表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第十一章 雪の夜に燃える灯
33/47

◆1:The Light That Burns in the Snow



sideミスティアス




ナーバ家は、かつてと比べたら随分と静かな場所になっていた。


ここに帰ってくるのは、ミスティアスとリシェリア、フィリアがほとんどだった。


一番帰っているミスティアスも、週の半分は名前のない家で過ごす。




だが、この家は静かだけど、決して寂しくはなかった。


父との思い出と、父の痕跡が詰まったこの家は、彼の宝物だ。


父本人が生きていたら、決して言えなかっただろう。


今、距離ができてしまったからこそミスティアスは素直にそう思った。




彼の隣にはセレス。


夜半に振り出した雨に打たれて、二人とも身体がすっかり冷えてしまっていた。


色の変わった衣服は体温を奪う。




風邪をひく前に。


玄関から浴室へ一直線に案内した。


タオルを渡して彼女を脱衣所に押し込むと、ここまできた安心感からか、ずるずると壁伝いに座り込んでしまった。




勢いに任せてここまで連れてきてしまった自覚はある。


だが、もう、彼はとっくに選んでいた。




ミスティアスはゆっくりと息を吐きだすと、目を閉じた。




――いつだったか、父に問われた足りない覚悟を、今一度持つために。




もう一人の”父”の姿から学んだ、守るという覚悟をはっきりと抱いたあの日を思い出した。






――ファリスが生まれた夜。




廊下の外で、何もできずに立ち尽くしていた。


母の苦しそうな声に、扉の向こうに近づくのも怖くて、拳を握ることしか彼にはできなかった。




「大丈夫」


隣でフィリアがそう言った。


セレスも静かに頷いて、彼の肩に手を置いた。




でも、あの時の沈黙は息が詰まるほど重かった。


“守ること”がどれだけ難しいかを、そのとき初めて思い知った気がする。




やがて――。




『おめでとうございます、女の子です!』




医師のその声と同時に、母の泣き笑いが聞こえた。


義父の泣き声も。




扉が開き、小さな命が布に包まれて現れた。


あの瞬間の光景を、ミスティアスは今でもはっきりと覚えている。




腕の中で眠るファリスは、信じられないほど小さくて、呼吸をするたびに胸がかすかに上下していた。




「……かわいい……あなたにそっくり」


母のその言葉に、義父が照れながら笑う。




その顔を見た瞬間、「ああ、これが“家族”なんだ」と、心の奥で何かがあたたかく弾けた。




妹ができた。


自分より小さくて、頼りないくせに、世界のすべてみたいに尊い命。




初めて抱かせてもらったとき、怖くて、でも目が離せなかった。


その体温が、自分の掌に“生きている”ことを教えてくれた。




(守りたい)




それがあの夜から、ずっと胸の中に残っている想いだ。




母はもう「守る人」になって、義父も改めて、隣で“父親”になった。




(俺も――少しずつ、そうなりたい。)


(家族を、そしていつか、自分の選ぶ誰かを守れる人に。)




あの日。窓の外では、雨がやんでいた。


朝焼けの薄い雲の切れ間に、淡い虹が弧を描く姿を思い出す。




「……あの時も、雨のあとに虹が出たんだよな」




誰に言うでもなく呟く。




あの虹は、あの日の“祝福の雨”の続き。


命の始まりと、絆の証。






目を開けると、脱衣所の扉が目に入った。


シャワーの音が、少し漏れて聞こえてくる。




彼自身もひどく冷えて、小さく身体が震えた。


濡れた衣服を脱ぎ、タオルで髪の雫を取る。






今、再び雨が降る。


この雨には、祝福の虹がかかるのだろうか。




(いや、迷うな)




ぎゅっと拳を握りなおす。




――雨はまだ、止みそうになかった。








――数刻前。




夜は冷たく、雪混じりの雨が街を包んでいた。


窓の外に立つ街灯が、滲んで見える。


胸の奥でざわりとした感覚が広がった。




(……なんだ、この胸騒ぎは)




手元の書を閉じ、視線を窓の外に向けたその瞬間――


視界の端で、動く影があった。




雨の帳の向こう。


白い息を吐きながら、何かを探すように立ち尽くしている。




灯りに照らされたその横顔を見た瞬間、


息が止まった。




「……セレス?」




反射的に外へ飛び出した。


夜気が肌を刺す。


石畳の上を走り抜けると、彼女は力尽きたように膝をついていた。




「セレス!」




駆け寄ると、唇が震えながら、かすれた声で漏れる。




「……たすけて……」




その一言で、すべてを悟った。




倒れこむ身体を抱きとめると、彼女の体温はほとんど感じられなかった。


衣服は濡れ、指先は氷のように冷たい。




「……くそ」




迷いはなかった。


彼女の頬に手を添え、そっと唇を寄せる。


唇から流し込んだ魔力が、青白く光となって彼女を包み、


微かにその頬に色が戻った。




「もう少しだけ我慢して。


 いま、あたたかい場所へ行こう」




腕の中で彼女が微かに動く。


掴まれた服の端が震えていた。




ミスティアスはその手をぎゅっと握り返し、


“名前のない家”の方向を一度だけ振り返った。




あの家には、生まれたばかりの妹がいる。


母と、義父と、姉たちがいる。


――そして、温かな光がある。




(あそこには、危険を持ち込みたくない)




夜の闇が、王家の影を背負った少女を隠しきれるはずがない。


彼女を守るには、家族の傘の下では足りない。




「守る。この家で、俺が」




小さく呟き、抱き直す。


彼女の額が肩に触れ、わずかに息がかかった。


その重みが、彼の優しさではなく、確かな覚悟を呼んだ。




ナーバ邸までの道を、ほとんど記憶していない。


雪解けの道を踏みしめながら、ただ彼女を落とさないようにと抱き締め続けた。




(父さん……)




