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■第十二夜:選び取られたもの

        ※


 結局、アスカはアシュレたちの寝室で、同衾すると言い出した。

 湯に浸かり、風呂上がりにまた呑んで有無を言わせずベッドを占拠したのである。

 もちろん露天風呂においてもまた一悶着あったのだが、それについては割愛する。

 

 ベッドのサイズは相当に大きかったからアシュレとシオンが眠るスペースは充分にあった。

 あったのだが。

 

「アシュレ、アシュレ~、手伝うがいいぞ」

 いざ眠るときになって、アスカはアシュレを呼びつけた。

 しこたま飲んで酔っぱらっている。

 ベッドに座り、足を投げ出す。シオンがその不作法を見咎めた。

 アスカは脚甲を履いたままだったのだ。

 

 武骨さのなかにも優美さを感じさせるそれは、どこかシオンの装具:〈ハンズ・オブ・グローリー〉にも通じるオーラを放っていた。

 武具でありながら装身具・宝飾品でもあるかのような佇まい。

 そういうオーラを放っていた。

 

 だからこそ、シオンはこれまで、それを纏ったままのアスカに言及しなかった。

 ただ、やはりベッドにそれを持ち込む不作法を看過はできない。

 

 アスカの両脚を覆うその純白の武具は、アスカから感じられるしなやかさに対して、どこか強いるような印象があり、互いがひとつとなることで──拘束具に囚われた美姫をみるような淫蕩さを醸成してもいた。

 

 アシュレとの場所であるベッドに、それを持ち込まれることに、シオンは無意識に反発していたのだ。

 

「そなた、そういえば温泉にも土足のまま入っておったな?」

「これは失礼をした。シオン殿下。そうだな、やはり脱がねばならぬよな」

 シオンの言葉に悪びれた様子もなく、アスカはアシュレを呼びつけたのだ。

「と、いうわけだ。アシュレ、すまないが外すのを手伝ってくれるか?」

 言いながらにんまりと笑うアスカの瞳に、アシュレは悪戯気な光を見た。

 

 シオンは知らぬことだったが、アスカの両脚はすでに生身のものではない。

 義足。それも強力な消滅の力を有する《フォーカス》:〈アズライール〉と差し替えられている。

 この場にあって、アシュレだけは、そのことを承知していた。

 

 アスカという姫君が、己の大切なヒトのため──己の両脚を比喩ではなく聖餐せいさんとして差し出したことを。


「太股の付け根に手を差し入れて……うん、アシュレ、そうだ。逆トルクの《スピンドル》で脱装するから、外してくれ」

 言われるまま試みようとして、アシュレはその絵面のまずさに気がついた。

 酔っていて判断力が落ちているのだ。

 アスカに笑われた。

 だが、その義足を支えながらアスカが脱装するさまもまた、刺激が強すぎる光景ではあった。 

 

 ずしり、とアスカの制御から解かれると聖なる義足:〈アズライール〉は子供ひとりに匹敵するほどの重量がある。

 

「ひとつが二〇ギロスはある。《フォーカス》だからな」

 聖なる義足:〈アズライール〉を取り去ったアスカの太股は、その半ばで断ち切られたようになっている。

 断面は象牙の彫刻を想わせる装置になっており、骨はこれも純白の彫刻を施された軸と差し替えられていた。

 

「《夢》の対価だよ、アシュレ……どうか、哀れむような目を向けるのだけはやめてくれ」

 囁くようにアスカが言い、アシュレは自覚無くそんな態度をアスカに向けていたのかと謝罪しようとして顔を上げた。

 だが、そこにはあられもない格好で高いびきをかくアスカの寝顔があった。

 

「《夢》の対価、とその娘は言ったのか?」

 背後から問うシオンに、アスカのはだけた短衣の裾を直してやりながらアシュレは、いきさつを話した。

 フラーマの漂流寺院に隠されていた聖なる武具:〈アズライール〉をアスカは探し求め、それを得る代償に両脚を失ったのだと。

 語り終えたとき、シオンのアスカを見る瞳が優しげなものになっていることにアシュレは気がついた。

 

「大切なヒトのため──父親と失われた愛のためだ、と先ほど言っておったな」

 善悪の、敵味方の判断は別として、それでもなお、何事かを成し遂げんと実践し続けるアスカの姿に、シオンは共感を覚えたのだろう。

 そして、それほどのものを背負いながら明るく、他者に笑みを届けることを忘れないアスカの性根に、どこか敬意を持ったのだろう。

 

