表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/782

■第九夜:ダンシング・ソード

         ※


「これで三人抜き……まいったな。彼は本当にあれでまだ病み上がりなのかい? 白魔騎士団の面目丸つぶれだ」

 シオンの隣りでユガが誰とはなく言った。

 

 屋内に設けられた闘技場で白魔騎士団のメンバーに混じり、アシュレは戦技の練習に余念がない。

 僅差の試合を粘り強く凌いで、これで三勝目。

 まだ、身体のキレに納得できないところがあるのだろうか。

 勝ったはずのアシュレはしきりに首を捻り、技の型をことさらゆっくりとなぞっては確かめる。

 

 白魔の騎士──つまりユガ配下の騎士たちは夜魔らしく、潔く負けを認めるがあまり、その場での反復を行わない気風があった。

 完全記憶を持つ夜魔たちからすれば反省と反復は自己で行えばいい、という常識があったのだろう。

 だが、それを目の前で行うアシュレの熱意に、釣り込まれるようにしてヒトの輪ができてていた。

 

 なぜ、どうして、どのように他者には見えていて、勝敗を分けたのか──その視点を夜魔たちはアシュレに求めたのだ。

 アシュレは恐縮したように頭を掻き、しかし、熱心に質問に答える。

 言葉で、ときには実技で。

 

 人間は貴方たちと違って、すぐに反復しないと忘れてしまうんです──そんな言葉がシオンには聞こえてくるようだ。

 

「かなわないな、彼には。すっかり人心掌握されてしまっている」

 ユガは屈託なく言った。

 困ったなという言葉とは裏腹に、その口調には浮き立つような調子がある。

 

「当然だろう。己の《意志》で離反したとはいえエクストラム法王庁の聖騎士登用に最年少で合格した男だぞ。その後に潜り抜けた死地は──いずれも、伝説や神話に謳われるほどのものだ。それがどれくらいヒトを成長させるか、知らぬ貴方ではあるまい」

 シオンはことさらよそよそしい声で言った。

「そういう戦いが、ヒトをどれくらい摩滅させるかも、よく知っているつもりなのだが……彼には常識は当てはまらないようだ。だてに夜魔の姫の寵愛を受けてはいない、か」

 その頑なさを前にしても、ユガは動じない。

 一メテルの距離がふたりの間に流れる微妙な空気を表していた。

 

 抜き差しならぬ状況に迫られてのこととはいえ、互いの肌のぬくもりと《夢》の熱さを知るふたりが、アシュレを挟んでそのような距離感になるのは当然といえた。

 シオンは一線を引くカタチで、ユガは気づかいで。

 

「ユガディール団長──お話し中、すみません」

 白魔騎士団のひとりがユガのもとに駆け寄ってきた。先ほど打ち負かされた男だ。率直に頭を下げる。

 誇りを重んじる夜魔の男が大勢の前で頭を下げるのは珍しい。

「やれやれ……とうとう引きずり出されてしまったよ」

 シオンに照れたような笑みを投げ掛けユガは席を立つ。

 

 ほっ、とシオンは息をついた。

 そばにいるだけでシオンの感覚は否応なくユガの匂いを嗅ぎ取ってしまう。

 するとユガによって改変された箇所が疼くのだ。

 野放しにしておくとそれは記憶に接触を図り、あの日々をシオンのなかで再現しようとしてしまう。

 

 心を護る《フォーカス》である〈アステラス〉を纏うことは禁じられている訳ではなかったが、あまりに目立つそれを平時に身につけ続けることはやはり憚られた。

 ユガから送られた額冠はそういう意味であったろうし、それがわからぬシオンではない。

 だからこそ、シオンは意識してそれに抗わなければならない。

 かたくなな態度はだから、必然であった。

 アシュレに裏切りを働いている気分になるのだ。

 

 シオンとしては、本当はユガの宮廷に赴きたくない。

 だが、アシュレのリハビリには整った施設が最適だった。

 限りなく練度の高い訓練、サウナ、充分な食事。

 一刻も早く戦列に復帰し、カテル島に帰らねばならないとアシュレは感じている──言葉にこそしないがシオンはそれを肌で感じていた。

 

