◆3:Golden Memory, Gentle Distance
sideセレスタン
「……ここが、あなたの部屋なんですか?」
気づけば、思わずそう言っていた。
壁も床も灰と黒のモノトーン。
装飾はほとんどなく、低いローテーブルと黒いクッションがひとつ。
窓辺には、小さな観葉植物が一つだけ。
生活の匂いよりも、静けさの方が強い。
ミスティアスは靴を脱ぎ、そのまま床に腰を下ろした。
何のためらいもなく。
王城の広間とは正反対のその行儀に、セレスは少しだけ面食らった。
「立ってると落ち着かないでしょ。座って」
「……椅子は?」
「あるけど使わない。俺、床派だから」
そう言ってベッドを顎で示す。
きれいに整えられた白いシーツには皺ひとつない。
セレスはわずかにため息をついて、その端に静かに腰を下ろした。
「――それで、急に呼ばれたのはなぜ?」
「エルのこと、なんだ」
その名前が出た瞬間、セレスの背筋がわずかに伸びる。
ミスティアスは、ローテーブルに置いていたノートを開いた。
中には、魔力反応を記録した線と、淡く金色に光る跡が描かれていた。
「……前の話なんだけど。
セレスがいない時……リビングでも前のような金の魔力が発動した。
彼女が、無意識に発動させているので間違いないと思う」
「……なるほどね。制御しているわけでも自覚があるわけでもないのは確定っと」
「ああ。
その時も、“記憶”を映した。
彼女が触れたのは、ただの本だ。ルアルクさんの、古いもの」
セレスは息を呑んだ。
ミスティアスはゆっくり言葉を続ける。
「彼女が見たのは、ルアルクさんと父さんの記憶。
条件は不明。
……ただ、金色の光だけは確かに出た」
一瞬、沈黙が落ちる。
セレスは手を組んだまま、考えるように眉を寄せた。
「彼女が“皇女”である可能性は高い――発動が複数回起こったのであれば、対策を考えないとまずいね。
無意識の発動なら、場所を選ばず起こる可能性がある」
「共有しようと思ってはいたんだ。
伝えるのが遅くなったことは謝るよ。
けれど、ルアルクさんが戻ってきた今、彼にも伝えておくべきだと思って」
セレスはその名を聞いて、一瞬だけ姿勢を正した。
彼の中でも、ルアルクという存在への敬意がある。
ミスティアスの言葉には、迷いがなかった。
「……わかりました。
まずは彼にも、ユリカさんにも同席してもらいましょう」
「だよな。……そろそろ、タイミング的にも、本当の話を共有する時だ」
窓の外で、風が葉を揺らした。
秋の光が白く差し込み、二人の影を淡く照らす。
その光の中に、もう一度“真実の黄金”が浮かび上がろうとしていた。
呼んでくる、と彼は何のためらいもなく彼一人残して部屋を出て行った。
静寂が落ちる。
扉が閉まったあと、微かに空気の温度が変わった気がした。
ミスティアスの部屋に残されたセレスは、ローテーブルの上に置かれた魔力記録のノートをぼんやりと見つめていた。
黒と灰の部屋。
余計なものが何もない。
けれど、整然とした空気の中に、彼の“生き方”が滲んでいる。
(……こんな場所に、自分を置いていくなんて)
少し落ち着かない。
でも、それが悪い気分ではない。
彼が自分を“信用している”ということだから。
窓辺から差し込む光が、白いシーツを照らした。
静かなその光景を前にして、セレスは小さく息を吐く。
(……不思議な人。
誰かを拒むようでいて、ちゃんと信じてくれる。
だから、放っておけないんだな)
そんなことを心の中で呟いたところで、
足音が廊下の向こうから戻ってくる。
扉のノック音がして――
ユリカとルアルク、そして二人の穏やかな気配が部屋に満ちた。
sideミスティアス
「……というわけで、彼女が見た記憶は、リボンや本を介した“金色の光”による発動でした」
ローテーブルの傍にユリカとルアルクが並んで座る。
その向かいにはミスティアス。
セレスは、どこか居心地悪そうにベッドの端に腰かけ、手を膝の上で組んだまま背筋を正していた。
その端然とした姿が、この部屋の簡素な空気の中で妙に浮いて見えた。
