第3話 生きるために 1
赤い瞳が発光する。
その瞬間。
空気が変わった。
吹雪が揺れる。
黒紫の粒子が、
レギアを中心に噴き上がった。
周囲の黒衣隊員達が息を呑む。
「なっ……」
「なんだ、あれ……」
だが。
レギアには何も聞こえていなかった。
頭の中が熱い。
視界が赤い。
心臓の音だけが響いている。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
背中が焼けるように熱い。
なのに。
身体は異様なほど軽かった。
目の前。
人型レムナントが低く唸る。
赤い単眼。
裂けた口。
黒い爪。
父を殺した怪物と同じだった。
その瞬間。
レギアの中で何かが切れた。
「――――ァァァァッ!!」
地面を蹴る。
爆発音。
幼い少女の動きではなかった。
雪が吹き飛ぶ。
黒紫の粒子を撒き散らしながら、
レギアの身体が一瞬で加速する。
速い。
黒衣隊員達の目でも追えない。
次の瞬間。
レギアはレムナントの懐へ潜り込んでいた。
帝国剣が振り抜かれる。
斬撃。
黒紫の光が走った。
ズバァッ――――!!
レムナントの身体が、
胴体ごと両断される。
黒い体液が雪へ飛び散った。
怪物が崩れ落ちる。
レギアは止まらない。
着地と同時に、
別のレムナントへ踏み込む。
「ギァァァァッ!!」
怪物が爪を振るう。
だが。
遅い。
レギアの赤い瞳には、
レムナントの動きが異様なほど鮮明に見えていた。
避ける。
踏み込む。
振る。
それだけだった。
帝国剣がレムナントの首を斬り飛ばす。
さらに横薙ぎ。
別個体の腕が宙を舞った。
黒紫の粒子が吹雪へ混ざる。
レギアの動きは、
もはや剣術ではなかった。
獣。
いや。
怪物そのものだった。
黒衣隊員達が呆然とする。
「あの子……何を……」
「ありえない……!」
「レムナントを……押してる……?」
レギアは聞いていない。
止まれない。
止まりたくない。
壊したい。
全部。
父を殺したものを。
目の前の怪物を。
世界そのものを。
レムナントが咆哮し、
一斉にレギアへ襲い掛かる。
だが。
その瞬間。
黒紫の粒子が爆発的に噴き上がった。
空気が震える。
レムナント達が怯む。
本能で理解したのだ。
目の前にいる少女が、
普通ではないと。
レギアが踏み込む。
石畳が砕ける。
速い。
一閃。
また一体。
返す刃。
さらに一体。
黒い肉片が雪へ飛び散る。
レギアの軍靴が、
血の上を滑る。
赤。
黒。
紫。
吹雪。
その全てが、
戦場で混ざり合っていた。
そして。
レギア自身、
もう気付いていなかった。
自分が泣いていることに。
黒紫の粒子が吹き荒れていた。
吹雪の中。
幼い少女が、
レムナントの群れを斬り裂いていく。
一閃。
また一閃。
帝国剣が振るわれる度に、
黒い肉片が宙を舞った。
レギアは止まらない。
いや。
止まれない。
赤く発光する瞳。
黒紫の粒子。
異様な加速。
その姿は、
もはや避難民の少女ではなかった。
黒衣隊員達ですら、
誰も近付けない。
「なんだ……あれ……」
「人間じゃない……」
呆然とした声が漏れる。
だが。
戦場に立つ兵士達は、
その異常を考えている余裕すらなかった。
レムナントはまだいる。
吹雪の向こう。
崩壊した建物群。
防壁突破地点。
赤い単眼が次々と現れる。
「まだ来るぞ!!」
黒衣隊員の怒声。
重装盾が並ぶ。
射撃音が響く。
帝国兵達もまた、
死に物狂いで戦っていた。
一人が倒れる。
別の誰かが前へ出る。
血を流しながら、
それでも防衛線を維持していく。
ヴァルグリム帝国。
黒鉄の国。
その兵士達は、
絶望の中でも前へ進むことをやめなかった。
そして。
戦場中央。
レギアが最後の一体へ踏み込む。
レムナントが咆哮した。
巨大な腕が振り下ろされる。
だが。
レギアは止まらない。
踏み込む。
速い。
黒紫の粒子が尾を引く。
次の瞬間。
帝国剣が振り抜かれた。
ズバァァァッ――――!!
