キミドリちゃんお祭りへ
「お祭りいかない?」
なにも考えず、誘いに乗ったのはまずかったかもしれない、と思った。
カフェ「楡の木」の常連さんである森田さんのご子息、友成さんにお祭りに誘われたのはつい先日。
なんでもお祭りに興味はあるのだけれど、一緒に行く人がいなくて困っていたのだという。
確かに三十近くの男性が一人でお祭りに行く、というのは少々イタイものがある。
なので、あたしでよければ、と快く承諾したのだった。
キミドリちゃんにつっつかれたにも関わらず、友成さんはよくカフェ「楡の木」を訪れていた。もともと動物が好きらしい。キミドリちゃんにどんな扱いをされようとも嬉しそうにキミドリちゃんにあいさつする友成さんの姿は、若干某知人を彷彿とさせる。キミドリちゃんはとうとう友成さんにはどんな攻撃をしかけても平気なんだと思っているようで、いろんな攻撃をしては楽しんでいる。メジロってそんな鳥だっけ、と思わないでもないけれど、キミドリちゃんなんてどうせ普通じゃないのだから、悩んでも仕方がない。なにせ猫と仲良くなるような鳥だ。最近、猫団子に囲まれて暖かそうに寝ているキミドリちゃんを見て、うらやましくなったのはここだけの秘密だ。くぅ、うらやましい!
友成さんがカフェに来ることが増えたから、あたしとも話す機会が増える。しかもキミドリちゃんを見張っておかないと、時々キミドリちゃんがつつきすぎて流血沙汰になることも多いので、下の名前で呼ぶくらいには仲良くなった。変な気負いなどもいらないので、それなりにいい関係を築けているとは思う。
当日、昼。
友成さんとの約束は夕方の5時だからまだ時間はある。浴衣着ようかなぁ、でも浴衣とか気合い入れすぎかなぁ、とそんなことをぼんやり考えながら昼食を食べていた。
キミドリちゃんは今日は珍しく、うちにいる。あたしが休みの日でもキミドリちゃんは自由気ままな生活を送っているので外に出たがるのもしょっちゅうなのだ。
だからキミドリちゃんが家にいるのは案外珍しい。
「あ、そうだ。キミドリちゃん、あたし今晩出かけるから、お留守番よろしくね」
夜出かけるとき、キミドリちゃんはお留守番だ。鳥であるがゆえにキミドリちゃんは当然、鳥目で夜飛ぶことはできない。そこで、基本的に夜出かけなければならないとき、キミドリちゃんはお留守番だ。どっちにしろその時間帯には眠たいようだし、夜出かける気にはならないので大人しくお留守番をしてくれる。
ところが、だ。
今日のキミドリちゃんはいつもと違った。
「ちーちーちーちゅるるー」
キミドリちゃんがさっきから抗議の声を上げている。
「えー、キミドリちゃんも来たいの?」
そう尋ねると、キミドリちゃんはわが意を得たり、というようにひときわ高く、「ちー」と鳴いた。
「でも、キミドリちゃん、鳥目じゃん。夜、見えないでしょ?それに人ごみ嫌いだし。お祭りは人ごみだよー?」
「ちーちーちーちゅるるー」
説得しようにも、キミドリちゃんは頑として納得しようとしない。
だから、籠のなかでおとなしくしていること、を条件にあたしはキミドリちゃんを連れて行くことにした。あたしがキミドリちゃんに甘いのは今さらだ。キミドリちゃんもそれは十二分にわかっているのだから性質が悪い。
結局、キミドリちゃんを連れて行って、問題があったらすぐに対処する必要がある、ということで動きにくい浴衣はあきらめて、ジーンズとTシャツ、それに薄手のパーカーというなんともとほほな恰好で友成さんとの待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせの場所は、地下鉄の駅から少し離れたところにあるコンビニ。地下鉄の駅は出口がいくつかある上に、ちょうどお祭り会場のど真ん中に位置しているため、待ち合わせ場所としてはあまりいい場所とはいえないためだ。その点、コンビニなら涼しいし、わかりやすいところにあるから、問題なく合流できるはずだ。
「お待たせ」
ものの数分もしないうちに友成さんが現れた。こちらも白ポロシャツにジーンズというラフな格好だ。
「やっぱり人多いね。思ったより多くてびっくりした」
「ここのコンビニ、すぐわかりました?」
「うん。とりあえず、地上に出てから考えようと思ってたら、すぐに見つかってよかったよ」
「それはよかったです。人が多いんですけど、まずお参りしましょう」
「そうだね。と、言っても俺はここらへん、全然わかんないから任せるよ。今日はキミドリちゃんはお留守番かい?」
「そのつもりだったんですけど、来たいっていうんで、一応籠にいれて連れては来てます。さっき、寝ちゃったみたいだけど」
そう、キミドリちゃんは籠の中が暗かったせいか、ゆらゆらゆれる振動が眠気を誘ったのか、いつの間にかちゃっかり寝ていた。寝るんだったらやっぱり連れてこなきゃよかった、と思ったけど、置いてけぼりをくらったとキミドリちゃんが知ったときに、どんな報復をされるかわからない。キミドリちゃんは本当に賢すぎるくらい賢い鳥だから。
