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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第五章 抱く者と切る者
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◆2:Return to Light



sideルアルク




暖炉の火が、かすかに鳴っていた。


ユリカは寝室へ行き、家の中は再び静けさを取り戻している。




ルアルクは椅子に腰かけ、両隣に子どもたちをくっつけたまま、手帳を開く。


そして何かに気が付き、ゆるく目を閉じた。




(……闇の流れが、少しずつ変わっている)




静かな気配。


微かな歪み――それは、彼だけが純白だからこそ察知できる“影の波動”だった。




右隣で眠っていたフィリアが身じろぐ。


静かに、彼から少し距離を取る。




「……フィリア?」




声をかけた瞬間、空気がわずかに揺れた。


明かりの届かない場所で、少女の髪が黒く染まっていく。




見上げてきた瞳は、深海のような色をしていた。




「……やっと、直接会えたね」




その声は、けして怯えていなかった。


むしろ、静かな安堵が混じっている。




ルアルクは静かに微笑みを浮かべて彼女を見つめた。




「やっぱり……気づいていたんですね」


「うん。父親だからね。


 君の中に、もうひとりがいることはずっと感じてた」




黒フィリアはまばたきを一つして、微笑んだ。


「白いわたし、まだ知らないの。……わたしが目を覚ましたことも」


「知るときが来るよ。君がその扉を開ける時に」




彼の声はあくまで穏やかで、深く響く。




「ネルが動いてる。……また、世界を壊そうとしてる」


「だろうね」


「怖くないの?」


「怖いよ。怖いけど――もう逃げない。君たちがいるから」




黒フィリアの表情がわずかに揺れた。


「……そういうところ。やっぱりあなたは、ユリカさんに似てる」


ルアルクは苦笑した。


「あの人が僕を人にしてくれたからね」


フィリアが瞳を瞬かせる。


「人に?」


「うん。誰かを想うっていう、いちばん人間らしいことを」




二人の間を、暖炉の火が照らす。


黒と白の間にある、淡い橙の光。




黒フィリアは静かに言った。


「ネルは、私たちの“分断”を狙ってる。


 でも、私は彼の器になんてならない。


 “愛された記憶”がある限り、闇には呑まれない」




「君は強いね。


 でも、いいんだよ。大人に甘えて」




その瞳がわずかに潤んで、笑う。


ルアルクはそっと手を伸ばし、彼女の頭を撫でた。




「君のことも、ちゃんと守る。


 白いフィリアも、黒いフィリアも、どちらも僕の“娘”だから」




黒フィリアは小さく息を飲んだ。


その瞬間、髪の黒がゆっくりとほどけて、淡い光に溶けていく。




「……ありがとう、お父さん」




炎が静かに揺れ、夜はゆるやかに――しかし確かに溶けていった。






sideユリカ




昼の光が、やわらかく家の中を照らしていた。


昨日までの夢のような出来事が、


今は“あたりまえの朝”としてここにある。




台所には、スープの匂い。


ミスティアスが黒衣の袖をまくり、真剣な顔で包丁を動かしている。




窓辺で見守るユリカは、まるで少年の頃の彼を見ているような微笑を浮かべていた。




「……ご機嫌ね」


「え?」


「いえ、なんでもないわ」




小さな鍋の中では、林檎がやさしく煮えている。


その甘い香りが部屋を満たしたとき、背後からフィリアの声が弾んだ。




「ミスくんってば、朝もお父さんの好きなものばっかり作ってたよね。


 ユリカさんと二人で!」




「……こら、フィリア!」


ミスティアスが振り向いて、思わず頬を赤らめる。


「べつに……作りたかっただけだよ」




ユリカは笑いをこらえきれず、


そっと湯気を立てるポットに手を伸ばした。




(……誰かのために作る。


 それを、自然にできるようになったのね)




