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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第十一章 雪の夜に燃える灯
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◆3:The House Without a Name



――家の明かりが見えた。




扉を開けた瞬間、湯気と紅茶の香りがふわりと流れ出る。


「ただいま」


その声に、奥から聞こえたのは――




「ミスティアス!」




ユリカの声だった。


驚きと安堵と、そして怒りを全部混ぜたようなトーン。




「あなたねぇ、昨日から何の連絡もなしに!


 セレス殿下まで巻き込んで、何をしていたの!」




「ちょ、違うんだ、母さん!誤解だって!」


「誤解もなにも、抱きしめたって聞いたわよ!」


「誰情報!?」


「……わたし」


「姉さん!?」




その場の空気が凍るより早く、背後から聞こえてきた柔らかな笑い声。




「まぁまぁ、ユリカ。


 僕たちの昔を思い出すよね。


 僕ならとっくに手を出して――」




「ルアルク!」


ユリカの声が炸裂した。


リリが奥から顔を出してクスクス笑う。




「出た出た、いつもの流れね」


「なんで俺よりルアルクさんのほうが怒られてるの!?」


「だって、あなたパパよりお父様に似てるから」


「褒めてる!?貶してる!?」


「どっちも!」




笑い声が広がる。


セレスもその輪の中にいて、少し恥ずかしそうに頬を染めながら、それでも微笑んでいた。




「……でもね」


ユリカがふっと笑みを和らげて、紅茶を差し出す。


「万が一、何かあっても……私は受け入れるわ」




「……母さん!? 俺を信じてないの!?」


「私もね、あの夜に”ルアルクに手を出した”当事者ですからね。


 私の息子なら、手を出します」


言い切るユリカに、リリが横で肩をすくめた。


「……子どもの前で言う発言じゃないけど、あんたたちらしいわ」




「いや、本当に信じてくれよ……。


 絶対父さん、天国でこのやり取りみて笑い転げてるだろ……」


ミスティアスががっくりと肩を落とす。


「……まぁ、シェイさんの血を引く君なら、手を出さなかったんだろうね。


 あの人、理性の塊だから」


からかってごめん、と慰めるようにルアルクがミスティアスの頭を撫でる。


「ルーは感情担当、シェイさんは理性担当だもんね」


リリの追撃が炸裂し、みんなが笑った。




笑い声に驚いたのか、部屋の隅のベビーベッドから泣き声が聞こえてきて、この家の子どもたちが「ルーくん、ママ、ファリスが!!」と呼びに来る。


「あらあら、この泣き方はミルクかしら」


ユリカがすっと席を立つと、何人かの子どもたちが一緒になって付いていく。


「ミスにぃちゃんおかえりっ!


 何怒られてたの!? いたずらしたの?」


男の子たちがミスティアスにじゃれつく。


両腕に子どもをぶら下げながら、ミスティアスは「よし、遊ぶか」と声を掛けた。


わぁ、と歓声が上がる。




「賑やかでしょう?


 セレスちゃんびっくりしたんじゃない?」


リシェリアの声掛けに、いえ、とセレスが首を振る。


「賑やかなのはいいですね。


 彼のあんな顔も、初めて見ました」


子どもたちと楽しく遊ぶ姿を、まぶしそうにセレスが見つめる。


「中身、案外子どもだからね、ミスくん。


 シェイさんにも素直になれなくて反抗してばかりだったんだよ」


「おい、聞こえているぞフィリア!!」


子どもたちにもみくちゃにされながら、ミスティアスが叫ぶ。


「セレス殿下、君が何を抱えていても、君ももう大切な家族なんだ。


 遠慮しなくていい。


 僕たちは、君も含めて”守る”と決めているからね」


子どもたちの歓声に混ざって聞こえてきた義父の言葉に、ミスティアスは胸がいっぱいになった。




守る人は、多ければ多いほど――いいに決まっている。




明るい笑い声と、湯気の立つ紅茶の香りが部屋に広がった。


窓の外では、また雪がひとひら落ちてきた。






外の寒さとは裏腹に、ミスティアスは胸の奥に、ずっと昔から知っているような懐かしい温もりが灯るのを感じた。









雪の夜が明けた。


白い光が屋根を照らし、氷の雫がひとつ、またひとつと落ちていく。




暖炉の火が消えかけの橙を揺らす頃、「名前のない家」はもう目を覚ましていた。


子どもたちの笑い声、パンを焼く香ばしい匂い、廊下を駆ける足音。




――この家の朝は、いつもにぎやかだ。




(……いい音だ)




湯気の立つマグを手に取り、ミスティアスは微笑む。


父が守ろうとした「日常」は、今こうして息づいている。




その瞬間――




チャイムが鳴った。


低く澄んだ音が、家の空気を切る。




「……まさか、また王族とかじゃないだろうな」


ぼやきながら扉を開けた瞬間、言葉が凍る。




玄関の前には、白馬の引く王家の馬車。


雪の上で金の紋章が朝日を受けて輝いていた。




「やぁ! おはよう、ナーバ公爵子息!」


軽やかな声。


イリアス・エル・ランス・リアギス。


その隣に、真面目な表情で立つ第二王子・アリオン。




ミスティアスは心の底で呻く。


(……本当に来た)




「……おはようございます」




「おや、相変わらず君は真面目だねえ。


 シェイ様は人間茶目っ気も大事って俺に教えてくれたんだけど、君には言わなかったのかな?」


イリアスの声に、シェイのおどけた声がどこか重なって聞こえたような気がした。




二人の背後では、侍女たちが大きな箱をいくつも抱えている。


ドレス、靴、布地、アクセサリー……玄関がいっぺんに色づいた。




ミスティアスは眉を押さえる。




(……よりによって朝一番に、兄王子セット……)




