と奴隷という立場になっても、ふたりの関係は変わらなかった。
いや、むしろ以前よりずっと深まったのではないかとわたしは思う。
オズマヒムは母を深く愛した。
母もまた、この男のものとなるなら、と思えたのだろう。
因習と慣習が支配するのはどこにいっても同じだ。種族を問わず、それは、ある。
ただ、彼らは、互いが互いを想い合う《意志》、その選択の自由だけは守り切ったのだ。
立派だと思う。誇りにすら思う。
彼らもそうだっただろう。
父は決して他の女に触れようとはしなかった。母に惚れていたのだ」
「耳が、痛いです」
「痛むように話しているからな?」
耳どころか、胸さえ痛い。アシュレは思う。
けれども、アシュレの混ぜっ返しは、半分はアスカを慮ってのものだった。
語るそばから、アスカの瞳には涙が溜まっていったからだ。
「だが、そこに悲劇があった。世継ぎだ。
人間と真騎士は姿形こそ似ていても別種なのだ。
“転生”を経ず、その間に子が為されることは……おそらく天文学的確率だ。
さらには皇子が望まれていた。正当な世継ぎが、だ。
互いが真に想い合っていたからこそ、ふたりは苦しんだ。
己の血統を残すことは王族・貴族にとっては義務だ。
父は母以外との子供などいらぬとさえ側近に漏らしたという。
それを伝え聞いた母は──誇り高い真騎士の娘が一晩中泣いたのだそうだ。
嬉しさと愛しさと申し訳なさ──最後のひとつは、周囲の状況が醸成した……重圧だ」
「だけど、キミは生まれた」
「不義の子なのだ、と言ったことを憶えているか?」
アスカの言葉が胸に突き立った。
そうだ、たしかに、アスカは出会ったあの暗い洋上での夜、そう言った。
けれどもわからなかった。
それほど想い合ったふたりの間の、どこに不義など、入り込む余地があるのか?
「苦悩するオズマヒムにある日、側近のひとりが囁いたのだ。
種族の壁を越える秘術を持つ一派がいるのだと。
それは我が主神:アラム・ラーによって陽の下からは駆逐された邪神の業であるはずだった。
オズマヒムは激怒し、その側近を斬首に処した。
しかし、その経緯を調べるうちに──ちらと考えてしまったのだ。
もし、それが実現するなら、と。
ありえぬ話だと自嘲しながら、それを自らの妻に話してしまった。
そして、あろうことか、母は秘密裏にその邪教徒たちと接触を持ってしまった。
父に願い出た。
激しい葛藤が、互いにあっただろう。
しかし、ひざまずき、懇願する母に……ついに、父は折れてしまった」
アシュレは言葉がない。
「邪教の者どもからの条件は法外な金額の他には、母を一月の間、預かるということだけしかなかった。
父は、母は、その条件を飲んでしまった。
だが、一週間が経ち、二週間が経ち、三週間が経とうとしたとき──ついにオズマヒムは罪悪感と己への怒りから行動を起こしてしまう。
単騎、彼ら邪教徒の隠れ住むという山岳地帯に向かった。
母の左手にはめられた指輪が──王家の指輪が彼を導いた。そして、そこで見てしまった」
異貌の神の偶像立ち並ぶ神殿の底で、異形となった“狂える老博士”たちによって施される、許しがたい邪教の儀式を受け入れる母の姿を。
これが、異種族の間に子を為さしめる秘術であったのだ。
「激情に駆られるまま、オズマヒムは雄叫びとともに博士たちを斬り殺し、邪教の神殿に火を放った。
母を取り戻し王都に帰り着くと監禁した。
そして、鎖で繋ぎ自由を奪うと、そのまま一月も母を本当の奴隷として扱った。
母はいいわけも、抵抗もしなかったという。
ただ、父の名を呼び続けたと」
母が自由を取り戻せたのは、身篭もっていることがわかったからだ。
「そして、わたしが生まれた」
父が母を殺さなかったのは、わたしが父の血を引いた皇子であってくれたら、とかすかな望みがあったからだと聞かされた。
即座に母が自害しなかったのは、父の血を受け継いだ子供を、この世に残したかったからだと聞かされた。
ふたりの《ねがい》は半分ずつしか叶わなかった。
子供は男子ではなかったのだ。
母は、わたしが五歳になった春、自刃した。
