コートの広さ分
いつの間にか一ヶ月以上も経ってた! つくづく不定期更新ですみません。
彼までの距離 ~コートの広さ分~
電話を切って、ため息を吐く。上手く話すことさえできない自分に腹立たしさを覚えつつも、先ほどまで握り締めていた携帯を放り出した。
彼にあんな声を出させたくて電話をしているわけではない。あんな辛そうな声で、『好きだよ』と囁かれたくて付き合っているんじゃない。
そう思うのに、どうしてか励ますこともできず、会話をやめた。心の底では、ちょっとしたら喜んでいたのかもしれない。
付き合う前に戻ったみたいだね、湊くん。
上手く話せず、相手との距離もつかめないままの沈黙が、ほんの少し気まずかった頃。
いつからか、その沈黙さえ愛しくなっていったけど。だけど今、久々に感じたよ。あの何とも言えない気まずさを。
「少しだけ、怖かったんだった」
彼の性格もよく知らなかったから、怒って話さないのかと思ってた。
ただ単純に無口なだけだと分かったとき、安心したのはここだけの秘密だ。きっと彼は目を丸くして、驚いた後にちょっとだけ気まずそうな顔をして謝ってくるだろうから。
無口な彼が怖かった。
だけど今は、よく話す彼のほうが怖い。わたしのために、言葉をたくさんくれる彼のほうが怖い。
無口な彼の言葉は、大切なところがすぐに分かった。決して聞き逃してはいけないところが、すぐに分かった。
なのに。今は彼が本当に伝えようとしていることが分からない。
情けないことに、彼の真意を測りかねて口ごもったのだ。
今まで何度もしてきた、だけど最近は滅多になかったこと。いや、と小さく口の中で否定する。
なくなったんじゃない。彼がそうならないように、心がけてくれたから、彼の本心が見えないことがなかったんだ。
……知り合って、少ししたくらいから、彼はずっと気遣ってくれていたんだろう。
「高木さん」
僅かだか暑くなってきた空気。
それが体育館の中だと全く感じられない。むしろ僅かといわず、ずっと暑さを孕んだ空気が充満していた。
むっとするような、篭った暑さは座っているだけなのにじんわりと汗ばむ。
動いていないわたしがそうなのだから、向こうから呼びかけてくる声の主は、きっと汗だくだろう。
何せさっきからボールを持って走り回っているくらいなのだから。汗にまみれていたとしても、何の不思議もない。
「暇だったら帰っていいよ。ここ暑いから、気分悪くなるかも」
シャツの袖で顔を乱暴に拭いつつ、ボールを持ったまま彼はこちらへと近づいてくる。
口数の減ってきたわたしを気遣ってのことだろう。普段無表情無頓着(バスケを除く)の人に心配されると言うのは、妙に面映い。
「わたしから見たいって言ったんだし、大丈夫だよ。動いてないし、ドアから近いし」
彼に朝練が見たいといったのはわたしの方だ。
今まで彼の試合を見たことがなかったし、単純に興味も湧いていたから。彼を夢中にさせると言うその競技は、一体どんなものなんだろうかと。
バスケと言う競技は、わたしが思っているよりずっと速く、激しいボールの動きを含んでいた。
その動きに、気が付くと心が惹かれていた。あんなふうに、ボールが言うことを聞いてくれたら、楽しいのかもしれない、なんて。
「日野くんが持つと、ボールは素直になるね」
首を傾げて、それから日野くんは自分の手の中にあるボールを一度、二度宙に放り投げる。
それからぐっと眉間にしわを寄せて数秒。何か気に障ったのかと思っていると、やっと彼が口を開いた。
「そんなこと言われたの、初めてだから――少し照れる」
「黙ったから、怒っちゃったのかと思った」
運動して僅かに上気した頬へ、熱さ以外の熱が灯る。
だけどその変化は小さすぎて、付き合いの浅いわたしには分からなかった。今のわたしでさえ、見破る自信はない。
だけどそれとは別に、彼はわたしの発言を聞いて驚いたらしい。
目を丸く見開いて、それから少し口を閉じてしまう。今度はもう少し、眉間のしわを薄くして。そんな気遣いが、可愛いと思った。
「怒ってたわけじゃないけど。そっか、高木さんには怒っているように見えたんだ。
よく言われるから、直さなきゃとは思うんだけど。ごめん、今度から気をつける。でも本当に、怒ってたわけじゃないから」
考えると、ついね。
少しだけ目の鋭い、背の高い彼は話してみるととても優しかった。
感情豊かなはずなのに、顔には表れにくく、口数が少ないので分かりにくい。そんな彼は話しやすく、バスケのルールなども教えてもらった。
彼がそこまで好きなものなのだから、きっと面白いに違いない。
そんな説明の仕方だった。
「ボールが素直って、高木さんが言ったから」
ひゅっと小さな音がして、ボールがゴールポストに吸い込まれていく。
壁に寄りかかって座っているわたしに近づいてきているのだから、彼にしてみれば大した距離ではないのかもしれない。
だけど、それでもすごいと素直に思えた。
「よく入るね。ボール。あんなに小さい枠なのに」
「朝練の賜物かも」
感心して声を出すわたしに、彼は頬をかいて笑う。
今度はわたしにも分かった。彼が『照れて』いるんだと。その仕草は、声を出すよりもずっと顕著に、彼の心情を表しているような気がした。
わたしは立ち上がって、彼が投げ出したボールを拾う。
それから、彼よりもずっとゴールに近いところから、そのボールを投げた。
ボールはのろのろと遅いスピードで上がり、ボードの下辺りに当たって、全く見当違いのところへ行ってしまう。
ダン、ダン、と落ちてきたボールがバウンドして、体育館にその音が大きく広がった。
「くっ」
むっとして眉を寄せていると、後ろから小さく笑う声が聞こえて振り返る。
それは間違いなく彼の声で、怒った顔のまま睨みつけると今度こそ噴出された。年相応の、高校生の男の子の笑顔だった。
「ごめんごめん」
「謝ってないからね、それ! 日野くんは分かんないでしょ、入んない人の気持ち!!」
「いや、最初の頃は入んなかったから、分かるよ」
まぁ、入んない感覚なんて忘れるくらい、ゴール率がよくなれば言いと思ってるけどね。
そう言って、彼は真剣な目をした。彼との距離は数歩。出会ってから、少しずつ近づくその距離に、訳もなく落ち着かなくなったのはこの頃だっただろうか。
淡い淡い恋を書こうとして、毎回結局何なんだ、とつっこまれる現代モノですが。今回もその雰囲気が漂ってます。
……恋になる予定、です。