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■第二十三夜:目覚めと取引

         ※


 高熱と耐えがたい頭痛でアシュレは目覚めた。

 それなのに全身は凍えるような寒さを感じている。


 どこだ、ここは……目だけを動かして状況を探ろうとした。

 

 色鮮やかな天幕。

 そして、恐ろしく手のかけられた刺繍の織物が周囲を覆っている……イクス教徒のものではない。

 幾何学的なパターンの連続は、アラムの意匠。

 そこまで辿り着いたとき、アシュレは理解に及んだ。

 ここはアスカの、オズマドラ陣営の幕舎だ。


 アシュレはきしむ全身に鞭をくれ、起き上がろうとした。


 半身を起こしたところで力尽きた。ふたたび柔らかな羽毛のクッションに身を沈める。

 全身が引き攣れるように傷んだ。

 アシュレはこの症状に覚えがあった。それはずいぶん遠い記憶──幼少期のものだ。

 

『これ……《スピンドル》回路が形成されるときの……過剰反応にそっくりだ』

 まぶたを持ち上げているだけでも億劫だった。

 アシュレが深く息をつき、クッションに身を預けるのと、天幕の外でなにごとか言葉が交わされるのは同時だった。


「起きているのか?」

 聞き覚えのある声がして、薄明るかった天幕に火が灯された。

 清冽な寒気を纏って入ってきた人物は迷わずアシュレのもとに近寄ってきた。スミレの薫り。

 それだけでアシュレには誰だかわかる。

 だが、うまく返事ができなかった。それほど、ひどく消耗している。


「なんだ、寝返りでも打ったか? まあいい。覚醒が近づいている証だろう」

 アシュレはその物言いに確信した。アスカだ。助けてくれたのだ。

 聞くべきことが山ほどあった。だが、力が出ない。

 

 すると、どうしたことか、そわそわっ、とアスカが周囲を気にするような気配がして、衣擦れの音がした。

 え、と思うまもなく、戸惑い震える肉体がアシュレのかたわらに滑り込んできた。

 

「体温の低下は体力の消耗を招く、と医者も言っていたしな……うむ、これは不可抗力である。そして、水分と栄養の補給か、うむこれは重要だ」

 言うが早いか柔らかな唇が押し当てられ、香草の薫りのする暖かな茶が流し込まれた。

 甘い、そしてうまい、とアシュレは思う。

 身体が回復のための建材を欲している証拠だった。


 おもわず、唇を動かして催促してしまう。


「うまいのか? もっと、いるか?」

 それまで聞いたこともないようなアスカの優しい声がした。

 それから、小分けに、丁寧に口移しで茶を含まされた。

 それはひび割れた大地に雨が染み入るように、アシュレの疲弊を少しずつ緩和してくれた。

 

 やっと、まぶたを上げられたときの、アスカの表情を、アシュレは忘れない。


 無言で、何度も何度も、接吻をされた。

 ぼろぼろと泣かれた。なんども名を呼ばれて。

「ありがとう。アスカ」

 アシュレはそう繰り返すしかない。

 

「それじゃ……やっぱり、ボクはあのまま倒れたんだ」

「それをわたしが引きずってここに匿った。運が良かったな。あのまま戦場に留まっていたなら、まもなく訪れた雪崩で、オマエ、今年の春まで谷底で氷漬けになっていたろうさ」

「じゃあ、あの隊列は──」

「孤立主義者の小戦隊もろとも、谷の底だ。一割くらいは助かったかもだが」

 悔恨にアシュレは顔を覆った。

「ボクがいながら……いや、雪崩はボクのせいだ」


 自らを責めるアシュレにアスカは気休めを言わなかった。

 その通りだったからだ。

 強力な《フォーカス》が生じせしめる超常現象は、直接的な効果の他にも周囲に多大な影響を及ぼす。

 

 あの雪崩は間違いなく、アシュレの攻撃による衝撃と轟音が引き起こしたものだった。

 だから〈シヴニール〉のように、大きな力を振るうものは厳しく己を律さなければならないのだ。

 

「悔やんで改善することならいいが、失われたものは返ってこないぞ? 得ること、まだ失われていないものについて考えるべきではないか」

 そんなアシュレにあえて厳しく言うアスカの心遣いが胸に染みた。

 

