◆2:Moonlit Answer, Spring Send-off
部屋の中は、月明かりだけが照らしていた。
カーテンの隙間から差す光が、白い床を細く照らす。
その中で、セレスタンは静かに振り返った。
「……ミスティアス?」
「迎えに来た」
彼はそれ以上、言葉を続けなかった。
息を吸い込む音だけが重なって、夜の空気がふたりの間をゆっくりと満たしていく。
セレスが一歩、近づいた。
その瞳の奥に、迷いはもうなかった。
「あなたは、いつもくれるばかりですね」
「……え?」
セレスの指先が、彼の頬に触れた。
静かに、魔力が流れ出す。
奪うでも与えるでもなく、ただ互いの中に溶け合う。
ミスティアスは目を閉じて受け止めた。
体の奥で、冷たさと温もりが混ざり合い、
胸の鼓動がわずかに速くなる。
「……これが、あなたへの答えです」
セレスの声は低く、けれど揺らがなかった。
言葉にできないものが、確かにそこにあった。
誓いとも、愛ともつかない感情。
ただ、もう誰にも奪えない繋がり。
長い沈黙ののち、ミスティアスが囁く。
「……行こう」
セレスは静かに頷いた。
机の上の外套を取り、肩にかけながら微笑む。
「準備は、もうできています。」
ミスティアスはその姿を見つめ、ほんの少しだけ息を詰めた。
髪飾りの銀が月明かりに光る。
扉を開けると、
廊下の先に王が静かに立っていた。
「……行くのだな」
「はい、陛下」
王は小さく頷き、二人に背を向けた。
「護衛には声をかけてある。
――行きなさい。迷うな」
それだけを告げて、
夜の回廊に消えていった。
ミスティアスはセレスの手を取り、
ゆっくりと歩き出す。
その手を握る感覚が、確かに現実だった。
外に出ると、夜の風が頬を撫でた。
王城の塔の明かりが遠くで揺れる。
「……寒くない?」
「ええ。
あなたがいるから」
彼女の言葉に、ミスティアスはただ、静かに微笑んだ。
二人はそのまま、
月の光を背に受けながら――
ナーバ邸へと向かった。
◇
春の光が差し込むリビング。
開け放たれた窓から、花の香りを乗せた風が流れ込む。
庭では新芽が揺れ、
鳥たちが、まるで旅立ちを告げるように鳴いていた。
ナーバとアストレイドの二世帯邸。
広いリビングのテーブルには、湯気の立つお重がひとつ――
季節の野菜と、色とりどりの料理がぎっしり詰まっている。
ユリカがそれを包みながら微笑んだ。
「はい、みんなで食べなさいね。
お昼にこれを囲めば、少しは緊張もほぐれるでしょう」
「すごい……まるで春祭りみたいだ」
フィリアが目を輝かせると、ユリカはくすっと笑う。
「お祭りよ。
――だって、あなたたちが“行って帰る日”ですもの」
その言葉に、部屋の空気が少しだけあたたかくなる。
ルアルクが軽く咳払いをしてまとめる。
「全員いるね。
僕、セレス殿下、ミスティアス、フィリア、エル、スティリオ――以上。
目的地は旧王家封印遺跡。
行って、迎えて、帰る。それだけです」
セレスが静かに頷き、外套の紐を結び直す。
その動きのひとつひとつが、もう“王子”ではなく“仲間”のものだった。
ミスティアスがその隣で荷を背負いながら、
ちらりとユリカを見た。
「……行ってきます」
ユリカはお重を抱えて息子に近づく。
そのまま目の前で立ち止まり、
少しだけ声を低くした。
「ミスティアス」
「……うん?」
「ちゃんと彼女を守りなさいよ」
一瞬で顔が熱くなる。
セレスが小さく息を呑み、視線をそらす。
「え、あ、いや、その――」
「いいの。どうせ見れば分かるわ」
ユリカは軽く笑って、包みを彼に渡した。
「そして……もし、シェイさんに会ったら伝えて。
“母が怒っています”って」
『ミス、お前の母ちゃんは一度怒ったら引かねぇぞ。
シェイフィルのやつ、こりゃ帰ったら正座だな』
その笑顔は、優しさと寂しさの間に揺れていた。
ミスティアスは頷いた。
「必ず、伝える」