わたしのあと、父と母との間に子はなかった。
それがすべてを物語っていた。
父は酒と女に溺れるようになったが──ついに跡継ぎを得ることはできなかった。
「あの陣羽織が現出させる騎士の姿は、だから、父の理想のなかの、《夢》のなかの母なのだ」
語り終えたアスカに、アシュレはかけるべき言葉を見つけられない。
己の好奇心さえ下種な勘ぐりにしか思えず、恥じた。
そんなアシュレを察したのだろう。
ふふ、こんなことを他人に話したのはオマエが初めてだ、とアスカは言った。
すこし、すっきりした、と笑った。
どうしようもない愛しさが、アスカを抱擁したい気持ちが胸に込み上げてアシュレは戸惑う。
そんなアシュレの心を知ってか知らずか、アスカは続ける。
「だから、わたしの半分は真騎士の乙女の血が流れている──それだけは間違いない。
そして、真騎士の乙女たちは、己が守護する英雄たちに戦い続ける《ちから》を授けることができる。
強力な加護の異能:《ヴァルキリーズ・パクト》。
継続的に長時間、身体能力を引き上げ、ポテンシャルを引き出して、状態異常に対する抵抗力を著しく高める《ちから》。
じつは、その《ちから》が人類に利用されてしまうのではないかという恐れが、真騎士の乙女たちを己の血統への頑なで、盲目的な信仰に駆り立てているのではないかと、思うのだ」
すまんな、ながながと、ようやく要点に辿り着いたよ、とアスカは笑みを作った。
にか、という太陽みたいな笑い方。
だが、いまは無理をして笑っているのだとアシュレにだってわかる。
「そして、その《ちから》をわたしは、受け継いでいる……特別な印が、あるのだ」
そっと、自らの肉体に指を這わせてアスカは言った。
「じゃあ……アスカの言う方法って……ボクにその加護を、恩寵を垂れてくれるってこと?」
アシュレの問いかけに、ぼっ、とアスカの顔が朱に染まる。
ぎこちなく食器を脇にどける。明らかな挙動不審だ。
「その……加護には条件が、あ、ある。わかるか、非常に、非常に特殊な条件だ。宣誓と、あ、あと触媒も、かな? うん」
いきなり馬乗りになられた。
ずしり、とアスカの脚を守る〈アズライール〉の重みがかかる。
羊駱駝の毛皮が滑り落ち、目もくらむようなアスカの裸身がアシュレの眼前にさらされた。
その肉体には、たしかに内側から光を発する印が浮かび上がっている。
あまりの神々しさに、劣情よりも畏敬を呼び起こさせるような姿。
以前、アシュレは偶発的にも、一度、アスカの裸身を目にしてしまったことがある。
そのときには、この印は影もカタチもなかった。
それもそのはず、これこそはアスカの心にアシュレという男が住み着いたことで初めて発現した──文字通り、徴であったのだ。
そうとは知らぬアシュレは確認する。馬鹿正直に。
アスカの言葉の意味を……うまく理解できないままに。
「高い代償が必要なんだね」
「値段などつけられんほどな!」
「ボクに、贖える?」
「くれてやるさ、ただで! リボンをかけて!」
吼えるようにアスカが言った。
「ありがとう。一生恩に着る」
そのとたん、ぐいっ、と乱暴に襟首を掴まれた。
「礼なんかじゃだめだ、言えッ、欲しいとッ!!」
わたしがッ、アスカリアが!! アスカが耳元で、こんどは間違いなく吼えた。
「?!」
なぜそうなる?! アシュレは目を剥く。
たぶん、いやまちがいなく、この瞬間、アシュレの肉体から霊魂のようなものが五十セトルは遊離しかけたはずだ。
「え~~~~~~~~~~!!!」
「やかましいッ!!」
アシュレの腹に腰の入ったいい感じのボディーブローが炸裂した。だいぶ本気の一撃だった。
「一生にひとりだけ、ひとりだけしか選べない。それが真騎士の乙女の愛のありかたなんだ。そして、それを受け入れたなら……いいか、よくきけ、このボンクラッ──わたしはアシュレの、その、あの……せ、専用となるッ!」
なるのだ。尻すぼみに言い、アスカは顔を覆う。
アシュレは……言葉がない。というか、専用。そのボキャブラリーは、単語は、どうしたらいい?