ミスティアスの淡々と報告する声が部屋に響く。
ユリカは膝の上で指を組み、黙って聞いている。
ルアルクは頷きながらも、その目の奥で何かを計算しているようだった。
「金の魔力である以上、皇室の血を引いているのは間違いないだろうね」
ルアルクの声は静かだった。
「ただ、問題は――発動が無意識だということ。
今はたまたま問題のない記憶だったけれど、場合によっては“見せたくない記憶”にも繋がる。
これは生活に支障をきたすレベルだ。
本人がコントロールできるようにしないと……」
彼は少し考えこみ、指先でテーブルを軽く叩いた。
「……発動条件や制御方法を整理する必要があるね。
本人を含めて、共有しておいた方がいい。
“力”は知るほど安定する。
知らないままでは、彼女自身が傷つくかもしれない。
これは彼女がこの先を“生きる”ための必須事項だから」
ユリカがゆっくり頷く。
「……ええ。
あの子、自分のことを少しだけ忘れ物しちゃったみたいなのよ。
でも、だからこそ……私はあの子たちが安心して帰ってこられる場所を作っておきたいの」
「……こうなったら全員で共有、だよな。
フィリアをのけ者にしたらプンプン怒りそうだ」
「あの子も家族ですもの」
ふふ、とユリカが柔らかい笑みを浮かべる。
「そうだね。
リビングで全員で共有しようか」
「ええ、お茶を淹れるわ。
ルアルクの好きなアップルパイも焼いたの。
みんなで食べながら話しましょう?」
ルアルクの言葉にユリカが続く。
優しい空気を残して、四人の話し合いは終了した。
sideユリカ
甘く焼けた香りが部屋いっぱいに広がっていた。
テーブルの上には、焼きたてのアップルパイ。
りんごの表面がほんのり飴色に光っている。
「……おいしそう」
フィリアが目を輝かせる。
ユリカは笑いながら、皿を配っていった。
「焦げるかと思ったけれど、いい焼き色になったわ。
ミスティアス、切り分けてくれる?」
ミスティアスがナイフを手に取ろうとした瞬間、ルアルクが「僕がやろうか」と手を伸ばした。
ユリカが反射的に止める。
「ダメ。あなたに刃物を持たせるのは、もう懲りたわ」
「そんなに信用ない?」
「ええ、ないわ」
即答され、ルアルクは肩を落とした。
「この前も、林檎の芯を取ろうとしてテーブルえぐったじゃない」
ユリカの言葉に、フィリアが笑いをこらえきれない。
「……角度を少し間違えただけなんだけどな」
「理論派ほど現場で事故るんですよ、ルアルクさん」
ミスティアスが苦笑しながら言って、正確な手つきでパイを切り分けていく。
サク、サク、と軽い音が響き、整った断面にルアルクが感心したように微笑んだ。
「几帳面だね。僕の研究室にもほしいよ」
「……それ、父さんに言ってください」
「う……ぐぅ……」
ルアルクが言葉に詰まる。
ユリカが小さく吹き出して、
「ね、あなた。片付けても片付けても、すぐ散らかるでしょ?」
「僕のせいじゃないってば。あれはシェイさんが……!」
「でも一緒に研究してるんでしょう?」
「…………共同責任、か」
その小さな掛け合いに、
ミスティアスもフィリアも笑いをこらえきれなかった。
家の中に、 “日常の笑い声”が響く。
セレスが姿勢を正して、丁寧に言葉を選ぶ。
「この家の食卓には、いつも良い香りと笑顔が溢れているんですね」
「そうね」
ユリカは微笑む。
「この家では、“話す”ことと“食べる”ことが、だいたい同じくらい大切なの」
ルアルクがパイを受け取りながら、視線を上げた。
「……さて。せっかくだけど、今日の話題は少し真面目なんだ」
甘い匂いの中に、わずかに緊張が走る。
ユリカがお茶を注ぎながら、そっと頷いた。
「金の魔力の話ね」
スティリオが深く息を吸う。
指を絡ませ、覚悟を決めるように一拍置いてから、静かな声で話し始めた。
「……彼女の中に、確かに“金”が流れています。
発動の度合いは軽いですが、無意識のままでは危険なのは同感です。
反応を封じることはできない。
…彼女がそれを自覚して、扱えるようにするしかないんです」
