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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第三章 交錯 ― 優しさの形 ―
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◆2:Snowbound Pact



sideユリカ




朝の冷たい空気の中、雪がしんしんと降っていた。


教会の尖塔は崩れたまま、鐘も鳴らない。


けれど、その場所だけは――まだ、祈りの気配が残っている気がした。




ユリカは白い息を吐きながら、ゆっくりと扉を押し開けた。


軋む音が静けさに吸い込まれていく。




中には、いつもの三人がいた。


闇に包まれたままの姿で、微動だにしない。




ルアルク、リシェリア、リリ。


誰もが、まるで深い夢の中にいるようだった。




ユリカはそっと歩み寄り、冷えきった空気の中に小さく微笑む。


「……おはよう、ルアルク」


呼びかけても返事はない。


けれど、その呼び方はいつもと同じように、迷いがなかった。




「今日も、寒いね」


指先が震える。


けれどその手で、ルアルクの頬に触れることはできない。




「……ミスティアス、たぶん出かけると思うの。


 心配しないでね。


 ちゃんと帰ってこられるように、あの子も強くなったから」




自分に言い聞かせるように呟く。


「あの人の息子ですもの、きっと大丈夫」




静かな礼拝堂の中に、雪の音だけが落ちていく。


祈る声も届かないほどに。




「ルアルク……シェイさんがいたら、きっと笑うでしょうね。


 私たち、何も変わっていないって」




少しだけ笑って、それから――まぶたを閉じた。


「……でもね、あなたたちが戻ってくるその時まで、


 ちゃんと日常を続けておくわ。


 私たちの場所が、ここにあるってわかるように」




扉の向こうでは、ミスティアスとフィリアの声が遠くに聞こえる。


足音が雪を踏みしめる音に変わると、ユリカはそっと振り返った。




「……いってらっしゃい」




彼女の声は、白い息とともに祈りのように溶けていった。






sideミスティアス




白い息が、朝の冷気の中でふっと散る。


手袋の端を整えながら、ミスティアスは扉の方へ視線をやった。


教会の中からは、微かな祈りの声。


母の声だった。




(……また行ってる)




