◆1:Words Without Excuse
本日より、クリスマスイブ完結に向けて毎日更新していきます。
クリスマスイブには残り最終章すべてを更新予定です。
どうぞ最後までお付き合いいただけたら幸いです。
sideミスティアス
風の中に、まだ冬の匂いが残っていた。
けれど陽だまりだけは、ほんの少し春の手前。
“名前のない家”の庭では、子どもたちが吐く息が光の中で揺れていた。
ミスティアスは、湯気の立つ紅茶を手に、少しぼんやりと窓の外を眺めていた。
陽光が雪解けの水面を照らし、かすかに煌めいている。
「……まぁ、こんだけ子どもがいたら、
一人増えようが二人増えようが変わらないかもしれないけどさ……」
少し離れたリビングの片隅では、おままごととブロック遊びとお絵描きがそれぞれのスペースで同時に展開されていた。
一人一人が真剣に遊んでいる。
テーブルの向かいで、ユリカが満面の笑みを浮かべていた。
「なによその言い方。嬉しくないの?」
「いや、嬉しくないわけじゃないけど……ファリス、まだ生後3か月だよな?」
ミスティアスは頭をかく。
「母さんたち若くないんだからさ、秋にこの子が生まれたら、そろそろ落ち着こうよ……」
その言葉に、隣のルアルクが真っ赤になって俯いた。
「……す、すみません」
「そこでルアルクさんが謝るの、なんかリアルで気まずいんですけど……」
「いや……反省は、してる」
「反省って言い方おかしいだろ!?」
ユリカが、わざとらしく肩をすくめて微笑んだ。
「いいじゃない。幸せなんだから」
その瞬間、場がしんと静まり、ミスティアスがため息をつく。
「……夫婦の力関係、完全に見えたわ……」
リリが紅茶を吹き出す勢いで笑った。
「出た、ナーバ家遺伝の毒舌!」
リシェリアも顔を押さえて肩を震わせる。
「お父様がんばって……」
「……うん、頑張るよ」
「いや、頑張った結果がこれなので、頑張らなくていいんですよ」
再び、静寂。
そして次の瞬間、ユリカが吹き出した。
「ちょっと! 言うようになったじゃない!」
リリが机を叩いて大笑いする。
「完全にユリカ似ね!」
ルアルクは赤くなったまま苦笑した。
「……ごめん、否定できない」
笑いの渦のなか、セレスが静かに微笑んだ。
「ほんと、君の家、おもしろいね」
その言葉に、ミスティアスが照れくさそうに頬をかく。
「まあ、静かな時間の方が珍しい家だからな」
その言葉にユリカが微笑んで、紅茶のカップを差し出す。
「いいのよ。それでこそ“名前のない家”だわ」
窓の外では、雪解けの水が雫になって落ちていた。
風はまだ少し冷たいけれど、
光の中に、春の気配が確かにあった。
◇
「……やっぱり、あなたの部屋って落ち着く」
扉を閉めた瞬間、外のざわめきが遠ざかった。
ナーバ邸の中でも最も静かな部屋。
壁も床も灰と黒のモノトーンで統一されていて、
机と椅子、それにベッドと低いローテーブル。
装飾らしいものは何ひとつない。
ただ、観葉植物だけが窓辺で小さく揺れている。
前に見たときよりも、少し背が伸びていた。
ミスティアスは何も言わず、靴を脱いでラグの上に腰を下ろす。
その仕草も、あの頃と変わらない。
「ユリカさん、また言ってましたね」
セレスが笑いながら口にする。
「“くれぐれも節度を保ちなさいよ? それでも万が一のときは早めに相談してね”」
「聞こえてたのかよ」
ミスティアスは頭を抱えて苦笑した。
「もう、完全に信頼と監視の間くらいだな」
「信頼、だと思いますよ。
……あなたは、家族にとって“心配したくなる”タイプだから」
「それ、慰めてるのか?」
「もちろん」
セレスはベッドに視線を向けた。
白いシーツの上には、黒いクッションがひとつだけ投げ出されている。
それを見て、少しだけ首をかしげた。
「……あれ、使うの?」
「うん」
ミスティアスは立ち上がって、そのクッションを片手で持ち上げると、
ラグの上にぽん、と放り投げた。
「俺、床派なんだ。集中するときも、だらけるときもここ」
「ベッドは?」
「寝るときだけ。
あそこに座ると、なんか落ち着かなくて」
セレスはふっと笑って、彼の隣に腰を下ろす。
ラグの冷たさとクッションの柔らかさ。
そして、距離の近さ。
以前なら緊張したであろう空気が、今はなぜか穏やかだった。
ミスティアスは紅茶のカップを手渡す。
「母さんが淹れてくれたやつ。
……さっき、わざわざポットごと持たせてきた」
「“節度を保て”の次がこれ、ですか」
「な。どういう順番だよって思うけど……まぁ、ありがたい」
二人で笑い合うと、部屋の空気がやわらかくなる。
以前は硬質だった静けさが、今は“落ち着くための沈黙”に変わっている。
カップを置いて、ミスティアスは少しだけ真面目な顔になった。
「……なんか、不思議だな」
「何が?」
「この部屋、前は“考える場所”だったんだ。
でも今は、君がいると、考えないでいられる」
