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■第十七夜:凍えた森を抜けて(2)


「ふたりめの妻であった尼僧──ノンナは孤児院を襲撃した孤立主義者たちに連れ去られ、そこで彼らの子を身篭もった。

 彼女を救い出し、求婚を申し出たわたしを、彼女はおずおずとだが受け入れてくれた。

 だから、わたしは……血の繋がりはなくとも──子供を得ることができた。

 だが、当然だが、その子は──インクルード・ビーストとの第一交配種としてその異形を色濃く受け継いでいた。

 人類との相違点はさまざまだったが──その最たるものは、その子が両性具有だったことだ。

 まるでネコ科の動物のように外耳が頭頂部至近にあるなどの生来の異貌に加え、長じるにつれ顕著になる獣としての外見特徴があらわになった。

 たとえばたてがみ。

 光を強く反射する瞳。

 そして、一度開放されれば、ただの人間では太刀打ちできない程の力と俊敏さ、肉体の柔軟性──。

 だが、ノンナの愛と温厚な性格がその子には受け継がれていた。

 父親のひいき目だと笑われるだろう。

 初めての子供を持った男親の子煩悩だとわたしも認めるところだ。

 それでも、あの子は聡明で思慮深く、強い《意志》を秘めた子供だった。


 ピオネロ──それが彼の名前だった。

 ノンナと近習のひとびとの愛情を受けてピオネロはすくすくと育った。

 けれども、宮廷外の情勢は──あまりよいとは言えなかった。

 社会秩序が比較的にせよ回復した復興期が過ぎ去り、国家としての体裁が安定しつつあったあのころ、人々の目は外部の脅威から、自分たちの社会のなかにある異物へと向けられるようになっていた。


 端的にそれを言えば──異形としての特徴を色濃く残す戦災孤児たち──インクルード・ビーストの落とし仔と呼ばれた人々へ対する迫害だ。

 純血種の人類ではないものを脅威と見なす思想が、ようやく勝ち取った平和を苗床に芽吹きつつあったのだ。


 ただ、それは根拠のない話では、たしかになかった。

 第一交配種はその外観も人類の基準を逸していることが多く、それがバラクール圧制時代を生き延びた人々の心の傷に絶えず触れたからだ。

 そして、外見上は夜魔のほうがよほど人類に近しいのに、種としては交配できず、その逆に第一交配種と人類は容易に──いや、人類同士よりもよほど簡単に──交配してしまうことにあった。