「誰か来たー!」


奥の部屋から小さな声。


ぱたぱたと軽い足音が重なって、子どもたちがどっと玄関へ雪崩れ込む。




「お客さん!」「わあっ、キラキラしてる!」「剣!ほんものの剣!!」


「王子さまだーー!!!」




あっという間に玄関が埋まる。


イリアスは少し目を瞬かせ、それからふっと笑った。


「やぁ、小さな騎士たち。


 そんなに見つめられると、緊張してしまうよ」




その優しい声に、子どもたちは一斉に笑顔になった。


アリオンも膝をつき、「おはよう」と穏やかに頭を下げる。


「おはようございます!」


「“おはようございます”だって!」「すごーい!」


みんなが真似をして大合唱。




「……王城より賑やかだな」


アリオンが呆れ半分、微笑半分で呟く。


イリアスはくすりと笑って、「いいじゃないか、平和だ」と答える。


「この笑顔を守るために、俺たちが存在するんだ」


「そうですね」




奥の廊下から、柔らかな声がした。


「みんな、廊下を走らないの」




その声に、子どもたちが振り向く。


白い家服を纏ったセレスが現れた。


金の瞳が朝の光を受け、雪よりも明るく光る。




「セレスせんせーだ!」


「お姫さまみたい!」


「ほんとにお姫さまなんだよ!」




イリアスとアリオンが一瞬だけ顔を見合わせる。


「……妹、人気だな」


「“先生”って呼ばれているのですか?」


「はい。読み書きと、少しだけ礼儀を。あと……人生も」


ミスティアスがぼそっと付け加えた瞬間、アリオンが素で驚いた。


「じ、人生!?」


「……教えるのが早いのか、学ぶのが遅いのか」


イリアスがくすくすと笑う。




ユリカが紅茶の香りをまとって現れた。


「まぁまぁ、立ち話も寒いでしょう。中へどうぞ」


子どもたちがわーっと動いて、侍女たちの荷を運び始める。


「ちょっ、触らないで!」「落としたら大変ですよ!」と侍女が慌てる。


その光景にアリオンが息を呑む。




「……これが、“名前のない家”ですか」


イリアスが静かに頷く。


「誰も“呼ばれない子”を出さない家――シェイ様が静かに背中を押した、ルアルク・ノア・アストレイドの夢だ」




セレスが穏やかに微笑んだ。


「ここが、私の居場所です。兄上」




暖炉の火がぱち、と弾ける。


外の雪はまだ残るけれど、この家の中だけは、どこまでも春のようにあたたかかった。






「……で、この箱の山は?」


ミスティアスが眉をひそめる。


玄関には、侍女たちが並べきれなかったドレスの箱がまだ三列。


リボンの結び目から、絹やレースの端がちらりと覗く。




「妹の正式な装いを用意しない兄がどこにいる?」


イリアスが自慢げに言い放つ。


「心配して徹夜で選んだんだぞ。色違いで十着もな」


「多いです! 十着はいりません!」


セレスが即座にツッコミを入れる。


「兄上、彼女は“逃げてきた”のです。婚約披露じゃないんですよ」


アリオンが真面目に諫めるが、イリアスは涼しい顔で続ける。


「逃げても、誇りは脱げないんだよ。


 ――王女になる準備、しておきなさい」




その言葉に、セレスは小さく息をのんだ。


だが、叱る調子ではない。


優しく、まるで“兄”そのものの声。




「……兄上」


「なぁに?」


「ありがとう。でも、本当に十着は多いです」


「減らすなら、君が選べ」




そのやりとりに、横からユリカがふわりと笑って入る。


「まぁまぁ。せっかくですもの、みんなで選びましょう」


その声に、待ってましたと言わんばかりに子どもたちが群がる。




「これかわいいー!」「こっちはキラキラしてる!」「似合いそうー!」


「触っちゃだめって言われたのにー!」


侍女の悲鳴と、子どもたちの笑い声が混ざって家の中が一気に明るくなる。




フィリアが興奮した声で言った。


「これ、絶対セレスちゃんに似合う! 白と金のドレス! ねぇミスくん!」


「え、俺に振る!? ……いや、似合うと思うけど」


顔が赤くなるミスティアス。


イリアスが面白そうに腕を組んで見ている。




「ほぅ、なるほど。


 君、照れると耳まで赤くなるんだな。シェイ様譲りだ」


「ど、どこ見てるんですか!」


アリオンがため息をつく。


「兄上、からかわないでください。彼は誠実な方です」


「誠実なのはわかってる。だから面白いんじゃないか」


軽妙なやり取りに、リシェリアとフィリアまで笑い出す。




選ばれたドレスは――きれいな光沢のある白地に、裾や袖に小さなすずらんを形どった金の刺繍が施されているものだった。


セレスが腕を通した瞬間、部屋の空気が変わった。




「……どう?」


鏡の前に立つ彼女に、ユリカが微笑む。


「とても綺麗。セレスちゃん、貴女のありのままの姿を一番引き立てるドレスだわ」




イリアスも静かに頷いた。


「うん。これは“王女”じゃなくて、“君自身”の服だ」




ミスティアスは言葉を失い、ただ見惚れていた。


その瞳の奥で、火のような決意が小さく灯る。




(――守りたい。この人を。どんな未来でも)




窓の外では、雪がやんで光が差し始めていた。





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