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larme ~短編集~  作者: いつき
彼と彼女の距離
46/50

着信の長さ分

 彼までの距離 ~着信の長さ分~




 音の聞こえない携帯を耳に押し当てて、それからじっと目を閉じた。

 微妙に気まずいのは、多分昨日のことを引きずっているせいだろうと結論付けて息を吐いた。泣きながら寝てしまった昨夜を思い出し、眉を寄せてしまう。

 みっともなくて、幼い。彼に見せたくなかった自分がそこに浮かんで、唇を小さくかみ締める。涙ながらに何を言ったのか、自分でもはっきりと覚えていないのが余計に居たたまれなかった。

 それが気まずさに拍車をかけていたが、それでも夜になればそわそわしてしまった。今日は、電話してもいいかな、なんて。

 自分はいつからこんなに彼へ執着するようになったんだろう。

 どうしてこれほどまでに彼へ依存するのだろう。

 携帯を耳に押し当てたまま、何度目になるか分からない問いを懲りずに繰り返した。人に依存しすぎる人を、わたしは何よりも嫌っていたはずだ。

 そこまで依存して、自分の意思や考えはどうでもいいのかと。その人がいなければ生きていけないのかと。

 そんな目でわたしは、『そういう人たち』を見ていた。だけど今の自分はまさにそういう感じで、彼がいなければ生きてさえいけないのかもしれないと思う。

 生きては、いけるだろう。だけど世界から色がごっそりと抜け落ちてしまうかもしれない。今でさえ、世界はくすんで見えるから。

 そんなことを思って、真っ黒に塗りつぶされただけの空を見上げた。彼と見た景色はもっと色鮮やかだった。こんなに真っ黒で、何もかもを塗りつぶしてしまうような色ではなかった。

 彼と見た月は、もっと柔らかく辺りを照らしていた。暗闇はもっと静かに周りを包んでいたし、こんなに不安になるような禍々しさも持ち合わせてはいなかった。

 何気ない毎日が、とてもキレイに見えていた。

 思い出せば出すほど鮮やかな世界は、今と比べれば本当に幸せだったのだと思う。あの頃は、それがいつの間にか当たり前になっていたけれど。

 彼が隣にいて、当然のように同じものを見て、同じ話題を聞いて、それからそれについて語る。

 仲のいい友人として、ずっとそうであるはずだった。それがいつしか恋になり、友情とは違う感情になっていた。

 今はどうだろう。

 これは恋情に違いないのに、あの頃とは違うものであると思った。もっと、もっと色が濃い気持ち。ふわふわとしたあの頃の温かいけれどあやふやなものではない。

 しっかりと形を持った。あの頃のようにただそばにいて、笑い合えればいいなんてことを考えることもなくなった。

 願望はもっとはっきりと、目に見える形になった。

 彼が笑えば嬉しいし、それと同じように彼もそう思ってくれたらいいと思った。彼が泣けば同じようにその痛みを得たいと思った。

 これはエゴだ、なんて、人に言われなくたってわたしが一番よく知っていた。

 彼と同じように感じたいなんて、彼の痛みを同じように感じたいだなんて。そんなの無理だし、いい思い上がりだ。

 知ってるのに、それを求めるほど愚かになった。

 彼が他の女の子と話すと、少しだけ息が苦しくなった。嫉妬だということは、恋人になる前から分かった。その嫉妬が、自分から見ても滑稽だった。

 それでも痛みは断続的に胸を支配し続けた。

 悔しいことに、それを消すことは結局できなかった。

「湊、くん」

 呼んでも、携帯の中からは何も聞こえない。当然だ。かけてないのだから。

 かけようと思って、迷って、結局電話帳に登録された彼の情報をぼんやり見ながら耳に押し当ててみたりしているだけだ。こんなことなら、さっさとかけてしまえばいいのに、と自分でも思った。

 まだ大学は始まっていないから、かけても大丈夫。

 だけど大学が始まってしまったら?

 そしたら、どうなる? 電話をかけることもできなくなる?

 部活が始まったら、試合が立て込んでたら、大会が始まったら……そしたら、わたしたちはどうなる?

 電話も、メールもできなくなったら、わたしはどうする?