「人間というものは……これだから……面白いのだ」

 そう言うシオンをこそ、アシュレは素晴らしいと思うのだが。

 

         ※


 夜半、そのシオンにアシュレは助けを求められた。

 夜魔の姫は〈ジャグリ・ジャグラ〉の発作に襲われ、そして、アシュレへの《愛》が押さえきれなくなっていた。

 すまぬ、と──なんども謝られた。

 

「ほんとうは、アシュレにお礼をしなくてはならぬのに。また、また、助けてくれたのに」

 昼間、アシュレが負った傷のことをシオンは気にかけてくれていたのだ。

「要求するばかり、求めるばかりだ──欲しい気持ちが押さえきれなくなって」

 全身を羞恥で染めて歯がみするシオンをアシュレは愛しいと思う。

 アシュレの耳元で囁くように幾度も謝罪するシオンの身体を抱き返す。

 

「ボクが──いままでキミに何度助けてもらったと思うんだい? 気にするようなことじゃない」

 ただ、今日のは……シオンらしくない動きだった。

 たしかにインクルード・ビーストは恐ろしい相手だったけれど、これまで戦った敵に比べれば、それほどではなかったよ。

 アシュレは言う。

 

「それなのに、キミは立ちすくんだようになってしまった。なにか、別の恐怖に心を囚われてしまったようだった」

 シオンの求めに応じながらアシュレは言った。

「怖い、とはじめて思ったのだ。死ぬのが、怖い、と」

 アシュレに抱きかかえられるカタチで愛されながらシオンはうわごとのように言う。

 

 なぜ、とアシュレが問い、シオンは途切れ途切れに話した。

 ふたりが共有する心臓が再生の代償に無慈悲にアシュレから命を搾取することを告げた。

 となりでアスカが寝返りを打つ。

 すべてはひそやかに行わなければならなかった。

 

「そなたを──アシュレダウという男を──わたしは奴隷以下の存在にしたのだ……望むと望まざるとにかかわらず……結果として、家畜にしたのだ。どんなに言葉で取り繕ってもダメだ……いいわけという薄い糖衣を剥ぎ取れば、そこには絶対的で無慈悲な搾取を行う暴君の所業だけがあるのだ」

 シオンはアシュレに謝罪する。それから申し出る。決定的な一言を。

「だから、せめて、その対価に……わたしを……わたしも……アシュレの──」

「《夢》の総量が──足りない、ということなのかな」

 シオンの言葉を遮って、アシュレが言葉にした。

 シオンは戸惑って、瞬時には意味を捉えられずに言葉を失う。

 

 キミが生きてくれているなら、ボクはそれでいいんだ──そんな甘ったれた感傷をアシュレは言わなかった。

 取り残されたシオンがどんな思いをすることになるのか──孤独と絶望──その果ての狂気。

 そのことをもはや言葉にせずとも、アシュレは身に染みてわかっていたのだ。

 だから、もっとずっと別の解決策を模索した。

 はるかに難しい選択肢だとわかったうえで。


「《夢》の総量?」

「シオンの心臓が、ボクの肉体を建材として要求するとき、その対価として取られているものは、本当は血である必要はないんだよね? 問われているのは《夢》の《ちから》そのものなんだろう? それがボクのうちで強く燃えているなら……共有されたこの心臓が対価を奪い去っても、枯れないくらいそれが湧き上がるものであるなら……もっとずっと高められたモノであるのなら」

「アシュレ?」

 アシュレの言葉にシオンは愕然となった。


 がくがくがく、と全身が震えた。軽蔑されて当然だと思っていた。

 口汚く罵られて当然だと思っていた。

 だから、怖くて、これまでシオンはそのことをアシュレに詳しく説明できなかった。

 けれども、昼間、すくんでしまったシオンをアシュレが身を挺して庇ってくれたとき、もはや隠し通すことなどできないと悟ったのだ。

 

 もしアスカが今夜、かたわらにいなければ、宿に帰り着いた途端、この話をしていただろう。


 そして、その首に自ら家畜の証である首輪をはめ、鎖で繋ぎ──アシュレへの隷属を自ら懇願しただろう。

 そうでなければ、もう、アシュレの側には居られないとシオンは思い詰めていたのだ。

 己の心臓によって強制的に行われる血の搾取に報いる方法がない、と。

 