 カテル島の最深部──イリスを聖母として再誕させるための儀式のほんとうの結末をアシュレは──知らない。

 あの“聖母”として降臨したイリスの完璧すぎる《慈愛》のありさまを。

 人間性すら白く塗りつぶしてしまう《慈愛》の恐ろしさ──極まった《愛》の無慈悲さを。

 肉体が再生される痛みのなかで、だがシオンはたしかにそれを視た。

 意識よりも先に、もっとずっと深い場所から来る怯えに震えた。

 だから事の次第を問うアシュレに「儀式はかろうじてだが成功した」としか、シオンは伝えられなかった。

 

 あれは──“敵”ではないのか。自身の直感を伝えられなかった。

 

 だから、アシュレにとってイリスはいまだに再会すべき“婚約者”だ。

 そして──“婚約者”という単語にぶつかるたび、シオンの心は千々に乱れるのだ。

 ユガに改めて聞かれるまで、意識したことがなかった。

 わたしという存在は──アシュレにとって“なに”なのか、という疑問だ。

 

 いままで、シオンはそのようなことに拘泥したことがなかった。

 それを自らが長命種であることに起因する一種の達観──驕りでなかったかと問われたら、シオンには返す言葉がない。

 

 もし、アシュレが、イリスに対してシオンが感じたのと同じように“敵”と認識したのならば──わたしは──アシュレと、どうなっていただろう。

 わたしは、アシュレの“なに”になっていただろう。


 シオンの回想を打ち破ったのは、時ならぬ黄色い歓声だった。

 修練が行われている間中、闘技場への立ち入りは戦士階級以外は禁じられている。

 それは不慮の事故への気配りでもある。訓練といっても本物の武器と防具を使う実戦形式だ。

 はじき飛ばされた武器が、周囲に突き立つことなど珍しくもない。

 

 けれども階上には質素ながら観客席が設けられていて、観戦が許されていた。

 冬の長い農閑期、手すきになった農民やその子供、女官、修道女たちの娯楽としてもこの修練は公開されていたのだ。

 

「どのような《ちから》によって、この平和が保たれているのかを戦闘従事者でない彼らにも知ってもらわなければならない」

 それがユガの考えだった。

 事実、公開されることで白魔騎士団はある種の安心とともに人々に認知されるものとなっていた。

 

 そして、新入りのアシュレは、すでに婦女子の間でかなりの人気を得ていた。

 ただ、その声援の内容、上がる驚嘆の内容に、シオンは少なからぬ違和感を覚えた。

 

「わたしたちと同じ人間なのに、夜魔の騎士さまたちと対等以上なんて」

 その内容を一言で要約するとこうなる。


 トラントリムの外部敵対勢力に対峙する常駐戦力としては、ユガ率いる白魔騎士団がその主力であった。

 人類で構成された軍隊もあったが──護民警団──これはどちらかといえば司法に仕える警察権力的な組織であり、各地に設けられた派出所に駐在し、市民の安全を護るための組織である。

 トラントリムとその周辺の連合国が小国家であるにも関わらず他国に比べ格段に優れた経済状態と治安、文化水準を維持できた理由が、ここにあった。

 

 それは国民総生産に占める軍事費の圧倒的な少なさだ。

 武具の調達や軍隊の維持費にかかる金額がそのまま税に跳ね返るわけだから、逆説的、かつ直截な物言いをすれば、そこが少なければ少ないほど民は潤い、生活は豊かになる理屈だ。

 

 矢の一本の値段を仮に、銀貨1枚だと考えよう。大規模な戦争になればそれが一日千本単位で消費されるわけだから(そして再利用は多くの場合できなかった。矢は繊細で優れた職人技の結晶であり、専門の職人が存在した)、それは何千枚という銀貨を荒野に捨てているようなものなのだ。

 