 湊くんに、わたしは『大丈夫』と笑えるのか。

 電話をしなくても寂しくないと、嘘をつくのか。

 当然のように隣に彼がいた日常から、彼がいないことが普通の日常へ。その変化に、わたしだけが取り残されていた。わたしだけが惑い、悩み、変化に対応できないでいた。

 受験期になって、学校に来ることが少なくなって、彼と会わない日が続いても、それでも彼が近くにいると、何故だか疑いもせずに思っていたのに。

 今はたった一人でここへいることさえ嫌になってくる。会おうと思えばいつでも会えるという、その事実がわたしを支えていただけなのだと、ここへきて分かった。

 今更すぎたけれど、その事実がすごく懐かしかった。

「湊くん……会いたい、よ?」

 耳に携帯を押し付けたまま、言えそうも無い言葉を口にする。彼が聞いてないとはっきり分かっている今でさえ口に出すことを躊躇う言葉だ。彼に言うことなんてきっとないのだろうと確信する。

 こんなことを言って、彼の負担になるのは嫌だ。

 何よりその負担になった後、公開する自分が嫌だ。言うべきじゃなかった、言わなければよかったと何度も何度も考えることは分かっている。

 ならば始めから口に出さない方がましだ。自分の中に閉じ込めて、そして時折吐き出すほうがよっぽど建設的で、誰も傷つかない。一番いい方法だ。

 そのとき、手に持っていた携帯が震えだした。びくっと大げさなくらい肩が動いて、そして手から携帯が滑り落ちた。

 床に落ちてしまった携帯はそれでも鳴り止まずにブーブーと鈍い音を出してわずかに震え続ける。

 床とこすれて少しだけ移動するそれを再び手に取ろうとするのに、携帯に映し出された『湊くん』の文字に何もできなくなった。

 今とったら、わたしきっと言っちゃいけないことを言う。

 だってもう泣きそうだもん。

 会いたいって、寂しいって、どうして一人なのってそんなことを彼に言いそうだった。

 震える携帯を抱きしめて、その震えを止めようとした。消すこともできず、電源を切ることもできず、それをどこか遠くへ放り出すこともできないから、だからそれが鳴り止むまで抱きしめ続けた。

 着信音はならない。ただ鈍い震えが体だけじゃなくって心まで震わせえて、わたしはどうしようもなくなった。

 痛いとか、苦しいとか、そんなことを感じる余裕さえなくなっていく。

 震えるのは、一体どんな感情からなのか。それさえも分からなくなる。

「ごめっ……。ごめんね、湊くん。ごめんなさいっ」

 電話を取れないのは、怖いから。

 自分が、あなたが、距離が、大学が、バスケが……全部が。

 自分が、今までの自分ではなくなって、あなたを傷つけてしまいそうで。

 あなたが、わたしの知らないあなたになって、わたしが勝手に傷ついてしまいそうで。

 大学が、あなたを全く違う人に変えて、わたしのことを忘れてしまいそうで。

 バスケが、わたしからあなたを奪い取って、どこか手の届かないところに連れ去ってしまいそうで。

 全部、怖いんだ。その全てが、わたしとあなたを引き離してしまいそうで。今あなたからの電話に出ることが、それら全てを呼び寄せてしまいそうで。

 わたしの馬鹿な考えが、現実のものになってしまいそうで。湊くんを疑いたくないのに、そんな考えばかりが浮かんでしまう。

 そんな彼じゃないって、嫌というほど分かっているはずなのに。分かっている、つもりになっていたはずなのに。

 鳴り響く着信が、震え続ける携帯が、携帯の向こうで待ち続けている彼が。わたしを責めている気がして小さく笑った。とんだ被害妄想だと、きちんと分かっていたから。

 湊くんはわたしを責めたりしないし、わたしを置いてどこかへ行ってしまうことはない。大学が違うことが、そのまま『置いて行く』ことには繋がらない。

 少なくとも、彼の中ではそうだ。

 彼はとても強くて、優しい人だから。

 しばらくして、携帯が鳴り止んだ。そして数分後、今度は短く震え始める。あぁ、メールだ。そう思ってゆっくりと開いた。

 その送り主なんて、見なくても分かってる。


『咲、折り返しはいいです。夜遅くにかけて、ごめんな』


 そんな端的な文字に、また泣けてきた。

 何て返事すればいいの? 鳴り続けたコールの分だけ、わたしを待っていた彼に、わたし何て言い訳するの?

 彼がいなくなって一日以上過ぎた。彼がいない、二回目の夜だ。

 まだ始まったばかりなのに、わたしはこんな状態だった。いつか慣れるのだろうか。彼がいないことを、当然だと受け入れるのか。

 寂しいと、会いたいと、そればかりを考えることはなくなるのか。

 あぁ、でも。

 いっそそうであれば、わたしも彼もお互い傷つかずに済むのかもしれないね。

 寂しい→少しなれる→やっぱり寂しい! という感じだと思ってます、勝手に。

 慣れっていうか、単純にその事実を容認(ニュアンス微妙に違いますけど)するのに少しだけ時間がかかりそうだなっていうただの妄想です。

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