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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第九章 幸せのかたち
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◆4:Spring Between Our Fingers



「ところでさ、あんたたち――籍、もう入れたの?」




カップを傾けながら、リリが何気なくそう言った。


その瞬間。




「「……あ」」




ユリカとルアルクの声が見事に重なった。




「……あぁあああぁぁ!!!」


テーブルの下から立ち上がったリシェリアが、椅子をひっくり返しながら頭を抱える。




「お母様!! 大変ですわ!


 “リシェリア再来”なんて言われちゃいます!!」


「ど、どういうこと!?」


「“籍を入れる前にお子ができた”って!


 そう言われちゃいますわ!!!」




「お、落ち着きなさいリシェリア……!」


「落ち着いていられますか!?


 お父様!! いますぐ! 今すぐ届けを出してください!!!」




あたふたする父。


真っ赤になる母。


爆笑するミスティアスとフィリア。




「……母さん、やっぱり俺、二人は似てると思う」


「似なくていいのよそんなとこ!」


「……本当に。一人ひとりはしっかりしているのに、一緒になった瞬間にどうしてポンコツになるんだよ……」




最終的にリリが笑いながら紅茶をすする。


「はぁ、ほんっとあんたたちって……何年経っても青春してるのね」




笑い声と悲鳴とツッコミが入り混じる中、


ルアルクがため息をつきながらも微笑む。




「……じゃあ、行こうか。


 “正式に”家族になるために」




ユリカが頷く。


リシェリアが涙目で「やっとですわ!」と両手を合わせた。




そこへ、ミスティアスのどこか遠慮がちな声。




「……あの、父さんの机の中に、数枚なら空白の婚姻届があるって、ナーバが言ってた」


ミスティアスが少し気まずそうに目を逸らす。




「な、なんでそんなのが……?」


ユリカが瞬きをする。


ルアルクも同時に、背筋が伸びた。




「シェイさん……まさか再婚を予見して!?」


フィリアが目をまんまるにして叫ぶ。


「えっ!?」


「ち、ちがうと思うけど……!」


二人同時にビクッと固まる両親。




ミスティアスは困ったように頭を掻いた。


「……いや、これ、自分用だったんだって。


 ナーバが言うには、“他にも自分の欄だけキッチリ書いてる予備の婚姻届がいくつもあった”らしい」




「……は?」


全員の声が重なった。




「父さん、母さんの反応見て――


 “記入済みの方を出すか、空白の方を出すか決めようとしていた”っぽい」




沈黙。




次の瞬間、リリが爆笑した。


「ははっ……まさかの準備周到、やっぱりやるわね、あの人!」




ユリカは顔を覆って笑いながら泣いている。


「……ほんと、ずるい人ね……」




ルアルクは苦笑しながら天井を仰いだ。


「シェイさんらしい……。


 “迷わせるくせに、最後の最後まで抜かりない”」




ミスティアスは静かに笑って、二人に婚姻届を差し出した。


「だから、これ。


 父さんが残してた、最後の“空白”。


 母さんたちが書くべきものなんだと思う」




――その一言で、空気が一変する。


笑いと涙がひとつに混ざって、


部屋の空気がやわらかく光に包まれる。




ユリカは震える手でペンを取り、ルアルクの隣に座った。


「……ありがとう、ミスティアス。


 あの人の“やさしい嘘”を、受け取るわ」






sideルアルク




差し出された婚姻届を前に、胸が強く震える。


署名欄の隣で、インクがわずかに滲む。


『ルアルク・ノア・アストレイド』。


その右に――『ユリカ・ナーバ・アストレイド』。




子どもの頃、何度も心の奥で並べてみた名。


夢の中でしか叶わなかった肩並び。


今はそこに、「ナーバ」という彼女の誇りが寄り添っている。


夢とは少し違う。だからこそ現実だ。




震える手で一文字ずつ刻み、顔を上げる。


「……すみません。書き損じました。もう一枚、もらえますか」


ミスティアスが黙って新しい用紙を差し出した。


一枚は提出用。もう一枚は――記念に。


(この“並び”を、一生手離したくない)




