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larme ~短編集~  作者: いつき
彼と彼女の距離
40/50

電話一本分

 彼までの距離 ~電話一本分~




 初めての『遠距離恋愛らしい』行動は、彼からかかってきた電話に出たことだった。

 電話もメールも、そんなに頻繁にしていたわけではないので、少しだけ面映い感覚で電話を取る。すぐに出たかったのに、何故か止まってしまって、音楽が流れ続けた。

 寂しい、というはっきりとした感覚は未だに沸かず、まだ彼がこの町にいる感覚を拭えずにいる。

 確かに、見送ったくせに。

「もしもし? (みなと)くん?」

「咲、今大丈夫か?」

 わたしも彼も、存外緊張していて、お互いの声のおかしさに気が付いて笑った。

「大丈夫。湊くんはもう着いたの? そっちはどう? 楽しくやっていけそう?」

 矢継ぎ早に聞いて、それが恥ずかしくて口元を手で覆う。

 携帯電話の向こう側で彼の笑い声が聞こえた。

 少し決まりが悪くなって、一度、二度とわざとらしく咳払いをする。

 すると向こうの方で『ごめんごめん』と笑い混じりの謝罪が届いた。

「こっちは少し落ちついた。荷物はまぁ、おいおいするよ。それより、やっぱりこっちは都会だな」

 呟くように苦笑いしつつ、彼は言う。

 その声には確かに、こちらを懐かしむ色が現れていて、妙に胸がざわめいた。

 わたしはまだ、彼のいないこの町を少ししか感じていないのに、彼は『違い』をすでに感じているようだった。

 当然だろう。わたしはこの町に残り、この町は彼以外昨日のままなんだから。

 だけど彼は、この町を出ていて、あっちは彼以外全てが違う。だから、彼が『違い』を気にするのは仕方ない。

「人が多いから、咲はこっちでは住めないな」

 彼はあっちでたった一人なのだと思うと、急に足元が不安定になってグラグラと頭を揺らした。

 そのうち、その感覚に耐えられなくなって、ベッドへ倒れこむ。わたしが、一人ぼっちと言うわけじゃないのに。

「湊くんは、人多いの……好きだっけ」

「咲よりは、な」

 彼は寂しがっていないのに、むしろこれから始まる生活へ胸躍らせているのに、どうしてだか寂しがっているように思えて携帯を握った。

 苦笑いで話す彼がどんな顔をしているかなんて、わたしに分かるはずないのに。

「わたしだって、嫌いなわけじゃないよ」

 言い訳のように、少し気まずいように言う。

 別に、人込みが大嫌いで行きたくもないというわけではないんだけど。ただ少しだけ、苦手というか何と言うか。

 慣れないのだ。どうにもあの騒がしさには。

「でも、好きでもないだろ? 人がたくさんいて、立ち止まる暇もない。皆の流れに乗って、ただひたすら流されるまま、なんて咲には耐えられそうもないしな。

俺だってちょっとげっそりする」

 よく分かってるなぁ、と苦笑いを返すと、『図星だろ』と彼も笑った。

 取り留めのない話が、『大丈夫だ』とわたしを勇気付ける。まだ平気。まだ大丈夫。

 ……だけどいつか、耐えられない日が来るかもしれない。

 こんなやりとりさえ、苦しくなることがあるかもしれない。そのことが怖くて、唇を引き結んだ。

 そうなってしまったら、彼の声を聞くだけで苦しくなってしまったら、わたしはどうするんだろう。彼の声を聞けないなんて。

「湊くん」

「どうした? 咲」

 恐る恐る呼びかける。それに対して、彼もゆっくりと呼び返してくる。

 まだ、それを幸せだと感じられる。だから、大丈夫。でも何て言えばいいのだろう。

 この胸にある不安も焦燥も、彼には言えないことだと知っているのに。

「バスケ、頑張ってね」

「いきなりなんだよ」

 苦しくなって嘘をついた。

 子供みたいに泣く代わりに、大人ぶったことを言う。

 行かないで、とかまるで恋に溺れてる『女』みたいなわたしに気付いて欲しくなって、笑う。

 この誤魔化しが、彼に通用するなんて思ってないけど。彼は何もかも、見通す鋭い瞳を持っているから。嘘なんて吐けない。

 電話だと、少しだけ嘘が吐きやすいよ。湊くん。

 目を見て話すわけじゃないから、湊くんの目から逃げやすい。

 嘘も何もかも見抜いてしまいそうな目で射抜かれたら、きっと嘘なんか吐けず、心の中にあること全て吐き出してしまいそうになる。

 辛くなりそうで怖いの。

 不安で、足元がぐらついて、どうにかなっちゃいそうで。それで、湊くんを責めてしまいそうなんだよ。

 それが、一番怖い。悪くないのに、悪いと言ってしまいそうで怖い。

「咲?」

「試合、見に行くから」

 不審そうな彼の声に、また一つ嘘を重ねた。

「何だよ、いきなり。そりゃ、来てくれたら嬉しいけどさ」

「うん、絶対行く」

 試合は、見に行けないかもしれない。

 プレーしている彼を見たら、つい思ってしまうだろうから。彼は『バスケ』さえあればいいんだろう、なんて。

 彼にとても言えないこと。彼のことを知っているふりをして、彼の気持ちを勝手に推し量るふりをして。

 キラキラして、楽しそうにプレーしている彼を見るのは大好きなんだけど、もしかしたら辛くなってしまうかもしれない。

 ボールを操り、ユニフォームを翻し、髪を汗で濡らして。コートの中を一心に駆け巡る。

 瞼裏に映るのは、何度も見た高校時代の彼。

「咲」

 恐る恐る呼びかける彼の声は僅かに震えていて、彼もわたしのように恐れているのかもしれないと思った。

「俺は、バスケと咲を比べたことなんて一度もない」

「うん」

「一度だって、ない」

 唐突なその言葉が、どれほどわたしを救うか彼は知らない。

 柔らかなその言葉が、どれほどわたしを縛るか、彼は知らない。嬉しくて、悲しくて、恋しくて……やっとのことで出た『知ってるよ』は僅かに震えていた。

 涙に濡れた声は、出した自分がびっくりするくらい弱々しかった。だけどどうしようもなく、それ以上は口をつぐんだ。

 遠距離恋愛の友人に意見を聞いてみたら、『綺麗なものじゃないね』の一言。

 ……彼女に何があるんだ、一体。

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