■第九夜:孤独の星
陽が暮れ行くなか、シオンは己の失敗を告白した。
それは降臨王:グランと己の関係についてだった。
アシュレはあらたまり耳を傾ける。
シオンは、そんなアシュレの掌を己の胸に導く。
その鼓動は怯える子鹿のようだとアシュレは思う。
シオンが勇気を振り絞ると言った意味が、わかった気がした。
「……はじめて会った時、グランは青年であった。次に会った時、彼は壮年を過ぎつつあった。そして、最後に会った時、奴はバケモノに成り果てていた」
感情の抜け落ちた声と表情でシオンは言った。
アシュレは無言で先を促す。
「アシュレ、イグナーシュ領が国境をどこと接しておるか、知っておるか?」
もちろん。アシュレは答える。
「ひとつは南に我らが法王領、ひとつは東にエスペラルゴ帝国:アブリルフエゴ侯領、それから西方にミュゼット商業都市国家同盟、そして、北方にはイシュガル山嶺――」
「その先は?」
「――ガイゼルロン大公領。夜魔どもの所領。……キミの故郷だ」
満点だ、とシオンは微笑んだ。そなたはよく勉強しておる。
小さなその笑みがあまりに儚げで、アシュレは空いた左手で、シオンの手を取った。
「グランが救国の英雄と呼ばれたのは、難しい三国間に挟まれたうえで、人類の脅威である夜魔の王に抗し続けたからだ。時の法王:イノベンティス八世が奴に降臨王などという称号を与えたのも、都合のよい防壁に餌を放っただけだ」
帰属する集団を揶揄され、エクストラム法王庁の聖騎士であるアシュレは唇を横に引いて笑う。
しかし、それはたしかに、一面の真理を突いている。
嘘だとは言い切れない、政治の本質だ。
「グラン本人も外交の席以外でその名を呼ばれると機嫌を悪くしたものだ。……奴は、若い頃……いや、死ぬ間際まで、ほんとうの名君だった」
シオンが懐かしむような目をした。
「グランが青年であったあの日、イグナーシュを訪ったのは危機を報せるためであった。
当時ガイゼルロンの若い貴族たちが国境を越えての侵略行動に興じていたことがあってな。
あわや、夜魔と人類との大戦争に決着するか、という寸前だった。
そのなかで燎原の最初の火となったかもしれぬ大規模な侵攻の用意が進行中であることを、奴の父に忠告しに行った先だった。
当然のことだが謀略や暗殺を警戒する父王に、グランは取りなしてくれた」
そなたは、その頃のグランに似ておる。シオンは揺らめく水面を向いたまま言う。
「わたしとグランとのつきあいはそれからだ。だから、もう五十年という月日の向こうにあるのか、あの日は」
細い切れてしまいそうな声だった。
「ルグィンを失って……どれほど経っただろうか。
イズマに篭手の型を取ってもらってからだから……たぶん、百年は過ぎた後のことだ。
救いと称して同胞を屠り続ける日々に、不遜にもわたしは疲れていた。心など砕けてもかまわぬと誓ったはずなのに。
だが組織的な後ろ盾もないままに、戦士が一人戦い続けることなど到底不可能だった。未熟だったわたしは、そのころようやくその事実に思い至いたりはじめていたのだ。
身も心も疲れ切っていた」
子供だったよ、とシオンは自嘲する。
「青年だったグランは、その時のわたしに欠けていたものを提供しようと持ちかけた。組織的支援――つまり、情報的、兵站的、国家的。
こんな若造に、と最初はわたしも侮ったものだ。思い返せば、ただ認めたくなかったのだな。己の未熟さを」
シオンの瞳が痛みをたたえるのを、アシュレは、じっと見守ることしかできない。
「父王が亡くなり、跡目を継いだグランは妻を娶った後も献身的に尽くしてくれた。わたしはその誠実さに甘えてしまった。
……ほんとうのことを言うとな、うれしかったのだ。感動したのだ。ルグィンのほかにも心通じ合える同志が、種族の壁を越えてあるのだと」
実際、あの日々は輝かしかった。シオンは言った。
「組織的なバックアップを受け、わたしの行動圏は、はるかに広く遠く長くなった。
ひとりでの不可能が、皆が寄り集まればあっという間に可能になった。
どれほど感謝しただろう。わたしはそれまで知らなかった。同胞の返り血で汚れた身体を洗い流せるだけの清水のありがたさを。
疲れ果てた身体を潜り込ませ、望むだけ微睡んでいられる安全で清潔で温かいベッドを。
ささくれ立った心と無言で向き合ってくれる美術品たちのことを。
……蜜月、と呼んだら誤解を招くか?
