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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第四章 鏡の記憶
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◆3:Echoes & Masks



sideユリカ




教会の扉を押すと、冷たい空気とともに、春の匂いが流れ込んだ。


瓦礫の隙間からのぞく草花が、少しずつ息を吹き返している。




祭壇の前では、三人がいつものように静かに立っていた。


ルアルク、リリ、リシェ――その姿は、時を超えてなお穏やかだった。




「……おはよう。今日も来たわ」




声をかけても、返事はない。


それでもユリカは微笑む。




「ねえ、ルアルク。ミスティアス、ちょっと落ち込んでたの。


 フィリアちゃんに、振られちゃったみたい」


言いながら、自分で小さく笑ってしまう。


「でもね、泣き顔じゃなかったのよ。


 ちゃんと顔を上げてた。


 ……あの人にも、あなたにも、似ているところがあるわね」




光が、闇の表面をかすめた。


まるで頷くように、淡く震える。




ユリカは胸の前で両手を合わせた。


「あなたたちが笑ってくれたら、それでいいの。


 私は毎日、ちゃんと生きてるから。


 ……だから、待っていてね」




春の風が吹き抜け、白いリボンがふわりと揺れる。


その瞬間、ルアルクのまつ毛がかすかに震えたように見えた。








sideミスティアス




午後の光が、リビングの窓辺を淡く照らしていた。


フィリアがエルと話し、時折スティリオが穏やかに相槌を打つ。


ミスティアスは手元のノートを閉じ、何とはなしに三人の様子を眺めていた。




「……あ、この本」


エルがリビングの棚に目を留めた。




そこには、父の事故のあとにルアルクが持ち込んだ魔法理論書が並んでいる。


彼自身も何度か挑戦しては、難解さに挫折したままの本たちだ。


きっと彼女も途中で投げ出すだろう――そう思った瞬間。




ふわり、と淡い光が本の周囲に滲み、空気が静かに震えた。


ページが勝手にめくれていく。




「……エル?」


呼びかける間もなく、視界が白に塗り潰された。




*** *** ***




――研究室のような場所だった。


乱雑に積まれた本と書きかけの書類。


床には、黒いガーディアンの制服と剣帯、解体しかけの魔法石。




白衣姿の青年――シェイが、困ったように眉を下げている。


「ええと……本気で僕のサインを?」




向かいの栗色の髪の青年――若き日のルアルクが、珍しく興奮した面持ちで革張りの本を差し出した。


「『魔法相対理論と応用』! あなたの初期の著書ですよね。


 この堅苦しい出だしと、回りくどくて読みにくい文体が……若き日の“青さ”が滲んでいて大好きなんです」




「それ、褒めてるのか貶してるのかどっち?」


「褒めてますよ。とても。


 改訂版は少し優しくなりすぎていて、初版のほうが深くて……。


 僕、初版探すのに何ヶ月もかかったんです」




「いや、なんか恥ずかしいな……」


「まさか著者に直接会えるなんて。聞きたいこと、山ほどあります!」




藍の瞳を潤ませるルアルクに、シェイは苦笑しながらもペンを取る。


「……サイン、下手なんだけど」


「形なんてどうでもいいです。あなたが書いたという事実が大事です」


「ほんと、変わってるよね、ルーくん」


「褒め言葉として受け取ります」




さらさらとペンが走る。


“シェイフィル・ラファリス・ナーバ”――その文字が、白紙を走り抜けた瞬間、部屋の空気が少し明るくなった。




「それじゃあ、魔力実験、始めようか」


「ええ、ぜひ」




笑い声が重なり、柔らかく響いた。




*** *** ***




現実に引き戻されたとき、エルの指先から淡い光がすうっと消えていった。


リビングは静かで、外の風の音だけが残る。




「……今の、何?」


フィリアが小さく息をのむ。


エルは首を振り、戸惑いのまま答える。


「……わからない。ただ、本に触れたら……懐かしい気がして」




ミスティアスは黙って本を閉じ、表紙を見た。


そこには――


『魔法相対理論と応用 著:シェイフィル・ラファリス・ナーバ』


の文字が刻まれていた。




(……父さん、あんた、こんなところでもまだ動いてるのか)




