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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第五章 抱く者と切る者
12/47

◆1:Prayer Unbound



sideユリカ




朝の光が崩れた聖堂の窓を透かし、


灰の積もる床に、淡い金の粒を落としていた。


風は冷たく、けれどどこか優しい。


季節が、夏から秋へ移り変わろうとしていた。




ユリカは、いつものように三人の前に立っていた。


ルアルク、リリ、リシェリア――。


灰色の闇に覆われ、時が止まったままの家族たち。


彼女は静かに祈りの言葉を紡ぐ。




「……おはよう。今日も来たわ」


「ミスティアスは、最近セレス王子と仲がいいの。


 きっとシェイさんがいたら、笑って見ていたでしょうね」




言葉は淡々と、日常の報告のように続いていく。


祈りとは、希望ではなく“生きている証”のようなものだった。




けれど、その日――。




ルアルクの右手が、わずかに震えた。


光の粒が指先に集まり、ほんの少しだけ動いた。




ユリカは息を止める。


“また……闇が反応するかもしれない”


かつて、触れようとして弾き返されたあの痛みが脳裏をかすめた。




ゆっくりと、指を伸ばす。


指先が彼の手に触れる――何も起きない。


痛みも、拒絶も、ない。




「……っ」




震える唇が音を結ぶ前に、体が動いていた。


ユリカは、彼を抱きしめた。


細い体を、全力で。


もう二度と離さないように。




その瞬間、


闇がふっと音を立ててほどけ、白い光が内側からゆっくりと滲み出た。




ミスティアスが駆けつけたとき、


彼はその光の中で呟いた。




「……純白の魔力が、中から闇を塗りつぶしている……」




ユリカの腕の中、ルアルクの胸がわずかに上下する。


頬に血の色が戻り、その手が、ためらうようにユリカの背へと回された。




息を合わせるように、二人の体温が静かにひとつになる。




ユリカは微笑みながら、そっと囁いた。


「……おかえりなさい、ルアルク」




彼の指先が、確かに応えた。


そのぬくもりを、彼女は何よりの祈りとして抱きしめた。






sideミスティアス




ユリカの腕の中で、ルアルクが静かに息をしていた。


まだ微かな呼吸。




けれど、確かに「生きている」。




ミスティアスは息を呑んだまま、その場に膝をつき、震える声で呟く。


「……本当に、戻ってきた……」




しばらくして、ユリカが彼を支えたまま、小さく笑いながら言う。


「……ねえ、念のために、スティリオくんを呼んできてくれる?」




「うん、すぐに!」




――それから数分後。




スティリオは診察用の器具と治癒石を携えて駆けつけた。


慎重に脈を取り、魔力の流れを確かめ、やがて安堵の息をつく。




「生命力は安定しています。


 奇跡というより……時間がようやく追いついた、という感じですね」




ユリカは微笑み、彼の言葉に小さく頷いた。


「……そうね。あの人は、ずっとここにいたもの」




ルアルクの瞳がゆっくりと開く。


焦点を探すように、まずユリカを見て――


次に、ミスティアスを見つける。




「……大きくなったね」




その言葉で、空気が柔らかく揺れる。


ミスティアスは何も言えず、ただ泣き笑いの顔で頷いた。




フィリアは最初、信じられないというように立ち尽くしていた。


けれどユリカの腕の中でルアルクが確かに息をして、


ゆっくりと彼がミスティアスに向けて声を掛けた瞬間――


声をあげて泣いた。




「お父さんっ……!」




小さな体で飛びつき、ユリカごと彼に抱きつく。


涙が彼の服を濡らしていく。




ルアルクは、まだ力の入らない手でその頭を撫で、少し笑うように言った。




「……泣き虫だな、フィリア。


 女の子はあっという間に大人になろうとするのに……


 君は、まだこんなに可愛いままだ」




フィリアはしゃくりあげながら、


「……だって……お父さん、ずっといなかったんだもん……!」と答えた。


その声は、12歳の少女が抱えていた時間の重さを、そのまま吐き出したようだった。




ユリカがそっと彼の肩に顔を寄せる。


ルアルクはその髪に触れ、少し照れくさそうに微笑んだ。




「……ただいま、ユリカ」


「おかえりなさい、ルアルク」




そのやり取りを見て、ミスティアスは胸の奥が熱くなった。


どんな奇跡よりも、確かな“生”がそこにあった。




『……なあ、ミスティアス』


「……ナーバ?」


『泣けよ。いい時くらい素直になっとけ』


「……うるさい」


『へっ、そう言うと思った。けど――見ただろ?


