声の遠さ分
彼女までの距離 ~声の遠さ分~
「知ってるよ」
その声は少しだけ遠く、こちらを突き放すような声を含んでいた。
彼女は多分、それを無意識でやっているんだろうと思うと、何もいえなくなる。自分には、傷つく資格も何もないんだと、改めて思い知らされる。
「湊くんは、優しいって分かってるよ」
何故だか彼女の言う『優しさ』は、どこか悲しくて。
普通の、ニ年間聞き慣れたはずの声は、いつもと何ら変わりはないのに、泣いているように聞こえてしまう。
なにがそうさせてしまうのか分からない。だけど確実に自分のせいだという自覚はあった。
それが何だかすごく嫌で、思わず唇をかみ締めた。
……変わってない。彼女のことを少しだけ知ったつもりでいたあの頃から。
自分の知っている彼女など、ほんの一面に過ぎないのに。なのに彼女の全てを知ったつもりになって浮かれていたあの頃から、自分は余りにも成長していない。
「分かってる、つもりでもいいから。……だから、分かってるって、言わせてね」
もしかしたら、彼女もそう、思っているのかもしれない、なんて。
「咲は、俺よりも俺のことを知ってると思うよ。俺の好きなものとか、嫌いなものとか、俺が知らない俺を、たくさん知ってる」
「うん。そう、だね」
うん、と答えた声は明るかったのに、それもすぐに萎れてしまう。
続けられた声は、低く小さかった。何か、気付かなければよかったことに気付いてしまったかのような、そんな声だった。
「咲」
「うん?」
今日の昼まで近かった声が遠い。
いつも近くにあったはずの声が、近くで聞きなれていたはずだった声が、遠く儚く聞こえてしまう。――携帯で話したのは初めてじゃない。
それでも感じてしまうのは、言いようのない寂しさで。
どうしようもなく彼女を近く感じたくなってしまう。
「俺は優しくなりたいわけじゃない」
優しいわけじゃない。
優しくなりたいわけでもない。
ただ彼女を手放したくない、ただの臆病者だ。バスケを捨てることもできず、かと言って咲とすっぱりと別れることもできず。
彼女にひたすら無理を強いている。
「ねぇ、湊くん。あのね。聞いてくれるかな」
気遣わしげな声は、ほんの少しだけ明るくなっていた。
でもそれは、心からの明るい声ではなくって、無理やりこちらを勇気付けるような、そんな感じの声だった。こんな声を、自分は出させているのか、彼女に。
誰よりも大好きな彼女に。
「離れるのが、寂しくないって言ったら嘘だよ? 不安じゃないって言ったら、嘘だよ」
彼女はそういうことを、口に出さないと思っていたので、小さく驚いた。彼女のためではなく、俺のことを思って口に出さないと思っていた。
「だけどね、湊くんが無理やり遠距離恋愛をさせているわけじゃないよ。わたしに、それを強いているんじゃないよ」
彼女は時々、泣きたくなるくらい優しい。
自分の一番思っていることを、こともなげに言ってしまう。悩んで、どうしようもないときに、何気ない一言で救ってくれる。
今回ばかりは彼女も、何気なく、と言うわけにもいかないだろうけれど。
それでもまた、救われてしまった自分がいた。
許されているような気分になってしまって、言いようのない感情が渦巻く。許しを請うているわけではないはずだった。
でも、知らず知らずのうちに、彼女へと思っていたのかもしれない。
『許してほしい』なんて。
厚かましいにもほどがあるだろうに。
「湊くんがもし、そのことで自分を責めているんなら、それはおかしいことだよ? わたしは、湊くんと学校が違っても……」
声が揺れた。ぐにゃりと力なく崩れていく声色に、泣かせてしまった自覚が切々と募る。自分ばかり慰められて、自分ばかり励まされて、自分ばかり、心の中のしこりを取られる。
自分は何一つ、泣くことを我慢している彼女に言葉をあげることができずいるのに。
近くにさえいれば、声を上げず涙を拭うことができたのに。今はもう、それさえもできない。黙って側にいて、そっと抱きしめて。
そして、大丈夫だという代わりに頭を撫でる。
そんな、小さいこともできない。そんな自分に、彼女はこんなにも優しい。
「湊くんが」
泣き声をもらさないように、細かく切って声を出す彼女がこんなにも愛しいのに。
電話越しの、彼女の声は普段話すよりずっと近いはずなのに。耳元で語られる言葉は、電話をすり抜ける声は、とても遠く感じられた。
「咲、好きだよ」
本当に、自分たちはこれからやっていけるんだろうかと思う。同じ空間にいた高校時代でさえ、相手のことが分からず焦っていた。
全てが初めてのことで、訳も分からず翻弄された。
なのに今自分達は、すぐ会いに行けないくらい離れていて、電話がないと話もできない。
顔も合わせないから、相手が今どんな表情をしているのかも分からない。泣いているのか、笑っているのか。
そんな簡単なことも。
「わっ、わたしもっ」
どうすれば、彼女の涙を止めることができるんだろう。
今すぐ帰れば、彼女は泣きやむのだろうか。
「好き、だよ」
だけど帰ることも、涙を拭うこともできはしないんだと分かっていた。
彼女がそんなことで泣きやむわけはないと、きちんと知っていた。だから自分の気持ちだけはしっかり持っていようと思った。
せめて、彼女に抱くその心を、見失ってしまわないように。
迷って、しまわないように。
自分にできることは、結局それくらいしかないのだ。
優しい彼女は、とてもとても、大切な人だということを忘れないように。
「好きだよ。咲が好きだ」
呟き続ければ、いいのかどうかは分からない。
だけど他に、選択肢はなかった。上手い言葉も、甘い囁きも、自分にできないのだから仕方ない。自分にできることを、彼女のためにし続けるしかない。
もしかしたら、自分のため、かもしれないけれど。
他の人から見れば酷く滑稽で、幼くて、痛々しい恋なのかもしれない。だけど彼女さえいるならば、そんな恋で十分だった。
その恋しか、いらないと思った。
切ないのか、他の感情なのか、よく分からない文章になります。