胸の奥に、微かな熱が灯る。


まるで、もう一度笑い声が聞こえた気がした。








sideセレスタン




王城の空気は、春になっても冷たい。


磨かれた床に自分の姿が映り、誰のものでもないはずの顔が、


今日も「第三王子」の仮面をしていた。




「セレスタン」


低く鋭い声。


扉の向こうに、母……王妃が立っている。


香の煙が淡く揺れ、金の髪飾りが光を跳ね返した。




「あなた、また王都の外に出ていたそうね」


「……はい。報告は提出済みです」


「言い訳はいらないわ」


母の声は、透き通るほど静かで、それゆえに痛い。




「あなたは“王子”なの。軽々しく街を歩くものではないわ」


「承知しています」


「……わかっているなら、なぜ何度も同じことを繰り返すの?」




冷たい視線が頬をなぞる。


何を言っても、彼女の中では“正解”が決まっている。




「あなたは特別なの。第三王子なんて不名誉な呼び名、あなたには似合わないわ」


「……母上」


「わたくしの子なのですから。


 あの女の子どもなどに負けるはずがないわ。


 アリオンや、イリアスよりも――あなたが上よ」




セレスは視線を落とした。


“あの女の子ども”。


兄たちの顔が脳裏に浮かぶ。


笑顔ばかり思い出す。


母が憎むほど、二人は優しい。


それが、いっそう苦しかった。




「……私は、兄上たちを尊敬しています」


「愚かね」


扇子が閉じられる音が響いた。


「誇りを持ちなさい、セレスタン。


 あなたは――この国の“正当”な後継なのだから」




(この愚かさ、いつか破綻するのに)




そう思いながらも、口はただ「承知しました」と動く。


“正当”という言葉ほど、不正にまみれたものはない。




(その“正当”が、私を女ではなくしたのに)




胸の奥で、誰にも聞こえない声が沈む。


けれど、口には出さない。出せない。




それが正しい答え方。


彼女の望む“第三王子”の姿。




王妃は満足げに頷き、扇を開く。


「よろしい。……もう行っていいわ」




背を向けて歩き出す。


絹の裾が擦れる音が、広い廊下にやけに大きく響いた。




(――どうして、こんなにも息が苦しいんだろう)




心の中で小さく笑う。


“王子”として生きるたびに、自分が少しずつ削れていく。


それでも、母が喜ぶのならと――ずっと、そうしてきた。




(もう、誰かに壊してほしい)




その願いは、祈りにも似ていた。






夜。


ナーバ邸の灯りはやさしく、パンを焼く香りが廊下に漂っていた。




セレスが扉を開けると、ミスティアスがエプロン姿で振り向いた。


「おかえり。ちょうどいいところだ」


「……何をしてるの」


「母さんのレシピでグラタン。焼くだけ」


「焼くだけ?」


「そう。ほら、表面に焦げ目が――」


「待つのが苦手なの」




指先が淡く光った。


瞬間、オーブンの中で光が弾け、香ばしい匂いが立ちのぼる。




「おいっ!? やりすぎ――」


「だいじょ……ぶ……」


言葉が途切れ、セレスの体が傾ぐ。




「ちょ、セレス!」


慌てて抱きとめた腕の中で、彼女が微笑んだ。


「……この力、燃費が悪いのよね」




(ああ、重い。


 でも、この腕の中にいれば、誰も私に『王子』の役を強要しない。


 ……いまだけは、誰にも見つからない場所でいたい)




「冗談言ってる場合か」


「ほんの少し使っただけでこれよ。


 ……効率、悪すぎる」




軽い言葉なのに、笑いの奥が少し震えていた。




ミスティアスは小さくため息をつき、手を差し出す。


「ほら。魔力を分ける。握って」


「指一本でいいわ」


「は?」


「それで足りるから」




人差し指と人差し指が触れた。


温かい光がぱちりと弾け、空気が震えた。




「……なるほど」


「なにが?」


「いつもの方法の方が伝達効率がいいんだなって」


「……そういうこと、真顔で言わないで」




セレスは吹き出した。


笑う自分に気づいて、少し驚く。




「ほんと、変な人」


「お互いさまだろ」




グラタンの焦げた香りが部屋に満ちる。


表面は金色に焼け、泡がちいさくはじけていた。




「……焦げてない?」


「完璧だよ。お前の火加減、悪くなかった」


「ふふ……そう?」




そして――


彼女は胸の奥でそっと思う。




(優しい人。……こんな優しさ、勘違いしそうになる)