 けれどもアシュレはシオンの予想を超える答えで返した。

 己を──己の《夢》を高める──という。


「シオン──もう少しだけ時間をくれないか。ボクはこれまで騎士の規範たろうと生きてきた気がする。それは主君を立て、規律に従い、弱者を護り、己を厳しく律することだ。それは……なんというか、平時の、護られるべき規範のなかでは、少なくとも大切で正しいことだと思うんだ。バラージェの家が引いてくれたレールの上を、定刻どおりに走り抜けていく人生だ。でも……ボクはもう、その枠組みの外にいる。そして、一度でもその外に赴いた者が“その先”の判断をしなければならないとき……それでは不十分なんだ」


 そして、ボクは“その先”の判断をしなければならない場所に、もう立ってしまっていたんだ。


「やっとそのことに気がついたんだ──恥ずかしいよ」


 そんなことはない、とシオンは思う。

 カテル島で、はっきりとアシュレは法王庁からの離反を口にした。

 それはシオンの隷下に収まったという狂言に沿ったものではあった。

 だが、家も、縁も、帰るべき国も、アシュレは投げ捨て、シオンたちとともにあることを選んでくれた。

 

 すでにアシュレは迷い、葛藤し、判断し、選択し、決断して──選び取っていたのだ。

 それなのに、アシュレはまだ、“その先”へと行こうとしている。

 

 それは本来、他者に望んではならない道だ。

 強いることなど許されぬ道だ。

 そこへ到達するものは自らの《意志》でのみ、選び取らなければならない道のはずだ。

 強要されたものでも、与えられたものではならないのだ──決して。

 

 ただ、自ら選び取ったものにだけが獲得しうる資質。

 選び取られた孤独──すなわち“孤高”と、呼ばれる資質。

 

 シオンはしかし、アシュレに、そうあってほしいと望んでいた。

 無意識で、心の奥底で。それはアシュレに対する行動となって現れてしまっていた。

 恥ずかしかった。己の心の弱さが。


 その道の厳しさと名前を、シオンは知っていた。それは《ちから》とともに責任をも一身に負う者のことだ。

 

 それはヒトの世においてひとこと、こう呼ばれる存在だ──“王”と。

 アシュレはその道を選び取ろうとしていたのだ──。


 声にならない嗚咽がシオンの喉から溢れた。

 そして、心の底から望んでしまった。

 この男に、わたしは、変えられたい。変えて、ほしいのだ。


「なーにを、泣かされておるのかなぁあ?」

 そんなシオンの感慨を打ち破った声の主がシオンの背中に身を寄せてきた。

 ひゃん、っとシオンは身を反らして痙攣してしまった。無遠慮な指が乱暴に官能を煽ったからだ。

 不意打ちにアシュレも反応してしまう。

 アシュレの側からはその相手が見えた。

 

「アスカッ、な、なんで?」

「なーんでもくそもあるまいが、こんな近くで、こんなふうにされて、気づかんヤツがおると思うほうがおかしいのだ。オマエら、のーみそ糖蜜漬けになって、おまけにアリにたかられとるんじゃないのか?」


 ぎしあん、とか言うらしいぞ、こういうのを世間では。

 ちなみに、疑心暗鬼とは違うから用法に注意な?

 

「それにしてもシオン殿下、しとやかな立ち振る舞いとは裏腹に、なんとも積極的な……んー、いい薫りだ。小柄で、しかしメリハリがあって……手込めにするには最適なサイズ。肌のきめ細やかさは赤子のモノのようではないか。なるほどなー、アシュレが夢中になるのもこれは仕方あるまい」

 シオンの首筋に背後から顔をうずめながらアスカが言った。気がつけばすでにアスカも一糸纏わぬ姿だ。

「や、やめよ、アスカ殿下……そこはっ、ならぬっ」

「そんなことを言われても止まりませぬ、シオン殿下。だいたい、女同士であればこそわかることもありもうす」

「ええと??? アスカさん?」

 アシュレはもう戸惑うばかりだ。

 

「なんだ、アシュレ? 隣でこれだけ煽っておいて、まさか説教はないだろうな? なるほど、互いが互いを慕い想いあう男女のことだ。仕方あるまい。目をつぶろう。ただな、条件がある。このわたしの昂ぶりの落とし前を、キチンとつけてくれ」

 アシュレはなにを言われているのかちっとも理解できない。

 だいいち、シオンとの逢瀬をアスカに知られてしまって動揺が動転だ。

 

「いや、だけどですね? 昂ぶりを鎮めろとおっしゃいましても?」

 つまり、その、具体的にはよろしいんでしょうか? アシュレ、なにを言っているのだ。大丈夫か?

