第10話 騎士学校
騎士学校入学式の日――
封印国家エデン=ノア中央区画。
白亜の聖堂群に囲まれた巨大な学園施設、
《不死隊養成騎士学校》。
巨大な鐘の音が、朝の街へ静かに響いていた。
その荘厳な校門の前で、
アーデルハイド=セラフィーネは足を止めていた。
「……大きい」
自然と声が漏れる。
空へ伸びる白亜の校舎。
幾重にも連なる訓練棟。
騎士達の行き交う石畳。
聖堂のような中央講堂。
幼い頃から憧れ続けた場所だった。
戦災孤児だった自分が、
本当にここへ来た。
その実感が胸の奥を静かに震わせる。
緊張。
期待。
不安。
様々な感情が入り混じる。
その時だった。
「おい、アデル」
聞き慣れた声。
振り返る。
黒髪の少年――
ノア=エルセリオンが立っていた。
同じ白銀の候補生制服。
肩に鞄を引っ掛け、
どこか呆れたような顔をしている。
「何ぼーっとしてる」
「別に」
「嘘つけ」
即答だった。
「緊張してる顔してるぞ」
「してない」
「してる」
「してない」
「……」
「してるな」
「うるさい」
アーデルハイドは少しだけ頬を膨らませる。
ノアは小さく笑った。
「安心しろ」
「?」
「お前はちゃんとここまで来た」
そう言って、
ノアは校舎を見上げる。
「孤児院で毎晩泣いてた頃のお前が、
騎士学校に入るとか昔なら想像できなかった」
その言葉に、
アーデルハイドは少しだけ目を見開いた。
幼い頃。
何もかも失って、
ただ空っぽだった自分。
夜になるたび悪夢に怯えていた。
そんな時、
いつも隣にいたのがノアだった。
不器用で。
口は悪くて。
でも誰より優しかった。
「……そうだね」
小さく笑う。
するとノアは昔と同じように、
軽くアーデルハイドの頭を小突いた。
「胸張れ、アデル」
「痛っ」
「俺達は選ばれてここに来たんだ」
その言葉は、
不思議なくらい胸に響いた。
アーデルハイドはもう一度、
騎士学校を見上げる。
今日から始まる。
騎士候補生としての日々。
誰かを守るための力。
失ったものを繰り返さないための戦い。
そして――
まだ誰も知らない。
この少女が後に、
“白翼”と呼ばれる存在になることを。
「行こう、ノア」
「ああ」
二人は並んで歩き出す。
白亜の校門をくぐり。
騎士学校入学式の日、
運命は静かに動き始めていた。
巨大な鐘の音が鳴り響く。
重厚な音色は、
騎士学校全体を震わせるように広がっていった。
中央講堂。
白亜の大理石で造られた巨大空間には、
数百人を超える新入生達が整列していた。
高い天井。
無数の光導灯。
壁面には、
交差した剣と白亜の封印塔を描いた
騎士学校の紋章が掲げられている。
それは人類最後の防壁を意味する紋章。
守るために戦う者達の象徴だった。
空気は静まり返っている。
緊張。
期待。
誇り。
様々な感情が講堂を満たしていた。
アーデルハイドもまた、
白銀の制服姿で列の中に立っていた。
周囲には同年代の少年少女達。
だが誰一人として私語を発しない。
この場所に立つ意味を、
全員が理解していた。
やがて――
講堂最奥。
巨大な純白の扉が静かに開いた。
一瞬で空気が変わる。
現れたのは、
純白の司教衣を纏った一人の男。
白髪混じりの銀髪。
蒼い瞳。
静かな威圧感。
ヴァイス司教。
封印国家エデン=ノア、
聖堂管理局最高責任者。
そして――
“不死隊”創設時代を知る最後の一人。
その姿を見た瞬間、
講堂全体の空気が張り詰めた。
ヴァイスは静かに演壇へ歩み、
新入生達を見渡す。
その視線は鋭い。
だがどこか、
優しさも感じさせた。
静寂。
やがてヴァイスは口を開く。
「――諸君」
低く、
よく通る声だった。
