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■第十一夜:軍靴の音

         ※


「すぐに傷封じを!」

 アシュレの背の傷は思ったよりも深かった。

 クロテンの毛皮のコートをインクルード・ビーストの鉤爪は易々と切り裂き、アシュレの肉を抉っていた。

 

「ダメだ。先に消毒だ」

 だくだくと流れ出る血潮に動転したのだろうシオンの叫びをアスカが否定した。

「だが、血が、血が」

「安心しろ。動脈はいっていない。今は派手に出血して見えるがじきに止まる。布で押さえて止血。……いったん酒で洗うぞ」

 アスカは自らのカップに強いアルコールを注いだ。それを布に含ませ傷口を洗う。

 ぐううっ、とアシュレの口から苦悶が漏れた。強烈に染みる!

「夜魔には無縁のことだろうが、我ら人間は欠けた刃の破片ひとつで血が腐る病になることもある。ましてやコイツのツメには無数の病魔が潜んでいる。ただ傷をふさげばよいというものではないのだ。キチンとした消毒が必要になる。」

 アスカの言葉にシオンは胸を突かれた。

 その通りだった。

 夜魔たちは回復や治療系の異能を、まず習得しない。

 それは種族的にそれらの行為を必要としないからだ。

 

「そなたの言う通りだ」

「だが、いまは充分な薬剤の持ち合わせがない……宿は近いのか?」

「すこし距離はあるが……迷ってしまった」

「なるほど……ふむ」


 アスカは頷くと立ち上がり、ヴィトライオンに触れた。

 見知らぬ人間に触れられることを極端に嫌うヴィトライオンがいななく。

 そういえば、ヴィトラはアスカとは初対面だ。

 

「害意などない。ただ、オマエの主人を助けたいだけだ」

 アスカはいいながら、ヴィトライオンに触れ、その頭を抱いた。

 不満げに蹄で雪を掻いていたのは数秒だった。

 ヴィトライオンの瞳が落ち着きを取り戻し、澄んだ光をたたえる。

 シオンは観た。

 アスカがスピンドルの律動を制御している。

 

「《アニマル・トーカーズ》……」

 シオンがその正体を見抜いた。

 それは言語を別とする動物たちと意志を通わせる異能である。

 オズマドラの第一皇子であるアスカは優れた騎士でもあったが、その人馬一体の技にはこのような秘密があったのだ。


「そうだ……いいぞ、オマエ、賢いな。そうだ、そう。わかるか。地図だ。このあたりのな」

 瞳を閉じ額を寄せ合ってアスカはヴィトライオンに現在位置と帰り着くための周辺の地図を受け渡しているのだ。

 同時にヴィトライオンの知る宿の情報を受け取っているのだろう。

「なるほど……あのあたりに宿があるのだな……ふむ」とアスカは独りごちる。

 

「さ、必要な事項は互いに受け渡しした。先に行け」

 戸惑うシオンにアスカは片目を閉じて合図した。

 

「下手に手綱を取るな。馬に任せろ」

 宿で落ち合おう。そう告げるとヴィトライオンの尻を叩いた。


         ※


 ヴィトライオンは風のように走り、森を駆け抜けた。

 あの迷走が嘘のようだ。アスカによって受け渡された森の地図は正確無比だった。

 シオンがアシュレを宿に連れ帰ったとき、宿ではすでに湯が炊かれ、手当ての準備ができあがっていた。

 どういうことだ、とシオンがいぶかるまでもなく、アスカが顔を出した。

 流浪の民ジェダの一族の衣装を身に着けている。

 

「さ、すぐに治療を」

 とまどうシオンを制して、アスカは部屋にアシュレを運び込ませ、老夫妻を締め出すと治療を開始した。

 薬効を説明しながら行われる治療は……だが、口上の滑らかさとはほど遠く手元が震えていた。

 