 インクルード・ビーストの血を受け継ぐ人間は、親であるインクルード・ビーストの命令に逆らうことは難しい。


 が彼らを縛るのだ。

 それを人々が病だと見なしてもしかたがなかった。

 じつは戦乱のどさくさに紛れ、第一交配種が大量に虐殺された事実があることをわたしも、オルデヒアも知っていた。

 知っていて……だが、罰せなかった。


 そういう難しい時代をピオネロは生きたのだ。

 わたしとノンナは毎晩のようにそれについて話をした。

 迷うわたしに対して、ノンナの主張は一貫性があった。


 それはヒトの弱さに対することだった。

 ヒトの《意志》の《ちから》、《夢》の《ちから》の素晴らしさを語るわたしに、ノンナはヒトの弱さを語って聞かせた。


 ユガ、あなたが仰るほど強くあれる、あり続けることのできる人間は──ほとんどいないのです、と。

 たとえば、いま、この国に醸成されようとしている空気──インクルード・ビーストの血筋を消し去ろうという浄化思想は、その血が異形を引き起こすからだけではありません。

 異形によって姿形を限定されること──つまり、自身の人間としての権利を不当に奪われると感じることこそが、それを助長させているのです、と。

 ほんとうは、親を選ぶことも、子を選ぶことも、どんな生物だってできないのですけれど。

 できることは──相手を選ぶことだけ。

 その権利さえ奪われ、強いられて母になった娘が微笑んで言った。

 わたしは、あなたに選んでもらえましたから、と。

 でも、ふつうの、多くの人々にとって、自らの姿形を歪めて伝えられると感じることは激しい恐怖なのです。

 どうすれば、いいのだろうか、とわたしは言った。

 導くものが──それらの恐怖を乗り越える術を実現する者の登場が必要でしょう。

 わたしの時がそうであったように。そうノンナは言い、わたしの手を取った。

 多くのヒトは“従いたい”のです。だれかに“導いて欲しい”のです。

 たったひとりで《意志》を持って、苛烈な決断していくことは、多くのヒトにとって過酷すぎる要求なのです。

 たとえば……とノンナは言った。

 ノンナは、ユガさまに君臨されたくて、たまらないのです。

 わかりますか? 従えて欲しい。命令して、強制して欲しいのです。

 それにカタチばかり抵抗して、すこしだけ自分を主張したい。でも、結果的には強いられて屈服させられたいのです。

 戸惑うばかりのわたしに、ノンナは泣き笑いの顔で言った。

 狡い生物でしょう? 人間は、ヒトは、ノンナは。でも、あなたは王たる御方ですから、ヒトのその部分に精通しなければなりません。

 あなたはいま混乱されているはずです。

 そうやって隷属することで、いったいなにが得られるのだろう、と。

 いや、得るものなどあるだろうか、と考えておられるはずです。

 人間のもっとも尊きもの──人間性を放棄することではないのか、と。

 ユガ、愛しい方、どうかよく聞いてください、とノンナは続けた。

 その人間性を対価にしてもヒトには得たいものがあるのです。

 それは、とわたしは訊き、それは、とノンナが応えた。

 それは“導かれている”という安心です。

 自分よりずっと優れたものの判断に、命令に、自分は従っているのだ、という許しです。

 還俗しましたが、わたしは尼僧でしたから……きっと、あなたより人々の心の動きに精通していると思います。

 哀しまないでください。

 これが、わたしたちなのです。言いながらひざまずき、衣を脱いでノンナは言った。

 導く方になられてください。私たちを導いてください」


 王権とは神から下された神聖な使命であり、その命運尽きるときはすなわち神に王家が見放されたときである。

 そして、もし、己が“神に選ばれて”権力を掌中に収めたならば、民衆がいまだその熱狂に酔いしれるうちに、しっかりとその首に枷をはめてしまうことである。

 

 前者はイクス教者の教理として、後者は父:グレスナウによって教え込まれたアシュレの治世に対する感覚だった。

 “神に選ばれて”──というくだりに、聖騎士であった父の苦心を嗅ぎ取れるほどにはアシュレも成長していた。

 為政者側=貴族階級の長男として生まれ、幼少からそのための教育を受けてきたアシュレだったから、民衆の意思、あるいは決定なるものが屋根に据えられた風見鶏のごとく次々と向きを変える──決して信用してはならぬものであることは、実感としてあった。

 つまり、それらは《意志》とは呼べぬ、一過性の熱病のごときものである、という見地だ。


 そして、そのいつ風向きが変わるともしれぬなかで《意志》を持ち続け、理想を実現させていくことの難しさと、だからこそ、それを現実として体現し続ける者をこそ、尊い、と感じてきた。


 きっと、ユガもそうであったのではないか、とアシュレは思う。


 種として“貴族の血”を強烈に意識する夜魔である。

 そのなかで数百年にわたって生きてきた上位種たる男だ。まちがいなく、アシュレ以上に峻厳な帝王学をその身に刻まれてきたはずだ。


 そのユガが“自らの意のままにならぬ存在”にこそ敬意と愛情を感じていたと告白した。

 そのことにアシュレは感銘を受けていた。

 それは、わずか数ヶ月に渡る経験で、アシュレが体感しつつある感覚だったからだ。


 だれにも強制されることなく、自らの《意志》で未来を選び取っていく者をこそ──いまのアシュレにはまぶしく感じられる。

 そのものと対等たりえたいと思えるのだ。


 ユガはそれを自分以外の誰かにも期待した。

 期待していた。あの時は、まだ。

 夜魔という種族が──長命であるがゆえ──種として欠きがちな創造性・好奇心を、いまだ失わない人類に対して。

 だからこそ、妻であり、人類であるノンナからの告白はその胸に突き立った。


 なぜわかるのか──それはいま、そのユガの語りに大きなショックをアシュレ自身が受けていたからだ。

 それは“従えられたい”──みずから《意志》を放棄したい、と願い出る人々の心理についてだった。


 そして、ある真理がそこには含まれていたからだ。

 たしかにそうかも知れない、と思い当たり、同時に、得体の知れぬままに納得してしまいそうになった自分に恐怖した。


 ぞ、と寒気に似たものが背筋を這った。

 自らの意のままにならぬものを従えようとすることはいい。

 同時に、自らの意に沿わぬ相手に易々と染まらぬ──従わぬものもいい。


 なぜなら、もし、この二者が互いに同じ方角をそろって向いたとき、そこに向かって邁進しはじめたとき、それは素晴らしい《ちから》を発揮するからだ。


 たとえば、ユガとオルデヒア──もしかしたら、アシュレとその仲間たちのように。


 だが、最初から支配者に決定権を委譲したいとは……要求されたわけでもないのに支配を申し出るとは、どういうことだ? 

