第3話 週刊ビジョン編集部
「昨日の区議会、どうなった?」
編集部のフロアに入るなり、隣のデスクから声をかけられた。
鳳栄出版のビルのワンフロアを占める『週刊ビジョン』編集部は、朝から慌ただしい。電話がひっきりなしに鳴り、端末の画面にはニュースサイトやSNSの速報が流れ続けている。
ミサは一瞬返事をためらった。昨日は区議会の傍聴に行く予定だったのに、寝不足で朝からぼんやりしていて電車を乗り間違え、結局到着が遅れた。
「……ごめん、見逃した」
「またかよ」同僚が苦笑混じりに言い、机の上の紙コップを持ち上げた。
ミサは頬を赤らめ、机の引き出しにカバンを押し込んだ。
鳳栄出版は戦後すぐに創業した老舗の出版社だ。『週刊ビジョン』は看板雑誌で、硬派な社会派記事を売りにしてきた。発行部数こそ全盛期ほどではないが、政界や霞が関にいまも読者が多く、権力の監視役として一定の存在感を保っている。
そのため、編集部の空気は常に張り詰めていた。
「ミサ、ちょっといい?」
デスクの初老の男性に呼ばれ、彼女は席を立った。
デスクは机の上の新聞を叩きながら言う。
「この人材担当の如月副大臣、最近ちょっとした注目株らしいな。現場感覚があるって」
新聞には「若手副大臣、現場で汗」と見出しが躍っていた。
「君、しばらく彼を追ってみないか」
ミサは頷いた。人事・防災を担当する若手の政治家――如月圭介。衆院2期目にして副大臣に抜擢された俊英。国会議員の家系でもなければ、派閥の重鎮の子飼いでもない。異色の経歴から政界入りし、地道に地方を回って支持を集めてきた人物だ。
「わかりました」
胸の奥で小さな期待が膨らむ。地味な裏方仕事や不祥事の尻ぬぐいばかり担当してきたミサにとって、新しい切り口を掴むチャンスかもしれない。
その日の夕方、編集部では気象庁の会見が大型スクリーンに映し出されていた。
「台風7号が小笠原諸島の南で発生。今後、関東方面に接近する可能性が高い」
アナウンサーが淡々と伝える声に、フロアが一瞬静まり返った。
「今年はもう異常気象続きだな」
「線状降水帯ってやつか。また都心でもやばいかもな」
記者たちの雑談に混じり、ミサは心の奥に小さな不安を覚えた。
自然災害は、ただのニュースではなく、人々の生活を一瞬で壊す現実だ。そして、政治家の真価がもっとも問われる局面でもある。
帰宅途中、弟の翔太からメッセージが届いた。
「そっち、雨大丈夫? うちの方は川の水位がもう上がってる」
画面を見つめながら、ミサは胸騒ぎを覚えた。
――台風。
――如月副大臣。
何かが動き出す予感がした。