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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第十三章 初夏を待つ約束
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◆1:Words Without Excuse

本日より、クリスマスイブ完結に向けて毎日更新していきます。

クリスマスイブには残り最終章すべてを更新予定です。

どうぞ最後までお付き合いいただけたら幸いです。



sideミスティアス




風の中に、まだ冬の匂いが残っていた。


けれど陽だまりだけは、ほんの少し春の手前。


“名前のない家”の庭では、子どもたちが吐く息が光の中で揺れていた。




ミスティアスは、湯気の立つ紅茶を手に、少しぼんやりと窓の外を眺めていた。


陽光が雪解けの水面を照らし、かすかに煌めいている。




「……まぁ、こんだけ子どもがいたら、


 一人増えようが二人増えようが変わらないかもしれないけどさ……」




少し離れたリビングの片隅では、おままごととブロック遊びとお絵描きがそれぞれのスペースで同時に展開されていた。


一人一人が真剣に遊んでいる。




テーブルの向かいで、ユリカが満面の笑みを浮かべていた。


「なによその言い方。嬉しくないの?」




「いや、嬉しくないわけじゃないけど……ファリス、まだ生後3か月だよな?」


ミスティアスは頭をかく。


「母さんたち若くないんだからさ、秋にこの子が生まれたら、そろそろ落ち着こうよ……」




その言葉に、隣のルアルクが真っ赤になって俯いた。


「……す、すみません」




「そこでルアルクさんが謝るの、なんかリアルで気まずいんですけど……」


「いや……反省は、してる」


「反省って言い方おかしいだろ!?」




ユリカが、わざとらしく肩をすくめて微笑んだ。


「いいじゃない。幸せなんだから」




その瞬間、場がしんと静まり、ミスティアスがため息をつく。


「……夫婦の力関係、完全に見えたわ……」




リリが紅茶を吹き出す勢いで笑った。


「出た、ナーバ家遺伝の毒舌!」


リシェリアも顔を押さえて肩を震わせる。


「お父様がんばって……」


「……うん、頑張るよ」




「いや、頑張った結果がこれなので、頑張らなくていいんですよ」




再び、静寂。


そして次の瞬間、ユリカが吹き出した。


「ちょっと! 言うようになったじゃない!」


リリが机を叩いて大笑いする。


「完全にユリカ似ね!」


ルアルクは赤くなったまま苦笑した。


「……ごめん、否定できない」




笑いの渦のなか、セレスが静かに微笑んだ。


「ほんと、君の家、おもしろいね」




その言葉に、ミスティアスが照れくさそうに頬をかく。


「まあ、静かな時間の方が珍しい家だからな」




その言葉にユリカが微笑んで、紅茶のカップを差し出す。


「いいのよ。それでこそ“名前のない家”だわ」




窓の外では、雪解けの水が雫になって落ちていた。


風はまだ少し冷たいけれど、


光の中に、春の気配が確かにあった。









「……やっぱり、あなたの部屋って落ち着く」




扉を閉めた瞬間、外のざわめきが遠ざかった。


ナーバ邸の中でも最も静かな部屋。


壁も床も灰と黒のモノトーンで統一されていて、


机と椅子、それにベッドと低いローテーブル。


装飾らしいものは何ひとつない。




ただ、観葉植物だけが窓辺で小さく揺れている。


前に見たときよりも、少し背が伸びていた。




ミスティアスは何も言わず、靴を脱いでラグの上に腰を下ろす。


その仕草も、あの頃と変わらない。




「ユリカさん、また言ってましたね」


セレスが笑いながら口にする。


「“くれぐれも節度を保ちなさいよ? それでも万が一のときは早めに相談してね”」




「聞こえてたのかよ」


ミスティアスは頭を抱えて苦笑した。


「もう、完全に信頼と監視の間くらいだな」




「信頼、だと思いますよ。


 ……あなたは、家族にとって“心配したくなる”タイプだから」


「それ、慰めてるのか?」


「もちろん」




セレスはベッドに視線を向けた。


白いシーツの上には、黒いクッションがひとつだけ投げ出されている。


それを見て、少しだけ首をかしげた。




「……あれ、使うの?」


「うん」


ミスティアスは立ち上がって、そのクッションを片手で持ち上げると、


ラグの上にぽん、と放り投げた。


「俺、床派なんだ。集中するときも、だらけるときもここ」




「ベッドは?」


「寝るときだけ。


 あそこに座ると、なんか落ち着かなくて」




セレスはふっと笑って、彼の隣に腰を下ろす。


ラグの冷たさとクッションの柔らかさ。


そして、距離の近さ。


以前なら緊張したであろう空気が、今はなぜか穏やかだった。




ミスティアスは紅茶のカップを手渡す。


「母さんが淹れてくれたやつ。


 ……さっき、わざわざポットごと持たせてきた」


「“節度を保て”の次がこれ、ですか」


「な。どういう順番だよって思うけど……まぁ、ありがたい」




二人で笑い合うと、部屋の空気がやわらかくなる。


以前は硬質だった静けさが、今は“落ち着くための沈黙”に変わっている。




カップを置いて、ミスティアスは少しだけ真面目な顔になった。


「……なんか、不思議だな」


「何が?」


「この部屋、前は“考える場所”だったんだ。


 でも今は、君がいると、考えないでいられる」




セレスはゆっくりと息を吸い、微笑んだ。


「それは……いいこと?」


「たぶん、いいこと」


「たぶん?」


「“確実に”って言うの、恥ずかしいから」




「素直じゃないですね」


「父さん譲りだよ」


「でも、照れてる顔はお母さん似」




そう言われて、ミスティアスは完全に言葉を失った。


セレスがくすりと笑う。




「……ねえ」


「うん?」


「この部屋って、音が静かすぎて、自分の鼓動が聞こえるのね」


「そう?」


「ええ。今も、すこしうるさいくらい」




ミスティアスはカップを持つ手を止めて、そっと視線を向ける。


セレスの睫毛がランプの灯に透けて、影が頬に落ちていた。




(……ほんとに、鼓動がうるさいのは、こっちのほうだろ)