だが、ほんとうに我らはよいパートナーだった。
そして、種を別とする二人が協力関係を結んでから月日は飛ぶように過ぎた。
グランは壮年になっていた」
その頃には、わたしもグランのやり方に学んでいた。言いながら、シオンは目を細める。
瞳に溜まった滴が落ちそうになったが、シオンはついに泣かなかった。
「だれが最初に名乗ったのか定かではないが、恋人たちという支援者とその拠点をわたしは各地に設けるようになっていた。
グランとの出会いがわたしを変えた。
慎重に、しかし心を開けば、種別を越えて信じ合える人々がいることをわたしは知った。そういう人々の繋がりをわたしは築きつつあったのだ。
グランの手を借りずとも長期的な作戦行動に出るための下準備を整えつつあったといってよいだろう」
だが、種の壁は思いもよらぬところにあるものだ。
それが致命的なことだと知らぬままに、わたしはいたのだ。シオンが自嘲ぎみに笑い、わかるか、とアシュレに向き直った。
アシュレは沈黙するしかない。
見当もつかなかった。
それは時間の流れかたの差だよ。シオンは問いの答えを、湖面に放る石のように投げた。
「気がつけば十年以上の年月を、グランと顔を突き合わせることもなく、わたしは費やしてしまっていた」
シオンが語る間に陽は落ち、現実の世界は、星空と黒煙の火の粉の舞う壮絶な景色を作り出している。
「自身の工作の順調すぎる滑り出しに、わたしは慢心していた。それが手痛いしっぺ返しを招いた。教会の審問官たちが巧妙な罠を張って、わたしを捕とらえようとしたのだ。
恋人たちのひとりが老いと死後の世界の恐怖とに耐え切れず、わたしを売ったのだ。辛くもその網を逃れたが、わたしは疑心暗鬼に陥っていた。信じられるものはグランしかいなくなっていた」
気がつけば、わたしはイグナーシュを、唯一信じられる友のもとへ向かっていた。
久方ぶりに訪ったイグナーシュは変わらず美しかった。
グランのふたりの息子は個性は異なるが、ふたりともが父の美徳を明らかに継いでいた。
シオンは昔語り、天を仰ぐ。どこへ向かうのだろう、渡り鳥のシルエットが上空をかすめすぎて行くのが見えた。
「グランは相変わらず、いや、ますます偉大な王だった。だが、明らかな老いと憂いが深い皺を確実にその顔に刻んでいた」
初雪の降る寒い夜だったな、とシオンはつぶやいた。懐かしむというより、いま眼前に、その光景があるかのような表情だった。
アシュレは唐突に理解した。夜魔の一族は記憶を忘れるということができないのだと。その生と同じように、それは永遠なのだ。
いつまでも完全で鮮明な記憶は、しかし、永劫の時間のなかでは呪いとして作用する。
なぜならそれは、後悔と慚愧に苛まれる時間だけは無限にあるということだからだ。
「グランがわたしの私室を訪った。妻を娶ってからは決してしなかったことだ。あれは妻をほんとうに愛していた。だが、わたしが留守にした間に、グランは妻を失っていた。病だった」
わたしは旅先で仕入れたブランデーを自前のグラスで振る舞った。
いい酒だ、とあれは言ったきり、じっと暖炉の炎を見つめていた。
剪定したものを薪に利用した葡萄の枝がくべられ、部屋を香りで満たしてくれていた。
視線の先に過ぎたあの日があるかのようにシオンは語る。
その手を握り、アシュレは知らず力を込めてしまっていた。
どこか、このままシオンが遠くへ行ってしまうのではないか、そういう想像に襲われたのだ。
「だいじょうぶ、わたしは、そなたのもとにいるよ」
あまりに強く握りすぎてしまったのか、シオンが逆に心配げにアシュレをのぞき込んだ。
「あれが口を開いたのは、ずいぶんと経ってからだった。薪はすでに灰となりかけていて、室温が下がりはじめていた。グランの口からこぼれたのは自身の死後への恐れだった。寿命にではない。あれが恐れていたのは、ただ、自らの死後――国家と国土と国民のありようだった」
「国への――不安?」
話を聞く限り、盤石で堅固な国家のようにボクには思える。
そうアシュレは答えた。
そんなアシュレに、シオンは小さく微笑んでから続けた。
「表面上は、あるいは国政に関わり続けた者でさえなければ、そうかもな。
