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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第五章 抱く者と切る者
17/47

◆6:Winter Vows



sideルアルク




同じ日の夕方。


庭から戻ったルアルクを、ユリカが迎えた。


テーブルには湯気を立てる紅茶の香り。


家の中に差し込む光は、穏やかな橙色に染まっていた。




「セレス殿下、落ち着いていましたね」


「……ああ。強い子だ」


「“彼女”って、呼んだでしょう」


「気づかれた?」


「ええ。あの子は気づいていませんでしたけど」




二人は目を合わせて、ふっと笑う。




「……僕なんかが恋愛相談の真似事をしていいのかな」


「いいじゃない。あなたが言うから、あの子は救われるのよ」


「自分の恋愛もままならなかった男の言葉なんて、説得力があるのかどうか……」




ユリカは微笑みながら、首を横に振った。


「ままならなかった、なんて簡単に言わないで」


「……?」


「確かに、ままならなかったけれど……“両想い”だったでしょう?」


「……ああ、それは……そうかもしれない」




ルアルクが少しだけ苦笑する。


「ままならない恋でも、ちゃんと想ってもらえたなら、それで十分だ」


「ねえ、ルアルク。


 あなたがそう思っていなかっただけよ」




紅茶を口にして、ユリカは少しだけ目を細めた。


カップの中で光がゆらめく。




「でも――その想いが、あの子たちを救っているんだと思う」


「……僕らの恋が、か?」


「ええ。報われたかどうかじゃなくて、“残した想い”がね」




ルアルクは微かに笑った。


どこか諦めを含んだ、けれど穏やかな笑み。




「僕はたぶん、ずっと勝手に君を好きでいるんだろうな」


「知ってるわ」




ユリカは紅茶を口にして、目を伏せる。


「でも、それを“勝手に”で終わらせられるのが、あなたらしいのね」




ルアルクが、ふっと息を漏らす。


「……それでも、好きなんだ」


「ええ。だから困るのよ」




そのやり取りは、懐かしさと少しの痛みを混ぜた優しい音だった。


互いにもう、涙ではなく微笑みで向き合える。


それだけで十分だった。




「ねえルアルク」


「ん?」


「あの子たちは、私たちより上手に愛せるかしら」


「……そうだといいね」




二人の笑い声が、夜の帳の中に静かに溶けていった。


カップの中の紅茶が最後に小さく波紋を立て、


その香りは長い時間を越えても変わらない、やさしい残り香として部屋に残った。








sideセレスタン




白い回廊の天窓から差す光が、冷たい石床に反射していた。


遠くで鐘の音がする――いつも通りの王城。


ただし、空気だけが違っていた。




「あなたという子は……!」




王妃の声は震えていた。


怒りではない。


恐怖と焦燥の混じった響き。




「どれだけの立場を危うくしたと思っているの!」


「……申し訳ありません」


「怪我をしたと報告を受けた時、どんな思いでいたか、わかる?


 あなたの“秘密”が知られたら、すべて終わるのよ!」




セレスはただ、静かに頭を下げていた。


その沈黙がかえって母の焦りを煽る。




「しかも、よりによって……また“あの家”の子ですって?」


「……ナーバ公爵家?」




王妃の眉がぴくりと動く。




「そうよ。あなたがあの子と同行していたと聞いて、耳を疑ったわ。


 公爵家の血筋――いつだって王家の頭上に影を落とす存在よ。


 代々、あの家が王を支えてきた?


 いいえ、違う。


 “王を選べる”と思っているのよ。あの人たちは」




最後の言葉には、かすかな憎悪が滲んでいた。


セレスは顔を上げずに聞いていた。


理解できる――彼女は、王がシェイを“様”付けで呼ぶことに納得できずにいる。


その恐れを、自分の娘にぶつけているのだ。




(……母上には、あの人のことが理解できない。


 理解できないから、怖いんだ)