「いたいいたいいたい、ちょっと、アスカ、痛いんですけどっ」

「やかましい。オマエ、騎士であろうが。静かにしろっ」

 ぽかり、とアシュレを殴りつけるアスカを見て、シオンは悟った。

 この治療法は誰かの受け売り、一夜漬けの促成栽培だ。

 いや、本当のところ、さっき誰かに口上で習ったものかもしれない付け焼き刃だ、と。

 

 その直感は正しかった。

 一通り治療が終わり、貴石ジェムによって傷を封じたあとにはとてもプロフェッショナルの仕事とは思えない惨状が広がっていた。

 

「ふうむ、それでこの国まで飛ばされてきた、というわけだ」

 七杯目のぶどう酒を平らげながらアスカは言った。

 アスカの奉じる神:アラム・ラーは飲酒を禁じる神だが、大丈夫なのだろうか?

 見ているアシュレは不安になる。

 夕食にはたっぷりの肉をな、とアスカが老夫妻に申し付けたせいなのだろう。

 ジビエ──鴨や野うさぎにオイル漬けによって保存されていたキノコやナッツで作られた餡を詰め、ブドウの葉で包んだロティがたっぷりとふるまわれた。

 

 アシュレはフラーマの漂流寺院以降、アスカと別れてから起った事件をかいつまんで説明したが、本当に事情が伝わっているのかどうかは……やや謎だ。

 

 その不安はアスカの食いっぷりと飲みっぷりに起因している。

 うまいうまい、とアスカは料理を平らげる。

 給仕に現れる老夫妻を意識してかジェダの衣装で顔を覆っているのだが、まるで手品でも見ているかのように料理が消えていく。

 アシュレでさえ呆然とするような健啖家ぶりだった。

 

「それはまた、ずいぶんと難儀したな。だが、だとするともう一月以上ここに滞在しているのか。なぜだ?」

 アスカの問いに、アシュレは体力の回復を理由にした。

 

「それで湯治をかねての遠乗りか……迷った揚げ句にケガを負っていては世話ないな」

 カラカラと笑われた。揶揄したのではない。本音なのだ。

 シオンも最初は馴染めなかったアスカの性格を掴むにつれ、その正直さに好感を持ったくらいだ。

 

「夜魔は──特にシオン殿下は上級の、となれば不死なのだろう? いくら騎士ぶりとはいっても、アシュレ──身を挺する必要があったのか?」

「それは……そうだけど」

「まったくだ……だが、うれしかった。惚れ直してしまった」

 シオンの切り返しに、む、とアスカは呻いた。

 やり込められた演技。恋の鞘当てを装い楽しむ余裕が今日のアスカにはあった。

 

「アスカのほうこそ──どうして、あんなところに……」

「左遷されたのだ。この間の──例の漂流寺院での──失態を問われてな。飛ばされた、というのはそなたらと同じということだ」

 またカラカラと笑うアスカに屈託はない。

 

「失態? いや、だって、フラーマの討伐には……成功したじゃないか」

「だが、三千名からの兵士を失った。大小合わせて十隻近い艦艇もな」

「たしかに、そうだけれど……」


 アシュレはその損害の大きさに言葉を失う。

 艦艇だけでも凄まじい金額、人的損害についてはこれはもう金勘定では計り知れまい。

 もしエクストラム法王庁に当てはめれば国が滅ぶ規模だ。

 

 そして同時にオズマドラ帝国の軍事力の強大さに身が引き締まる思いを味わった。

 いま、西方諸国でそれほどの出血に耐えられる国家がどれほどあるだろうか、と。

 

「けれどもそれは、オーバーロードの存在を認知し対処しなかったオズマドラの国家体制に問題が……」

「その討伐軍の総司令官はわたしだった。責は負わなければな」

「だからって……。そもそも、アスカはなにをしてるの? ひとり?」

 アシュレの問いかけに、アスカは口を開きかけてやめた。

 給仕の老夫婦が香りのよい茶を点ててくれたのだ。

 焼き菓子も添えられている。


「紅茶は頂き物でございます」

 頭を下げる老僕に無言でアスカが頷いた。

 このあたりでは紅茶は、他国でのそれにも増して高級品だ。

 それをまとまった量、アスカは心付けしたらしい。

 なるほどの対応であった。

 