「ははっ。キミドリちゃんもお祭り気分を味わいたいのかな」
「こんなに規模が大きい祭りでなければまだ違うんですけど」
人ごみにまみれ、なんとかお社にたどり着き、お浄めをしてからお参りをする。お賽銭箱の上に、礼拝の仕方が書いてある木の札が立ててあって、これは案外ありがたい。
二人でお参りをして、そのままお社を出る。そうすればあとはずらっとひたすら屋台が立ち並ぶ道があるだけだ。
たこ焼き、お好み焼き、焼き鳥、焼きいか、リンゴあめ、わたあめ、かき氷などの定番は勿論、菖蒲や梅が枝餅なんかも売っている。とりあえずカオスだ。
ヨーヨー釣りや金魚すくい、射的などは別の広場みたいなところにまたスペースがあって、そこにそういった類の屋台が並んでおり、その奥にはお化け屋敷もある。
お化け屋敷の入口では、おじいさんが慣れた様子で口上を述べている。あんまり、怖そうじゃないけれど、中からきゃー、という悲鳴が聞こえてくるからそれなりに楽しめるのだろう。
金魚すくいの横には、亀すくいとうなぎすくいまであって、なんでもござれ、といった感じだ。うなぎすくいのところにはいい年した大人たちが無理やり難しい顔をしようとしたけれど失敗して楽しそうな雰囲気を隠せていないふわふわした空気を醸し出している。案外、こういうのは大人のほうがはまるのだろう。
友成さんは見るものすべてが珍しく映るらしく、きょろきょろとしている。あたしは何度かこのお祭りには来たことがあるのでそう珍しいものがあるわけでもないが、たまに去年までは見かけなかったような屋台があったりして、それはそれで面白い。祭りっていうのはもう雰囲気そのものが面白いのだ。
「なんか、食べます?」
「やっぱお祭りといえば粉ものだよね。でも、この人の多さじゃ食べるのも大変だよなぁ」
「あはは。でも、お店によっては食べるスペースを設けてるところもありますし、お社の後ろはちょっとした穴場スペースもありますよ」
「おうしっ、じゃあいろいろ買って、穴場で食べよう。なんか食べたいものとかあったらじゃんじゃん言って」
「わーい」
二人でいろいろ買い込んで、穴場スペースへと向かう。お祭りのおかげでそれなりに明るいし、何より、座って食べられるのがいい。
お好み焼きにたこ焼き、焼き鳥にりんごあめ、綿あめ、かき氷、冷やしマンゴー、から揚げ、焼きまんじゅうにソーダ。これでもか、と買い込んだそれらを石段に並べ終えて、さあ食べようとしたところで、「ちー」という弱弱しい声が聞こえた。
「キミドリちゃん?」
籠バッグを開けてのぞいてみると、キミドリちゃんは何時の間にか起きていて、ばさばさっと飛び出してきた。
いきおいよく飛び出したのはいいものの、キミドリちゃんは鳥だけに鳥目。すぐにふらふらとして、鳥としてはあるまじく、どてんっと落下した。
それが家での落下なら問題なかっただろう。
しかし、運が悪かった。
キミドリちゃんは湯気がもくもくとたちあがるお好み焼きの上に落下してしまったのだ。
「ちーっ」
キミドリちゃんは素早く鳴いて、再び飛び上がろうとした。しかし、鳥目な上にお好み焼きの上に落下したため、羽にはべっとりソースとマヨネーズ、青のり、かつおぶしが付着している。人間にとってはなんてことないのだけれど、キミドリちゃんのような小さな鳥にとっては大変な負担である。
あたしは慌ててキミドリちゃんの体を持ち上げようとしたのだけれど、少しだけタイミングが遅かった。キミドリちゃんは完全なパニック状態で羽をばさばさしてどうにかしようとしている。火事場の馬鹿力というのは鳥にも適用されるのか、キミドリちゃんが低空飛行をしたおかげで、ラムネがこぼれ、から揚げは階段をころころ転げ落ち、友成さんに激突して、キミドリちゃんは失神。真っ白なポロシャツがキミドリちゃんのせいで、ソースまみれだ。青のりや鰹節まで付着していて、もう、なんといっていいかすらわからない。
+ + +
そのあと、どうなったかというと、ひたすら友成さんに謝り倒していつかこのお詫びは絶対に、と固く誓って、急いで家に帰った。キミドリちゃんの羽を洗ってやるためだ。
鳥の羽というやつはとてもデリケートなのでそれ専用の洗剤を使ってやらないとダメなのだ。お社には水道があったけれど、専用洗剤なんて持ってきているわけもなく、ミニタオルにくるんで家まで連れて帰った。キミドリちゃんは久しぶりのシャンプーが気持ちよかったらしく、ご機嫌だったがこっちは散々だ。もう二度と、キミドリちゃんを連れてお祭りには行きたくない。
そして後日。
あたしが友成さんといるところを大学の友人に見られていたらしく、「彼氏?」としつこい追及を受ける羽目になるなんてこと、あたしは予想できていなかった。
お祭りに行くときは、よく考えてからにしよう。
実際のお祭りをイメージしてみたんですが。季節外れですみません。