セレスはゆっくりと息を吸い、微笑んだ。
「それは……いいこと?」
「たぶん、いいこと」
「たぶん?」
「“確実に”って言うの、恥ずかしいから」
「素直じゃないですね」
「父さん譲りだよ」
「でも、照れてる顔はお母さん似」
そう言われて、ミスティアスは完全に言葉を失った。
セレスがくすりと笑う。
「……ねえ」
「うん?」
「この部屋って、音が静かすぎて、自分の鼓動が聞こえるのね」
「そう?」
「ええ。今も、すこしうるさいくらい」
ミスティアスはカップを持つ手を止めて、そっと視線を向ける。
セレスの睫毛がランプの灯に透けて、影が頬に落ちていた。
(……ほんとに、鼓動がうるさいのは、こっちのほうだろ)
言葉にはしないまま、ミスティアスは小さく息を吐いた。
セレスが指先でローテーブルの木目をなぞる。
その指先が少しだけ近づいて、ミスティアスの手の甲に触れる。
一瞬、時間が止まったようだった。
魔力がかすかにふわりと混ざって、春のぬるい温度を作る。
「……ミスティアス」
「なに?」
「こうやって“呼ぶ”の、まだ慣れません」
「俺も。……でも、嬉しい」
その言葉に、セレスの口元がゆるむ。
少し間をおいて、彼女は頬杖をついた。
「ねえ、ミスティアス。
あなたって、ちゃんと向き合おうとすると、少し不器用になるのね」
「自覚はある」
「でも、それが好き」
その一言に、ミスティアスは反射的に息をのむ。
火が灯ったような静かな赤が頬にさした。
「……そういうの、反則」
「じゃあ取り消す?」
「いや、取り消さないで」
笑い合いながら、ふたりはしばらく黙った。
ランプの灯が揺れて、白と黒の部屋に淡い橙が混ざる。
外では風が鳴り、観葉植物の葉が揺れた。
(――ああ、これが“恋人の時間”なんだな)
ただ並んで座っているだけ。
それなのに、こんなにも心が満たされる。
やがて、ミスティアスは少しだけ身体を傾けて、セレスの肩に頭を預けた。
「……重くない?」
「ううん。ちょうどいい」
静寂の中で、呼吸と鼓動の音だけが重なっていく。
ミスティアスは、肩に預けていた頭をそっと上げた。
視線が合った瞬間、空気がわずかに震える。
けれど、それは魔力の揺らぎではなかった。
「……セレス」
「はい」
呼吸の温度だけが混ざる距離で、彼はゆっくり手を伸ばした。
頬に触れた指先が、静かに震えている。
魔法陣も、契約の印も、何も介さない。
ただ“触れたい”と思ったから触れる――それだけの理由。
唇が触れた。
光も、音も、魔力さえも沈黙した。
世界がすべて、ひとつの息に集まるようだった。
唇が離れたあとも、額は触れたままだった。
互いの呼吸が小さく震え、春の夜の空気に溶けていく。
外では雪解けの雫がときどき落ち、遠くで小さく蛙の声がした。
「……魔力、動かなかったな」
「動かさなかったんです」
「どうして?」
「これは、“言い訳のいらないキス”だから」
セレスの答えに、ミスティアスは息を詰めて笑う。
「……ずるいな」
「知ってます」
ふたりの影が重なったその瞬間、部屋の空気の底から、光がゆるやかに立ちのぼった。
最初に滲んだのは、ミスティアスの黒。
夜そのもののような、静かで深い黒。
それが彼の肩からふわりと流れ出し、ラグの上を這うように広がっていく。
続いて、セレスの胸元から青が滲む。
氷が溶けるような淡い青。
それが呼吸に合わせて赤へとほどけ、彼女の体温と心の色をそのまま映していた。
青と赤と黒――
三つの光が触れ合った瞬間、部屋の中に春のぬるい風が流れ込む。
窓の外では雪解け水が滴り、夜の空気がまるで息づくようにやわらかくなる。
「……綺麗」
セレスが囁く。
「これが、あなたなんですね」
「うん。怖がられる色だったけど……今は、君に見せたい」
「見せてくれて、ありがとう。
――夜の中の安心の色です」
彼女の手が黒い光を包み込む。
その掌に青と赤が混ざり、ゆっくり紫へと変わる。
まるで夜明けが生まれる瞬間の空のように。
「……ごめん。やっぱり、少し溢れそうだ」
「なら、私にください。ちゃんと受け取りますから」
「……助けて、セレス」
その言葉とともに、光が静かに流れ出した。
黒と青と赤が混ざり合い、春の風のような温度でひとつになる。
冷たくも熱くもない――ただぬるい。
けれど、そのぬるさがたまらなく心地いい。
生きている証の温度だった。
魔力が落ち着いたあと、セレスの髪の端に黒の粒が一つ残る。
ミスティアスがそれを指で撫でて笑った。
「……俺たちらしいな。言い訳のいらないキスのあとで、結局これだ」
「ええ。でも、“生きてる”ってことです」
「……ほんと、敵わないな」
春の夜風がカーテンを揺らし、観葉植物の葉がそっと触れ合う。
黒と青と赤の余韻が部屋に残り、モノトーンの世界にわずかな彩りを落としていく。
それは、長い冬を越えたあとに訪れる――
春のぬるさそのものだった。