ユリカが、ふっと笑う。


「……実はね、昔“ユリカ・アストレイド”って名乗る自分を妄想したこと、あるんです」


耳まで熱くなる。言葉が出ない。


「でも、今は“ユリカ・ナーバ・アストレイド”がいちばん好き。


 だって、ここまで歩いてきた全部が一緒にいるから」




胸の真ん中が、静かに痛いほど温かい。


彼は頷き、最後の一画を置いた。






「証人欄はどうする?」とリリ。


「――任せてください」


最初にペンを取ったのはミスティアス。


さらりと署名して、にやりと笑う。


「ルアルクさん、母さん。俺が保証する。今度こそ“言い訳”なしで幸せになってくれ」




もう一枠は、リシェリアが勢いよく手を上げた。


「もちろん、わたくしです! ……あっ、手が震えて上手く書けませんわ……」


「落ち着いて、お姉ちゃん」とフィリアがそっと手を添える。


二人の筆跡が並んで、妙に愛らしい証人欄になった。




全員で書面を見つめる。


暖炉がパチ、と鳴った。


長かった冬が、ようやく終わる音。




「よし――提出に行こう」


ルアルクが立ち上がる。外はまだ明るい。


「今から!?」とユリカ。


「“リシェリア再来”って言われる前に」とミスティアスが肩をすくめ、玄関のコートを手に取った。




その時、ナーバの軽い声が風に紛れる。


『……遅ぇよ、まったく。――でも、間に合った。いってらっしゃい』




誰も驚かなかった。


皆、同じ方向を見ていたから。






玄関を開けると、雨上がりみたいな光が庭に広がっていた。


赤い屋根の方角に、かすかな白が揺れる――“白の魔力”の、祝福のさざめき。


ユリカがそっと腹に手を当て、ルアルクと目を合わせる。




「「行ってきます」」




ふたりの声が重なる。


家族の笑い声に押し出されるように、扉が閉まった






sideユリカ




玄関を出た瞬間、春の風がふわりと頬を撫でた。


提出を終えたばかりのふたりは、肩を並べてゆっくりと歩いている。


午後の光が、まだ少し眩しい。




「……なんだか、不思議ね」


彼に恋していた少女の頃の自分がみたら、信じられないだろう。


彼の苗字と自分の名を並べて妄想するたびに、ありえない未来だと落胆していた。




――あのころ許されなかった今が、現実としてここにある。




「そうですね。たった一枚の紙に、人生を託すなんて」


ルアルクが笑う。


いつもの穏やかさに、少し照れの色が混じっていた。




「でも、嬉しい」


「僕もです」


ユリカは頬を緩め、指先をそっと絡める。


指輪のない左手に、春の光が反射して白く揺れた。




シェイがくれたあのリングは、今はチェーンに通して胸元で光っている。


心臓に一番近いところにそっと置くことを、彼はやさしい目で受け入れてくれた。




(きっと、この人は私が自分から外さなかったら、それすら赦してしまう人……だから私はあなたの隣を選ぶ)




「指輪……買わないとね」


「そうですね。……できれば、君と一緒に選びたい」


「ふふ。もう“夫婦”なんだから、当然よ」




言葉にして初めて、少しだけ頬が熱くなる。


肯定された初恋に、心が浮足立ってしまうのが自分でも止められなかった。


ユリカの髪には、白いリボンが春の風に吹かれて揺れている。




丘を下りる道の途中、ユリカがふと笑った。


「ねえ、子どもたち、何て言うかしら」


「……“おめでとう”のあとに、“信じられない”が来そうですね」


「ありそうね。それに、“式はいつ?”って絶対聞かれるわ」


「うっ……」


ユリカがくすくす笑う。


「今更、再婚同士で式なんて、ちょっと照れ臭いわ」


「たしかに。いや、ドレス姿のあなたを見たい気持ちはありますけど」


「あら、私だって正装したあなたを見てみたいわよ?」


ルアルクはその言葉に少し頬を染めて、目を逸らした。




手を繋いだまま、並んで帰る。


影がゆっくりと一つに重なり、家の門の前で止まった。




――家族が待つ、あたたかい光が見える。






夜。


アストレイド家の棟。


窓の外では、春の風が葉を鳴らしていた。




狭いシングルベッドで、腕枕をした彼がゆっくりとユリカの髪を撫でていた。




――穏やかで、幸せな温もりに満ちた時間。




「二人で寝る用じゃないよね、これ」


「ええ。抱きしめないと眠れない狭さですから。


 でも抱きしめる言い訳ができる」


「もう……」


少し高い体温と優しく撫でる手。


清潔なリネンの感触に身をゆだねると、うとうとと微睡みが訪れる。




ふと、ユリカが問いかけた。


「ねえ……このベッドで、こうして寝たのって、私だけ?」




ルアルクが一瞬、固まった。


視線が泳ぐ。


「…………」


その沈黙で、眠気が一気に消えていく。




「ちょっと? ルアルク?」


「え、えっと……違うんです、誤解しないでください」


「……誤解?」


「シェイさんと、寝たことがあるんです」


「はぁ!? ちょっと待って、シングルベッドで!?」


「いや、その、寝たっていうか……一緒に“寝落ち”したというか……!」




真っ赤になって手を振る彼に、ユリカが呆れたように眉を上げる。


「……説明して?」


「この家に来る前です。


 ミスティアスが小さい頃、魔力暴発したことがありましたよね。


 ……原因を作ったのがシェイさんだったから、怒って泣く君に合わせる顔がないって、家に居づらいって……」


「え?」


「シェイさん、泣きながら僕のところに来て。


 “どうして泣かせてしまうんだろう”って言って……。


 気づいたら朝で、僕の腕の中でした」




ユリカは呆れ顔のまま、思わず笑ってしまった。


「……あなた、本当に放っておけない人ね」


「……ええ。その時、離せなかったんです」


「なにを?」


「シェイさんを。


 抱きしめたまま、器用そうで不器用な人だなって思ったら放っておけなかった」




その言葉に、ユリカの胸が少し締め付けられた。


ランプの明かりが、ふたりの影を重ねる。




「もう。


 こんな狭いベッドで男二人抱き合ってって、想像するだけで笑えるわ」


「からかわないでよ」


ルアルクの頬が羞恥で染まる。


「せめて教会の部屋ならよかったのにね。


 あっちのベッドは支給品だけどそこそこ広いわよね」


「……」


沈黙、再び。


「……まさか」


「ちょ、ちょっとだけ一緒に横になっただけです!」


必死すぎるルアルクの様子に、ユリカが吹き出した。


「本当に……あなたシェイさん好きすぎるんですよ」


嫉妬しちゃうわ、と冗談めかす彼女を抱く腕をルアルクはさらに強めた。


腹部を圧迫しないように、優しく。


「こうして抱きしめるのは、ユリカだけだよ」


「うん……」


見つめ合い、そっと唇を重ねた。


羽を落とすような、優しいキス。




「……もう離さない」


「離させないわ」




ふたりの呼吸が重なる。


ランプの灯りがふっと揺れ、春の風がカーテンを撫でた。


その夜、狭いベッドの上で交わした小さな笑い声が、静かに“家族の明日”を告げていた。




そして翌朝――白いリボンが陽に透けて揺れ、


まるで彼らの新しい日々を祝福するかのようだった。





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