言葉にはしないまま、ミスティアスは小さく息を吐いた。


セレスが指先でローテーブルの木目をなぞる。


その指先が少しだけ近づいて、ミスティアスの手の甲に触れる。




一瞬、時間が止まったようだった。


魔力がかすかにふわりと混ざって、春のぬるい温度を作る。




「……ミスティアス」


「なに?」


「こうやって“呼ぶ”の、まだ慣れません」


「俺も。……でも、嬉しい」




その言葉に、セレスの口元がゆるむ。


少し間をおいて、彼女は頬杖をついた。


「ねえ、ミスティアス。


 あなたって、ちゃんと向き合おうとすると、少し不器用になるのね」


「自覚はある」


「でも、それが好き」




その一言に、ミスティアスは反射的に息をのむ。


火が灯ったような静かな赤が頬にさした。




「……そういうの、反則」


「じゃあ取り消す?」


「いや、取り消さないで」




笑い合いながら、ふたりはしばらく黙った。


ランプの灯が揺れて、白と黒の部屋に淡い橙が混ざる。


外では風が鳴り、観葉植物の葉が揺れた。




(――ああ、これが“恋人の時間”なんだな)




ただ並んで座っているだけ。


それなのに、こんなにも心が満たされる。




やがて、ミスティアスは少しだけ身体を傾けて、セレスの肩に頭を預けた。




「……重くない?」


「ううん。ちょうどいい」




静寂の中で、呼吸と鼓動の音だけが重なっていく。


ミスティアスは、肩に預けていた頭をそっと上げた。


視線が合った瞬間、空気がわずかに震える。


けれど、それは魔力の揺らぎではなかった。




「……セレス」


「はい」




呼吸の温度だけが混ざる距離で、彼はゆっくり手を伸ばした。


頬に触れた指先が、静かに震えている。


魔法陣も、契約の印も、何も介さない。


ただ“触れたい”と思ったから触れる――それだけの理由。




唇が触れた。


光も、音も、魔力さえも沈黙した。


世界がすべて、ひとつの息に集まるようだった。




唇が離れたあとも、額は触れたままだった。


互いの呼吸が小さく震え、春の夜の空気に溶けていく。


外では雪解けの雫がときどき落ち、遠くで小さく蛙の声がした。




「……魔力、動かなかったな」


「動かさなかったんです」


「どうして?」


「これは、“言い訳のいらないキス”だから」




セレスの答えに、ミスティアスは息を詰めて笑う。


「……ずるいな」


「知ってます」






ふたりの影が重なったその瞬間、部屋の空気の底から、光がゆるやかに立ちのぼった。




最初に滲んだのは、ミスティアスの黒。


夜そのもののような、静かで深い黒。


それが彼の肩からふわりと流れ出し、ラグの上を這うように広がっていく。




続いて、セレスの胸元から青が滲む。


氷が溶けるような淡い青。


それが呼吸に合わせて赤へとほどけ、彼女の体温と心の色をそのまま映していた。




青と赤と黒――


三つの光が触れ合った瞬間、部屋の中に春のぬるい風が流れ込む。


窓の外では雪解け水が滴り、夜の空気がまるで息づくようにやわらかくなる。




「……綺麗」


セレスが囁く。


「これが、あなたなんですね」


「うん。怖がられる色だったけど……今は、君に見せたい」


「見せてくれて、ありがとう。


 ――夜の中の安心の色です」




彼女の手が黒い光を包み込む。


その掌に青と赤が混ざり、ゆっくり紫へと変わる。


まるで夜明けが生まれる瞬間の空のように。




「……ごめん。やっぱり、少し溢れそうだ」


「なら、私にください。ちゃんと受け取りますから」




「……助けて、セレス」




その言葉とともに、光が静かに流れ出した。


黒と青と赤が混ざり合い、春の風のような温度でひとつになる。




冷たくも熱くもない――ただぬるい。


けれど、そのぬるさがたまらなく心地いい。


生きている証の温度だった。




魔力が落ち着いたあと、セレスの髪の端に黒の粒が一つ残る。


ミスティアスがそれを指で撫でて笑った。




「……俺たちらしいな。言い訳のいらないキスのあとで、結局これだ」


「ええ。でも、“生きてる”ってことです」


「……ほんと、敵わないな」




春の夜風がカーテンを揺らし、観葉植物の葉がそっと触れ合う。


黒と青と赤の余韻が部屋に残り、モノトーンの世界にわずかな彩りを落としていく。




それは、長い冬を越えたあとに訪れる――


春のぬるさそのものだった。





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