優しいけれど、どこか試すような、悪戯めいた笑みが脳裏に浮かんだ。


きっと、今もどこかで笑っている。


手は貸さないけれど、全力で“君なら大丈夫”と信じてくれている気がした。




扉を開けた瞬間、冷気が流れ込み、灯りが二人を照らす。


すぐに浴室へと彼女を運び、濡れた衣服を脱がせる間も惜しんで、彼はただ、温かい湯とタオルを用意し、震える身体をそっと押し込んだ。




――そして今に至る。






薪が弾ける音だけが、静まり返った部屋のなかに響いていた。


窓の外では、雪が静かに降り続けている。


火の光が橙に揺れて、セレスの濡れた髪をやわらかく照らした。




湯上がりの彼女は毛布にくるまり、まだ頬が上気している。


その顔が火の光に優しく温められる。


先ほどの冷たい夜の雨とはまるで違う。


それでも――その瞳の奥には、まだ逃げてきた痛みの影が残っていた。




「……お湯、ちゃんと温かかったか?」




ミスティアスが自分の髪の毛を拭きながらそう尋ねると、セレスは少しだけ笑って頷いた。


「ええ。 ……温かすぎて、涙が出そうだった」




「涙の理由が湯気のせいならいいけどな」


軽く言ってみせても、彼女の表情はすぐに沈む。


暖炉の光が影を落とし、睫毛の影が長く伸びた。




沈黙のあと、セレスはぽつりとこぼした。




「……母が、婚約を決めたの。


 “王家の未来のため”って。


 おかしいでしょ、私は妻を娶れる立場にないのに。


 そう思って母の顔を見たら――相手は私の事情をすべて知っている、なんて言うのよ」




ミスティアスは息をのむ。


言葉を挟まないまま、ただ彼女を見つめた。




「わかるでしょう?


 結婚したらもう二度と私に自由なんてない。


 反射的に拒んだら、また軟禁されそうになって。


 だから逃げたの。 ……もう、誰かの飾りでいたくなかった」




小さく笑う声が、火のはぜる音に溶ける。


強がりではなく、祈りのような声だった。


寒さからか、話す言葉の内容からか、彼女が小さく震えた。


ミスティアスはそんな彼女の肩を抱き、自分の方へと抱き寄せる。


セレスは、抵抗せずに彼に体重を預けた。




「“私は私として生きたい”って気が付いたら叫んでた。


 そうしたら父が味方してくれた。


 母に、”立派な成人した子を、親の言うことを聞かないからと閉じ込めるのは違う”と言って、ただ『行きなさい』って許してくれた」




その瞳に宿るのは、恐れと希望のまざった色。


ミスティアスはゆっくりと彼女の顔を覗き込んだ。


「……怖くなかったのか?」




「怖かった。


 でも、あのままじゃ……自分の心が死んでしまう気がしたの」




彼女の声は震えていた。


ミスティアスは息を吐き、そっと手を重ねる。


火の粉がふっと舞い上がり、二人の影をゆらす。




「君は強いよ」


「いいえ。 怖がってばかり」


「怖がれる人の方が、強いんだよ」




セレスが顔を上げた。


目が合った瞬間、世界の音が遠のいた気がした。




――父さん。


 俺は、やっとこの手を差し出せる場所にいるよ。




胸の奥で、あの優しい笑顔が浮かぶ。


あの人がくれた“守る覚悟”は、こうして息づいている。




「ミスティアス」


呼ばれた名が、雪解けの水のように胸に染みた。


セレスがそっと彼の指を握る。




見つめ合う空気の中で、先に動いたのは彼だった。


「……頼む、今度は止めないでくれ」




セレスが、一瞬、息を飲む音が聞こえた。


暖炉の光が、互いの瞳に映る。




「私も、……もう止められない」


言葉が零れた。




「好きだ」




「私も、あなたが好き」




お互いの目から、指先から、愛しさが溢れる。




次の瞬間、唇が触れた。




火の音も、風の音も、すべてが遠ざかる。


ただ、彼女の心臓の音が自分の胸に重なって響いた。




魔力が流れあい、空気が微かに震える。


二人の魔力はいつもより温度が高く、それでも混ざり合うとちょうどいい”ぬるさ”になる。




炎がぱち、と弾けて、橙の光が彼女の髪に散った。




長く、ゆっくりと。




魔力のやり取りを終えた後も、名残惜しむように、唇を重ねていた。




唇が離れたとき、セレスは上がった息を整えながら微笑んだ。


「これが……ほんとのキス、だね」


ミスティアスは額を彼女に寄せ、少し苦笑する。


「今更照れるのナシ。 恥ずかしいだろ……」




火の光が二人を包み、息づかいが混ざる。


セレスの頬に落ちた髪を、ミスティアスがそっと払う。


「髪、また伸びたな」


魔力の温度に反応し、赤みを帯びていくストロベリーブロンドを一房掬い、口づける。


その仕草に、セレスの頬はより赤く染まった。




「……俺の部屋に、行く?」


「……うん。


 君になら、すべてあげてもいい」




ミスティアスがわずかに目を伏せる。


「……魅力的な言葉だな。


 でも、結婚したら、全部もらうから。


 今は……覚悟だけでいい」




セレスが目を細めて笑った。


「やっぱり、ちょっとだけ怖かったの、ばれた?」


「怖がりながらすることじゃないさ。


 君は、“愛される覚悟”をしてくれればそれでいい」




彼女が小さく頷く。


その頬に、炎の光がやさしく揺れた。






外では雪が静かに降り続いている。


白い夜の底で、ただ一つの灯が、確かに燃えていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