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larme ~短編集~  作者: いつき
単品(1~2話)
4/50

金木犀

 季節外れですみません。書いた当時は金木犀の盛りでした。学校帰りにふわりと香った金木犀があまりにも甘くて、淡いめまいを覚えました。

 『囚われる』感覚に思いついた短編。

 主従です。甘くないです。何かあやふやです。……痛くもないけど、甘くもない。平安時代くらいをイメージ。

 甘い香りに惑わされて、手を伸ばす。

 掴めないのに、掴もうと手を伸ばす。

 どうしても、欲しいと、手を伸ばす。


 甘い甘い香りを閉じ込めようと、ゆっくりそっと、でもすばやく……手を伸ばす。





「いい香りじゃのう。そうは思わぬか?」

「ええ」

 長い髪を流したまま、少女はゆっくりと微笑んだ。白粉を塗っていないのに真っ白な顔、薄桃色の小ぶりな唇。

 全てが小作りな顔なのに、瞳だけが輝いていた。

 同意した青年を少女はちらりと見て眉をひそめ、着物の裾を翻す。紅葉の柄が刺繍された裾がふわりと広がった。

「興が冷めた。中に入る」

 艶やかな唇から出たとは思えぬくらい冷たい声を青年に発し、部屋に入る。

 そして御簾を跳ね上げ脇息に寄りかかった。少々乱暴な動作にもかかわらず、どこか洗練されていた。

 青年は部屋へは入らずに、簀子のところで止まり、跪く。

「入ってこぬか?」

 遠くて少し聞き取りにくい声に、青年は応えた。

「もう姫様は十五におなりです。本来ならば……」

「本来ならば御簾の外にも出ず、人と会うときも仕切りを設け、声も聞かせず、日の光に当たったこともないような姫君として過ごさなければならない……じゃろう? 

そしてそちはそれを馬鹿正直に守っている」

 にやり、と先ほどとは違うように微笑んでみせる。こちらの方が少女を生き生きと見せていた。 

 しかしすぐさまその笑みも消し、脇息から身を起こした。

「分かっておられるなら……」

「分かっておるから、じゃ」

 青年の二度目の発言も遮り、少女は廂に出て格子に寄りかかるようにして、簀子の青年に近づく。

「わらわはこれから嫁ぐ姉上のように入内はせん。父上も血のつながらぬ母上も無理強いはせんじゃろう。わらわは妾腹の娘。

 どこか適当に嫁がされるじゃろうて」

 まつりごとの駒として、な。

 御簾を隔てて、少女は笑う。

「今わらわがいなくなろうと、父上たちは探そうともしないのじゃろうな……。いや、大事な道具がなくなったと騒ぎ立てるか……?」

「姫様。姫様はきちんと大事にされています。そのような……」

「そのようなことを言うのはお前だけじゃよ」

 ――お前も、今思えば不運じゃのう。

 少女が笑った。御簾越しのせいか青年にはよく見えなかったが、眉を下げているようにも見える。

「我が家に代々仕える家の出でありながら、わらわのような娘に仕えねばならぬとは」

 父上が姉上に仕えるのではなく、わらわに仕えよとおっしゃったとき、わらわは姉上が気がかりだった。

 少女が御簾に手を滑らす。御簾が揺れた。

「姉上がそちを好いておったことくらい、とうに知っておった。そちは知らぬと言い張るか? 気がつかなかったと?」

「姫……」

「安心せい。父上などに言ったりせん」

 ばさり、といきなり立ち上がり、少女は中へと入って行く。青年は少しだけ腰を浮かし、それから何か思い出したように再び座った。

「私は、女御様とおなりになるようなお方とお話しするようなことはありませんでした。恐れ多い」

 きちんとした格好をすれば、どこかの公達に見えるような秀麗な顔立ちが小さく歪む。

「そちはあの金木犀と同じじゃ」

 何の突拍子もなく、少女は言った。黒い髪が流れる後姿が、御簾の間から見え隠れする。

「姉上の気持ちを知りつつ、それでも決して姉上の声に振り向かなかった。わらわに仕えていると言い、決して姉上の呼びかけに立ち止まろうとしなかった」

 どんなに姉上が、お前を好きだったか、わらわは知っておる。

「不快なくらい甘い香りが、そちと一緒じゃ。姉上はそれに酔った。醒めることの難しいくらい深く、な。

そこまでさせる、甘い香りが、わらわは嫌いじゃ」

 酔ってしまった姉上を知ってしまったからの。

「のう。守役……。金木犀が酔う甘い香りはないのか?」

 すっと後ろを振り向いた少女は今度こそ泣いていた。

「もしあるなら……。酔わぬうちに身に焚き付けたい」

 ほろりと涙を流しながら、少女は笑う。

「わらわは酔わぬ。絶対に酔わぬ」

 きゅっと唇を結んだのは青年の目にもはっきりと映った。

「わらわは……酔わぬよ」

 御簾を上げ、少女は再び出てきた。注意しようとした青年の唇に少女が手を置く。

「分かっておる。これが最後じゃ。御簾から外へ出て花々を眺めるのも、そちの前に何もせず顔を見せるのも」

 だから、一枝だけ金木犀を取ってきてくれぬか?



 深くは酔わない。少しだけ、まどろむだけだ。

 その甘さに。その美しさに。その優しさに。

 もうその甘い香りを掴もうとも思わぬ。溺れとうはない。

 


 そう言い訳して少女は一枝の金木犀を腕に抱いた。その甘い香りを楽しみつつ、青年を見て笑った。

「本当は……それほど嫌いではない。この甘い香りも、そちも」

 少女は一瞬だけ青年の頬に手を伸ばしかけ、首を振った。左手で右手を包み、金木犀の小さな花を撫でる。

 そして御簾の中へ入る。

「最後の命令じゃ。聞いてくれるかの?」

「なんなりと」

 しばらく黙っていた青年が応えた。それを聞き、少女は分からぬ程度に目を細める。

「今姉上は、一ヵ月後のことを思い、外を見ているじゃろう。その姉上に……この金木犀を届けて欲しいのじゃ」

 御簾から金木犀だけが差し出され、青年はそれを受け取った。

「それから、あと一ヶ月、姉上に仕えよ」

「姫様」

「命令じゃ。聞けぬか?」

 納得しないと言う返事に、少女は冷たい声で返した。

「酔ったまま入内させるのも、酔いを醒ますのも、そちの勝手じゃ。わらわは口出しせん」

 そしてもう話は終わったとでもいうように、青年に背を向ける。

「姫様」

「まだ何かあるのか」

 振り向きもせず、少女は応える。手の届くところへ積み立てられた書物の山から一冊を抜き出し、ぱらぱらとめくっていく。

 その視線が一つも動いていないことを、背を向けられた青年は知らなかった。

「私は、姫様に仕えさせていただいて、本当に幸せです」

 ですから

「一ヵ月後には、また戻ってきます」

 その青年の言葉に、少女の手が止まった。そして書物の頁を捲るのをやめ、傍らに置く。

「勝手にしろ。口出しはせんと言った」

 そういう少女が笑顔だったということも、背を向けられた青年知らなかった。




 結局、溺れてしまう。

 だけどせめて、その間際まで足掻こうか。

 その甘い香りに酔わされたなんて、もうとっくに酔わされているなんて、言えないから。


 続きが書きたいけど、痛くなるから怖いんです。

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