第15話 騎士学校の日常
白亜の鐘が、騎士学校中央棟に静かに響いていた。
封印国家エデン=ノア。 その中心部に存在する《中央騎士学校》。
旧文明時代の聖堂を改修して造られたその学舎は、巨大な礼拝堂のような荘厳さを持っていた。
高い天井。 巨大な石柱。 壁一面を覆うステンドグラス。
朝日が色硝子を通り抜け、教室の床へ赤や青の光を落としている。
騎士候補生達が整然と席に着く中、講義室前方の扉が静かに開いた。
瞬間―― 教室の空気がわずかに張り詰める。
入ってきたのは、一人の女性だった。
白衣。 黒い教師用外套。 長い銀髪。 冷静な蒼い瞳。
セレス=クロイツ。
エデン=ノア技術局局長。 そして《天骸兵装理論》担当教官。
若い生徒達にとっては、雲の上の存在に近い人物だった。
「起立」
号令と共に全員が立ち上がる。
「着席」
短い一言。
それだけで教室が静まり返った。
セレスは教壇へ立つと、黒板へ旧文明文字を交えた数式を書き始める。
《天使核循環理論》 《出力同期率》 《神経接続深度》
騎士学校でも最難関と呼ばれる講義だった。
「天骸兵装は単なる外骨格ではありません」
静かな声が教室へ響く。
「人間の神経系と天使核を接続し、人の肉体で人外の力を扱うための装置です」
白いチョークが黒板を走る。
「故に重要なのは筋力ではなく、神経耐性と精神安定性。出力制御を誤れば装着者自身が崩壊します」
生徒達が真剣な顔でノートを取っていく。
前列中央。
アーデルハイド=セラフィーネもまた、静かにペンを走らせていた。
銀髪が窓から差し込む光を受け、淡く輝いている。
特別目立つわけではない。
だが、不思議と目を引く生徒だった。
真っ直ぐな姿勢。 静かな集中力。 空気のように自然な存在感。
その時だった。
セレスのチョークが止まる。
「では問題です」
教室が静まり返る。
「第六世代型天骸兵装において、出力同期率が四十五を超えた場合、最初に発生する危険症状は何ですか」
数秒。
誰も答えられない。
沈黙。
やがて、一人の少女がおそるおそる手を挙げた。
「……神経逆流、ですか?」
アーデルハイドだった。
セレスは静かに彼女を見る。
「続けなさい」
「一定以上継続した場合、侵食反応が脳神経へ到達します……」
教室が少しざわつく。
正解だった。
セレスは小さく頷く。
「その通りです」
アーデルハイドは小さく頭を下げて座る。
周囲から感心したような視線が向けられるが、本人は気にした様子もなく再びノートへ目を落とした。
その姿を見つめながら、セレスはほんの僅かに目を細める。
脳裏に蘇る。
――十歳時適合検査。
――第12翼兵装適合反応。
だが、その事実を知る者はごく僅かしかいない。
教室で静かにノートを取る少女は、 今はまだ、ただの騎士候補生だった。
セレスは静かに視線を逸らす。
(……今は、それでいい)
「先生」
一人の少女が手を挙げた。
ミシェル=アークライトだった。
柔らかな栗色の髪。 整った容姿。 だがその瞳には、純粋な知性の光が宿っている。
セレスは静かに視線を向ける。
「何ですか、アークライト」
「聖堂システムの第六世代封印機構における位相固定式の部分の質問なのですが旧文明型の多重同期理論をそのまま流用すると、天使核側の自律共鳴が先に飽和しませんか?」
教室が静まり返った。
何人かは、何を言っているのかすら分かっていない顔だった。
だがセレスだけは表情を変えない。
「続けなさい」
「現在の聖堂システムは、人間側の神経耐性を基準に出力制御を行っています。でもそれだと、高出力状態では核側の位相誤差が先に蓄積します」
ミシェルは黒板へ視線を向ける。
「だから旧文明後期に提唱されていた“逆位相循環理論”の方が、むしろ安全性が高いのでは?」
教室が完全に沈黙した。
騎士候補生達はぽかんとしている。
前列のアーデルハイドだけが、真面目に理解しようとノートへ書き込んでいた。
セレスは数秒、無言だった。
やがて。
「……なるほど」
小さく呟く。
その瞬間。
教室の空気が変わった。
セレスが、 “生徒の発言を本気で考えた”。
それだけで周囲がざわつく。
セレスはチョークを持ち直し、黒板へ新たな数式を書き始める。
高速だった。
旧文明文字。 同期式。 複雑な位相構造。
「理論としては成立します」
セレスが淡々と言う。
「ですが逆位相循環理論には欠陥がある」
ミシェルの瞳が真剣に細まる。
「……高次元侵食ですか?」
「ええ」
セレスは頷く。