 人が“生き返る”ってのは、魔法でも運命でもねぇ。


 “想われてる”ってだけの話だ』




その声は、どこか誇らしげで、少しだけ震えていた。




『……いいなぁ。


 オレも、また誰かにああやって“おかえり”って言われてぇな』




「……そのうち言ってもらえるさ」


『おう。そん時はミス、お前にも立ち会わせてやるよ。


 泣くなよ?』


「泣かねぇよ」




目の前で重なり合う家族の姿が、


ほんの少しだけ、滲んで見えた。






sideユリカ




夜の空気はやわらかく、どこか懐かしい匂いがした。


暖炉の火が静かに揺れて、部屋の中に橙の光を散らしている。




ソファに並んで眠る二人――


ミスティアスとフィリアは、まるで小さな子どもに戻ったみたいにルアルクの両腕にすっぽりと収まっていた。




ミスティアスの髪に指を通してやると、ほんの少し眉をしかめて、すぐまた穏やかな寝息に戻る。


ずっと“大人”でいようとしていた顔が、今はどこまでも年相応だった。




(……もう、無理に背伸びしなくていいのよ)




反対側では、フィリアが小さく笑っていた。


泣きはらした目のまま、けれどその顔はやっと、心からの笑顔を取り戻していた。




ルアルクは二人を抱いたまま、


ユリカの方を見て、静かに目を細める。




「……大きくなったね」


「ええ」




それだけで、もう十分だった。


彼の声に、いつものあたたかさが戻っている。


その響きに胸の奥がじんわりと熱くなる。




ユリカはそっと膝をつき、ルアルクの頬に触れた。


もう冷たくない。確かなぬくもり。




「……良かった。本当に……良かった」




呟いた声が、涙に溶ける。


彼が生きて帰ってきた。


この手で抱きしめられる場所まで。




ルアルクは何も言わず、


ただ、彼女の手を自分の頬に重ねた。


暖炉の火がゆらりと燃え、


それぞれの影が壁に寄り添うように揺れた。




外では、春を越えた風がやさしく草を撫でていた。


その音がまるで、静かな子守唄のように響いていた。






ルアルクはユリカの方をしっかりと見つめ、微笑む。


少しだけ掠れた声――けれど、その響きは確かだった。




「……あのね、ユリカ」




彼女が顔を上げる。




「闇が襲ってきた時、気づいたんだ。


 あれは“呪い”じゃない。


 シェイさんと研究していた――精神汚染だった」




ユリカの瞳が揺れる。




「範囲は……教会を起点に、全世界規模に広がっていた。


 闇魔法そのものは止められなかった。


 だから、最後の最後でリシェとリリの力を借りて――“時”の方を止めたんだ」




「……時を、止めた?」




「うん。


 闇を止めることはできなくても、“飲み込まれる瞬間”を凍らせることはできた。


 それが、あの“停止”なんだよ」




彼は静かにミスティアスとフィリアの髪を撫でた。


眠る二人の呼吸が、あたたかな空気に溶ける。




「だからね、ユリカ。


 闇を取り除けば――僕たちの娘は、必ず帰ってくるんだよ」




その言葉は、祈りではなかった。


確信でも、奇跡でもない。


理と愛のあいだに立つ、ルアルクの“約束”だった。




ユリカの唇が震える。


笑っているのか泣いているのか、もうわからない。




「……ありがとう、ルアルク」




それは“希望をくれた”ことへの礼ではなく――


“この世界に戻ってきてくれた”ことへの感謝だった。




彼は小さく首を振り、眠る二人の子どもたちを見つめる。




「ありがとうは、僕の方だよ。


 君が、ずっと声をかけ続けてくれたから。


 あの声がなかったら……きっと帰ってこられなかった」




ユリカはそっと微笑んだ。


その笑顔は、涙よりも柔らかく揺れていた。




暖炉の火が、二人の影を重ねる。


眠る子どもたちの穏やかな寝息が、夜の静けさと溶け合っていた。





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