表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第二章 始まりの報告
4/13

◆2:The Door That Won’t Open



王城の扉が開くと、冷えた光が石床を走った。


高天井の謁見の間は、沈黙そのものを神聖とするように、誰一人として無駄な声を立てなかった。




二人の影が長く伸びる。


ひとりは少年というには背が高く、まだ青年と呼ぶには幼さを残していた。


黒髪の中に微かな白光が滲み、その瞳には、亡き者を追い続ける者だけが宿す焦燥の光があった。




もうひとりは、薄金の髪を結い上げた少女。


青の瞳は緊張に震えながらも、その手は少年の袖をしっかりと握っていた。


彼女の名は――フィリア・リィス・アストレイド。


そして少年は、ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ。


“黒の守護者”シェイフィル・ラファリス・ナーバの実子である。




扉番の宣言が響く。




「――ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ殿、ならびにフィリア・リィス・アストレイド殿、


 国王陛下に謁見の栄を賜る」




王は玉座の上に座し、穏やかな眼差しで二人を迎えた。


「顔を上げなさい、ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ殿」


静かな声。だが、その響きには長き沈黙の重さがあった。




ミスティアスは膝を正し、深く頭を垂れる。


「陛下。私は、国家治安局……通称ガーディアンに名を連ねていた、シェイフィル・ラファリス・ナーバの息子、ミスティアス・ディアンヌ・ナーバと申します。


 ――父が最後に向かった遺跡の“再調査”を、許可してください」




王の瞳が、静かに揺れた。


「……シェイ様の尽力、そして彼が残した功績は、この国にとって計り知れぬ。


 我々は今もその恩に報いきれぬままだ」


一度、短い沈黙が落ちた。


「だが、現場は依然として封鎖中だ。


 封印は不安定で、結界の再発動も確認されている。


 国として、貴殿をそこへ向かわせるわけにはいかぬ」




ミスティアスは顔を上げ、まっすぐに言葉を放った。


「危険は承知です。


 父が命を賭けて守ったものを、この手で確かめたい。


 父は……まだ、そこにいるかもしれない」




王は、まるで祈るように目を閉じた。


「……ナーバ殿。


 その想いを否定するつもりはない。


 だが、シェイ様のご子息を再び危険に晒すことなど、我らには――できぬ。


 それでは、彼に申し訳が立たぬのだ」




その言葉は、鉄ではなく悲しみでできた扉のようだった。


閉ざされたまま、誰も開ける術を持たない。




「……承知しました、陛下」


声は低く、落ち着いていたが、指先がわずかに震えていた。


「ご配慮、感謝いたします」




王は頷き、静かに頭を垂れた。


「シェイ様の魂が安らがんことを。


 そして、ミスティアス・ディアンヌ・ナーバ殿――


 貴殿もまた、その志を忘れぬように」




謁見の間を出ると、外の光がまぶしかった。


白い石畳が反射する光が目に痛い。


フィリアが彼の袖を小さく引く。


「……ごめんなさい、ミスティアス」


「君が謝ることじゃないさ」


彼は微笑もうとしたが、頬の筋肉は動かなかった。




そのとき、腰のあたりで低い声が響いた。


王城では帯剣が許可されず、荷物として預けられたことに、ナーバは不満げな声色を隠そうとしない。




『――もうすっかり死人扱いかよ、シェイフィルもかわいそうにな』




ミスティアスは答えなかった。


ただ、拳を強く握りしめた。


歩き出した背に、城門の影が長く伸びていた。


父の名の重さと、その名でさえ届かない現実を――


その歩幅の一つひとつで噛みしめるように。






sideユリカ




教会の扉は、軋んだ音を立てて開いた。


朝の光が差し込んでも、内部は薄闇のままだ。


崩れた祭壇の奥——そこに、彼らは立っている。


まるで時間を止めたように。




ユリカはゆっくりと歩み寄り、足元の埃を払った。


「……おはよう、ルアルク。リリ、リシェ。今日も来たわ」




声をかけても、当然返事はない。


それでも、彼女は穏やかに笑う。


闇の膜に包まれた彼らの輪郭を見つめながら、まるで、いつもの朝食の後みたいに話しかける。




「ミスティアスはね、今日も机にかじりついてるの。


 昨日も夜更かししてたのよ。


 ルアルク、ちゃんと見ててね。


 あなたなら怒るでしょ?」




静かな風が流れる。


誰も動かないはずの礼拝堂で、


ほんの一瞬、光が闇の表面に滲んだ気がした。




「……フィリアは、まだ来られないの」


彼女の声が、少しだけやわらかくなる。


「怖いのね。


 でも大丈夫。


 あなたたちの顔を忘れてるわけじゃないわ。


 ……行きたくなったら、きっと一緒に来るでしょう」




彼女はしばらく黙って立ち尽くす。