 それでも国家が軍事力を持たねばならないのは、敵対する国家による侵略から──そして、天敵である魔の十一氏族から自国を守るためだ。

 すくなくとも人々はそう信じていたし、多くの場合それは真実だった。

 それゆえ、王たちは常に戦争に備え、槍を拵えさせ、矢をせっせと造らせた。

 だから、税率は下がりようがない。

 それが常識だった。

 

 トラントリムはその常識を、完全な分業によって打ち破ろうとしていた。

 夜魔の騎士ひとりは、人間の通常戦力数百名に匹敵すると言われている。

 ただの鋼では殺せず、聖別武器でも致命傷を与えることは難しい。

 人間の百名は死んだら帰ってこないが、彼らはその死の淵からさえ帰還してくる。


 ただ、その代償に血が求められる。

 だれしも得体の知れぬ怪物に血を捧げることは抵抗がある。


 だが、このように、その姿を公開したならばどうであろうか? 

 文字通り身体を張り、民衆のためにその身を挺して戦う夜魔の騎士たちの姿を。

 そのすべてに差異こそあれど、美しく、老いからは無縁。

 高潔で、血以外のいかなる対価をも求めぬ永劫の騎士たち。


 その姿に魅了されぬ者などいない。


 田畑に火を放ち、家財を略奪し、女子供を犯しては殺す──そんな軍隊など必要ない。

 無慈悲に税を取り立て、できなければ縄を打ち枷にはめ虜囚とし、特権を振りかざしては無理難題を押しつける──そんな支配者などいらない。


 そう民衆が考えるのは自明の理というものだ。


 修練が終わり武具が片づけられた後には解放された闘技場に民衆が自主的に下り立ち、約束をとりつける姿があった。

 今夜の〈血の貨幣〉として、自らを差し出す約束だ。

 夜魔の騎士たちはそれを丁重に受け取る。

 農家の娘、女官、ときには尼僧でさえ、頬を赤らめて、まるで恋を告白するかのように。 

 

 実際、孤立主義者との戦いで消耗した騎士を村の娘や青年たちが自ら望んで首筋を差し出し、救った例が数え切れぬほどあるという。

 そして〈血の貨幣〉を支払う民衆を、白魔騎士団の面々は決してないがしろにしようとはしなかった。


 その態度は友人や恋人に接するように、たしかに見えた。


 それはシオンの望んだ共存に近いカタチではあったのかもしれない。

 ただ、その光景を見るにつけ、シオンはあの歓声に感じたのと同じ違和感を感じずにはおれなかった。


 自らの理想に先鞭をつけられたことから生じた嫉妬心ではないのか、とシオンは密かに自分をすら疑った。

 だが、そうではないと結論した。

 やはり、なにかボタンを掛け違えてしまったような違和感が拭えない。

 

 そのシオンの眼前で、ユガとアシュレが手合わせをはじめようとしていた。

 ふたりともが長剣を選択した。盾は持たない。

 

 技量と練習量が、もっともはっきりと現れるスタイルだ。

 

「騎士:アシュレ、三人抜きでだいぶ疲労しているのではないのか?」

「戦場でそんなことは言ってられない。違いますか?」

 うん、とアシュレの言葉にユガが頷き、笑みを浮かべた。

 屈託のない、まぶしいものを見るかのような笑み。アシュレも微笑み返す。

 

 ふたりの男の姿にシオンの目は釘付けにされてしまう。

 胸の奥が狭くなるように苦しい。

 無意識にも胸の前で祈るように指を組んでしまっている自分をシオンは知らない。

 互いが剣を立てる騎士の礼をし、向きあう。

 

 アシュレが下段に構えるいわゆる愚者の構え、ユガは突きのカタチを手元に引き寄せた「鍵の構え」を取った。

 技量でも経験でも勝るユガの攻撃を、アシュレはまず凌ごうという考えだろう。

 

 応じるようにユガが鋭く突いてきた。

 アシュレは剣の切っ先ではなく手元を持ち上げ防御する。

 

