夢と現実の遠さ分
彼女までの距離 ~夢と現実の遠さ分~
眠れない、なんて思ってみても、新幹線に揺られ、簡単に荷物を解いていた体は急速を求めていた。
のろのろと体を動かし、ベッドから落ちた携帯を拾いに行く。拾い上げたそれを見つめ、これがなければ自分は彼女と繋がっていられないのだと思った。
こんな機械でしか、自分たちは繋がっていられない。
いや、何か道具を介さなければ自分たちは声を、想いを、届けることができない距離にいるのだと痛いまでに突きつけられた。
考えるのと、実際に感じるのとでは大きな違いがあって、自覚するとそれがすごく辛かった。
とろっとした不愉快なのか、はたまた心地いいのか分からない感覚に襲われる。
眠気だ。
どうあがいても、逃げられなくて目を瞑って、開いてという無意味に近い行動を繰り返す。眠ってしまえば、夢を見る。夢を見れば、自分は泣いてしまうだろう。
自分の想像する未来など、見たくもなかった。今想像できるのは、決して幸せではない未来だったからだ。
「咲……」
目を開けていられない。でも眠りたくない。
どうすれば夢から抜け出せる?
どうすれば、彼女の笑顔を思い出せる?
過去を、辿るしかなかった。未来を見たくないと言うのなら、それまで自分が辿った道を繰り返すしかない。
幸せだったと、今にして思えるその思い出につかるしかなかった。あの頃は、ごく当たり前だと思っていた生活だったのに。今は羨ましくてたまらない。
過去の自分に嫉妬してしまいそうだ。
過去の自分は、まだ恋愛感情を理解してはいなかったが、それでも彼女の近くにいた。ごく親しい友人として接し、ごく普通に話していた。
何でもない日常を、彼女と共に見つめていた。
同じ空気を吸い、同じ景色を見て、そして同じことを発見しては笑った。それが、とても尊くて大切だなんて、思わなかった。
大切だなんて、誰も言わなかった。
たとえば、たまにしかない、男女合同の体育。
外が雨だったときにそういう機会があったことを思い出す。確かあのとき、女子はバレーをしていて、彼女はボールを一心に追いかけていたんだった。
「女子、バレーしてるよ」
「お、本当だ」
がやがやとした声が少しだけ響いて消えた。
バスケのルール説明をしている先生を尻目に、生徒達の視線は早々にボールを出して練習し始めた女子に注がれている。
こういうとき、男子と言うのは単純な生き物で、何組の○○が可愛いとか、スタイルがどうとかいう話をしていた。
興味が全くないわけではないが、大勢でする話でもないだろうと聞き流していたところで、彼女の名前が聞こえる。
「あ、派手に転んだやつがいるけど。……高木、か? あー、あいつ体育好きじゃなさそうだもんな」
「勉強できそうだけど」
その二言で、次の女子の話題に移った。移ったが、どうしても気になって、女子の方に視線を向けてしまう。
派手に転んだと言っていたけど、大丈夫なんだろうか。
不安になって、目の端で彼女を探す。するとすぐに見つかって、床に座り込んで笑いながら手をパタパタと振っている彼女がいた。
どうやら近くの友達に無事を知らせているらしかった。
いつもの彼女から少しだけ想像できてしまい、小さく笑いが零れる。
彼女らしい、多分可愛らしい転び方だったのだろうと思うと、痛かっただろうと心配するのに、少しだけ不謹慎ながら見たかったと思ってしまう。
やがて始まった試合にそれどころではなくなり、視界は女子から試合に移る。
目に入るのはコートとボールだけ。そういえば、彼女は今日試合を見るなんて言っていたけど、本当に見るのだろうか。
こちらを見ていて、試合は大丈夫だろうか。
……また、こけるのか?