だが、ただでさえ難しい三国間にあって、そのうちの一国である軍事大国・エスペラルゴは領土拡大の野心を隠そうともしていなかったし、法王庁だって神意の名のもとにたびたび十字軍への従軍を迫っていた。加えて、北方にはガイゼルロン――常識の通じぬ長命の夜魔の国が控えている。
いや、……外患だけではなく、実際には深い内憂もあったのだ」
「二人の王子――ガシュインとベルクートのことかい?」
そうだ、とシオンは頷く。
「常識どおりに考えれば長子であるガシュインが王座につくのが当然だ。
慣例から言っても、実際の政治的にも。
だが、冷静沈着で長考的思考に優れる兄と、やや短絡的かもしれないがはっきりとものを言い快活で人好きのするベルクートのどちらが王に向いているかは、意見の分かれるところだった。
特に難しい情勢下では、はっきりとした意見を持つ方に人心は流れやすい。
ふたりは仲の良い兄弟であったが、周囲の重臣や民たちはまた別の視点で彼らを見ていたのだ」
偶発的で不幸な事件や互いの意思疎通の齟齬が重なり、兄弟たちのあずかり知らぬところで派閥が形成され、その間で対立が生まれつつあった。
「政治的闘争は法王庁でも日常茶飯事だけど……イグナーシュという一国家内となると、それは話の重要度が違ってくる」
そうだ、とシオンは再び、アシュレの政治観に肯定的な返事をした。
「国を割る可能性がそこにはあった。
そして、たちが悪いのは、その闘争の表面を善意という名の甘く口当たりのよい衣――糖衣が覆っていたことだ。
だれもが国のためと思い込み、その裏にある自身への利益追求の欲望を巧みに忘れ去ろうとしていた。
国のため、仁のため、義のため、あるいは愛のため――そういう隠れ蓑があれば自身の正義と利益を両立できる。
臣下のすべてが、そして、それに触発されたのか、あるいは他国の扇動か、それとも、もっと自発的な因子がヒトにはあるのか、それはわからぬが、国民全体がそういう風潮になりつつあった。
愛国心とは酔うのには最適の甘美な酒だったのだ」
そして不幸なことに、その不協和音に気がついているのはグラン、ただひとりだった。
「いずれ、息子のうちのひとりを殺めねばならぬかもしれぬ、とグランはわたしに吐露した。
慣例通り長子を玉座につけた時、弟が生きていては禍根を残すことになるやもしれぬ、と。
なまじ、ふたりの王子の人品が優れていたことがグランを苦しめていた。
飲め、とわたしは酒を勧めた。グランは少しずつ、苦しい胸のうちを明かしてくれた。
生前の妻にあれはこうして悩みを打ち明けていたのかもしれなかった。
あれにとって妻はただの女ではなかったのだ。
運命共同体。
生きるも死ぬもともにと結びついた代え難い存在だったのだ。
わたしはその時、不遜にもその役が担えると勘違いしていた。
正直に告白する。
グランが弱音をわたしの前で吐いたとき、少し以上、高揚していた。
今度はわたしが与える番だ、といい気になっていたのだ」
だが、わたしがあれの妻と違っていたのは、なまじ、長い政治闘争に明け暮れるガイゼルロンの宮廷を知ることと、余計な知識を持ってしまっていたことだった。
「グランは三日と空けず、わたしの寝室を訪れるようになっていた。そして、わたしは快くあれを受け入れた。それがどのような風評を宮廷に与えるものか深く考えもせず」
長い間に身を蝕んできた政治の毒をグランは身を捩るようにして吐き出した。
とても見捨てることなどできなかった。
もし、身体の温もりを求められれば、女として拒めなかっただろう。
だが、あれはわたしには指ひとつ、つけなかった。
「そうやって三年が過ぎる頃、グランはついに王位をガシュインに譲った。ベルクートには伯爵位と所領を。グランは己の胸のうちにあった暗い決意をついには実行できなかった。
新たな王の誕生に夜を徹しての宴が催されたが、その半ばでグランは老齢を理由に席を立った。実際にはわたしの部屋を訪れるためだった」
珍しくあれのほうが酒と杯を持ち出してきた。冠を脱いだ記念だと笑っていな。
「甘い王であったな、と杯を傾けてからグランは言った。それでもわたしはヒトの親だったよ、と。たとえ国のためでも、我が子を手にかけることなどできなかった、と。かけるべき言葉がなかった」
だからわたしは、慰めの代わりに提案した。
「同志にならぬか、と。この世界の裏面に座しながらヒトを操り《意志》をねじ曲げる者どもに抗する者にならぬか、と。そして、そうなるのであれば知らねばならぬ、と自身の知りうるあらゆる秘事を――この世界に隠された真実の姿を――打ち明けた」
