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雨はやさしく噓をつく 第二部  作者: 黒崎 優依音
第一章 終わりの音色
1/13

◆1:The Sound of the Last Bell



sideシェイ




――失敗したなぁ。




足元が崩れる。


光と闇が交わり、空気が焦げる。


あの新人の名前を呼ぼうとして、声が出なかった。




(……間に合わない)




掌の熱が、誰かの肩を押し出す。


視界の端で、淡い灰色の外套が翻った。




……よかった、間に合った――




そこまでで、世界は反転する。


焼けるような痛みのあと、すべてが溶けて消えていった。




「ごめん、ユリカさん……リシェ……ミスティアス……ルーくん……」




声が闇に溶けていく。




どこかで、遠くの鐘が鳴ったような気がした。


――その意味を知る者は、まだ誰もいない。









sideフィリア




晩秋の風が、教会の塔を撫でて過ぎていった。


空気には冬の気配が混じり、吐く息が白い。


あの人――シェイが帰らぬ日から、もう三週間が経つ。


けれど誰も「いなくなった」とは言わなかった。


まるで、言葉にしてしまえば本当に失われてしまうと知っているかのように。




父はこの三週間、ほとんど休まずに動き続けていた。


焦燥の滲む横顔を見るたびに、彼がどれほど必死で探しているのかが分かってしまう。


だからこそ、フィリアは祈らずにはいられなかった。




――シェイさんが、どうか無事でありますように、と。






夜の礼拝堂は静まり返り、灯火がひとつ、またひとつ消えてゆく。


少女はその最後の光の前に立ち、まぶたを伏せた。


名をフィリアという。


まだ十一歳の彼女は、巫女として神殿に仕えながら、その小さな胸の奥に言葉にできぬ不安を抱いていた。






――その夜、鏡のような夢を見た。




自分と同じ顔の少女が、闇の中に立っていた。


髪は夜の色、瞳は深海のように暗く、


同じ形をしていながら、まるで別人のように見えた。




「久しぶりね、フィリア」


その声は、静かに笑っていた。


年上の姉が妹を諭すような、懐かしい響き。




フィリアはおそるおそる問う。


「あなた……誰?」


「わたしよ。あなたの中に棲む、もうひとりのあなた」




闇の少女は、微笑みながら手を伸ばした。


その指先は冷たく、それでいてどこか懐かしい。


「怖がらないで。感じるでしょう? この寒気を」


「……うん」




胸の奥がざわめいた。


何かが、近づいてくる。


それは、風でも、人でもない。


空気の層が震え、祈りの鈴が鳴る前に沈黙する。




黒い彼女が言った。


「――神殿が、呼んでいるわ」




二人は同時に立ち上がった。


夢のような景色が滲み、現実の夜気が肌を打つ。


フィリアは白衣の裾を押さえ、走り出した。


冷たい石畳を踏むたびに、胸の鼓動が早まる。




神殿の扉を開け放つと、


祭壇の奥で淡い光が脈動していた。


そこに祀られているのは一振りの剣――神剣ユーバ。


先祖より受け継がれてきた“守りの象徴”だった。




フィリアは震える手でその柄に触れる。


刃から伝わる力が、体の奥まで沁みてくる。




(――お守りください)




心の中でそう祈った瞬間、


天井が軋み、空気が裂けた。




轟音。


外の風ではない。


闇そのものが、扉を破って流れ込んでくる。




「伏せて!」


黒い少女の声が響く。


見えない壁が展開し、吹き荒れる風を受け止める。


聖堂の椅子が砕け、壁の十字架がひしゃげる。




フィリアは息を呑んだ。


空気が凍り、涙さえ凍る。


祈りの場所に満ちていた光が、黒い靄にひとつ、またひとつ、呑まれていく。




「闇が……教会を食べてる……」


小さな声が震えた。


黒い少女は静かに言った。


「これは、悲しみの残滓。誰かの“祈り損ねた想い”よ」




言葉の意味を問う暇もなく、


影が走り、祭壇を貫いた。


防壁がきしみ、光が軋む。




黒い少女がフィリアを抱き寄せる。


「目を閉じて。――わたしが守る」




耳鳴りが響く。


視界が白く、そして黒く染まる。


空気が止まり、鐘の音がひとつ、遠くで鳴った。




……その後のことを、フィリアは覚えていない。




目を開けた時、


教会の中は静まり返っていた。


砕けた石片の間に、一振りの剣だけが残っている。


淡い光を帯びたユーバが、彼女の周囲に薄い結界を張っていた。




そして――黒い少女の姿はなかった。




「……守ってくれたんだね」


フィリアの頬を、冷たい風が撫でていった。


涙がひとしずく、指の背を伝う。




その瞬間、遠くの塔で、鐘が鳴った。


秋の夜気に溶けるその音は、


まるで“終わり”と“祈り”を同時に告げているようだった。






sideルアルク




暖炉の炎が小さく揺れた。


窓の外では風が鳴り、晩秋の夜気が家の隙間を撫でていく。


ルアルクはソファに腰を下ろし、掌にカップを抱えたまま、その中の湯気をぼんやりと見つめていた。




「お父様?」


隣に座るリシェリアが、静かに問いかける。


「どうしたの?」




彼は答えず、しばらく黙っていた。


やがて、小さく息を吐く。




「……シェイさんのことなんだけど」




部屋の空気がわずかに張り詰めた。


ユリカが顔を上げ、リリが手にしていたカップをそっと置く。


「連絡が、途絶えて三週間。


 公式報告では“調査継続中”とだけ。


 ……でも、もう教会の上層部も落ち着かない」




「そんな……」


ユリカの声は細く震えた。


「ルアルク、あなたは……」


「希望は、まだ捨てない」


彼は笑おうとしたが、笑みは結ばれず、目だけが鋭く光る。




その瞬間――空気が、裂けた。




部屋の灯がふっと消える。


白い花瓶の水面が波打ち、窓の外の空が一瞬だけ赤く滲む。


リリが立ち上がる。


「……嫌な予感。闇の波動よ」


ルアルクも即座に立ち、懐に手をやった。




「教会が――」


「おかしい」


二人の声が重なる。


空気が震え、三人は目を合わせた。




「リシェリア、外套を!」


「はいっ!」


少女が魔力を両手に集め、掌から淡い光が広がる。


白の加護――身体強化の術。


父の手をとり、自分にも同じ光を流し込む。




「準備完了。お父様、転ばないように」


「それは僕の台詞だ」


ルアルクも短く笑い、光の軌跡を残して扉を開け放つ。




リリが後に続きながら振り返る。


「ユリカ、ここにいて。扉は結界を張るから」


「……わかった。でも、気をつけて」




三人が夜の外気に消えた。


閉ざされた扉の前で、ユリカは両手を胸に重ねる。


暖炉の火が消えかけ、かすかに光を揺らした。




(シェイさん……どうか……)




彼女の祈りと同時に、遠くで鐘の音が鳴った。


それは、夜を裂くような一音だった。





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