その沈黙さえも、会話の一部のようだった。




「リリ。きっとあなた、退屈してるわね。


 でも、待ってて。ちゃんと連れ戻すから」




帰ろうと背を向けた時、光の筋が祭壇をかすめ、一瞬だけルアルクの頬のあたりで反射した。




ユリカは振り返り、


「……うん、ちゃんと聞いてくれてるのね」


と、微笑んだ。




扉を出ると、朝の風が頬を撫でた。


その背に、闇の中の三人がただ静かに、そこに“在り続けていた”。






sideミスティアス




石畳の道に、靴音がひとつ。


朝の風はまだ冷たく、遠くからユリカの姿が見えた。


教会からの帰り道。今日もまた、ひとりで。




ミスティアスは歩み寄り、声をかけた。


「……行ってたの?」




ユリカは少し驚いたように振り向き、微笑んだ。


「ええ。少し、話をしてきたの」




彼女の髪には、古い灰が少しついていた。


ミスティアスが指先でそっと払うと、ユリカは苦笑した。


「ありがとう。……そんな顔しないで、ミスティアス」


「心配くらい、させてよ」


「ふふ。そうね」




少しの沈黙。


風にのって、教会の鐘がわずかに鳴った気がした。


それは幻聴かもしれない。




「何か、変化は?」


「いいえ。けれどね、あの人たち、ちゃんと聞いている気がするの」


ユリカはまっすぐに言った。


「ルアルクも、リリも、リシェも。みんなそこにいるの。


 ……あの人たちは、まだ終わっていない」




ミスティアスは唇を噛んだ。否定できなかった。


あの闇の中に立つ三人の姿を、彼も何度も見た。


触れられなかったその背を、今でも焼きつけている。




腰のあたりで、ナーバがぼそりと呟いた。


『……まったく、あの白黒直系コンビ。


 いくつになってもやんちゃばかりで、心配かけさせやがって』




ミスティアスは思わず吹き出した。


ユリカが首をかしげる。


「どうしたの?」


「いや、なんでも」


母の前で剣が喋っているなんて、言えるはずがなかった。




ユリカはふっと笑った。


「……少し、顔色が戻ったわね」


「たぶん、あいつのせい」


「ナーバ?」


「……バレてる」




ユリカは軽く笑って歩き出した。


「行きましょう。遺跡の資料、また一緒に見せてちょうだい」


「いいけど……俺、もうあれ全部覚えるくらい見てるよ?」


「それでも、あなたが見てる姿を見たいの。……ね?」




その声は、柔らかくて、強かった。


ミスティアスは小さく頷き、ユリカと並んで歩き出す。




朝の光が、二人の影を長く伸ばしていた。


まるで、どこか遠くで――


もう一度、三人が微笑んでいるように。






sideミスティアス




夜の帳が降りるころ、


ミスティアスは机に広げたままの資料を閉じた。


紙の上の線は、もうただの線にしか見えない。


数字も文字も、頭に入ってこなかった。




向かいの椅子で、フィリアが静かに膝を抱えていた。


窓の外では、教会の塔が沈黙したまま影を落としている。


昼間に何度も行っても、何も進展はなかった。


闇に囚われたままの彼らは、今日も“そこにいるだけ”だった。




「……何も、変わらないね」


フィリアがぽつりと呟いた。


その声には、力がなかった。




ミスティアスは答えられず、ただ手元の羽ペンを回した。


ナーバが短く唸る。


『焦っても、何も出ねぇよ』


「……わかってる」


だが、その“わかってる”が空虚に響く。




静かな時間が落ちていく。


蝋燭の火が揺れ、光がフィリアの頬を照らした。


涙が光を反射して、細く流れ落ちる。




「……どうして、何も動かないんだろう」


「フィリア?」


「全部、止まってるみたいで……


 お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、シェイさんも……


 帰ってくるよね……?」




ミスティアスの胸が締め付けられる。


彼女の震える手を、そっと握った。




「帰ってくる」


言葉にしても、自分でも信じきれない。


けれど言わずにはいられなかった。




フィリアは首を振り、声を震わせた。


「……前にね、お父さんに聞いたことがあるの。


 本当の娘じゃないよねって。


 否定してくれなかった。


 だけど、笑って――


 “君はずっと前から変わらず、僕の娘だよ”って言ってくれた。


 ……それでも、怖いの。


 もし、もう会えなかったら……


 あの言葉まで、全部夢みたいに消えちゃいそうで」




ミスティアスは言葉を探せなかった。


ただ、フィリアを抱き寄せる。


小さな体が震えて、嗚咽が静かに胸に響く。




「俺だって、怖いよ。


 でもさ……信じよう。


 俺たちは、あの人たちの子どもなんだから。」




長い沈黙が降りた。


外では風が鳴り、遠くの鐘がひとつだけ響く。




その音は、祈りのようで、どこか泣き声にも似ていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