 老僕たちに、今宵の給仕はこれまでで、とアシュレが言った。

 明日の朝もずっと遅くでよい、とアスカが付け加える。

 語り明かすことになろうから、と言い添えた。

 

 老僕たちが部屋を辞し、その足音が完全に途絶えるまでアスカは話を再開しなかった。

 それから言った。


「指輪を探している。フラーマとの海戦でなくしてしまった王家の証だ」

 顔を覆う衣装を脱ぎ去りながらアスカは真面目に言った。

 

 無論、それが嘘だとすぐにわかった。

 アスカだってそう思っていただろう。

 第一、海戦で失われたものを陸で探すなど──それもこれほど離れた地でなど、謎かけでないのなら──法螺ほら話だ。

 

 そして、その指輪はアシュレが──いまも持っている。ハンカチーフもだ。

 だから、その告白が意味するところはこうだった。

 

「その指輪とともに預けたわたしの心をどうするつもりか」と問われていたのだ。

 事情を知らぬシオンは真意がわかるわけもなく、しきりに首を捻る。

 一方でアシュレは頭頂からイヤなカンジの汗が噴き出すのを感じていた。


「海で無くしたものを、山で探すのは難しいよ」

 そう切り返すのが精いっぱいだった。

「やはり、そう思うか。どこか海辺に流れ着いたものを拾った者がいないかと思っていたのだが」

「嵐が強まれば、あるいは船乗りは安全な港を目指すかもだ」

 謎かけのようなやりとりをシオンがまるで球技の試合を観る観客の顔で見ていた。

 

 ふふふっ、とアスカは意味深に笑った。

 嵐か、と独りごちた。

「オマエに隠し立てをしても仕方がないことだから、言っておくぞ。おそらく、今年の春の嵐は途轍もなく大きくなるだろう」

 予言めいた物言いに、カップを持ち上げかけていたアシュレとシオンの手が止まった。

 

「大きな、嵐?」

「その様子では知らんようだな。エクストラムではマジェスト六世が崩御し、新法王が立った。ヴェルジネス一世──マジェストの姪であった弱冠十八歳の娘だ。そして、その直後、西方諸国に勅書が発された。十字軍の発動──その檄文だという情報がある。ミュゼット商業同盟の盟主:ディードヤームの造船工場アーセナルは現在フル稼働で軍船を製造中だ。エスペラルゴにも活発な動きが見られる。さてはて、もしこの情報が正しかったとするならば、十二回目の十字軍はどこへ向かうやら? ガイゼルロン? 聖地:ハイア・イレム? それとも……」

「?!」


 なにもかもが新しい情報だった。

 アシュレは自分が倒れている一月のうちに、世界が大きく動き始めていたことを今さらながら思い知った。

 

 動悸がした。

 あのマジェスト六世──みずからの祖父と慕った法王が逝去されていた。

 そして、ヴェルジネス一世とは──アシュレの幼なじみ:レダマリアのことである。

 温厚で物静かな、本の好きな女のコだった。

 ことの発端、そもそもの始まり──アシュレが聖遺物の奪還を命ぜられイグナーシュ領に赴くことになったあの日、「ご無事で」と祈ってくれた。

 

 その彼女が──十字軍を発動させようとしている? いったいなぜ? どうして? 

 だれが彼女をそそのかしたのか。

 いや、彼女は担ぎ上げられているだけで、誰かに強いられているのではないのか?