そう――《スピンドル》のこと、オーバーロードとその眷族のこと、そして、奴らの封土たる《閉鎖回廊》のことを。
「それはまるで、この世そのもののことのようだな、とグランはわたしの説明を聞いて言った。卓見だ、とわたしは褒めた。
詳しく聞かせてくれ、とグランは言った。
わたしは惜しみなくグランに語って聞かせた。オーバーロードがいかにして生じるのかを知らねば、奴らを真に屠ることなどできぬからな。
話を進めるほどにグランの顔に生気が戻ってきた。嬉しかった。真にこの世界の暗闇を理解し、ともに戦ってくれる同志の誕生に自身が立ち会っているのだという高揚が、わたしをいっそう饒舌にさせた。
そう遠くないうちに、この世を去ることになるであろうグランへの手向けと、安心感もあったのだろう」
シオンはアシュレを見つめて言った。
ヒトの一生は我ら夜魔と比べてはるかに短い。
心の底をさらうように見れば、老い先短い男がなにをなしえるものだと高を括っていたのかもしれぬ。馬鹿者は、わたしだ。
「退冠の日から、数年をわたしはグランと過ごした。
グランはすっかり老い、若い妾との隠居暮らしに埋没した存在と思われるようになっていた。
妾とはわたしのことだ。だが、実際にはグランはわたしの話を熱心に書き取り、学んでいた。
《スピンドル》こそ発現できぬものの、さまざまな支援態勢を発案し、秘密裏に実行してくれていた。
国内もグランが危惧したような危機は起こらず平穏だった。
そして、長い冬が明けた日に、グランは息を引き取った」
葬儀はつつましやかに静かに、との遺言をふたりの兄弟は守らなかった。
一週間も続く壮大な葬儀のあと王の亡骸は王家の者しか知らぬ谷に埋葬された。国民は涙し、哀惜の歌を謳った。
とめどない涙を補うように酒を飲み、新しい王とその弟を讚えた。
実際には壮大すぎる葬儀の裏には兄弟の意地の張り合いがあったのだが、だれも気に留めなかった。
「わたしは葬儀の前に国を立った。グランとの告別は済ませていたし、未練はなかった。長居は良い結果を生まないだろうとグランの忠告もあった。最後まで冷静な男であった」
だが、それさえ、グランの策のうちであったのだろう。あれは死ぬまで世界の秘密を調べていたのだ。
「はじめて秘密を打ち明けた晩、わたしの話を聞く間、グランは別のことを考えていたに違いなかった。
わたしはアシュレ、そなたから話を聞くまで知らなかった。法王庁から奪われた〈デクストラス〉こそ、イグナーシュの秘宝であり、そしてそれこそがグランをオーバーロードに変えてしまった品なのだと」
わたしは共闘者を作り出せると信じて、世にバケモノを放ってしまったのだ。
「三度目、わたしがイグナーシュを訪ったのは、内戦が起きそれに続く革命戦争の真っ只中だった。故郷が蹂躙されるさまを見せつけられている心持ちになった。イグナーシュが《閉鎖回廊》に堕ちるとは、わたしは信じられなかった」
そして、その中心に立つオーバーロードこそは、他の誰であろう、グラン本人だった。
「膝が震え、心が踏み折られる気がした。同胞を手にかける時でさえ感じなかった痛みを、わたしの心は感じていた。心が砕けるとはどういうことなのか、わたしは身を持って知らされた」
あれは笑っていた。
災禍渦巻く荒野に立ち、自身が愛し命がけで守り抜いた郷土から、理想という名の翼が失われていくさまを。
「どうして、そうなったのか、わたしには見当もつかなかった。
ただ、激しい後悔だけがあった。
そして、裏切られたという怒りが。冷静ではいられなかった。
だが、戦場では冷静さを欠いたものから死ぬ。
わたしはグランの計略に嵌められ、窮地に陥ってしまった。
グランは世界の秘密を調べると同時に《スピンドル》能力者を相手取った戦いをも想定していたのだ」
その点で、間違いなくあれは王だった。
「その窮地を救ってくれたのがグレイ――そなたの父上だった。いま思えば、グレイは〈デクストラス〉の奪取を命ぜられていたのか。わたしには民を救うとしか語らなかった」
激しい戦いだった。わたしも深手を負った。
〈ローズ・アブソリュート〉を荊の茂みに変え〈ハンズ・オブ・グローリー〉をグレイに預け、遁走した。
グレイは夜魔との約束を貫いてくれた。自身の命を賭して。
