◆1:Royal Leave, Mother’s Lock
sideミスティアス
朝の光が窓を満たしていた。
城下の霧が晴れ、遠くの森の稜線まで見える。
森は春の息吹を感じさせる薄紅色の花を湛えていた。
そんな穏やかな朝だったのに、
胸の奥では、波のようにざわめきが続いていた。
本当は、朝は得意じゃない。
それなのに、父がいなくなってからは朝が苦痛でなくなっていた。
ただ安心して、無邪気に眠っていた時代は唐突に終わった。
(……行くしかない)
リビングの扉を開けると、すぐに紅茶の香りとともにルアルクが顔をあげた。
「おはよう、ミスティアス。顔色は悪くないね。」
「……お願いがあります。
遺跡の調査に、俺も同行させてください。」
彼は少しだけ目を細め、口元にやわらかな笑みを浮かべた。
「僕も、そろそろ動いてもいいと思っていたところなんだ。
下準備は完了してる。
あとは――王の許可だけ。」
ミスティアスが息を飲む。
ルアルクは紅茶を置き、立ち上がった。
「行こう、ミスティアス。
君のお父さんを、取り戻しに。」
決意に満ちた藍の瞳が、彼には何よりも頼もしかった。
◇
王座の前に、静かな空気が張り詰めていた。
王は険しくも穏やかな表情で二人を迎える。
ルアルクが一歩前に出る。
その声音には、確信があった。
「シェイフィル・ラファリス・ナーバが封印された遺跡の構造は特定済みです。
魔法陣の起動条件、封印層の段階構造も解析しました。
起動に必要な魔力もすべて把握済みです」
手にした図面を広げ、
魔法陣の層構造と安全回路を指し示す。
「この手順なら、封印の解放を“外部から”制御できます。
調査員への危険は一切ありません」
王が静かに頷いた。
「……つまり、君の研究で、あの遺跡は“安全に触れられる”ようになったと?」
「ええ。
ただ、起動の鍵は“黒魔力”です。
ゆえに――ナーバ家の血を継ぐ者の協力が必要になります」
その言葉に、王の視線がミスティアスへと向く。
少年は深く頭を下げた。
「俺に、やらせてください。
……父を、取り戻したいんです」
短い沈黙。
王はゆっくりと椅子を離れ、彼の目の高さまで降りてきた。
「顔を上げなさい」
ミスティアスが顔を上げると、
王の眼差しは、厳しさよりも温かさに近かった。
「君の決意、確かに受け取った。
――王家として、ナーバの子に頼みたい。
シェイ様を取り戻せ」
その言葉に、ミスティアスの胸が熱くなる。
けれど、彼は続けた。
「それと……お願いがあります」
王の隣に控えるセレスへと目を向ける。
「セレス。
危険かもしれないけど、一緒に来てほしい」
セレスは少しだけ目を見開き、
そして穏やかに頷いた。
「もちろん。
――必ず、君の父を連れ帰ろう」
その約束を、王は静かに見届けていた。
「息子よ。王家の代表としてしっかり頼む」
「はい、陛下。」
ルアルクが深く一礼し、
許可書を受け取った瞬間、
謁見の間の空気がわずかに和らいだ。
sideセレスタン
温かな気持ちを抱いたまま謁見の間を出たところで、彼女は王妃の私室へ呼び出された。
扉を開けた瞬間、空気が一変する。
「あなたという子は……」
王妃の声は低く、冷たかった。
机の上には、報告書と紅茶のカップが置かれている。
カップの中の液面が、微かに震えていた。
「王があの人たちの申請を認めたと聞いて、どんな思いをしたと思うの?」
セレスは沈黙を守った。
「あなたまで――
また“あの家”と関わるつもり?」
「……違います。
私は、王家の代表として行きます」
「王家の代表?
そんな言葉で、自分を正当化できると思って?」
王妃の声が震える。
感情を抑えきれずに、紅茶の表面がかすかに波打つ。
その視線が、ふとセレスの手元に落ちた。
銀の髪飾り。
「……それ、なに?」
「……友人から、です」
「“友人”? 王族が庶民から贈り物を受けるなんて――」
王妃の手が机を叩いた。
その瞬間、紅茶が跳ね、白い布を染めた。
「あなたは、何を考えているの!