「まずは、不死隊養成騎士学校への入学を歓迎しよう」
静かな声。
だが不思議と、
講堂全体へ深く響いていく。
「諸君らは選ばれた」
「この国において、
天骸兵装適合基準値を超える者は極めて少ない」
「その力は祝福であり、
同時に呪いでもある」
誰も言葉を発さない。
ヴァイスの言葉を、
全員が静かに聞いていた。
「これより諸君らは、
人類最後の防壁となるための教育を受ける」
「いずれ戦場へ立つ」
「いずれ恐怖を知る」
「いずれ大切なものを失う日も来るだろう」
講堂の空気が重くなる。
だがヴァイスは目を逸らさない。
「それでも尚――」
その瞬間。
ヴァイスの蒼い瞳が、
真っ直ぐ新入生達を見据えた。
「誰かを守るために剣を取れる者だけが、
騎士を名乗れ」
静寂。
その言葉は、
アーデルハイドの胸へ深く突き刺さった。
守るために。
その言葉だけで、
失った過去が脳裏をよぎる。
父。
母。
弟。
守れなかったもの。
ヴァイスは静かに新入生達を見渡した。
「……以上だ」
演説が終わる。
だが誰一人、
すぐには動けなかった。
それほどまでに、
ヴァイスの言葉は重かった。
ヴァイス司教が演壇から静かに下がる。
だが講堂を包む緊張感は、
まだ消えていなかった。
静寂。
その空気の中、
再び講堂奥の扉が開く。
次の瞬間――
新入生達の空気がざわめいた。
「……え」
「まさか……」
「本物か……?」
小さなどよめきが広がっていく。
重い軍靴の音。
ゆっくりと姿を現したのは、
白銀の軍装を纏った一人の男だった。
白銀の長外套。
鍛え上げられた体躯。
腰に提げられた長剣。
そして、
静かな威圧感。
カイル=レオンハルト。
不死隊中央軍第一大隊隊長。
エデン=ノア最強の騎士。
“聖剣”の称号を持つ英雄だった。
その姿を見た瞬間、
アーデルハイドは目を見開いた。
――カイル隊長……
幼い頃から、
何度も名前を聞いてきた。
孤児院でも。
街でも。
騎士学校を目指す者なら、
誰もが知る存在。
レムナント侵攻から幾度も人々を守った英雄。
不死隊の象徴。
そして――
幼い日のアーデルハイドにとって、
絶望の中に現れた“救い”そのものだった。
崩れた街。
燃える家々。
血の匂い。
泣き叫ぶ声。
死がすぐ隣にあったあの日。
恐怖で動けなくなっていた自分の前に、
白銀の剣を振るい現れた騎士。
それがカイル=レオンハルトだった。
今でも覚えている。
瓦礫と炎の向こう側。
振り返った彼の姿を。
まるで、
本当に物語の騎士のようだった。
胸が強く脈打つ。
講堂全体が静まり返る中、
カイルはゆっくりと演壇へ立った。
蒼い瞳が、
新入生達を静かに見渡す。
その視線だけで、
空気が張り詰める。
だが不思議と、
恐怖ではなかった。
圧倒的な安心感。
“この人なら守ってくれる”
そう思わせる何かがあった。
やがてカイルは口を開く。
「諸君」
低く落ち着いた声。
だが力強い。
「まずは入学を祝おう」
「ここへ立つまで、
諸君らは多くを乗り越えてきたはずだ」
「努力した者もいるだろう」
「才能を見出された者もいるだろう」
「あるいは――
何かを失ったからこそ、
ここへ来た者もいるかもしれない」
その言葉に、
アーデルハイドの肩が小さく揺れた。
まるで、
自分を見透かされたようだった。
カイルは続ける。
「だが覚えておけ」
「騎士とは、
強い者のことではない」
講堂が静まり返る。
「恐怖の中でも前へ進み」
「傷付きながらも立ち上がり」
「誰かを守るために剣を取れる者」
「それが騎士だ」
静かな声。
だがその言葉には、
実際に戦場を生き抜いてきた重みがあった。
「戦場は理不尽だ」
「力だけではどうにもならんこともある」