「出力効率は上がる。位相安定性も改善される。ですが、人間側の精神境界が先に摩耗する」
黒板へ描かれる新たな式。
「結果、侵食速度が加速する」
ミシェルは静かに数式を見つめる。
数秒。
そして小さく息を呑んだ。
「……だから旧文明は封印式へ移行した」
「正解です」
セレスは静かに頷く。
「あなたは理解が早いですね」
教室がざわついた。
セレス=クロイツが、 生徒を褒めた。姪としてではなく一人の生徒として
極めて珍しい光景だった。
ミシェルは少し照れたように笑う。
「叔母に昔から叩き込まれてましたから」
「その割には座学試験で凡ミスをしますね」
「うっ」
周囲から小さな笑いが漏れる。
ミシェルは頬を膨らませた。
「計算式長いんですもん……」
「長い程度で崩れるなら実戦では死にます」
「うぅ……」
だがセレスの声音には、どこか僅かな柔らかさが混じっていた。
アーデルハイドはそのやり取りを静かに見つめる。
厳格な技術局局長。
天才と呼ばれる少女。
だが二人の間には、 ただの教師と生徒とは違う、不思議な空気があった。
その後もセレスの高度な理論講義が続いた。
騎士学校地下区画――
第七実戦演習場。
巨大な隔壁が重々しい音を立てて開いていく。
「うわ……」
思わず誰かが息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、もはや“学校”とは思えない光景だった。
数百メートル級の円形演習空間。
金属と白亜素材で構築された多層式戦術フィールド。
天井には無数の投影装置。
壁面には旧文明由来の演算機群。
騎士学校が誇る実戦訓練施設――
《戦術投影型対レムナント演習場》。
セレス=クロイツが演習フィールド中央へ歩み出る。
白衣の裾が静かに揺れた。
「本日の授業は対レムナント実戦基礎」
静かな声が広い演習場へ響く。
「座学だけでは意味がありません。あなた達はいずれ、本物と戦う」
候補生達の空気が自然と引き締まっていく。
セレスは演算端末へ手を触れた。
瞬間。
――ブォン。
空間全体へ青白い光が走る。
床面へ無数のラインが浮かび上がり、周囲の景色が一瞬で変化した。
「……っ!?」
ざわめきが起こる。
先ほどまで無機質だった演習場が、
一瞬で“外周防壁都市”へ変貌していた。
崩壊した石畳。
倒壊した建物。
白い天鱗粉が舞う曇天。
風の音まで再現されている。
「環境投影システム……」
ミシェルが小さく呟く。
セレスは頷いた。
「地形、天候、視界、音響、霊子濃度――すべて再現可能です」
演算盤へ次々と文字が表示される。
《市街地》
《夜間》
《降雪》
《低視界》
《高濃度天鱗粉環境》
景色が再び変化する。
吹雪。
凍結路面。
視界不良。
候補生達が思わず周囲を見回した。
あまりにも現実的だった。
「本演習では二人一組で行動してもらいます」
空中へ戦術図式が投影される。
《前衛》
《後衛支援》
「前衛は直接戦闘。後衛はデータリンクシステムを用いた索敵・解析・支援」
候補生達の腕輪型端末が起動する。
青い光が淡く点灯した。
「後衛は前衛の視界情報、脈拍、神経負荷、敵性反応をリアルタイム共有します」
ミシェルが端末画面を素早く確認する。
「演算速度すご……旧文明式補助AIまで積んでる」
「気づきましたか」
セレスが僅かに視線を向ける。
「実戦用簡易戦術補助システムです。高位部隊ではさらに高度なリンクが行われます」
ミシェルの瞳が少し輝いた。
「疑似思考補完型……」
「ええ。ただし未完成です」
そんなやり取りをよそに、周囲の候補生達は緊張した面持ちだった。
無理もない。
彼らの多くにとって――
“レムナントを見るのは初めて”だった。
もちろん資料映像では知っている。
座学でも習った。
だが。
“実際に動く存在”として見るのは違う。
セレスが静かに告げる。
「投影開始」
瞬間。
演習場奥の闇が、ゆっくりと蠢いた。
――ズル……。
誰かが息を呑む。
現れたのは、人型に近い異形だった。
歪んだ骨格。
異常に長い腕。
裂けたような口部。
灰色の外殻。
《レムナント》
最低位個体。
それでも。
生徒達の顔から血の気が引いていく。
映像ではない。
立体投影とは思えないほど生々しい。
動き。
呼吸音。
足音。
殺気。
それらすべてが異常な現実感を持っていた。
一人の女子生徒が小さく後退る。
「こ、これが……」
別の男子生徒も喉を鳴らした。
「……本物、みたいだ」
その時だった。
レムナント投影体が、不意に首を傾ける。
次の瞬間。
――ギィィィッ!!