 それはなにを意味することだ?

 自らの《意志》を放棄し、重大な決定から遠ざかりながら、その代償として自らのなにを保証せよ、と彼らは迫る気なのだ?

 なにを手に入れようというのだ?


 そして、隷属の申し出に「そういうものだ。人類とは」と納得しかけた自分の心の動きに、アシュレは戸惑う。

 どこからきたのか。

 その、諦観にも似た──だからこそ、しっくりと違和感のなく心に働き掛ける感覚は。

 得体の知れぬ震えにアシュレは首筋を総毛立たせている。


「にわかにはすべてを受け入れがたかった。

 それならば、とノンナは言った。まず、わたくしを支配してください、と願い出た。

 戦地にまでお連れください。そしてご奉仕させてください、と。

 告白する。男として、夫として、もしかしたら夜魔の血にそれは訴えかけたのかもしれないが……心が動いた。

 為政者としての。君臨する者としての。

 さすがに戦場に彼女を連れ出せるわけもない。しかし、わたしは孤立主義者討伐の最前線に近いギルギシュテン城へと、ピオネロとノンナを連れて行くことには同意した。

 オルデヒアのことがあった。孤独が彼女を追いつめたのは間違いないことだったからだ。

 そして、ギルギシュテン城は辺境だ。他のどの都市部よりも、ピオネロが迫害を受ける可能性は低かった。

 いくつもの戦いがあったが、それでもわたしたち親子の日々はつつがなく過ぎていった。


 しかし、国内の病根は深まりつつあった。

 インクルード・ビーストとの混血者を敵対視する一派が勢力を拡大していた。あとでわかったことだが、その後援者にかつてともに戦った者たちの子孫が含まれていたのだ──端的に言えば、ギルギシュテン城の城主もそうだった。

