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第9話 割れる与党、動き出す影

 法案可決の熱がまだ街に残っていた。駅前ではベビーカーを押す母親たちが「これで少しは楽になるね」と笑い、商店街の掲示板には「地方移住相談会」の張り紙が増えた。SNSは依然として〈#動的BI〉で埋まり、試算スプレッドシートや人生設計シミュレーションが飛び交っている。


『動的BI、可決から一週間 地方移住問い合わせ3倍に』

自治体の窓口では「子育て+リモート勤務」を想定した相談が急増。住宅需要も拡大の気配。(東都日報)


 だが、永田町の空気は違った。与党は表向き「党内一致」を装いながらも、内部は二つに割れている。災害対応と少子化法案で一気に頭角を現した改革派と、官僚機構との呼吸を重んじ、積み上げ方式を是とする**旧主流派(保守本流)**だ。前者の象徴は如月真一、後者の重しは古参の大物――。


 鳳栄出版「週刊ビジョン」編集部。会議室のホワイトボードに、美沙はマーカーで大きく二つの円を描いた。右に「改革派」、左に「保守本流」。矢印で、閣僚、党三役、若手グループ、政策通の議員名が結ばれていく。


「世間は如月推しだけど、党内は簡単じゃない。大物が動いてる」

 斎藤先輩が言って、写真入りの名簿を机に並べた。美沙は一枚に目を止める。


大賀憲一(68)――五期連続で当選、党内派閥の領袖。公共事業と地方経済を熟知し、霞が関にも顔が利く「古き良き自民」の象徴。

牧田修三(59)――大賀の側近格。地盤は鉄壁、選挙は強いが、新自由主義的な急進改革には懐疑的。


「この二人が如月に真っ向から噛みついてる。動的BIは“青写真としては立派だが、国家財政を危機に晒す賭けだ”って」

「世論は支持しているのに?」

「“政治は世論だけで動かない”ってわけ」


『大賀氏「制度は重ねて強くする。壊して作り直すのは愚」』

与党重鎮、大型改革に苦言。党内融和を最優先に据える考えを強調。(朝日東報)


 午後、国会記者クラブの廊下。美沙は許可を得て、控室へ向かう。ドアの先で待っていたのはまさに当の二人だった。報道陣に囲まれながらも、大賀は一歩も引かない眼差しで言葉を放つ。


「政治は熱狂に流されてはいかん。制度というのは、今日明日の拍手のためにあるのではない。百年の俯瞰がいる」

 低く響く声に、牧田がすかさず続ける。

「それに、最近は“市民の声”と称して匿名の意見が政策を左右している。みらネット? 立派だが、検証が足りない。代表者は誰が選んだ。資金源はどこだ。国会は“声”ではなく“責任”で動くべきだ」


 刺すような言い方だ、と美沙は感じた。みらネットの取材で見た現場は、丁寧な質問設計と集計、偏りに配慮した提示――少なくとも、何も考えない群衆ではなかった。それでも、この二人の言葉には政権を担ってきた重さが宿る。取材用のノートに、彼らの語彙をそのまま写す。


『牧田氏「市民団体が立法府を代行してはならない」』

審議会や第三者機関の活用を提案。データの透明化を要求。(東都日報)


 夕方、編集部に戻ると、政治班の大きなホワイトボードに人だかりができていた。斎藤先輩がチョークを取り、政局の力学を解説する。


「旧主流派は“党の伝統”で結束。改革派は“結果”で結束。数はまだ拮抗だ。ただ、如月には世論と若手がつく。保守本流には地方組織と資金の網がある」

「ねじれだ」

「そう。で、そこにみらネットが新しい重力として入り込んで、天秤が揺れてる」


 美沙は口を挟む。

「この“新しい重力”って、実際どれくらい?」

「世論調査の数字を見る限り、与党支持層でも“みらネット経由の議員”の評価が上がってる。けど、それが『党の統治』を壊すと見える向きもある」


 政局は「誰が勝つか」ではなく、「どのルールで戦うか」を巡る争いに変わっている。美沙はそうメモに書き、二重線で強調した。


 夜、国会裏の記者会見室。照明の白が壁を均一に照らし、演台のマイクが並ぶ。やがて如月が姿を現す。質問が飛ぶ――大賀・牧田への反論は? みらネットとどこまで連携している? 財源の追加説明は?


 如月は一拍置き、短く答えた。

「反論はありません。議論は尽くします。制度は動かして、結果で評価されるべきです」

 それから、みらネットへの問いにだけ、ほんの少し言葉を足した。

「市民の声は、政治に届くべきです。届いた声をどう制度に変えるかは、政治の責任です」


 巧い、と美沙は思った。肯定も否定もせず、矢を受け流して前へ進む言い方。敵を作らないように見えて、実は「結果」で相手を上書きする構えだ。


『如月氏「制度は動かして評価」 対立先鋭化を回避』

会見で沈着。支持率は依然高止まり。(共同電)


 日付が変わる前、みらネットの事務所でスタッフの会話を拾う。

「地方係数の試算、次の年次更新に向けて見直し案を用意しよう」

「教育費アンケートの設問、負担感の主観と実負担の両面を入れて」

 静かな熱気。ここに“権力欲”は見当たらない。ただ、政治を「仕組み」で動かそうとする執念がある。


 一方、保守本流の会合の出入り口では、派閥秘書がささやくのを耳にした。

「若いのは勢いでやる。われわれは“次の10年”を守る。地方の業界団体が揺れてる。締め直すぞ」

 この国の意思決定は、やはり多層だ。正面の議論、その裏の網、さらに裏の網――。


 編集部に戻ると、三郷からメッセージ。

《見出しは“割れる与党、動き出す影”でどう? 本文は政局解説を厚めに、二人(大賀・牧田)の見開きプロフィールを入れたい》

《了解。カラー年表つけるなら、派閥誕生からの年表も》

《グッド。ミサの“現場の声”も差し込もう》


 パソコンに向かい、キーボードを叩き始める。導入は街の熱気、次に分裂の構図、続いて二人の肉声、最後に如月の会見で締める。途中に小見出しを挟む。


『与党分裂の構図 改革派vs保守本流』

若手・成果連合 vs 地方・組織の重力。世論と統治、二つの正統性が衝突。


『“声”か“責任”か――国会が抱える古くて新しい問い』

市民データの活用は民主主義の進化か、ポピュリズムの呼び水か。


 文字が積み上がるほど、胸のざわめきも大きくなる。誰かが糸を引いているのか。いや、今はまだ、確証はない。だが、「仕組み」を巡る戦いに、確かに何者かの知性が介在している気配がある。


 深夜、入稿ボタンを押す直前、編集長が覗きこんだ。

「いい。硬いのに読ませる。最後の一段だけ、ミサの視点で締めよう」

 美沙は頷き、数行を書き足す。


――熱狂は朝の風とともに冷める。残るのは、誰が、どのルールで、この国を動かすかという問いだ。

 私は、そのルールを書き換えようとする手を、見失わない。


 送信。画面の「入稿完了」が静かに光る。外はまだ冬の匂い。コートを羽織り直し、編集部の窓から暗い街を見下ろす。遠く、国会の屋根がわずかに見えた。そこでは今も、見えない綱が音もなく引かれている――そんな気がした。

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