エルは少し不安そうに、手を握りしめた。
「……ごめんなさい、あたし……そんなつもりじゃなくて」
「いいのよ、エルちゃん」
ユリカが優しく微笑む。
「無意識に起きたことなら、悪いことじゃないの。
それは、あなたの“心”が覚えていたことだから」
「……心が?」
ルアルクが静かに続ける。
「金の魔力は“記憶”と強く結びついている。
君が触れたものの“思い出”や“想い”を引き出す。
つまり――それは“絆を辿る力”なんだよ」
「絆……」
エルが呟く。
スティリオが、その言葉に小さく頷いた。
「……だからこそ、使い方を誤れば危険です。
絆は美しいものばかりじゃない。
痛みや喪失も、同じように引き寄せてしまう」
「……つまり、彼女の記憶に“触れようとする誰か”がいれば、それも引き出される可能性があるってこと?」
ミスティアスの問いに、ルアルクが短く頷く。
「その通りだ。
闇がまた動き出している今、金の魔力を持つ者が狙われないわけがない。
ネルの狙いが“分断”なら、彼女の力は格好の標的になる」
沈黙。
テーブルの上で、パイの甘い香りがやけに遠く感じられた。
ユリカがそっと手を伸ばし、エルの手を包む。
「ねえ、怖がらなくていいの。
誰が相手でも、あなたを守る人がここにいる。
この家には、“家族”がいるのよ」
エルの目が、潤んだ。
「……ありがとう、ユリカさん。
気付いていると思いますが、あたしはあたしのことがよくわからない。
なのに、自分の記憶は見れないのに人の記憶を見るなんて……」
エルの右手の人差し指が、耳元のイヤーカーフに触れる。
金色の金属がきらりと輝き、装飾のルビーが紅く光を返す。
不安な時の彼女の癖だ。
その瞬間、フィリアがにこりと笑う。
「大丈夫だよ、エルちゃん。
怖いことあっても、うちのミスくん強いし!」
彼女の言葉で、場の空気がやわらかく変わった。
「……“うちの”って言うな」
ミスティアスが苦笑する。
「あ、お父さんも強いよ、たぶん!」
ルアルクが笑いながら、たぶんは余計、とつっこむ。
「――それじゃあ、作戦会議は甘いものと一緒に、だね」
ユリカが笑ってうなずく。
「甘いものを食べながら話せば、きっといい案が浮かぶわ」
「……甘いものは、心を救うね」
秋の光が差し込む窓辺で、家族と仲間たちの笑い声が、やわらかく重なっていった。
sideユリカ
昼下がりの陽が、白いカーテンを通して部屋に柔らかく差していた。
ミスティアスとセレスが二人で意見を出し合いながら実験の準備をしていた。
テーブルの上には、銀の皿と布に包まれた白いリボン。
――あの、金の光を見せた“例のリボン”だ。
「……やっぱりこれ、使うんですね」
ユリカが少し笑いながら言うと、ルアルクが視線を逸らした。
「他に明確なトリガーがないからね……でも、正直ちょっと恥ずかしいな」
「どうして?」
「だって、君たちから聞いた話だと、あれを見た時の“映像”……あれ、僕の感情だろう?」
「……そうね。たぶん、あなた」
ユリカの口元がふっと緩む。
その横顔に、ミスティアスが「実験ですから」と言いながらも微妙に咳払いした。
「……じゃ、始めます。
魔力遮断の結界、展開。
スティリオ先生、魔力波の変化をお願いします」
スティリオが頷く。
金属板が微かに振動して、部屋の空気が静かに張りつめた。
エルの指先がリボンに触れる――その瞬間、淡い金色の光がふっと舞い上がる。
同時に、彼女のイヤーカーフもかすかに光を返した。
「……あ……」
エルの瞳が揺らぐ。
視界の奥に、誰かの記憶が流れ込んでくる。
*** *** ***
朝の礼拝堂。
まだ人のいない早朝の光の中、少女が一人静かに座っていた。
結んだばかりのリボンが、銀の髪をやさしく縁取っている。
何度も何度も落ち着かないように扉の方を見るその横顔は――今より少し頬のラインが柔らかい若き日のユリカ。
(……神様、ごめんなさい。)
(私、今日も祈りよりも、彼に会いたくてここに来ました。)
そっと目を開けたその時、軽やかな足音が響く。
扉がわずかに開いて、朝の光が床を滑った。