「守れない命もある」
一瞬、
カイルの表情に影が落ちる。
まるで、
自らも数え切れない喪失を経験してきたかのように。
だが次の瞬間。
その瞳に、
静かな炎が宿った。
「それでも尚、
我々は剣を取る」
「人類が滅びぬために」
「大切なものを守るために」
「――諸君らの未来に期待する」
静寂。
誰も言葉を発せない。
アーデルハイドはただ、
演壇に立つカイルを見つめていた。
胸の奥が熱かった。
この人のようになりたい。
死の絶望から、
誰かを救える騎士になりたい。
その想いだけが、
強く胸の中に刻まれていく。
そしてその瞬間――
アーデルハイドの中で、
“騎士になる”という夢は、
初めて確かな覚悟へと変わった。
入学式終了後――
張り詰めていた空気は、
講堂を出た瞬間に一気に崩れた。
「やばかったなヴァイス司教……」
「カイル隊長本物だったぞ……」
「思ったより怖ぇ……」
「いやカッコ良すぎだろ……」
あちこちで新入生達が興奮気味に話している。
先程までの静寂が嘘のようだった。
アーデルハイドもまた、
人の流れに乗りながら校舎内を歩いていた。
白亜の長い廊下。
磨き上げられた床。
巨大な窓から差し込む光。
壁には歴代不死隊の記録写真や、
防衛戦の記述が並んでいる。
騎士学校。
ずっと憧れていた場所。
その実感が少しずつ湧いてくる。
やがて新入生達は、
初年度講義用教室へ案内された。
半円状に並ぶ机。
高い天井。
前方には大型投影機。
まるで士官学校のような空間だった。
アーデルハイドは静かに空いている席へ座る。
周囲では既にあちこちで会話が始まっていた。
「どこの出身?」
「適合値どれくらいだった?」
「お前実戦経験ある?」
「外周区画出身?マジかよ」
騎士候補生達。
皆どこか普通の学生とは違う。
緊張感の中にも、
戦う者特有の空気があった。
そんな中――
「隣、いいかな?」
不意に声がした。
アーデルハイドが顔を上げる。
そこに立っていたのは、
一人の少女だった。
柔らかな金髪。
透き通るような碧眼。
整った顔立ち。
白銀の制服を着こなした姿は、
どこか上品なお嬢様を思わせる。
だがそれ以上に印象的だったのは――
その笑顔だった。
人懐っこく、
まるで春の日差しみたいに柔らかい。
「……あ、うん」
アーデルハイドが頷くと、
少女は嬉しそうに微笑み席へ座った。
「よかった。
誰も知り合いいなくて不安だったんだ」
そう言って小さく笑う。
「私はミシェル=アークライト」
少女はそう名乗った。
「中央区画出身。
よろしくね」
アーデルハイドは少しだけ目を瞬かせる。
アークライト。
エデン=ノアでも有名な名家だった。
軍事支援企業と聖堂技術局に深く関わる、
由緒ある家系。
その令嬢が、
こんな気さくに話しかけてきたことに少し驚く。
「私はアーデルハイド=セラフィーネ」
「アーデルハイド……」
ミシェルは少し考えてから、
ふわりと笑った。
「じゃあアデルって呼んでもいい?」
突然の距離感に、
アーデルハイドは少し戸惑う。
だが不思議と嫌ではなかった。
「……うん」
「よかった!」
ミシェルは本当に嬉しそうに笑う。
その明るさに、
アーデルハイドの緊張も少しだけ和らいでいく。
「アデルって綺麗な髪してるね」
「え?」
「銀髪すごく綺麗。
なんか聖堂の絵みたい」
「あ……ありがとう」
急に褒められ、
アーデルハイドは少し視線を逸らした。
するとミシェルがくすりと笑う。
「ふふ、照れてる」
「……照れてない」
「照れてる」
「……」
「可愛い」
「なっ……!?」
入学初日。
騎士学校。
その教室で。
アーデルハイドは、
後に親友となる少女と出会った。




