県一つ分
書き足せない日々が続きます。
彼女までの距離 ~県一つ分~
新幹線のアナウンスで、早々に隣の県へ入ったことを知る。
窓際へ寄りかかるようにして外を見れば、眩しいくらいの太陽が目を焼いた。携帯を開いて、それから閉じて、じっと見つめて、それからまた開いて……。
そんな無意味な行動を繰り返す。
今自分はさぞや情けない顔を晒しているんだろう。そう思って瞼を閉じた。ちらちらと、彼女の赤い目が瞼の裏に現れては消えてゆく。
自分を責めるような目では、決してなかったはずなのに。
彼女を思い出して、また泣き出しそうになる。じんわりと熱くなった目を隠すように俯いて、肺の中に溜まったよどんだ空気を吐き出した。
吐き出しても、心の中に溜まるものは出てはくれなかったけれど。
ぐんぐん早くなる新幹線に身を任せつつ、彼女と自分の距離の長さを考える。
未だ止まらない新幹線のせいで、さらにその距離は開いているんだけど。そして、あと2時間はその距離が開くのを、じっと耐えることしかできないんだけど。
流れるような景色も、痛くなる耳の奥も、全てのことが彼女の気配を消していくように思えて下を向いた。
一昨年の春頃、つまりは恋などに全く興味のなかった自らに言ってやりたい。
二年年後の自分は、部活か彼女か、で半年以上悩んだぞ、と。
比べたつもりは全くないが、彼女にしてみればそう見えても当然だろう。そして自分より部活……バスケを取ったと思われても仕方のないことをした。
「あぁ、クソッ」
口下手な自分に嫌気が差し、髪をかきあげた。何かもっと、言うべきことはあったはずなのに。伝えることも、あったはずなのに。
「あの頃は、考えもしてなかったな」
自分がここまで悩むなんて。ましてや、彼女を作るなんて。
……同級生の女の子に、恋をするなんて。
『高木 咲』の第一印象は“不思議な子”だった。
特別変人、というわけでも、言動がおかしいというわけでもなかった、はずだ。
人に興味のない自分なので、正しいかどうかは分からないけれど。ただその身に纏う雰囲気はとても静かな気がしたのだ。
かと言って、クラスで一人静かに座っているだけでもなかった。
他者なんて気にしないはずの自分だったのに、特に『女子』という生き物が苦手な自分だったのに、何故だか彼女は気になった。
初めて話した朝以来、二人っきりの朝の時間は、小さな楽しみになっていった。
あれだけ朝を嫌っていた自分が、無遅刻になるくらい。
朝練も、毎日続いた。
「おはよう、高木さん」
「おはよう。日野くんは早いね。朝練、好きなんだ」
テストのある日はテキストを、それ以外の日は文庫本を眺めている彼女はもうお決まりだ。
一回くらい彼女よりも早く来たいのに、ついぞニ年間それが成功することはなかった。彼女が欠席した日以外、いつも彼女は自分より早く来ていた。
それが悔しかったが、それと同時に一種の安心感も持っていた。
毎日、彼女が迎えてくれたから。それが心地よく、嬉しかった。彼女より早く来たい、と思うくせに、実際そうなるのを少しだけ恐れていた。
「……朝練っていうか、練習は好きだよ。まぁ、それだけじゃないけど」
君に、会いたいだけだけど。
今思えば、この頃からそれは恋と呼んで差し支えのないものだった。
「最近ね、日野君の足音、分かるようになったんだ」
朝話すようになって、少しずつ彼女のことを知った。
たとえば人ごみが苦手なこと、人の少ない学校は安心すること、騒がしいより静かな方が好きだけど、静か過ぎると寂しくなってしまうこと。
友人と話すのも、一人でじっと考えるのも、両方好きなこと。
……思ったとおり、少しだけ不思議な子だった。不思議だけど、一緒にいて心地よく、安心する子だった。
「どんな感じの足音?」
「口では上手く言えないんだけどね。うーん、軽い足音? なんかこう、はっきりとは言い切れないんだけどね、日野くんだっ! ってはっきり分かる足音だよ。他の誰かの足音とは違うって」
いつから、という明確な区切りはないのに、『特別』になっていくことは分かる。
一つ一つの動作が、言葉が、彼女らしいと思う度に、彼女のことが分かっていく気がして嬉しくなった。
彼女は、自分がいつも素通りして気付かない『楽しいモノ』を見つけることが上手かった。今の足音だって、言われるまでは気にも留めていなかった。
彼女に言われて、初めて気が付いた。
「高木さんの足音も、聞き分けられたらいいな」
「わたしの? いいよ、何か恥ずかしいし。絶対、日野君のと比べたら笑っちゃうくらい変だと思う。わたしの足音、きっと重そうな音だよ!! だから、しっかり聞こうとしないでね」
彼女の足音が聞き分けられるようになったら、きっと楽しくなるだろう。
後ろから、その音が聞こえるだけで、きっと笑ってしまうんだろう。そう思って小さく笑うと、彼女は少しだけ眉を寄せて、『絶対聞かないでね』と念を押した。
彼女に泣き顔を見られなくてよかったと思う。あんな情けないとこ、できれば見せたくない。
一回見せれば、十分だ。自分の泣き顔なんて。今更になって溢れそうになる感情を押し殺して、目を瞑る。
窓の外の眩しい光が瞼を越えて、目を焼く感覚に眉を寄せた。腕で目元を覆い、涙を隠した。
泣き出したいのは自分ではなく、きっと彼女の方だろう。でも、彼女はもうきっと、泣いていないんだ。
「咲」
彼女を引き止める力も何もなく、ただ縋りつくことしか出来ない自分なのに、彼女は手放せないという事実は知っていた。
付き合い始めて、そんなに時間は経っていないはずなのに、それだけは嫌と言うほど分かっていた。
学校自体は県一つ分じゃ済まされないくらい離れている設定です。
感覚で言えば、フォッサマグナ越えちゃうくらいな? 因みに私は西日本住まいなので、自然と遠くを考えると東日本になります。
フォッサマグナを越えたのは、人生で一回だけです、今のところ。西日本中心の旅行くらいしかしたことないです。