 

 法王庁内での権力闘争がアシュレの胸を締めつけた。

 法王庁には本当の意味で彼女の味方がもういない。

 

 マジェストもアシュレの父:グレスナウも世を去り、バートンも不在、そして、アシュレは法王庁に対する離反の意志を明らかにした──となれば異端者として裁かれる可能性のあるソフィアと面会できるはずもない。

 そして、そして、親友だったユーニスは……もう。

 

 駆けつけて、隣で支えてやりたかった。

 だが、いまのアシュレにそれは許されない。

 まったく同時にアシュレの胸中を占めていたのはもうひとりの女性のことだった。

 

 イリスベルダ──アシュレの妻となるはずだったヒトだ。

 強い《ねがい》によって“運命の子”を身ごもり、そのために再誕の儀式に身を投じた。

 

 シオンの言によれば「かろうじて成功した」というその儀式を終えた彼女と、アシュレは再会すらできぬまま、この異郷の地:トラントリムに飛ばされてきたのだ。

 そして、その儀式の内容は、あの場に乱入してきたエクストラムの女聖騎士:ジゼルによって目撃され、すでに法王庁の知るところだろう。

 

 もし、十字軍の矛先がイリスの待つカテル島に向けられたなら……そう思うだけで、アシュレはいますぐにも駆け出したくなる身体に、必死に歯止めをかけねばならなかった。

 

「アシュレ」

 そっとヒザに手を置かれた。シオンだった。

 気がつくと握りこぶしを噛み跡がハッキリつくほど噛んでいた。アシュレは我に返った。

 

「気ばかり焦っても仕方がないことだ。むしろこう考えるべきではないか? アシュレの肉体がここまで回復するまで、その情報に接さずに済んだことを感謝すべきだ」


 諭すようにシオンが言った。

 もし、そう言ったのがシオンでなければ、このときアシュレは激高していたかもしれない。

 それなのにシオンの言葉は荒れたアシュレの心に清水のように染みて落ち着きを取り戻させてくれる。


「ありがとう。もう、大丈夫だよ」

 ん、と頷くシオンに、アシュレも首肯を返した。

 質問を続ける冷静さが帰ってきた。


「それじゃあ、アスカ、やはり、キミがここにいるのは」

「忠告だけしておいてやる。四月の声を聴いたなら、即座にこの国を退去するんだ、アシュレ。さもなければ、オマエたちは戦火に巻き込まれることになる」

 オズマドラ帝国本隊が攻めてくる──そうアスカは認めた。

 

 ならばアスカのこの行動も理解できた。

 先遣隊──先んじてトラントリムの情勢を探り後に続く本隊の進軍をサポートする役割だ。

 アスカがこの周辺の地形に精通していたのも当然だ。

 

「なぜ……どうして……こんな小国家を奪ったところで……どんな見返りがあるって言うんだ」

「それならば、十字軍を発動するという小娘の真意をわたしにわかるように説明してくれ。アシュレ──専制君主を国家の頂点に戴くということは、そういうことだ──理由など、野心や狂信で充分なんだ」

 皆が納得できる大義名分などカバーストーリーに過ぎない。アスカの声はあくまで平静だ。

 

「それともオマエたちは──この国の領主──僭主:ユガディールに恩でもあるのか?」

「ある。いまもそうだ。困窮していたボクたちに救いの手を差し伸べてくれたのは、彼だ」

「それは大きな借りを作ったものだ。だがな、アシュレ、もしかしたらその借りは踏み倒したほうがいいかもしれんものだぞ?」

「どういう意味だい?」

「それをいま調べているところさ。そのために、わたしは来たんだ。土地を奪ったはいいが、統治しないのでは意味がないからな。民草すべてを敵に回して皆殺しにしていったのでは、国は成り立たん」


 意味深にアスカは言った。

 意味がわからないよ、とアシュレは言った。

 

「ユガディール……もう少し調べてほうが良いのではないか、と言っているのさ」

「調べろ?」

「どうして、お前たちふたりが、ふたりだけが、吸い寄せられるようにこの地に飛ばされてきたんだ? どうしてわたしたちは、ここで出会った? 思い起こせばフラーマのときもそうだった。 まるであつらえたようじゃないか? だれかが、なにかの役割をわたしたちに演じさせようとしているようじゃないか?」


 あの日以来、わたしはそのことばかり考えているんだ。

 指を組みテーブルに肘をついてアスカが言った。

 ぞくり、とアシュレの背中が寒くなった。

 

