■第十三夜:“秘密の庭園”
インクルード・ビーストとの遭遇、そして、アラム教圏・オズマドラの第一皇子:アスカとの再会と忘れられぬ夜の後、アシュレはことの顛末をユガに報告すべく帰還した。
「国境:ギルギシュテン城跡付近で遭遇した、ということだね」
インクルード・ビースト。ユガは、もう一度、確認した。
「単独で──孤立主義者たちは随伴していなかったのだね?」
「はぐれた、のでしょうか」
詳しくは、わかりません。
帰還したアシュレは、ユガに事情を説明した。
アスカのこと……オズマドラの戦術教導部隊がその背後にいることは伏せたまま。
結局のところ、アシュレはユガとアスカのどちらをも選ぶことはできなかったのだ。
ただ、国家の危機をユガに気づいて欲しいという心の動きがあった。
「《フォーカス》なしで、あの化け物を駆逐するとは……やはり、キミは素晴らしい使い手なのだな」
称賛してくれるユガに、アシュレは手放しで応じれなかった。心のどこかに、ユガに隠し事をしているという後ろ暗さがあったのだ。
「いいえ。苦戦を強いられました……危なかった。それに、まったくの無手というわけではない」
竜皮の籠手:〈ガラング・ダーラ〉がなければ危なかった──アシュレは右掌を結んだり開いたりしながら答える。
「謙遜──ではなく冷静な戦力分析をする」
アシュレの言葉に含まれた慎重さに、ユガは別の感心をしてみせた。
「その件だが──アシュレダウ、キミはすでにわたしの客人ではなく友なのだ。今後は遠乗りの際にも《フォーカス》を携帯したまえ──竜槍:〈シヴニール〉とはいわん、せめて聖盾:〈ブランヴェル〉なりと」
「他国で、そのような不作法、横紙破りな──できません」
「そういうキミでなければ、わたしだって許しはしない。だが、アシュレダウ、その友を危険にさらし、ケガを負わせてしまった責任は、統治者であるわたしの恥なのだ。どうか、雪がせてもらえないか?」
そう言われてしまえば、もはやアシュレに返す言葉などない。
「では……そのようにいたし──そうさせてもらいます」
アシュレは言い換える。
友、とまで呼んでくれたユガに対していつまでも謙譲語を使っていることは逆に失礼に当たると気がついたのだ。
アシュレの態度に、ユガの顔がほころんだ。
普段、冷静な男だけに、感情が表に出るとなんとも形容しがたい親近感を抱かせる表情をするのだ。
「すぐにも議会を招集し、対策を打とう。一匹だけならばよいが……強力なものになるとたった一匹で衛星都市ひとつを壊滅させる化け物だ──数百人以上が殺され、食われた事例がある。もちろん、先遣隊に付近を捜索させよう。もしかすると孤立主義者たちの活動が活発化しているのかもしれんしな……。人選は……やはり白魔騎士団でなければなるまい」
不期遭遇戦に陥る危険性もある。
ユガはそう締めくくり、口調を変えた。
「ところで、アシュレ。我が国はその凶悪なインクルード・ビーストをしとめてくれた友人にどのような報償で報いればいいのかな?」
ユガの申し出に、アシュレは一拍、深呼吸して申し出た。
「ユガ、あなたは……その“秘密の庭園”をお持ちと聞きました。どうか、その見学を……許可していただけませんか?」
普段ならば絶対に辞退したであろう恩賞の申し出に、アシュレは具体的要求をした。
ユガは驚いた顔になり、それから不思議そうに聞いた。
「アシュレ、どこでそのことを……そうか……エルシド──あの老人か」
短刀直入過ぎる申し出に、不審がられるかと警戒したアシュレの心配をよそに、ユガは独り合点して破顔した。
「じつは……そうなんです……この間、アトリエにお邪魔したとき──散々吹き込まれまして」
アシュレはそう言ったが、事実としては異なる。
アシュレが“秘密の庭園”なる単語を聞いたのは、別れ際、宿を立ち去るアスカが抱擁を交わしながらささやいたときだった。
「ユガディールの“秘密の庭園”を調べてみろ」
重要な事柄なのだとピンと来た。それはまるで意識の地図にピンを刺すように、アシュレに目的意識を与えた。
そこで、アシュレはまず、郊外にあるエルシドのアトリエを遠乗りの帰路に訪った。
エルシドは創作に他者が口出ししうるさく来訪してくるのを嫌い、独自の工房を持つことをユガディールに許されていた。
最初応対した弟子のひとりに名を告げても、エルシドは現れず、居間で散々待たされた後、汚れた手を布で拭いながら作業着で現れたエルシドは言ったものだ。
「なぜ、名乗らなかった!! オマエさん方と知っていたなら、飛んできたものを!!」と。
名乗ったんですけどね、とアシュレは思ったが口には出さなかった。