「どうも、ルグィン以来、わたしは聖騎士という人種に弱いらしい。惚れてしまうのだ」
にこり、とシオンは笑い、話を冗談で締めくくった。
「話はこれで終わり。……かいつまんで言えば、イグナーシュをこんなにしてしまったのは、わたしなんだ。グランをバケモノに育てたのも」
愛想が尽きただろう? シオンが笑いながら言った。
さびしい笑い方だとアシュレは思う。
それは、ヒトの善意を信じられなくなってしまった人間の笑い方だった。
「つまり、ぼくたちが相対するのはグランだ、とシオンは言うんだね」
恬淡とアシュレは言った。自分でも驚くくらい平静な声。
どうということはない、という口調だった。
「大胆すぎる要約だが、そうなるか」
「シオンの要約だって、似たようなものだよ」
シオンはアシュレが、なにひとつ詰問しなかったことに戸惑った様子で言った。
グランに教えたという世界の裏面のことをシオンは、はぐらかしてアシュレに語った。
具体的な内容はなにひとつ明らかにしていない。
グランの二の舞いを恐れたのだ。
だが、それは共闘者を頼む時、あきらかな契約違反だ。
なぜならそれは、こう言っているのと同じだからだ。
「内容は明かせないが力を貸せ」と。
もしかしたら、大事な誰かを手にかけるような内容かもしれぬ事項を伏せたまま、シオンは共闘を持ちかけたに等しい。
ところがその申し出を、アシュレは黙って呑んだのだ。
それどころか、礼を言われた。
「ありがとう。話してくれて」
つらかったね、との言葉をアシュレはつけ加えなかった。
年若いアシュレにできた精一杯の優しさだった。
ぼろり、とシオンの瞳から涙が落ちた。
不意の。
シオン自身が気付かぬほど。
「そなた、頭が悪いのだな」
言いながらシオンは抱きついてきた。
「失礼だな。ボクだけじゃないよ。さっき、あのバラの丘で死にかけた時、ヴィトライオンは鞭をくれたのに逃げなかったよ」
要領が悪いのは主従ともども、さ。
「それに、相手が誰だろうと関係ない。ボクはユーニスを助ける。たとえ、そのことが他のすべてを反古にしてしまうことだろうと」
だから、とアシュレは言った。
「救国の英雄に比肩しようなんていう大それた望みはないんだ。
聖騎士としては失格かもしれないけれど――勅詔より大切なものが、いまのボクにはある。キミがそれを教えてくれた。
たしかにキミと共闘することで……もしかしたら、異端者として追われることになるかもしれない。家が絶え、母さんをひとりにしてしまうかも。
でも、これだけは曲げられない。
それに、共闘者はたしかに必要なんだ。お互いにとって。
ボクらの戦力はイズマさんを含めても三人と二騎。騙すも騙さないもない。勝てなかったら意味がないだろ?」
どうやらボクの戦闘能力は足手まとい、ってほどじゃないみたいだし。続けてアシュレはシオンの耳元でささやくように言った。
真摯に。
「……それに、キミはキミの責任を果たすために戻ってきた。グランの《魂》を助けに。口先だけならもっともらしいことを言う連中はいくらでもいる。けれど、我が身を賭してそれを実行するものは、そうはいない。ましてや、それを果たしきるものは」
ボクだってそうしようとした。約束を守ろうとして……果たせなかったから、わかるんだ。その困難さと気高さが。
ボクには、誰も護れなかった。願うだけではダメなんだ。やり遂げなければならないんだ。
だからこそ、もうごまかすことはできない。
アシュレは胸の奥の想いを、シオンにぶつけた。
正直な告白にして。
「シオン……ボクが、どうしてキミに敵愾心を抱けないのかわかったよ。
キミは騎士の理想たろうとしているんだ。キミの言葉を借りるなら、過去キミに、なにかを与えてくれた人たちに恥じぬように生きようとするキミに、ボクは魅かれてしまう」
だから、キミと友となれてよかった。
「キミとともに歩めたなら、父に――いや、騎士:グレイに恥じぬ男になれる気がするんだ。そう――だれかに与えられる者に」
微笑んでみせるアシュレは、突然、不意打ちの口づけをくらって湯に落ちる。
慌てて浮かび上がれば、水柱を浴び、水滴を拭いながらシオンが微笑んでいた。困ったように、小首を傾げて。
「そなた、想い人のある身であまり夜魔の女を誘惑せぬがよい。本気で……愛してしまうぞ」
女王の口ぶりでシオンは宣告した。