「あなたが、よりによってナーバの子息と関わりを持つなんて……。


 王がどれだけ彼を敬おうと、私はあの家を信じない!」




その言葉に、セレスは小さく息を吸った。


瞳が静かに揺れる。




「……彼は、ただ“誰かを守りたい”と願っているだけです」


「そんな綺麗事――!」




王妃が言葉を重ねかけた時、セレスがそっと遮った。


穏やかで、それでいて拒絶のない声。




「母上。


 あの家は、選んで仕える家です。


 誰に仕えるかを見極めた上で、命を懸ける人たちです。


 ……父上も、そのことをご存じのはずです」




一瞬、空気が止まった。


王妃は、娘の言葉の奥に潜む意味を理解できずにいた。


けれど、否定することもできなかった。




セレスは軽く頭を下げる。


「もう大丈夫です。


 もう誰にも、私の正体を知られたりしません」




その声音には、どこか覚悟があった。


王妃は言葉を失い、ただ娘の背を見送る。




背中が遠ざかっていくたびに、


心の奥で何かが軋むように痛んだ。




「……また“あの家”に奪われるのね」




誰にも聞こえない呟きが、広い廊下に溶けた。









冬のはじめの朝。


吐く息が白く、空気は張りつめていた。


夜の名残を抱いた庭の石畳が、霜に光っている。




セレスは両腕に二つの外套を抱えていた。


ひとつは、洗っても落ちなかった血の跡が薄く残る古い外套。


もうひとつは、それにそっくりな新しいもの――


夜を徹して縫い上げた、彼女なりの“答え”だった。




門のそばで、黒衣の少年が待っていた。


ミスティアスは息を吐いて手を擦り合わせながら、


彼女の姿に気づいて少し笑う。




「……おはよう」


「おはようございます」




セレスは歩み寄り、包みを差し出した。


「この間の外套……洗ってみたけれど、どうしても跡が残ってしまって」


「……そうか」


「だから、新しいものを作ったんです。


 あなたの外套に似せて――でも、少しだけ違う色にしました」




ミスティアスは新しい外套を受け取る。


手の中に残るのは、冷たさと温もりの両方。


縫い糸の一針ごとに、誰かの想いが詰まっているようだった。




「……前のは?」


「こちらに」




セレスは胸の前に古い外套を抱きしめた。


陽の光がかすかに差し、


繊維の奥の染みがわずかに赤く透ける。




「これは、私を守ってくれたもの。


 あの日のあなたが、ここにいる気がして」




ミスティアスは何も言わず、その視線を受け止めた。


冬の空気の中、風がふたりの間をすり抜ける。


その風が、思ったより冷たかった。




セレスが小さく肩を震わせる。


彼はそれに気づき、ためらいながら外套の片側を広げた。




「寒いだろ。……ほら」




差し出された布の隙間に、ためらいながら身体を寄せる。


肩が触れた瞬間、冷たかった空気がふっと和らいだ。




「……あたたかい」


「この季節は、くっついてないと凍えるから」




セレスが少し笑う。


「では、しばらく冬のままでいてほしいですね」


「どうして」


「寒いと、近くにいられますから」




ミスティアスの喉から小さな笑いがこぼれる。


「……そうか。じゃあ、春はもう少し先でいいな」




彼はふと思い出したように、懐から小さな包みを取り出した。


白い息とともに言葉がこぼれる。




「……これも、渡したかったんだ」




セレスが目を瞬く。包みを開くと、冬の陽を受けて銀が光った。




それは、すずらんの彫りを施した髪飾りだった。


細い線で刻まれた花が光を受けて浮かび上がり、


彫りの奥に淡い影を落としている。




「王子が付けててもおかしくない形にしたつもりだ。


 ……飾り気はないけど、長く使えると思う」


「すずらん……?」


「ああ。雪が溶ける頃に咲く花だって。


 君に、似てると思った」




セレスは静かに笑う。


「……可憐だけれど、芯が強い花ですね」


「そう。だから、これを選んだ」




光を受けた彫り模様が、一瞬だけ柔らかく輝いた。


彼女はその髪飾りを短くなった髪につけた。




「どうですか」


「……ああ。すごく似合ってる」




言葉の端には、確かな熱が滲んでいた。




「……魔力、少しだけ渡してもいいか?」




ふたりの白い息が重なり、それが一つの霞になってゆっくり空へ消えていく。




ぬるい温度に心が解ける。


セレスは古い外套をもう一度強く抱きしめた。


「これは、もう少しだけ私に預けてください」


「いいよ。……君の中で、ちゃんと生きてるなら」




風が凪ぎ、薄い陽射しが雪雲の隙間から差した。


ふたりの頬に淡い光が触れる。




「抱きしめたものを、失わずに生きる。


 それが、俺たちの“守り”なんだと思う」




その言葉に、セレスは静かに頷いた。




古い外套を抱く腕に、確かな温もりが残っている。




その温もりを胸に、


彼女は冬を――そしてこの想いを――そっと抱きしめたまま目を閉じた。






sideユリカ




冬の午後。


昼の光が傾いて、家の中に柔らかく射し込む。


庭の方から笑い声が聞こえ、


ユリカがふと窓越しに目をやると、


セレスとミスティアスが寄り添うように外套を分け合っていた。




(……まあ、寒いものね)




最初は微笑ましく思った。


けれど、肩のあたりが妙に近い。


息が触れる距離。


思わずため息が出た。




そのまま台所から出て行く。


扉を開けた瞬間、二人がびくっとして姿勢を正した。


「……あなたたち、風邪をひくわよ」




声は穏やかだった。


けれど、ミスティアスの肩がびくりと跳ねる。


セレスは姿勢を正し、そっと布を外した。




ユリカは近づき、雪の降りそうな空を一度仰ぐ。


「寒いのに、仲がいいのね」


「い、いえ、あの……」


「弁解はいいわ。見れば分かるもの」




ミスティアスは俯き、指先をぎゅっと握った。


その様子を見て、ユリカはふっと息を抜いた。




「……ねえ、ミスティアス」


「……はい」


「好きになること自体は、悪いことじゃないのよ」




少年の目が驚いたように上がる。


けれど次に続いた言葉は、少しだけ冷たく響いた。




「ただ――好きなら、相手の“立場”と“場所”を選んであげて。


 どちらかが傷つく恋は、優しさが足りない恋だから。


 ……それを私は、昔できなかった」




冬の風がユリカの髪を揺らした。


その視線の奥には、遠い時間の残光があった。




「だからといって、私は後悔はしていないけれど――


 あなたには、後ろ指をさされない未来を選んでほしいの」




ミスティアスは何も言えず、ただ頷いた。


セレスは静かに頭を下げる。




ユリカは二人の姿を見つめて、ふっと息を抜く。




「いいの。あなたも悪くないわ。


 ただ、見られたくないなら、もう少し奥の庭にしなさい」




ユリカはくすっと笑い、家の方へ戻っていく。


冬の風がふわりと吹き抜け、二人の外套を揺らした。




「……怒られた、のかな」


「いいえ。きっと、許されたんです」




ミスティアスの胸の奥で、母の言葉がまだ静かに灯っていた。







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