「日野、お前手加減しろよー」
「やだ」
「お前なぁ!!」
目の前の相手を振り切り、遠くの仲間にパスを出す。
ボールを待っていたそいつは、数人の妨害にも負けずシュートを放った。ボールは外れたようにも見えたが、きちんとボードにあたってゴールに入っていった。
ガッツポーズをする数人の仲間に叩かれた。そして再びボールが回ってきて、走り出す。
ここからゴールを狙うこともできるが、これは授業なんだと急に思い出した。
それに、ゴール近くにいる仲間にパスした方が確実だ。再び敵を振り切り、パスを回した。
その瞬間、どうしてか向こう側の人間と目があった気がして、一瞬だけ体が止まる。彼女と、目が合った。
彼女もまさか合うとは思っていなかったらしく、少しだけ気まずそうに視線をずらした。思わず笑い出しそうになるのをこらえると、彼女はそっとだが微笑んでくれた。
それだけでどうしてかやる気が出て、見られていると分かっていたならシュートしたのに、と思った。
「日野っ!」
「おっ」
思った瞬間、向こう側からパスが回される。
ここで決めたら気分いいなぁ、なんて思いながらボールを放った。予想通りの軌跡を描き、ゴールが決まって相手方の落胆した声と味方の歓声が響いた。
ついでにいくつかの黄色い声も加わり、一気に煩くなる。
「お前な、手加減しろよー」
「あー、じゃぁ、ちょっと出とく」
相手方の言葉を受けて、さっさとコートから出た。味方は味方で『エー』と不満の声を上げたが、どっちにしろそろそろ出なくてはいけない時間だったので、その声もすぐに収まった。
そしてコートから少し離れた、端の方でこちらを見つめていた彼女に駆け寄っていけば、びっくりしたように見つめられてしまう。
ボールがあっちに行かないように引かれた網が恨めしく、それに手をかけながら簡単な言葉を交わした。
その時間はすぐに過ぎ去って、代わりに呼ばれる声に振り向いた。
せめて、次はもっといいところを見せたいなと思いながらそっとコートに戻っていく。もう少し話してくるつもりだったのに、たかだか数分で試合は引っくり返されたらしい。
別にボール拾いくらいいいと思う。
「日野ー。お前、俺らが汗水たらして試合してるときに、女子と何話してんだよ」
「そうそう、しかも誰と話してたんだ」
ちらちらと、彼らは視線を向こうのほうにやる。それから誰かが小さく声を上げ、彼女の名を呼んだ。
少しだけ、不快に思ってしまったのは彼女を見世物のように扱われたからだろうか。
今まで感じたこともないような感覚で、ボールを握った手に力が入った。
「高木? 何、お前、好きなの?」
「恋愛的な意味でか?」
「朝練で、教室にいる時間が長い日が多いから、親しいけど」
なんだ、と誰かが興味を失ったように呟いた。
まだ誰も、恋愛かどうかみたいな答えは出してないはずなのに、皆が皆ありえないというように首を振ったり、勘違いかとぼやいていた。
まだ何も、言ってないのに。
好きとも、好きじゃないとも。それなのに。
「ま、日野に限ってないわなー。バスケが恋人だもんな」
「そうそう。あんまり話に乗ってこないし。お前、実は興味ないだろ」
あるに決まってるだろ、と自信を持って返すわけにもいかず、だまって味方にパスを出した。
いつもより強めに投げたボールは、どんという音がして思いっきり胸に当たったらしい。パスした相手が少しだけ咽た。
それから少し試合をしていると、試合の途中なのに話し声が大きくなる。
まだあの話は続いているらしい。
人の恋事情を妄想してそんなに楽しいか、こいつら。
「こういう奴に限ってもてたりするんだよなぁ。世の中理不尽だ」
「試合、やんないんなら抜けるぞ」
思った以上に低い声が出て、それから自分が不機嫌なのだと分かる。
どうして不機嫌なのか、いつから不機嫌なのか分からず首を傾げて、こちらに回ってきたボールを遠くへ投げ放った。
いつもどおり手から離したボールは、繊細なコントロールが聞かずにボードへ当たって下に落ちる。このくらいの距離、いつも練習しているはずなのに。
どうして失敗したのか。
彷徨う視線を向こうに投げかければ、すでに女子は体育館から出ようとしていた。彼女の後姿を一瞬捉えた気がしたが、目の前にディフェンスが迫り、咄嗟に身をかわす。
……好き、なんだろうか、自分は。
彼女のことを。