 脳内でひとり、ボケツッコミが繰り広げられるくらいには焦っていた。

 その点でアスカは冷静だった。ごく限定的にだが。

 

「オイ、わたしはお前より年上なのだぞ? 恋人のひとりやふたりいるさ。すべて女だが?」

 男は、未経験だ。意味深にアスカは囁いた。その間にも間に挟まれた格好になったシオンを追いつめていく。

「ほらな、逆らえんだろう? よくわかっておるのだぞ、殿下?」

 アシュレ、お前が責任を取らんというのなら、シオン殿下に取ってもらうか? 

 アスカが畳み掛けるように言いアシュレはたじたじだ。

 

「酔ってるの?」

「昂ぶっておると言ったッ!」

 シオンをアスカは背後から乱暴する。

 反撃どころか抵抗すらまともにできないシオンに嗜虐心を煽られてでもいるのだろうか。

 その所業はアシュレの悋気りんきに火を着けるほど苛烈だ。

 

「ほうら、アシュレ、オマエがまごまごしているうちにシオン殿下が窮地だぞ?」

「やめろっ、これはっ──ボクのだッ! だいたい、これは──治療なんだってばッ!」

 思わず叫び、シオンを壊れるくらい強く力任せに抱き寄せた。

 両者の間で取り合われる形になったシオンは大波に翻弄される小舟のように鳴くことしかできない。

 

「あっ、いま、モノあつかいしたな、殿下を──そして、ほほう、殿下も、まんざらでもない様子。だいたい言うに事欠いて治療だと──? どういう治療か説明してみろッ!!」

 アスカはそう言ってアシュレに迫り、シオンを抱き返す。いろいろなものが鷲掴みだ。

 

「ただし、説明中はわたしの相手はシオン殿下にしてもらう」

「そ、そんなこと、容認できるかッ!! させるかッ!!」

「どーしてオマエがシオン殿下の処遇を決めるのだ? まさか、オマエたち……まさか、もう、そういう関係か?」

 アスカは神速の勢いで独り合点した。

 それはあながち間違いではなかったのだが、アシュレはもはや事情を説明する糸口を完全に見失っていた。

 

「否定はせず、と。これはホンマモンだな」

 では、しかたない。お前の右手を貸してもらうとしよう。

 アスカがアシュレの手を取り導こうとするのを、今度はシオンが噛みつくようにして妨害した。

 

「だっだめだっ、あ、あ、アシュレは、貸し借りするようなものではないっ」

「わたしは命の恩人だぞ、シオン殿下? その礼をまだされていない。右手を貸すくらい許されよ。別に取って所有しようというのではない。今夜限り、貸してもらうだけだ。だいたいわたしが眠りこけているのをいいことに、このような所業に及んだのはだれか? ん? まさか、あなたの騎士さま──アシュレからのことではありますまい?」

 アスカの口撃は的確にシオンの急所を抉った。

 たぶん将軍としてもかなり優秀なのだろう。こういう乱戦状態での機転が利くのだ。

 

 ぱくぱくと、鯉のように口を動かすシオンを尻目にアスカはさっさとアシュレの右手に乗っかってしまった。

「ふぇっ、ア、アスカさんッ?!」

 アシュレの見せた反応に、想い人を奪い取られる危機を敏感に感じ取ったのだろう。

 ぎゅううっ、とシオンが全身でしがみついてきて、アシュレの頭は混乱の極みに陥った。

「それから……アシュレ……お手柔らかにな? なにしろ、わたしはまだ──いろいろと知らぬことがあるのだから」

 アスカがシオンにも聞こえるように囁くにいたり、寝室のカオスは頂点に達するのだ。


 結局、アスカが退散するのは二日後のことだ。

 

 アシュレはなんとかアスカに寝室からご退場いただいたわけだが、居座った二日の間で、自分の背徳・・に関する経験値が相当に上昇したことを認めざるを得なかった。

 

「イリスに……なんといいわけすればいいのか」

 下を向いたまま、赤面してつぶやいたのはアシュレではなくシオンだった。

 

 ことあるごとに捉まってはアシュレを誘い出すダシに使われてしまっていたのだ。

 とりあえず、相互の理解が深まったと信じたいアシュレだった。




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