この三ヶ月、毎日のように続く光景。


壊れた教会の中に立ち続ける母の背を、彼はもう何度も見てきた。


それでも、今日だけは声をかけなかった。




「……行こう、フィリア」


「うん」




フィリアは少し大きなマントのフードを深くかぶり、彼の隣に並ぶ。


雪が舞って、彼女の淡い金糸のような髪に白い粒が落ちた。




「ユリカさん、寒くないかな」


「大丈夫だよ。あの人、強いから」


「……そうだね」




そう言いながらも、フィリアの声は少し震えていた。


ミスティアスは小さく息を吐いて、彼女の肩を軽く叩く。




「すぐ戻る。魔物討伐なんて、たいしたことじゃない」


「でも、あなたまで……いなくなったら」




その言葉に、彼は一瞬だけ立ち止まった。


白い雪の中で、彼女の瞳が揺れている。




「俺はいなくならないよ。


 だって……帰る場所、あるから」




フィリアは唇を噛み、小さく頭を振った。


「……やっぱり、ついていく」


「え」


「あなたが帰らなかったら、お母さんに怒られそうだから」


半分冗談、半分本気の声だった。


けれど、ミスティアスは眉を下げて苦笑する。


「俺、子ども扱いかよ」


「違うよ。……心配しただけ」




彼は手袋を直しながら空を見上げた。


灰色の雲の切れ間から、かすかな光が降りてくる。




『おい、ミス』


ナーバの声が腰から響く。


『フード深くかぶっとけよ。風、強い』


「……うるさいな」


『母親似だな。無茶して笑ってんじゃねえ』


「お前も相変わらずだ」




軽口を交わしながら、二人は雪の街道へと歩き出す。


後ろを振り返ると、教会の扉がゆっくりと開き、


ユリカが立っていた。




その姿を見て、ミスティアスは一瞬だけ立ち止まる。


けれど振り返らず、ただ手を上げた。




ユリカは何も言わず、小さく頷く。


それだけで充分だった。




雪が、静かに降り続けていた。


祈りの音と、踏みしめる靴音だけが、冬の街に溶けていく。






sideミスティアス




2人分の雪を踏む音が、単調なリズムで続く。


吐く息が白く立ちのぼり、空気は刺すように冷たい。




街道の向こうに、小さな馬車の影が見えた。


陽光を反射して、金色の縁取りが淡く光る。




「……本当に来たんだね」




声と同時に、ストロベリーブロンドの髪が風に揺れた。


セレスタン・エル・ランス・リアギス。


昨日と同じ、軽い笑み。


けれどその瞳の奥には、わずかに緊張の色がある。




「王子が前線に出るなんて、聞いたことないぞ」


「平和な証拠だよ。……誰も止めなかった」


「呆れて、じゃないのか?」


「どっちも正解かな」


肩をわざとらしくすくめ、彼の隣に立つ小柄な少女に目を向ける。


「まぁ、強者の同行者がいる前提だから大丈夫だよ」


「まさか俺のことじゃないよな?」




朝日に透けて、彼の髪が赤く輝く。


その顔には、ふわりと温かい笑みが浮かんだ。


「もちろん。君と――そして、フィリア・リィス・アストレイド嬢」




「えっ、わたしも!?」


「君の名前、もう覚えたよ。神剣の巫女でしょ?」


フィリアは一歩下がって、少し戸惑った顔になる。




「君の“祈り”には、空気を変える力がある。


 魔物の瘴気を払うにはうってつけだ」




言いながら、セレスはにこりと微笑んだ。


その笑顔があまりに自然で、フィリアは何も言えなくなる。




ミスティアスは軽く息を吐いて、彼の横に並んだ。


「……なあ王子、フィリアに変なこと言うなよ」


「失礼だな。僕はいつも誠実だよ」


「嘘つけ」




ナーバが腰の鞘の中でぼそりと呟く。


『こりゃ三角関係の匂いがするな』


「黙れ」


『黙れって言われた。ほらモテ男、また無自覚か』




フィリアはまたミスティアスが独り言を言っていると、小さく笑った。


久しぶりに見るその笑顔に、ミスティアスはほんの少しだけ肩の力を抜いた。




セレスは手綱を引き、馬車の速度を落とす。


その中から小さな包みを取り出して、ぽんと投げた。


ミスティアスが片手で受け取ると、温かい香りがした。




「……パン?」


「焼き立て。厨房から拝借した。朝食、食べてないだろ?」


「気が利く王子様だな」


「“気が利く”って言葉、嫌いじゃないよ」




セレスは笑いながら、マントの裾を払う。


白い雪が舞って、金糸の留め具が光を返した。




ナーバが腰の鞘の中でぼそりと呟く。


『……こいつ、調子いいな』


「悪いやつじゃない」


『お前、またそう言って巻き込まれるタイプだぞ』


「慣れてる」




一つをフィリアに渡し、もう一つを一口かじると、ほのかな甘みが広がった。


どこか懐かしい味。


母が昔焼いたものに似ている。


思わずフィリアと顔を見合わせると、彼女も同じように思ったのか大きな青い目をきらりと輝かせていた。




「おいしい!」


「美味い」


「でしょ? 王宮の厨房は一応、世界一を自負してる」


「お前、なんで討伐に出るんだ?」


「魔物が多いから」


「嘘だろ」




セレスがわずかに目を細めた。


「……君、意外と鋭いね」




ミスティアスはパンを食べ終え、空を見上げた。


「誰かを守るために戦うやつの顔じゃない」


「どういう意味?」


「自分を試しに来たんだろ」




セレスは黙った。


それが否定ではないことを、ミスティアスはすぐに悟った。




「……じゃあ君は? シェイ様の息子」


「父の代わりになんてなれない。


 でも、何もできないのはもう嫌なんだ」




二人の間を風が吹き抜ける。


雪の粒がストロベリーブロンドと漆黒の髪をかすめた。




「いいね」


セレスは静かに笑った。


「そういう顔、好きだよ」


「……は?」


「冗談。今は、ね」




ミスティアスは目を細めて息を吐く。


ナーバが鞘の中で呆れたように唸る。




『……おいミス、またややこしいのに好かれてねえか?』


「……知らねえよ」




風が冷たく、空は白かった。





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