焦げたチーズが糸を引く。


その白い光が、


まるで壊れそうな心をひとすじ繋ぎ止めているように見えた。






sideフィリア




湖畔の空気は、夏の匂いを帯びていた。


封印石が淡く脈打ち、地中に広がる魔力の流れが落ち着いていく。




フィリアは手のひらを離し、ほっと息をついた。


「……これで、しばらくは大丈夫」




「見事だね」


隣のスティリオが手をかざす。


指先から放たれた光が封印の紋をなぞるように走り、


淡い銀色のきらめきが波紋を描いた。




「……すごい。銀色の魔力、なんですね」


「そう。治癒と安定を得意とする系統だ」


彼は小さく笑って、袖をまくる。


「医者をやっていると、どうしてもこういう仕事が増えるんだ」




「先生、なんでもできるんですね」


「器用貧乏ってやつだよ」


冗談めかした声のあと、彼の瞳がふと真面目になる。




「ところで――少し顔色が悪い。


 封印の反動、出てないか?」


「……大丈夫、です」


言葉とは裏腹に、指先がわずかに震えた。




風が止まり、湖面が静まる。




「……先生。相談してもいいですか?」


「もちろん」




「……私の中に、もうひとりの“私”がいる気がするんです。


 声がして、泣いてるようで……でも、放っておけなくて」




スティリオは少し黙り、湖を見た。


陽光の反射が銀の髪に散って、


彼の横顔をどこか遠いものに見せた。




「それは、悪いことじゃないよ。


 人の心はひとつじゃない。


 痛みを抱えたぶんだけ、奥に“もうひとり”が生まれる」




「……もうひとり」




「大事なのは、無理に追い出そうとしないこと。


 その子が泣いてるなら、泣かせておけばいい。


 やがて、君がその涙を拭ってあげられるようになる」




フィリアは目を瞬かせて、


水面に映る影を見つめた。




そこには、自分と――もうひとりの微笑みが並んでいた。




「……はい。


 ちゃんと向き合ってみます」




スティリオは優しく頷き、


銀の光で封印石をもう一度包んだ。




「それでいい。


 心の闇も、治癒のひとつだからね」




そう言うと、彼はそっと手を差し出した。


指先から、淡い銀の光が静かに広がっていく。




「これは、治癒の魔法じゃない。


 心と魔力の“波”を整えるだけの術だ」




光がふわりと体を包む。


冷たくも温かくもない、不思議な感触が胸の奥に染みていく。




「白の治癒は“痛みを閉じる”けれど、


 銀は“痛みを流す”んだ。


 流して、整えて、残ったものを抱えられるようにする」




「……やさしいですね」


「医者ってのは、やさしく見える方が都合がいいから」


「先生って、ほんとに医者なんですよね?」


「一応ね」


フィリアが目を瞬く。


「すごい……。まだ十七歳なのに」


「……え?」


「私のお姉ちゃんと同い年なんですよ。


 でも、先生はすごく大人に見える」




スティリオは少しだけ沈黙して、湖面を見た。


「……背伸びしてるだけさ。


 誰かを守れなかった人間は、早く大人にならないとって思うんだ」




「守れなかった……?」


「昔の話だよ」


彼は微笑んで手を離した。




「ありがとう……。少し、楽になりました」


「ならよかった。


 誰かの声が心にあるなら、


 その子の波も一緒に整えてあげて。


 無理に閉じなくていい。


 ちゃんと一緒に呼吸すれば――たぶん、それでいい」




フィリアは胸に手を当て、


小さく息を合わせるように呟いた。




(――聞こえる? 大丈夫。もう、ひとりじゃないよ)




銀の光が消えると、湖面にふたりの影がやさしく重なっていた。








sideユリカ




庭の木陰で、水桶の中のスイカがゆっくりと冷えていく。


氷の音がカランと鳴り、フィリアが嬉しそうに覗きこんだ。




「もう食べていい?」


「もう少し待って。冷たい方が美味しいから」


ユリカが微笑む。




やがてミスティアスが包丁を手に取り、スイカを二つに割った。


赤い果肉が夏の光を受けてきらめく。




「わぁ……!」


歓声の中、セレスは細いナイフで一つ一つタネを取っていく。




「……そんなに神経質にならなくても」


ミスティアスが笑う。


「だって、飲み込むと芽が出るって」


「子どもの頃の迷信だろ」




「そうそう」フィリアが口を挟む。


「ミスくんなんて、たまに面倒くさがってそのまま飲んじゃうもんね」


「やめろ!」


「本当?」セレスが目を丸くする。


「……まぁ、たまに」


「君ってほんと、豪快ね」




笑いが弾け、氷がぱちんと割れる。




ユリカはその様子を見ながら、静かに言った。


「焦らなくても、ちゃんと食べれば甘いところにたどり着けるのよ」




セレスが不思議そうに顔を向ける。


「……どういう意味ですか?」


「一度走り出した気持ちは、そう簡単に止まらない。


 でもね――それでいいの。


 止まれないほどの想いがあるのは、悪いことじゃないわ」


彼女の声はやわらかく、風の音といっしょに消えていく。


そこに、後悔の影はひとつもなかった。




ミスティアスは一瞬だけ手を止め、笑う。


「……母さん、今なんか怖いこと言わなかった?」


「ふふ、聞き間違いよ」




氷の溶ける音がして、夏の風が庭を抜けていった。




風の向きが少し変わった。


夏の匂いの奥に、かすかな秋の気配が混じっていた。





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