「そう。それでいいわ」
ルアルクが小さく笑いを洩らす。
「やっぱり、君には敵わないな」
「当然でしょ。私は母で、妻なんだから」
その言葉に全員が笑い、
春の風がカーテンを揺らした。
ルアルクが扉を開け、
外の光が差し込む。
緩やかな風が頬を撫でるたび、
この家のぬくもりが背中を押してくれるようだった。
「行こう」
ミスティアスの声に、セレスが微笑む。
「ええ。行きましょう」
玄関を出ると、
花の香りと陽光が彼らを包んだ。
春の始まりを告げる風の中、
彼らは“帰還”へと向かって歩き出した。
sideミスティアス
白い霧が薄く流れていく。
夜明け前の光が遺跡の入口に差し込み、石壁に刻まれた古代文字が、朝の光を受けて微かに脈動した。
(……やっと、この場所に立つことができた)
遺跡を見つめながら、ミスティアスは右手を握りしめた。
――必ず父を取り戻す。
どんな形であれ。
ルアルク・ノア・アストレイドは、手の中の記録板をなぞりながら低く呟いた。
「古代文字の系統は特定してある。
けど、翻訳がまだ曖昧なんだ。
ここに来て、ようやく“意味”が見えてきた。」
石床に反射した光が、長い年月の埃を照らす。
フィリアが後ろから顔を出す。
「ずいぶん……息苦しいね。」
彼女の声が壁に吸い込まれ、返ってこない。
ルアルクは目を細めて頷く。
「……ここは、闇が濃いね」
指先に集めた光が、まるで誰かに掴まれたように歪んで消えた。
ミスティアスがわずかに眉を寄せる。
「封印の名残にしては強すぎる。
まるで、誰かがまだここにいるみたいだ」
風もないのに、壁の紋様がかすかに脈打った。
その場に一瞬、沈黙が落ちる。
「……気をつけよう」
ルアルクは短く告げ、再び歩き出した。
ミスティアスもその背中を追う。
胸の奥が静かにざわめいていた。
遺跡の奥は、見た目以上に広かった。
階段を下りるたびに空気が冷たくなり、
石の継ぎ目から白い霜のような魔力が滲み出している。
ルアルクが手をかざし、壁の符号をなぞる。
「解析した通りなら、ここから下層へ通じるはずだ。」
「文字が……読めるんですか?」とセレスタンが問う。
「ええ。文法が少し特殊だけど、もう大枠は掴めてる。」
エルがその横から顔を出す。
「もし詰まったら、あたしが遺跡の記憶を見てみます」
ルアルクが振り返り、少し驚いたように目を瞬く。
「……遺跡の記憶?」
「ええ、魔力の残滓が濃いから。
触れれば少しだけ“過去”が見えるかもしれません。」
彼女は肩をすくめ、冗談めかして微笑んだ。
「やってみないとわかりませんけどね」
フィリアが思わず息をつく。
「エルちゃんって、本当に肝が据わってる……」
「慣れですよ」
短いやり取りのあと、全員が再び前を向いた。
空気がひんやりと澄んでいく。
階段を抜けると、広間が現れた。
天井は高く、壁一面に魔法陣が彫られている。
中央には円形の装置があり、淡い黒の線が幾重にも重なっていた。
ルアルクが静かに息を吐く。
「……ここだね。」
ミスティアスの心臓が高鳴る。
ルアルクが壁際の石板を叩きながら言った。
「旧王家の魔力で動く仕組みだ。
つまり――黒魔力が必要なんだ。」
全員の視線がミスティアスに向く。
彼は小さく頷き、一歩前へ出た。
「俺がやる」
『流しすぎるなよ、お前の魔力量なら器が割れる。
やるなら慎重に、だ』
石床の中心に立ち、掌を広げる。
黒魔力が指先から滲み、
魔法陣の溝に沿って静かに流れ出した。
フィリアが息を飲む。
「ミス……!」
「大丈夫。俺がやるべきことだから」
『そうだ、それでいい』
光が走る。
遺跡全体が低く唸りを上げ、
石壁の紋様が次々に光り始めた。
空気が揺れ、眠っていた魔力が、まるで呼吸を取り戻したように震える。
「……動いた……!」
フィリアの声が広がる。
ルアルクが目を細め、
静かに呟いた。
「ここからが本番だ。
封印は、まだ目を覚ましただけだから」