 こういうとき本当に必要なのは心からの諌言だ。

 第一、アスカは自らの肉体でアシュレを温め続けながらなのだ。

 充分すぎるほど労られていた。

 

「おあいこというわけだ。遠慮するな」

 にか、とアスカは笑ったが、アシュレは知っている。

 アスカの肉体が強ばっているのは寒気のせいではない。


「それにあれは、半分はわたしの責任なのだからな」

 それだ、とアシュレは思った。

「なぜ……なぜ……あんな卑劣な奇襲を……」

 あの峠での殺戮。その理由を問うた。

 

 戦場で兵士たちが納得ずくで殺し合うなら、アシュレはここまで憤らなかっただろう。

 だが、アシュレの目にあれは一方的な虐殺に見えた。

 宣戦布告も名乗りもない。

 弱者が強者に抗う術だというのなら、あの殺戮と強奪にはどんな意味があるのだ?


「教導したのはわたしたちではない。名誉なき闘いをわたしたちは望まない。あれは、わたしたちの介入を快く思わない孤立主義者内部の指導者層による独断専行だ。戦術だけは、我らオズマドラの教練によって洗練されてはいたが……だから、その暴走を止めるべくわたしが出向いたのだ」

 そして、偶然にも、オマエがそこにはいた。アスカが答えた。

「いや、その、オマエと出会ったことに関しては……謝る。半分以上、必然だ」


 そう言ってアスカがアシュレの胸に顔を伏せてしまった。

 これは……紅潮しているのか?


「あの指輪な……じつは物品探知ロケート・オブジェクト系の異能の指定座標に永久化パーマネントされていてな……まあ、なんというか、場所は一発でわかるという……」

 アシュレはいまはフードの隠しから取り出されサイドボードに置かれているそれに目をやった。

 大きなエメラルドがはめこまれた、精巧な指輪。

「ずっと、その……近くにいるな、とは……思っていたのだ。いつも、肌身離さずにいてくれたのだな」

 ぎゅう、と抱きしめられた。アシュレには返す言葉がない。沈黙していると怒られた。

「こういうときは嘘でもいいから、艶っぽい言葉を返しておくべきだと思うぞ!」


 アシュレは知らない。

 快活で行動派のアスカが実は相当な本の虫であり、彼女の「乙女の部分」は、父に疎まれた蟄居ちっきょ時代、読みまくられたそれらの書籍……宮中を描いた物語に逞しくされたのだということを。


 ぎゅぎゅぎゅっ、と肉を抓られ、アシュレは呻く。

 弱々しいタップで「まいった」を知らせることしかできない。


「む、すまぬ。その、ちょっと、あれこれ思い出してな。悔しくなってな」

 オマエが弱っていることを忘れていた。アスカに謝罪されてしまう。

 

「でも……そうか、やっぱり、あの作戦の主導はアスカじゃなかったのか」

「寡兵なりの戦い方はするが、あれではただの虐殺だ。効果的であればよい、というものではない。占領した後は我が国になるのだ。住民に恐怖を植え付けるのはよいが、いらぬ怨恨は極力、買わぬことだ」

 

 そうだろう? アスカは言った。

 

「自らの始祖たちが滅亡した理由を、奴らは──孤立主義者たちは理解していない」

「過去の怨恨を殺戮や略奪や──復讐の理由としてしか用いていない、ってアスカは言うんだね」


 へえ、とアスカが艶っぽい目をした。オマエ、ちょっとは考えているじゃないか? そういう意味で。


「結局のところ、国を奪いたいのか、奪ったあとどのような治世を敷きたいのか、そこにすべては集約するだろうな」

 つまり、王侯貴族としてキチンと国を治めるつもりがあるのか、ないのか、という意味でアスカは言う。

「そうでないなら、それはただの“”に過ぎないさ」

 まあ、と付け加える。

「為政者としてはそういうわかりやすい“”の存在は、逆にありがたくもあるのだがな」

 意味深にアスカは笑った。


「ところで、オマエ、アシュレ。どうして、あんなところにひとりでいたのだ? 夜魔の姫:シオン殿下を蝕む〈ジャグリ・ジャグラ〉の始末はついたのか? いつでも寄り添っていなければならないという感じのふたりであったのに……これでは、わたしにがあるかもと期待してしまうぞ?」