もし、その“友人”のせいで王家が――」
セレスは顔を上げ、
母の言葉を初めて遮った。
「汚してなんかいません。
……あれは、誇りです」
一瞬、空気が凍った。
王妃は息を呑み、やがて、震える手でベルを鳴らした。
「部屋から出ないで。
当分の間、外出は禁止です」
「母上……!」
「もう聞きたくありません」
冷たい扉の音が響いた。
ひとり残された部屋の中で、
セレスは髪飾りを握りしめた。
その銀の冷たさが、彼女の涙の代わりに、手の中で静かに震えていた。
sideミスティアス
遺跡探索の前日。
約束の時間に、セレスは現れなかった。
王城の入口で、ミスティアスは侍従に頭を下げた。
「セレスタン殿下にお取次ぎをお願いしたいんです」
侍従は困ったように眉を寄せる。
「……申し訳ありません。
王妃陛下のご命令で、殿下はいま――お部屋をお出になれません。」
「……出られない?」
「はい。どなたも中へは……」
それ以上、言葉を濁す。
ミスティアスは短く息を吐き、
「わかりました」とだけ答えて頭を下げた。
――まさか、会えないなんて。
先日、あれほど真っ直ぐに約束したばかりだったのに。
自分の身分の軽さが、胸の奥を静かに刺した。
(……立場なんて、わかってる。
でも、あんな形で別れるなんて嫌だ)
ため息をつきながら、城の庭園へ出る。
春風に乗って花の香りが流れていた。
その中で、背後から明るい声が響く。
「やあやあ! ナーバ公爵子息じゃないか!」
振り向くと、第一王子が歩いてきていた。
年上の青年らしい余裕を漂わせながらも、どこか人懐こい笑みを浮かべている。
「王太子殿下……失礼しました。
今日はセレスに――」
「ああ、セレス? あの子ね、ここ数日ずっと部屋にこもってる。
食事の場にも顔を出さないし、呼んでも返事がない」
ミスティアスが目を見開く。
「……それって……」
王子は肩をすくめて首を横に振る。
「軟禁だろうね。
王妃が何か気に入らないことがあったらしい。
まあ、よくあることさ」
言葉の軽さとは裏腹に、その声の奥にはわずかな苦味があった。
「……すみません。
俺のせいかもしれません」
ミスティアスの声は、少し掠れていた。
王子は首を振り、
「いや、あの子の母上が過保護なだけさ。
君が気に病むことじゃない。
……ただ、今は動かない方がいい」
「……でも……」
「もし本当に会いたいなら、夜にでも裏門を通るといい。
“見張りが気づかない時”がある」
そう言って、王子は片目をつむった。
それが冗談なのか本気なのか、判断できなかった。
ミスティアスは軽く頭を下げ、
去っていく王子の背中を見送った。
(……軟禁、か)
手の中に残る冷たい風の感触を握りしめる。
銀の髪飾りが、胸の内で静かに浮かんだ。
きっと、何があっても迎えに行く。
そう約束したんだ。
そして彼は、王城を離れ、ルアルクのもとへと向かった。
◇
夜の王城は、昼とはまるで別の顔をしていた。
月明かりが白い石壁を滑り、回廊の影を濃くする。
庭園の噴水の音が遠くで細く響いていた。
裏門の前に、ひとりの男が立っていた。
その姿を見た瞬間、ミスティアスは足を止める。
「……陛下」
王は月を背にして立っていた。
光がその横顔を照らし、穏やかな笑みを浮かべている。
「来ると思っていたよ」
ミスティアスは慌てて膝をつこうとする。
王は手を軽く上げてそれを制した。
「立ちなさい。
君が来るのを止める理由は、私にはない」
「セレスは……」
「部屋にいる。
母親が閉じ込めているだけだ。
だが――私は、息子を信じたい」
王の声には厳しさよりも温かさがあった。
「兵をどけなさい。
友の子が、私の息子を迎えに来ただけだ」
控えていた近衛たちが頭を下げ、道を開く。
ミスティアスは深く一礼し、静かな息を吸って扉を押した。




