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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第九章 幸せのかたち
29/47

◆3:Letters in a Tin



sideユリカ




丘の上には、淡い春の風が吹いていた。


並んで立つ墓碑の左には祖父の名が、右には彼女の夫だった人の名が記されていた。




ユリカは、両方の墓の前に花を供えた。


ルアルクも隣で、静かに膝をつく。




「……おじいちゃん、シェイさん」


その声は、祈りというより、報告のように穏やかだった。




「私、もう一度だけ、わがままを言わせてください。


 ――ルアルクを、私にください」




隣でルアルクが、思わず顔を上げる。


「反対でしょう!?」




思わず出た彼の声に、ユリカがくすっと笑う。


「だって、私のお願いですもの」




彼はため息をつき、手を合わせながら小さく頭を下げる。


「……僕に、ユリカと一緒にいる資格をください」




風が吹いた。


ユリカの髪に結んだ白いリボンが、蝶のように揺れた。


墓前の花がふわりと揺れ、柔らかな陽が二人の影をひとつに重ねる。




まるで答えるように、シェイの墓石の上に一筋の光が落ちた。


その光の中から、声がしたような気がした。




――「やっとですか。ユリカさん、頼みましたよ。ルーくんを。


 彼は言わなくても、あなたを守るはずですから。


 あなたは、彼が無理をしすぎないよう、支えてください」




ユリカは小さく頷く。


ルアルクが驚いたように顔を上げたが、彼女は微笑んだまま。




「……今、聞こえた気がしたわ」


「ええ。僕も、です」




ふたりは顔を見合わせ、そっと手をつないだ。


春の光が降り注ぎ、


二人の指の間を風がやさしく抜けていった。




「――これからも、見ていてくださいね」


「必ず、あなたの誇れる“家族”でいます」




そう誓った声が、


青い空へ静かに溶けていった。









その夜。


同じ屋根の下にありながら、あまり足を踏み入れたことのなかったアストレイド家側の棟に、ユリカはいた。


ランプの淡い光が壁を撫で、木目の陰影が静かに揺れている。




壁も床も、ナーバ家側と同じ材質。


けれど、置かれた家具が違うだけで、まるで別の家のようだった。


シンプルで無駄がなく、どこか落ち着いた雰囲気――


それはまさに、ルアルクという人をそのまま映したような空間だった。




少しだけ緊張しながら、彼の部屋の扉を開ける。




「……同じ家なのに、まるで違う雰囲気ね」


そっと辺りを見回しながら、ユリカは微笑む。




「ここは必要最小限のものしか持って来なかったんだ。


 教会の部屋もあったし、移動させる必要がないものはそのまま」




ユリカはベッドの縁に腰を下ろす。


さらりと音を立てるシーツが、少しだけ冷たかった。




「意外と……狭いのね」




「ええ。シングルですから。


 でも、これからはダブルを買いに行かないと」




「ふふ……じゃあ、その時は私も選んでいい?」


「もちろん。僕の部屋も、もう“ふたりの部屋”ですから」




その言葉に胸が熱くなる。


ふたりの間に静かな間が落ちるが、それは気まずさではなく、互いを確かめ合うための沈黙だった。




ルアルクがそっと腕を伸ばす。


「……来てくれる?」




ユリカは小さく頷き、ためらいなくその胸に身を預けた。


彼の腕が静かに背を包み、夜の静けさがふたりを包み込む。




(やっぱり、狭い……)




それでも、不思議と居心地がよかった。


彼の呼吸と心音が、すぐそこにある。




――そして、ユリカは気づく。


ルアルクの腕の中で、小さく震えが走った。




「……ルアルク?」




返事はない。


彼は安堵と哀しみの混じった顔で、眠っていた。


その目尻には、ひと筋の涙が光っている。




(あの朝の記憶が……まだ、あなたを縛っているのね)