ちょうどそのとき、玄関からノックの音が響く。




「……セレス王子がいらっしゃいました!」


フィリアが駆け出し、扉を開ける。




「おはようございます。いい匂いですね」


ストロベリーブロンドの髪が陽光にきらめき、紫の瞳が穏やかに細められていた。




「ちょうど今、仕上がったところです。


 ご一緒にいかがですか?」


ユリカが微笑むと、セレスは少し戸惑いながら頭を下げた。


「お言葉に甘えて……」




テーブルには、焼きたてのパンと白身魚のムニエル。


そして色鮮やかなサラダ。


ルアルクの好物ばかりだった。




その本人は、食卓の奥、窓から光が差し込む席に静かに座っていた。




まだ少し体は細いけれど、その目の奥には確かな生の光が宿っている。




「本当の意味では“はじめまして”になりますね、セレスタン殿下。


 ルアルク・ノア・アストレイドです。


 うちの娘たちがお世話になります」




立ち上がって頭を下げようとする彼を、セレスが慌てて手で制した。




「どうぞそのままで。


 こちらこそユリカさんやミスティアスくん、フィリアさんにはお世話になっております。


 配慮が足らず、食事の時間にお邪魔してしまいすみません」




王子らしい、背の伸びた礼儀正しい挨拶に、ユリカが笑って答えた。




「いやだわ、そんな他人行儀にならないで。


 同じご飯を何度も食べているんですもの、あなたも家族ですよ」




奥の席ではエルとスティリオもユリカの言葉に合わせて頭を下げてにこりと笑っていた。






「……みんなで食べる食卓、久しぶりですね」


低く、けれどあたたかな声。


ユリカが微笑み、フィリアが嬉しそうに椅子を引いた。




ミスティアスは皿を差し出しながら、どこか緊張した面持ちで言葉を選ぶ。




「……その、ルアルクさん。


 よければ、これ……」




差し出された皿の上には、


きれいに焼き上げられた林檎のコンポート。




ルアルクは目を細めて微笑んだ。


「懐かしい香りだ。


 君が作ったの?」


「はい」




「……おいしそうだね」


その一言に、ミスティアスの肩の力が抜ける。




セレスはその光景を静かに見つめながら、手を合わせて小さく呟いた。


「……“生きている”って、こういうことなんですね」




ユリカが笑みを返す。


「そうね。こうして誰かと食卓を囲めること。


 それが、たぶん一番の奇跡」




風がカーテンを揺らし、


スープの香りがふわりと漂う。


朝の光の中で、誰もが微笑んでいた。




――そのとき。


窓の外で、微かな震えが走った。




ルアルクがスプーンを止め、


静かに目を細める。




「……闇の流れが、わずかに変わっている」




ミスティアスが顔を上げる。


「ネル、ですか?」


その名に、ルアルクははじかれたように彼の顔を見た。


「なぜ、その名を……?」


「父の残した仕事の資料からです。


 書斎にそのままになっていました。


 配置からして、何かできるとしたら、彼しかいない」


ミスティアスの言葉を聞いて、ルアルクは一度だけ深く頷く。


「僕もそう思った。


 確たる証拠があるわけではないから、正確なことはわからない。


 けれど……何かが“目を覚まそうとしている”気配がある」




穏やかな朝の空気に、


再び“戦いの匂い”がほんのりと混ざった。




けれど誰も、恐れた顔はしていなかった。




今度は、闇を溶かす光を知っているから。




「さて……少しずつ、こちらも手を打たないとね」


食事の最後に残した林檎のコンポートをじっくりと味わいながら、ルアルクは口角だけをあげて笑った。




「無理はしないで、病み上がりでしょう?」


ユリカが、止めても無駄だとわかっている顔で釘を刺すように言う。




「病んではいないよ。


 この闇は、“誰かの意思”を宿していた。人為的なんだ。


 僕は必ず、大切な家族を取り戻す。


 大切な娘、そして妻と……僕を親友だと呼んでくれた彼を取り戻さないとね」




「スティリオくん、ルアルクはこう言っているけれど、大丈夫なのかしら?


 ルアルクは後で色々と”お話”がありますから、覚悟しておいてください」


ユリカが、にっこりと綺麗な笑顔を向ける。


ルアルクはそっと目を逸らした。




「医者の立場で言わせてもらえるのなら、せめて一週間はどんな影響がでるのかわからないから安静にしていてもらいたいですけどね」




「はいはーい、お父さんは一週間お休みね!」


フィリアがぴょこんと立ち上がると、座ったままの父の腕を取ってしがみつく。


負けじとミスティアスも反対側に立ち、彼の肩に手を置いた。


「ドクターストップ出ましたね。


 今さら、一週間無理したところで変わりません。


 やるなら万全になってから動きましょう」




う、とルアルクが言葉に詰まる。


「……まさか君たちにお叱りを受けるとはね。


 ユリカより厳しいんじゃないか?」




「なんですって?」




食卓が笑いに包まれる。


フィリアも、ミスティアスも、みんながそろって久々の笑顔を浮かべていた。




「……ふふ、こうしてみるとミスティアスもすっかり子どもだね」


セレスの呟きにミスティアスがうるさい、と照れ交じりに返す。




――そして、穏やかな朝の下で、すでに“次の幕”は静かに動き出していた。



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