耳障りな咆哮。
数人の候補生が反射的に身体を震わせた。
だが。
前列に立つアーデルハイドだけは、静かにそれを見つめていた。
蒼い瞳。
微動だにしない視線。
その横顔を見たセレスは、ほんの僅かに目を細める。
彼女だけは知っている。
この少女は、
“本物”を見たことがある。
炎の中で。
血の中で。
家族を失ったあの日に。
演習開始と同時に、各候補生達の端末へ戦術情報が表示される。
《敵性反応確認》
《レムナント一体》
《討伐、もしくは五分間生存せよ》
「始め!」
セレスの声と同時に、生徒達が一斉に動き出した。
だが――
現実は、あまりにも厳しかった。
「う、うわっ!?」
前衛役の男子生徒が振り下ろした模擬剣を、レムナントが異常な速度で回避する。
次の瞬間。
――ガンッ!!
横薙ぎに振るわれた腕が、生徒の身体を吹き飛ばした。
《死亡判定》
冷たい機械音声。
後衛役の女子生徒が悲鳴を上げる。
「きゃっ……!」
慌ててデータリンク支援を行おうとするが遅い。
レムナントは一瞬で距離を詰めていた。
裂けた口部。
濁った眼。
人ならざる動き。
「いやっ――」
《死亡判定》
光が消える。
演習終了。
二人の候補生が呆然と立ち尽くした。
呼吸が乱れている。
額には汗。
たった数十秒。
それだけで心身共に限界近くまで消耗していた。
別フィールドでも同じだった。
「左から来る!」
「わ、分かってる!」
焦り。
恐怖。
連携不足。
レムナントは容赦なくそこを突く。
《死亡判定》
《死亡判定》
《戦闘不能》
無機質な音声が次々と響いていく。
ほとんどの候補生は数分も持たなかった。
演習終了後、生徒達は肩で息をしながらフィールド外へ退出していく。
顔色は悪い。
中には震えが止まらない者もいた。
「……無理だろ、あんなの」
「資料と全然違う……」
「怖すぎる……」
誰かが涙声で呟いた。
それが普通だった。
彼らの多くにとって、
“死”を真正面から突きつけられるのは初めてだった。
どれだけ立体映像だと理解していても、
あの殺気は本能へ直接訴えかけてくる。
セレスは演習データを静かに見つめていた。
心拍数。
神経負荷。
恐怖反応。
判断速度。
無数の数値が空中へ投影されている。
「精神負荷指数上昇」
「恐慌反応確認」
「戦術思考停止」
淡々と並ぶ記録。
だがセレスの表情は変わらない。
厳しい現実だった。
だが――
実戦は、こんなものではない。
本物の戦場には、
安全装置など存在しない。
死亡判定もない。
終われば立ち上がれる保証もない。
肉が裂ける。
血が飛ぶ。
仲間が死ぬ。
それが現実だった。
だからこそ。
この訓練には意味がある。
恐怖に耐えること。
死を前に思考を止めないこと。
心を折られないこと。
それもまた、
騎士に必要な才能だった。
セレスは静かに演習場を見渡す。
震える生徒。
泣きそうな顔。
必死に呼吸を整える候補生達。
その全員へ、
彼女は心の中で静かに告げる。
――耐えなさい。
――そして、強くなりなさい。
いつか本当に、
あなた達が誰かを守る日のために。