責める言葉を持たない優しさ。


けれど、その優しさが痛いほど胸に刺さる。




ユリカはそっと彼の髪を撫で、額に口づけた。


「……大丈夫よ。これからは、私が毎朝、あなたを抱きしめるわ」




囁きが、夜に溶ける。


その腕に力をこめると、眠る彼の手も無意識に背中を探して抱き返してきた。


無防備なその抱き着き癖が、たまらなく愛しい。




窓の外では、春の風が木々を揺らしている。


その音はまるで、遠くから“おやすみ”と告げているかのようだった。






――翌朝




まぶたの向こうに、やわらかな光が差し込んだ。


鳥の声が聞こえる。


ユリカはゆっくりと目を開け、隣に眠るルアルクを見つめた。




眠っている彼の表情は穏やかで、昨夜よりもずっと柔らかかった。


腕の中で眠るその姿が、まるで長い旅を終えて帰ってきた人のように見える。




「……おはよう」


小さく囁く。


彼のまつげが微かに揺れ、返事の代わりに指先が彼女の手を探した。


無意識のその仕草に、ユリカは小さく笑う。




(この人となら、もう大丈夫)




そう思うだけで、胸が温かく満たされた。


窓の外では春の風が庭を撫で、朝の光がカーテン越しに差し込む。


――今日からまた、新しい日常が始まる。




この家はまだ“ふたりの暮らし”の始まりにすぎない。


けれど、これから築く“新しい家”の光を、確かに予感していた。






sideユリカ




午後の陽射しが、部屋いっぱいに広がっていた。


テーブルの上には、分厚いカタログが山のように積まれている。


ページをめくるたび、木の香りと紙の匂いが混ざって漂った。




「……家具って、こんなに種類があるものなんですね」


ルアルクは、少し途方に暮れたような顔で紙束をめくっている。


眉間に小さな皺が寄るのを見て、ユリカは思わず笑ってしまった。




「ふふ、お疲れ様。あまり無理しないで」


紅茶を差し出しながら、そっと彼の隣に座る。


彼の肩に軽くもたれかかるようにして、腕を抱いた。




「ちょ、ちょっとユリカ……」


慌てて姿勢を正そうとする彼の反応に、ユリカは唇の端を上げる。


「あら、嫌なの?