「まさかユガディールが、とそう言いたいのか?」

「ユガディールが、とは言わない。おそらくそうではないだろう。すくなくとも、自覚的ではないだろう」

 では、だれが? なにが? 食い下がるアシュレにアスカは曖昧に笑った。

 

「それを調べるのもわたしの仕事なんだ。ただ……気づいているかアシュレ……この国では《スピンドル》が正常に働く──まるで《閉鎖回廊》のように、な」


 まあ、なにしろ、いますぐ、ということではない。

 敵対する意志などないよ、とアスカは手を振った。

 

「わたしたちのことを、ユガディールに知らせるも知らせないもオマエたちの自由だ」

 まあ、そのときは、戦場で相まみえることになるかもしれんが。

 カラカラとまた笑うアスカにはどこか達観した死生観が見えた。

 

「その判断のために聞いてもいいかい?」

「答えるかどうかは、別だ」


 それでいい、とアシュレは頷いた。

 引き下がらないんだな、とアスカが身を乗り出してきた。

 

 アシュレの発する強さ──それは獲得しつつある覇気のごときものがアスカには敏感に感じ取れるのだろう。

 いずれ王位を継承するであろう人物だからこそ、そして偉大と評される父を間近に見てきたからこそ磨かれたセンス。

 男の成長が肌で感じられるのだ。

 アスカはそういう種類の人間に本能的に好意を抱く。

 王気、とでもいうべきオーラを察知するのだ。

 

 そして、アシュレはあえて踏み込んだ。

 聞いてしまったらアスカと敵対する事になるかもしれない事情へと。

 

「今日、あそこで、キミはなにをしていたの?」

「狩りだ。逃げ出したあの獣を追っていた」

「あれは──インクルード・ビースト──どこから来たんだ?」

「この国の原産だよアシュレ。外来では、ない」

「原産って、あんな化け物が何匹もいるの?」

「何匹も、ではない。一匹ずつ、しかしけっこうな数、いる。あれらは個体種だ。互いには交配しない。ただ、人間を襲い配下を生み出す。自らの種を植え付け、浅ましい獣に貶めることができる」

「どうして……そんな凶獣を野放しにしておくんだ」

「野放しではない。飼育されている。調教され、管理されている」

「管理?! だれに」

「この国では孤立主義者と呼ばれている──バラクール王の末裔に、さ」

「そこまで、なぜキミは知っているの?」


 その質問にだけ、アスカは一呼吸置いて言った。

 

「いま、その戦術指導をしているのがわたしとわたしの配下だからさ、アシュレダウ。ここは……トラントリムは戦場になるんだ」

 どうだ、わたしが嫌いになったか? そう問うアスカの言葉は、ひどく優しかった。

 だが、それに対するアシュレの反応は、シオンとアスカ、そのふたりが予測しえたどれとも異なっていた。

 

「初めて出逢った日、あの漂流寺院での暗い夜──助けたいヒトがいる……キミはたしかにそう言った」

 唐突にアシュレは言った。アシュレ自身忘れかけていた曖昧な記憶だった。さっきまでは。

 聞いたかどうかさえ定かでない、まるで風にさらわれたような言葉だったはずだ。

 

 だが、それがなぜか、いまこの瞬間、ハッキリとカタチになって口をついた。

 

 それはカテル島への道すがら、あのフラーマの漂流寺院で「なぜ、戦うのか」とその理由をアシュレが問うたとき、アスカが答えた──こう言ってよいのなら、彼女自身の本心だった。

 

 びくり、とほんの、ほんとうに一瞬だがアスカの手が震えた。

 シオンは確かにそれを見、アシュレは構わず続けた。

 

「そのために、キミはまだ戦い続けているのか」

 これまでのように即答ではなかった。

 なにか思い詰め、思案し、ためらうような動きをアスカの唇はした。

 

 それからため息とともに、言葉は紡がれた。

 

「そうだ……そうだアシュレダウ。野心が、征服欲がないとは、言わん。だが、わたしの心を占め、駆り立てるのはもっと大きな炎──父と──失われてしまった愛のためだ」


 


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