 いわゆるエース字の防御と呼ばれるこのやり方は、受けた剣が身体めがけて滑ってくるのを防止する。

 基礎中の基礎だが、実践では恐怖心のためどうしても遠い間合いで相手の剣を弾きたくなる。

 そして、恐怖心に負け切っ先で小手先の防御を行えば、それを逆手に取られてしまう。

 

 アシュレの着実な防御から、刃が触れ合うバインド──鍔迫り合いのカタチはほんの一瞬だった。

 火花が散り、手首の力でユガの刃先が向きを変える。

 巻き、と呼ばれる技術だ。

 そのままユガは前進しアシュレの胸元を狙う。

 

 だが、アシュレも負けてはいない。

 同じく巻きを防御に使い狙いを逸らす。

 身につけた甲冑の装甲表面で相手の突きを滑らせる。

 耳障りな音が響くが、巻きによって上向いた切っ先を使い、構わず突き返す。

 観衆にはほとんど同時に互いの突きが互いを捉えたように見えただろう。

 

 だが、これも浅い。兜の表面に掠っただけだ。

 ユガのバインドはアシュレに自由に剣を使わせないための牽制でもあったのだ。

 

 最初の激突以降の展開を観客たちは理解できなかったであろう。

 ふたりは目まぐるしく位置を入れ替えながら円を描くように戦い続ける。

 

 構えから構えの移行、特に剣から手を離すタイミングが抜群にうまい、とアシュレはユガを分析する。

 これほどの手練れは聖騎士にもいるかどうかわからない。

 気を抜くとすぐにバインド(鍔迫り合い)やハーフソード(刃の部分を握る技巧)から剣を取られそうになる。

 

 一方でユガもアシュレの常人離れしたタフネスに舌を巻いていた。

 切り崩せそうでいて後一歩切り崩せない。

 土俵際、すれすれのところでうまく凌ぐ。

 幸運をたぐり寄せる。

 フェイントを見切る勝負感が並外れている。

 

 長ずれば必ず手強い剣士に育つだろうとユガは思う。

 

 息詰まる攻防は五分以上も続いた。全開戦闘に流石にアシュレは息が上がってくる。

 だが、苦しさよりもアシュレはこの戦いに楽しさを見出していた。

 

 思えばオーバーロードや廃神、強大な魔物や土蜘蛛の凶手、戦鬼の武装に身を包んだ夜魔の騎士──それは名誉ある戦いというより血みどろの死闘だった。

 互いの血を血で洗い、流された血で深紅に染まった泥土のなかで殺しあう、そんな戦さ続きだった。

 

 アシュレはユガとの戦いに、どこか爽やかな風を感じていたのだ。

 根源的な戦いの喜び、血が沸き立ち、肉が歓喜に震える──そんな喜びだ。

 そして、それはユガも同じだったのだろう。

 変則的な技──禁じ手であったろう一手をユガは使いはじめた。

 

 剣が──舞っているようだ。アシュレは思わずそう感想した。

 ユガの左右の手のなかを剣が舞い躍るように──鳥の羽ばたきを思わせて移動する。

 

「……ダンシング・ソード」

 夜魔の騎士たちの驚嘆にも呻きにも似たつぶやきを、アシュレの無意識が拾っていた。

 技術的には恐るべき速度で行われるスイッチハンドであったが、そこにユガの体術が加わればそれは、目視困難な剣舞となる。

 だから、その攻撃をアシュレが防御できたのは──経験と半分は幸運だった。

 

 アシュレはユガの攻撃にある類似性を見出していた。

 具体的にはシオンの舞い躍るような剣舞に、である。

 聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉と長剣の違いこそあれ、剣の重心をうまく利用しながら繰り出されるあの攻撃に、アシュレは防御のヒントを得ていた。

 年若いとはいえアシュレもまた、騎士であったのだ。

 

 常に、もし眼前の味方が敵となったなら、どのように対処するのかを無意識レベレで考えてしまう。

 本能になるまで叩き込まれた教練の成果。

 