レムナントの身体が縦へ裂ける。
赤い単眼が砕け散った。
黒い体液が雪へ降り注ぐ。
怪物が崩れ落ちる。
静寂。
レギアは動かない。
剣を握ったまま、
雪の中へ立ち尽くしていた。
黒紫の粒子だけが、
静かに舞っている。
周囲のレムナント達が後退していた。
本能的に理解している。
目の前にいる存在が危険だと。
だが。
その時だった。
遠方。
防壁方向から、
巨大な機械音が響く。
ゴォォォォォン――――。
全員が顔を上げた。
防壁上部。
巨大封印塔群が、
再び光を帯び始めている。
兵士の一人が叫んだ。
「カーテン制御が復旧したぞ!!」
次の瞬間。
空気が震えた。
防壁上空。
巨大な光の膜が展開されていく。
淡い蒼白色。
幾重にも重なる封印光。
ヴァルグリム帝国広域防衛結界。
停止していた結界が、
再起動を始めていた。
防壁突破地点の空間が歪む。
侵入していたレムナント達が咆哮した。
まるで拒絶されるように。
黒衣隊員達が一斉に前へ出る。
「押し返せぇぇぇぇッ!!」
怒号。
銃撃。
剣戟。
そして。
再起動した《カーテン》が、
防壁内部へ侵入したレムナント群を飲み込んでいく。
光。
爆音。
黒い肉片。
怪物達が次々と崩壊していった。
雪の街へ、
断末魔だけが響き渡る。
やがて。
静寂が訪れた。
誰も動かなかった。
吹雪だけが、
静かに降り続けている。
黒衣隊員達が息を切らしながら周囲を確認する。
「……終わったのか?」
「レムナント反応消失……」
「生存者確認急げ!」
兵士達が動き始める。
負傷者。
避難民。
崩壊した建物。
戦場の後始末が始まっていく。
その中で。
レギアだけが、
まだ動かなかった。
赤い瞳が揺れている。
ドクン。
背中が脈打つ。
熱い。
苦しい。
頭が割れそうだった。
黒紫の粒子が、
少しずつ薄れていく。
呼吸が乱れる。
視界が滲む。
そして。
レギアの赤い瞳から、
ゆっくりと光が消えていった。
膝が震える。
剣を握る力が抜けていく。
「……ぁ……」
黒紫のオーラが消失した。
同時に。
刀身を覆っていた異様な粒子も、
静かに霧散していく。
鍔元の天使核。
眼球のように開いていた核が、
ゆっくりと閉じていった。
不気味な脈動が止まる。
ただ。
刀身へ刻まれた黒い侵食痕だけは、
消えずに残っていた。
レギアの指から、
剣が滑り落ちる。
ガラン――――。
鈍い音。
石畳の上へ、
父の形見が転がった。
レギアの身体が揺れる。
寒かった。
急に。
さっきまで感じていた熱が消え、
全身から力が抜けていく。
レギアは小さく息を吐いた。
頭がぼんやりする。
何をしたのか、
うまく思い出せない。
ただ。
目の前に広がる惨状だけが、
現実だった。
血。
瓦礫。
死体。
雪。
そして。
倒れた父。
「……お母さん」
掠れた声だった。
レギアはふらつきながら歩き出す。
雪を踏む。
小さな足跡が残る。
母はまだ父へ縋り付いていた。
肩が震えている。
泣いている。
レギアはゆっくりと近付く。
怖かった。
でも。
母の傍へ行きたかった。
一人になりたくなかった。
「……お母さん」
レギアが手を伸ばす。
その瞬間だった。
母が顔を上げた。
レギアは息を呑む。
その目。
まるで知らないものを見るような目だった。
怯えていた。
恐怖していた。
母の視線が、
レギアを見る。
黒い侵食痕の残る剣。
黒紫粒子の残滓。
赤く染まった瞳。
血に塗れた少女。
母の唇が震える。
「……来ないで」
レギアの動きが止まった。
「お母さん……?」
母は後ずさる。
父の亡骸を抱き締めながら。
涙を流しながら。
怯えた目で。
レギアを見ていた。
「来ないで……」
「いや……」
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
母は壊れていた。
もう。
正常ではなかった。
夫を失った。
街が壊れた。
怪物が現れた。
そして。
自分の娘までも、
人ではない何かへ変わろうとしている。
その現実に、
耐え切れなかった。
「化け物……」
その言葉が。
静かに。
レギアの胸へ突き刺さった。