「お忙しそうだったもので。ご挨拶だけと思いまして」
「なにを言う。いや、実際忙しくはあるんだがな。発明も芸術も、どんどん実現していかんと、人生はあまりに短い。眠る時間が惜しいくらいだ」
なるほど圧倒的に実践の男なのだ、とアシュレはその手をみて思う。
エルシドはしかし、アシュレへの挨拶をすませると、やたらとシオンを褒めた。
美しい、素晴らしい、いや理想的だ、完璧だと周囲を旋回しながらさまざまなアングルでシオンを確かめた。
「ぜひ、素描をさせてもらいたい」
単なる美女ならお断りだが──アンタにはなにか──魔物めいた魅力がある。それなのに、それを《意志》の力で律している危うさがある。
「それが、アンタの美の根源なのだな」
さあ、とりあえず、脱いでみよう、などと本気でエルシドが言い出すにいたって、ついにアシュレは本題を切り出した。
「ユガディールの──“秘密の庭園”? オマエさん……どこでそれを」
かかった、とアシュレは思う。効果はてきめんだった。
ぴくり、とエルシドの肩が震え、それまでシオンに向けられていた意識が矛先を変えたのを、アシュレはまざまざと感じた。
もちろん、あなたがおっしゃられたんですよ、とアシュレはエルシドを掌で示した。
「わたしが……む、そうだったか。そうだったかもしれんな」
「そうです。あの晩……たしか……彫像に関してのお話をしてくださったとき」
嘘である。
アシュレは二度目にしてすでにエルシドの人格を見抜いていた。
興味のあることに関しては異常な集中力を発揮するが、同時に常識や礼儀作法、話すべきではない事項に関するタガが外れてしまうタイプなのだと。
じつはアシュレ自身もそういうところがあり(ただ自覚的に戒めることができるだけで)、そういうときに「確かにあなたの口から聞きました」と断言されると、否定できないタイプなのだと。
それも、自身が強い興味を抱き続けているものならなおさらで。
アシュレはそこでカマをかけたのだ。
将を射るにはまず馬を射よ、との格言は見事に功を奏したことになる。
「そうとも──“秘密の庭園”──わたしも、その言葉をユガディールから聞いたとき、オマエさんのように食い下がったものだ。
あの三番目の女神──ロシュカメイアをはじめて目の当たりにし、わたしは雷光に撃たれたようになってしまった。
それですぐにアトリエに篭って、彫り上げたのがマヒルマだ。
傑作だよ。《魂》のようなものに迫れたのではないかと自負している。
だがな、どれほど外見を似せても、迫ってみても、ロシュカメイアの魔性──それは触れたときにわかるあの温もりにも起因している──を追い抜くことはできなかった。
あれには命のようなものが宿っているのだ。だからわたしは尋ねたのだ。その由来を──作者を」
アシュレは熱心に頷いた。
的確な相づちに、賛同と共感を得る喜びに、エルシドの口調が熱を帯びていくのがわかる。
最初は演技だったはずなのに、アシュレはいつの間にか本気でその話に釣り込まれてしまっている。
「ある意味では──とユガは言った。ある意味では──作者はわたしかもしれない、と。それで、わたしはさらに食い下がった。ならば、製法だ。当然だ。どうやって作られたものか知ろうとするのは、当然ではないか?」
ああ、“秘密の庭園”──たしかに、たしかにわたしがあのとき、言ったのだ、とエルシドはアシュレに示唆された捏造の記憶を事実として再編し、なんども認めながら言った。
「それは──“庭園”に属していることです、とユガは拒んだ。そして、それ以上を決して語らなかった。あまりに殺生な話ではないか。極上の美姫が目の前で招くのを、檻のなかで指をくわえて観ているような話ではないか!」
激高するエルシドをアシュレはなだめるのにかなりの労力を必要とした。
だが、得たものはあった。少なくとも“秘密の庭園”についての糸口は得たのである。
そうして、アシュレはいま、ここにいる。
「このあいだ、アトリエを訪問して、エルシドにそれを聞いてから……どうしても、あの女神の──ロシュカメイアの由来が知りたくなって──それで……ご迷惑でしたか?」
アシュレの申し出にユガは顎に手をあて、しばらく考え込んでいた。
やはり、それは明らかにしづらいものなのであろうか……後ろ暗い秘密があるのだろうか。
アシュレがそう考え及んだそのとき、決意したようにユガが瞳をあげた。
「そうか……これも運命かもしれないな。わたしはついに巡りあったということか……いいだろう、アシュレ。キミの申し出を受けよう」
“庭園”に君たちふたりを案内しよう。
ユガははっきりと、そう言ったのだ。