 悪いことに……わたしも妻もそれを知らず、そして、城主の娘とピオネロはひそかに恋仲になっていた。

 ある地方都市で起きた民族浄化運動──虐殺──の鎮圧に、わたしと城主が出向いている間に事件は起った。


 ピオネロとノンナ、そして近習たちが襲撃を受けた。

 最低限の防衛戦力を残しての出立だったギルギシュテン城を浄化運動の活動家に率いられた一派が襲ったというのだ。


 彼らはこう叫んだそうだ。

 われわれはユガディール伯の《意志》の代弁者であり、その治世に対し、なんら不満を持つ者ではない、と。

 また同時にこう叫んだそうだ。

 ゆえに、公の治世を妨げる過去の負の遺産を、伯になりかわり浄化するものである、と。

 わたしの知らぬところで、わたしの知らぬ理想が勝手に捏造されていた。


 城に帰り着いたわたしを待っていたのは……残酷な報告だった。

 ピオネロは胸に矢を受けたところまでを確認されていた。城主の娘を庇ったのだ。娘は半狂乱になっていた。

 ノンナは行方知れずとなっていた。

 ピオネロの遺骸を抱きしめている姿だけが城内の者に記憶されていた。

 もちろん、わたしはすぐに捜索隊を出した。同時に、この事件の背後をも洗いはじめた。

 不自然だった。すべてが。いや、整いすぎていて、だからこそおかしかった。

 容疑者たちは次々とあきらかになった。あきれるほどの人数がそれに関わっていた。

 死刑を言い渡すわたしに彼らは言った。

 獣を殺して死罪になるとは、聞いたことがない、と。

 わたしはこう言った。

 わたしは夜魔でありヒトではない。

 だから、これはヒトがヒトを裁こうというのではない。

 獣であるわたしが、獣であるお前たちを私怨によって殺すのだ、と。

 それでも、城主だけはなかなか尻尾を掴ませなかった。

 いや、実際のところ、彼はわたしには忠実な家臣だったのだ。それは演技ではなく、本心だった。

 捜索は空振りに終わり、数ヶ月が経った頃、ギルギシュテン城が怪異に見舞われるようになった。

 真夜中、歩哨や女官たちが死んだはずのピオネロの亡霊を見たと囁きあった。

 城の内外でたびたび、行方不明になるものが現れた。

 城主が姿を消し、その妻と娘が懐妊していることがあきらかになった。

 ごしゅじんさまにいただきました、と夢見るような口調でふたりは懐妊の理由を告げた。

 まさか、とわたしは思い、あるはずがない、と願いながら……ふたたびあの暗渠に足を踏み入れていた。

 ギルギシュテン城の地下に眠る──もう一基の〈ログ・ソリタリ〉に……」


 とうさまのお手伝いがしたかったのです、と汚れのないソプラノでピオネロが言った。

 来てくださったのですね、とノンナが言い、我が主、と……すでにヒトではなくなった城主が言った。

 わたしの足元に、城主はひざまずき、言った。

 あなたをたばかっておりました、と。そして、わたくしめが無知でございました、と。

 わたしめは、ノンナさまとピオネロさまに導かれたのでございます。

 これは、これこそは、ヒトを救いうる御業──ヒトの身の業苦を救いうる御業でございます、と。

 至福の声で告げる彼を、ピオネロとノンナが優しげに見つめていた。

 それはきっと天使の降臨を描いた天井画のごとき場面であっただろう。

 ピオネロの体毛は純白のものとなり、その背からは身体を守るように六枚の翼が生じており、ノンナの裸身は聖女の纏う穢れなき聖衣のように幾重にもひだがあった。

 だからきっと、その場面に戦慄を覚えたのはわたしだけだったはずだ。

 知っていた。それを。それはすでにヒトではなかった。混血であるとか純血であるとか、そういう問題ではもはやなかった。


 それは、贖われた聖性だった。

 “人間性”を代償に。《意志》を代償に。

 わたしは即座にそれを否定し、くびり、火を放ち、通路を打ち壊して塞いだ。

 城主の妻と娘を殺し、城を廃虚とした。

 とうさま、どうか、従えてくださいませ。

 わたしたちを導いてくださいませ。

 ピオネロの歌は呪詛だった。抵抗のそぶりも見せず、ただ、懇願していた。

 どうして妻が〈ログ・ソリタリ〉のことを知っていたのか、さらには近づきえたのか。


 それはずっと昔、彼女をさらった孤立主義者たちが昼夜を問わず彼女を嬲りながら教え込んだことだと、のちにわかった。

 孤立主義者たちは強大な王が再び現れることを望んでいた。

 ノンナはそれを知り、もしかしたらわたしの目を盗んで、〈ログ・ソリタリ〉へ接触していたのかもしれない。

 あるいは、追いつめられた脳裏に、そのことが思い出されたのかもしれない。

 事実は謎だ。

 ただ、ひとつだけ確かなことは彼女は過去に導かれるようにして、〈ログ・ソリタリ〉へ至り、まず自分を、つぎに死に行くピオネロを、やがて他者を──変えてしまった。

 あの日、あの場所で微笑んでいたものは……すでにピオネロでも、ノンナでもなかった。


 あまりの結末に、アシュレは声もない。

 付け加えるように、ユガが言った。


「三人目の妻──ロシュカメイアは、もっとも明快だ。

 彼女自身が罠だった。わたしに、彼女のためならすべてを投げ出してもよいと思わせるための。孤立主義者たちが仕組んだ」


 やはり、〈ログ・ソリタリ〉の下で待っていたよ。

 ひとつになってください、とそう言った。罰を待つように泣いていた。

 あなたを騙していました。そう告白された。

 あなたを、私たちの真なる王──いいえ、それすら超越した存在──神とするために、わたしは造られ遣わされたのです。

 そのためにデザインされたのです。

 でも、でも、あなたを好きになった気持ち──これだけはだれかにデザインされたなんて思いたくない。

 ずっと、ずっと、一緒にいたい。

 わたしも引き受けます、あなただけにしたりしません。

 だから──。


 泣きながら両手を広げるロシュカメイアにわたしは……応じていた。

 疲れていたのだ。

 そして──彼女と融け合うため──彼女を抱擁したわたしは、わたしを……ロシュカメイアは……。


 憶えているのは、わたしを突き放し、突き飛ばしてひとり、〈ログ・ソリタリ〉に呑まれた彼女の姿だ。


「かみさまなんかいらないだってわたしはあなたが」


 それが、彼女の最期の言葉だった。


「そして、わたしはまだ、こんなところで、こんなことをしているのさ」

 そう言うユガの言葉には自嘲があった。


 拭っても拭っても消し去ることのできない疲弊が、滲んで。




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