「!」


 アスカのそのひとことで、アシュレの拍動数が一気に跳ね上がった。

 

「アスカ、いま何時なんどきだ、どれくらい、ボクはここで……くそッ」

 冷たい汗が全身から噴き出す。

 シオンの顔が頭一杯に広がり、罪悪感に打ちのめされた。

 一刻も早く帰らねばならないのに身体が言うことをきかない。

 アスカの身体さえはねのけられない。


「オマエ……抜けたことを……何時なんどき、というか、もう丸五日、昏睡していたのだぞ?」

「なん……だって? くそっ、寝てなんか……いられない!」

「どういうことなのだ? 事情を説明しろ」

 焦るアシュレをアスカは諭す。

 

 だから、アシュレは話した。

 シオンとユガの関係。己の恥ずべき嫉妬。

 そのせいでふたりの関係を見失ってしまったこと。

 いや……自分たちの関係について答えを出さぬまま、シオンの優しさに甘えて、これまできてしまったこと。

 そのいらだちを、シオンにぶつけてしまったこと。

 そして、それらすべてを乗り越えられると感じた矢先に……あの戦いに巻き込まれ、意識を失った。

 

 アスカはなにも言わなかった。

 かわりに、アシュレの頬を伝う後悔の涙をそっと唇で拭ってくれた。


「帰らなきゃ、シオンのところに、いますぐ……」

「オマエ……本当にあの夜魔の姫を愛したのだな。どうしようもないヤツ」

 アスカの言葉は、辛辣な物言いとは裏腹に、どこまでも優しい感情に溢れている。

 

「だが、いまのオマエでは無理だ。その身体、起きれるようになるだけでも三日はかかる」

「そんな時間はない」

「人間にはできることとできないことがあるのだ。どんなに想っても」

 ひどくつらそうに、アスカが言った。

 

「なぜだ……いつも、ほんとうに大切なときに、ボクは……なにもできない」

 止まらぬ涙を恥じるようにアシュレが腕で顔を隠した。

 おそらく、あらゆる後悔がその胸中を吹き荒れているのだろう。

 アスカは黙ってそれを見守った。

 それから、深く息を吸い込むと、しぶしぶ、という感じで口を開いた。

 

「方法が……なくはない。その疲弊した肉体に力を与える術が……なくはない」


 がばり、と物凄い勢いでアシュレはアスカの両肩を掴む。

 必死な、渾身の力でだった。


「アシュレ……痛いぞ」

「教えてくれ、アスカ、頼む、その方法を!」

「取り返しのつかないことになる」

「シオンのもとに駆けつけられるなら、どんな代償だって支払う!」

「吠えるな、バカ。護衛の連中が踏み込んできたらどうするつもりだ」


 アスカはそう言ってアシュレの唇に指を当てた。

 大丈夫、いまのところ、その気配はない。

 

「まあ……いくぶんかは、たしかに……わたしの責任でもあるからな」

 峠での戦闘を思い出し、アスカはため息をつく。

「アスカ……」

「喜ぶな、バカ! なんだ、その笑顔は! だがな、そのまえにふたつ約束してもらうぞ。ひとつはわたしの話を最後まで聞くこと。もうひとつは……われわれの軍事行動の同盟者として──協力してもらう」

 喉元に短剣を突きつけるような勢いでアスカが言った。


「オズマドラに協力……それは」

「安心しろ。直接的な軍事行動に加われと言っているんじゃない。この国:トラントリムの真実を確かめろ、と言っているんだ。我々だって大義は欲しい。大規模な軍事侵攻の前に、この国を攻める錦の御旗が欲しいんだ。それは後々、民をまとめる《ちから》になる」

 オマエはこの国の正体を突き止めるだけでいい。それを、見たまま感じたままをわたしに報告するんだ。

「そのためには、オマエはむしろオズマドラに染まらぬほうがよい」


 どうだ、わかったか? アスカは性急に迫った。

 普段のアシュレなら契約内容に細かな精査を求めただろう。

 アスカの持ち出してきた内容はすべてが不明瞭だった。

 だが、時間がなかった。

 あらゆるものを代償にしてでもシオンの窮地を救いたいという思いが勝った。


「わかった」

 短くそう言った。

 潔し、とアスカは応じた。

 なにか覚悟を決めた古代の武人のような口調で。




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