 でも、我慢して。


 今日は私、くっついていたいの」




「……嫌なわけが、ないでしょう」


小さく息をつくように笑いながら、彼は諦めたようにそのままにした。


頬がわずかに赤い。




二人の膝の上で一冊のカタログを開く。


淡い布張りのページには、さまざまな部屋の写真が並んでいた。


白い壁、木の床、子どもたちの笑顔。


そのどれもが、まだ見ぬ“これからの家”の断片のように見える。




「これ、かわいい!」


ユリカの指先が止まったのは、ロココ調の小さなチェアセット。


「こういうの、子どもたちが好きそうね」


「なるほど……女の子の部屋には、いいかもしれませんね」




ルアルクはページを覗き込みながら頷いた。


「僕には考えつかない発想です。


 明るくて、少し夢のある空間。


 ――それも、居場所のひとつですからね」




「男の子の部屋はどうする?」


「クラシックで落ち着いたものがいいかな。


 木の温かさが残るような」


「ふふ、あなたらしいわね」




二人の指先が自然と触れ合う。


ユリカはそれを意識して、少しだけ指をからませた。


「ミスティアスの部屋、ロフトをつけるんでしょう?」


「ええ。本人の希望です。あそこから夜空が見えるようにしたくて」




その声が、どこか誇らしげだった。


新しい家は、誰かを守るための場所。


でも今だけは、家族としての未来を語る時間だった。




ページの端をめくるたび、ふたりの笑い声が重なっていく。


その音が、まるで春の陽射しみたいに部屋を満たしていた。







sideユリカ




春の午後。


家具の見積もりを広げていたルアルクが、ふと手を止めた。




「……あれ?」




ユリカが首をかしげる。


「どうかしたの?」




ルアルクは、ふと息を詰まらせるようにユリカを見た。


白い光が彼女の下腹部に淡く揺れている。


それを見た瞬間、肩が震える。




「……ユリカ」




「え?」




次の瞬間、彼は両手で顔を覆った。


笑っているのか泣いているのか、わからない声。




「どうしよう……あはは……どうしよう……嬉しすぎて、どうにかなりそうだ」




ユリカが戸惑いながらも、そっとその手を取る。


指先が触れた瞬間、彼の手の中から光があふれた。




「ユリカ、僕たち……また、親になるんだね……」




その言葉で、ユリカはようやく理解した。


そして胸がいっぱいになって、声が震える。




「……うそ、だって……こんな、早く……」




ルアルクは涙を拭いながら、やさしく彼女を抱き寄せた。


「奇跡でもなんでもないよ。


 君が僕を受け入れてくれたからだ」




ユリカは顔を埋めたまま、ぽつりとこぼす。




「私……もう一度、赤ちゃんを抱きたかったの。


 でも、望んじゃいけないって、思ってた……」




ルアルクはその髪に唇を寄せて、小さく笑う。




「君が欲しいのなら、僕は何人だって抱きしめたい」




「もう……あなたって……」




泣き笑いになって、ふたりでおでこを合わせる。


白い光がふわりと広がって、


まるで春の花びらが舞うように部屋を包んだ。






数日後。


食卓に集まった家族の前で、ユリカが少し照れくさそうに笑った。




「……あのね。新しい家族が、できそうなの」




沈黙。


一瞬、時間が止まった。


リリがカップを落とし、フィリアが「えっ?」と声を上げる。




そして――




「……えええええっ!?」


真っ先に叫んだのはミスティアスだった。




「ちょっ……ま、まさか、俺たちに弟か妹が!?」


「その“まさか”よ」


リリがにやりと笑う。


「さすがあんたの母親、現役続行ねぇ」




「リリ!」


ユリカが頬を染めて抗議すると、


ルアルクが苦笑いしながら手を上げる。




「本当に僕たちも驚いてるんだ。


 でも……嬉しい。すごく」




ミスティアスはしばらく呆然としていたが、やがて顔を覆って、照れくさそうに笑った。




「……もう、ほんと勘弁してくれよ。


 でも……うん。よかった。母さん、幸せそうだ」




リシェリアは、母の言葉を聞いた瞬間、椅子の背をつかんで立ち上がっていた。




「……うそ、ほんとうに?」




リシェリアが母のお腹を見つめる。


ふわりと、小さいけれど確かな白い光が見えた。


ルアルクが頷くと、彼女の唇が震え、次の瞬間――涙があふれた。




「……よかった……よかった……!」




誰よりも早く駆け寄って、ユリカの手を握る。


指先が震えて、声にならない嗚咽が漏れた。




「リシェ?」


驚いたように見つめるユリカの前で、リシェリアは泣きながら笑った。




「だって……すごく、嬉しいの……!


 お母様とお父様が、もう一度“同じ未来”を選んだんだって……!


 私……ずっと、夢みたいに思ってたから……!」




ルアルクが静かに彼女の頭を撫でる。


「君は夢じゃなくて、最初の奇跡だよ」




「でも……!」


リシェリアは首を振る。


「わたしは過去の“愛の証”だった。


 でも今度は……“これからの愛の証”が生まれるんだね……」




その言葉に、ユリカの目からも涙がこぼれる。


「そんなふうに思ってたのね……でも、違うのよ。


 あなたも、この子も、私たちにとっては“今”の子。


 あなたがいてくれたから、また未来を信じられたの」




リシェリアは嗚咽を堪えきれず、母の胸に飛び込んだ。


「お母様……!」




ルアルクはその背を優しく撫でながら、


ただ「ありがとう」と繰り返した。






sideミスティアス




リシェリアが泣きながら笑っているのを見て、ミスティアスは少しだけ視線を逸らした。




(……そうか。俺の母さんは、もう俺たちの“母”でいてくれるだけじゃないんだな)




それは寂しさではなく、静かな実感だった。


彼は小さく息を吐いて、微笑むように呟く。




「……よかったな、母さん」




その声に気づいたルアルクが、そっと彼の肩に手を置いた。


驚いて振り向くと、いつもの穏やかな笑み。




「ありがとう、ミスティアス。


 君も、僕の大切な家族だよ」




ミスティアスは照れくさそうに笑いながら、


「……父さんとは違って、ルアルクさんは“人”だなって思います」




「……そう?」


「うん。完璧じゃないのに、ちゃんと強い。


 俺、たぶんそうなりたいんです。あなたみたいに」




ルアルクは驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。


「それは……少し、嬉しい言葉だね」




ルアルクはただ優しく笑った。




「……父さんの代わりにはなれないけど、


 君を息子のように思ってる。それだけは、本当だ」




「……知ってます」


ミスティアスは、目を伏せたまま小さく笑った。


「……あの人も、きっと同じこと言いますよ」




ルアルクは目を細め、静かに頷いた。




その瞬間、ミスティアスの胸にあった“わずかな距離”がふっとほどける。


もう、この家は完全に“ひとつの家族”になっていた。





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