影の向こうで視線がふっと重なる。
一瞬だけ、互いに微笑む。
(――きっと、誰にも気づかれていない。気づかれてはいけない)
彼と交わす言葉はほんの少し、朝のわずかな時間だけ。
約束を交わしたわけでもないのに、同じ時間にここに来て、同じように笑い合っていた。
声が聞けるだけで、藍色の瞳に見つめられるだけで、その日一日を生きる力をもらえた。
(神様、今日も祈りより彼に会いたかった――いけないと知っていても、止められない。)
彼と別れたあと、礼拝堂の静けさにひとり残された。
けれどその時間は長く続かない。
扉の方から複数の足音が近づき、低い囁き声が混ざって聞こえてきた。
「また来ていたのか……魔力も持たぬ娘が、直系の傍にいるなど」
「神に仕える者の傍にいる資格はないはずだ」
「フィオレッタ様の血を継ぐ子だからこそ、彼の傍にいられるのよ」
「かつて直系に近かったあの方の孫……不思議ではない」
小さな嫌味と血による優遇は彼女にとって耳慣れたもののようだった。
先ほどの彼の姿を見たときのようには心は動かない。
ただ、静かに痛みを受け入れる感情だけが広がる。
景色が再び別の朝に切り替わる。
扉の方から、足音が聞こえる。
その足音に合わせて、胸の鼓動が高鳴っていく。
「おはよう、ユリカ」
「おはよう、ルアルク」
彼だけは、彼女を“魔力の有無”ではなく“ユリカ”として見てくれる。
そのことが、何よりも心を揺らした。
藍の瞳の青年が微笑んだその瞬間、
胸の奥がきゅっと痛むように温かくなって――
(ああ、私、この人が誰よりも好きなんだ……)
愛しいという気持ちが、胸の中にあふれていく――……。
*** *** ***
光が静かに消えた。
エルはそっと目を開け、息を吸い込むように呟いた。
「……これが、“恋”なんですね」
「……恋って、こんなに静かなものなんですね」
エルの言葉に応えるように、セレスもぽつりと零した。
うっすらと頬を赤く染めて。
ユリカは頬に手をあて、少し照れくさそうに笑う。
ルアルクは目を伏せて、耳まで赤い。
「……あの時のこと、そんな風に思ってたんだね」
「まさか、今度は私の心が見られるとは思わなかったけれど」
ユリカが笑うと、ルアルクは苦笑して髪をかいた。
ミスティアスが観測結果を確認しながら、小さく咳払い。
「発動はやっぱり“感情の記憶”ですね。
喜び、愛情、あるいは強い想いに反応する。
……あー、その、純粋な愛情とか、恋愛感情も、ですね」
「……つまり、私の恋心が原因ってこと?」
ユリカがいたずらっぽく言うと、ミスティアスはうっかり手を止めた。
「……まあ、その、科学的に言えば、はい」
ルアルクが少し肩をすくめた。
「なるほど。僕のせいでもあるというわけだ」
「あなたは悪くないわ。
あの時の私、きっと誰よりもまっすぐに人を好きになっていたから」
その言葉に、一瞬だけ空気がやわらかく揺れた。
スティリオが小さく手を挙げる。
「発動源は“指先”。つまり、触れることがトリガーです。
――布や手袋を介せば、魔力は流れないはず」
ユリカが微笑んで、ルアルクに目をやる。
「あなたの研究用の手袋、まだ残ってる?」
「あるけど……少し大きいよ?」
「じゃあ、それでいいの。貸して?」
白い手袋がエルの手にそっと嵌められる。
次の瞬間、金の光は完全に消えた。
ミスティアスが記録を閉じて、安堵の息をつく。
「これで、ひとまず発動は抑えられますね」
セレスが微笑んで言った。
「“触れないことで守る”。不思議ですね」
ユリカがその言葉を拾う。
「ええ。でも、優しさって、そういう形をしているのかもしれないわ」
ルアルクが穏やかに頷く。
「……本当の絆は、手を離しても繋がっていられる。
それを教えてくれた気がするよ」
小さな沈黙のあと、
ユリカがふっと微笑んだ。
「それでも――いつか、またこの子が“触れたい”と思えるようになったら。
その時は、きっともっと強くなっているわね」
陽光の中、淡い金の光が一瞬だけリボンに揺らめき、
まるで“過去の恋心”が優しく微笑んだように見えた。




