第6話 嵐の爪痕
九月初旬。
記録的豪雨に襲われた首都圏は、ようやく少しずつ日常を取り戻しつつあった。だが、街の景色は明らかに変わっていた。
荒川沿いの住宅地では、一階部分が泥水に沈んだ家々が立ち並び、玄関先には水に浸かった畳や家財が積み上げられている。商店街のシャッターは泥にまみれ、駅前の道路はところどころ陥没し、バリケードで封鎖されていた。鉄道の不通区間はまだ数十キロに及び、仮設の送電線が町を横切っている。
死者は九十数名。だが、気象庁が試算した「最悪のシナリオ」では数千人規模の死者が出ると予測されていた。想定の数十分の一以下に抑えられたのは、政府の判断が迅速だったからだと報じられている。
鳳栄出版「週刊ビジョン」編集部。
美沙は机の上に広げた資料と、SNSから吸い上げた市民の声に目を走らせていた。
「電気が止まって、真っ暗な中で二晩を過ごした」
「避難所は人で溢れたけど、途中から発電機が届いて携帯が充電できて本当に助かった」
「配給が想像より早く届いた。子どもにおにぎりを食べさせられた」
数え切れない声が、復旧の遅れと同時に、小さな救いを語っていた。
「ミサ、そっちは進んでるか?」
三郷が声をかけてきた。
「はい。ただ……現場の声を読んでいると、数字だけでは語れないものが多いですね」
副大臣・如月の名前は、編集部にも何度も飛び込んできた。
臨時災害対策本部で中心的役割を果たし、地方自治体との調整に深夜まで走り回り、必要物資の優先順位を即断。現場の混乱を少しでも抑えるため、強い権限を行使した。
「放水路の使用を決断した」と報じられた直後から、SNSには「如月ありがとう」「命を救われた」という投稿が相次いだ。
編集部の空気は、冷静に記事を組み立てながらも、どこか熱を帯びていた。
美沙はスマホを見つめた。
被災地に住む大学時代からの友人、恵からのメッセージがようやく届いたのだ。
《やっと連絡できた。家は床下浸水したけど、私たちは無事。
ただ避難所は本当に大変で……あの決断がなかったらどうなってたかと思うとゾッとする》
美沙は胸をなでおろした。
「恵、無事でよかった……」
この災害は、国民にとっても、政治家にとっても、大きな分岐点になる。
復旧の道のりはまだ長い。だが、その過程で一人の副大臣の名が、かつてないほどの注目を浴び始めていた。




