婚約破棄が起こらなかった物語
婚約破棄は起こらなかった。
「ディアナ•レインバート!今宵をもって貴様との婚約をはk 「 先手必勝! 」 ゥギャアアァァッ!!目が、目がァァッ!!!」
この国の皇太子であるロレアル様が両目を手で覆いながら転げ回っているのを、誰も彼もがポカンとした顔で眺めている。
さっきまでロレアル様に腰を抱かれていた令嬢も、そのふたりを守るように囲っていた側近の令息達も。フロアに集まっている生徒や教員、来賓達も全員。
それも無理はありませんわ。
だって卒業式というめでたき場でいきなり皇太子が【病】で倒れたのですから、つい頭が真っ白になってしまいますわよね。
「大変!持病の結膜炎の発作が…!早く医務室に運ばなくては。ロレアル様、しっかりなさって下さいまし」
待機していたかのように神がかったタイミングで担架を担いだ衛兵達が飛び込んでくる。
少しだけ湿った人差し指と中指をさりげなくドレスで拭いながら、わたくしも婚約者として殿下に寄り添いながら会場を後にした。
少しの騒ぎはあったものの、教員の皆さまのおかげで卒業式は滞りなく執り行われたそうです。
殿下も一時は集中的な治療が必要でしたが、その甲斐もあって半年ぶりに御目通りが叶うようになりました。
「アア、愛シノディアナ。会イタカッタゾ」
「わたくしもですわ。ロレアル様と会える事を一日千秋の気持ちで待ち侘びておりました」
皇太子の寝室にて、久しぶりに殿下の尊顔を拝む事ができました。…ああ、頬がこんなにこけてしまわれて。殿下が受けた過酷な運命を思うと胸が痛みます。
実は殿下が治療に励んでおられる中、御母堂である側妃さまも同じく結膜炎を患いお倒れになってしまわれたのです。そちらは治療の甲斐なく失明となり、今は空気の良い別荘にて長期の療養に入られてしまいました。
悪い事は続きます。そんな殿下の境遇を憂いたあまりに、側近の皆さまも心身を崩して王都を離れてしまったのです。
「皆さま、早く快復されると良いですわね」
「アア、ソウダナ」
「特にチュリーナさまは、とても可哀想な事になってしまわれて…」
「アア、ソウダナ」
チュリーナさまは、卒業式にて殿下に腰を抱かれていた令嬢です。心身を崩して領地である男爵領に戻られた途端、お父上の不正や犯罪が明るみになり一家断絶の憂き目に遭われてしまったのです。噂では、反旗を翻した領民達に拐かされて春をひさぐお店に勤める羽目になったとか。
「同性として、とても身につまされる話ですわ」
「アア、ソウダナ」
ご自身こそ辛い思いをされたのに、殿下はわたくしの言葉ひとつひとつに優しく相槌を打って下さいます。
悪い知らせが重なる中、より熱心に皇太子教育に励まれた殿下をわたくしは心から尊敬しております。
見違えるように王族らしい顔つきになられた殿下を私はうっとりと見つめました。
「彼らの為にも、わたくし達でより良い治世を敷いて行きましょうね」
「ハイ、ヨロコンデ!」
殿下の手をそっと握ると、赤べこのように首を縦に振り力強く応えてくださいます。
(この方の婚約者になれて、本当に幸せだわ)
明るい展望に心が躍る。
わたくしは殿下の手を撫でながら、我が身の幸福をしっかり噛み締めたのでした。