「アスカさん……その、それは、いくらなんでも……」
「きこえん」
「いや、だから、そんなのもらえないっていうか……ダメだ」
「聞こえない、と言ったッ!!」
ふたたび首を締め上げられた。
「言ってみろ、アシュレダウ、わたしが──アスカリアが欲しい、とッ!!」
それ以外の言葉など許さんぞ。とんでもない剣幕で迫るアスカにアシュレは押されっぱなしだ。
「ダメだ、そんなの、いけない。キミを、そんなふうに扱うなんて……」
「では、シオンのことは諦めるのだな?」
冷酷に言われた。締められていた首が開放される。
すとん、とアシュレは寝床に落ちた。
自由になったのに……前よりずっと……動けない。
惚けていると頬を張られた。思いきり。平手で。
「いけないことだろうさ、不義不貞だろうさ。
だが、それがなんだ! いいかアシュレダウ!
女はな──わたしの母も、シオンも、そして……わたしも!
ほんとうに惚れた男のためになら、どんな屈辱にも恥辱にも耐えてしまうんだ!
このヒトのためならとそう思いながら、泥水だって不浄・不潔と知りながら啜ってしまうんだ!
そのことを、オマエが知らんとは言わせんぞッ!」
もう一発、今度は逆を張られた。
「それなのに、オマエのために汚濁に身を浸した女を──救いたいと言った男が、今度は別の女への義理立てを気にして躊躇するというのか、ふざけるなッ!
オマエが、ほんとうにしなければならないことは、なんだ?!
そのために、オマエがしなければならないことは、なんだ?!
いいか、よく覚えておけよ、アシュレダウ!
好いてもいない男に、女がこんなことを許すと思ったら大間違いだ!
オマエ以外に、わたしがこんな話を持ちかけると思ったら、大間違いなんだからなッ!!」
アスカの双眸が、あのラピスラズリ色の瞳が炎の照り返しを受けて、らんらんと燃えていた。
アシュレはそれでも一瞬、己の気持ちを確かめるように口をつぐんで……それから言った。
震えて。振り絞るように。
「アスカ、キミが欲しい。キミの《ちから》が。お願いだ、ボクに──キミを、くれ」
じっ、とアスカの目が品定めするようにアシュレを見下ろした。
アシュレは、その意味を理解してアスカを抱き寄せる。
抵抗された。
もちろん、普段通りの純粋な力比べなら、アスカに分などないはずだ。
中背中肉とはいえ、重甲冑を着こなす騎士であるアシュレの基礎体力・筋力は、半端ではない。
馬上で重い騎兵槍や、竜槍:〈シヴニール〉を保持し続けるのは簡単なことではない。
いくらアスカが卓越した戦士であるとは言っても、アシュレをはねのけるのは限りなく不可能なはずだった。
だが、衰弱したいまのアシュレは死に物狂いになるしかない。
戦って手に入れろ、とアスカは言うのだ。
オマエの手を汚せ、と。欲望によってそうしたのだと、証拠しろ、と言うのだ。
とんでもない姫君だ。
いまやアスカの両脚であり、死の《ちから》を秘める〈アズライール〉。
その純白の城壁を乗り越えて手に取った彼女は、火傷するほどに熱く、その胸は瀬の流れのように速く波打ち、怯えていた。
その意味がわからぬアシュレではない。
どうやったら、彼女を好きにならずにいられるのか、アシュレにはわからない。
愛しいと思わずにいられるのか、わからない。
許されない悪事に手を染めているはずなのに、アスカに想われていることが、誇らしい。
そして、だからこそ非情さを住まわせなければならないのだ、とアシュレは痛感する。
心に、と。
愛するものに手を汚させるような男になってはならないのだ。
汚れているべきは、常に自分の手でなければならない。
そして、それは誰にも許されてはならない。
許しを乞うてはならない。
神にも、世界にも。
そうであるにも関わらず、行いを躊躇することは許されない。
ねだることなど、許されていない。
それを《悪》と知りながら行うオマエは何者か、と問われているのだ。
アシュレは理解に及ぶ。
ついさっきまで、それがなにか、わからなかった。
いまは、わかる。
己がなるべき、なにか。
それは──。