 一瞬、アシュレは袈裟掛けに切り込んでくるユガの太刀筋が見えた気がした。

 それは正確にはアシュレの直感が見せた一瞬後の未来予想図なのだが。


「そこだッ!!」

 アシュレはそれを躱そうと思わなかった。

 正解だった。

 躱した直後、振り切られたはずの切っ先が、こんどは斬り戻しで喉元を狙って駆け上がってくる、そういう剣技だったからだ。

 

 だから、あえて踏み込んだ。

 剣を撃ち落とすように振った。

 相手の斬撃を追い抜く速度で振り抜く。

 ギィイイイイイン──凄まじい激突音がし、火花が激しく散り、敷き詰められた砂が舞った。

 刃が交差のカタチになり、一瞬の後、どちらともなく折れた。

 

 アシュレの一閃が、的確にユガの斬撃を捉え撃ち落としたのだ。

 数秒、観衆は声もなかった。

 沈黙──なにかを堪えるような──そして、それが爆発する。

 どっと歓声が起こった。

 観衆が駆け寄るより早く、アシュレは抱きしめられた。

 ユガに、だ。

 

「すごいぞ、アシュレ、キミは、なんてやつだ。まったく凄い!!」

 ヘルムを跳ね飛ばし、ユガはまるで自分の息子か弟にするかのように額に口づけした。

「この技を受けられたのは、キミで二人目だ」

 屈託のない称賛に、アシュレは謙遜するが、それは剣技とは真逆でうまくいっていなかった。

 弾けるような笑顔が心の底から湧いてきて溢れた。快哉を叫んでいた。

 ユガはアシュレを抱え上げる。

 誇らしいものを見るユガの目と、感謝を伝えるアシュレの視線が重なった。

 

 そのあともみくちゃにされた。

 夜魔の騎士たちが身体を平手で叩いてくる。

 それはアシュレの剣技に対する称賛であり、信頼の証しだった。

 第二波は観衆だった。正確にいえばいまはまだ立ち入り禁止の時間であったはずだが、アシュレの行動はその掟を横紙破りにさせてしまうほどの熱狂を彼らに与えていたのだ。

 

「騎士さま、騎士さま、どうか、わたしたちの血を受けてくださいまし」

 若い娘やご婦人方、しまいには年端もいかない子供たちからのプロポーズを受けて、アシュレはたじたじとなってしまう。

「えーと、これは、どうしたらいいのな?」

 助けを求めてシオンを見れば、ぷいっ、とそっぽを向かれてしまった。

「知るか、バカ」

「剣の扱いは天才的でも、女心はまだまだ、要練習というところだね、聖騎士どの」


 ユガに笑われ、アシュレは赤面するほかない。どっと笑いが起こった。

 

 だから、アシュレは知らない。

 本当は一番に駆け出したのはシオンなのだ。

 けれど、抱きつこうとして、脚を止めた。

 アシュレの顔は流れ落ちる汗が滝を作っていた。

 その肌に触れたなら、歯止めが利かなくなる自信がシオンにはあった。

 衆人環視であるにもかかわらず、アシュレを求めてしまうだろう未来予測が、一瞬早くシオンの脳裏に飛来していた。

 

 それに、とシオンは思うのだ。

 民衆に囲まれたアシュレのあの姿は、そう遠くない未来に来るべき──王としての男の姿なのではないか、と。

 あの風景に自分が混じってもよいものかどうか、シオンにはわからなかったのだ。

 

「行かないのかい?」

 いつの間に人の輪を抜け出してきたのだろう、ユガが言った。


 こちらも汗で髪が額に貼り付いている。

「汗と埃まみれになるであろうが」

「キミはそんなことを気にするタイプだったのか」

「そなたも、ずいぶん匂うぞ、よるな。汚れる」


 そう言って身を翻すシオンを、ユガは見つめる。

 それからアシュレに声をかける。サウナへの誘いだった。

 

 危なかった、とシオンは思った。

 膝が砕けてしまうのではないかというほど震えるのだ。

 

 ユガの匂いもまた、シオンを狂わせるものだったからだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